【7】アソボウ、クロガネ
うっせぇよ!
《お願い、もう近寄らないで。あたしはこれ以上、あんたを傷つけたくないの》
うっせぇ! うっせぇ!
《いやだよ! やめてよ! 来ないでよ! もうぶたないでよ!》
もう黙れ! 僕の頭の中で泣き叫ぶな!
《どうして分かってくださらないのですか。貴方は本当は優しいお方なのに…》
僕の何が分かるって言うんだ! 黙れ! 黙れ! 黙れ!
実験場に一歩踏み込んでから、ボレアスの脳内口撃が続いている。攻めて撃つのではなく、口車で撃ちのめすから口撃。カテゴライズすると精神攻撃か。僕に脅しが効かないと分かると、声や言い回しを女性風に変え、説得や泣き落としに切り替えてきた。優しそうなお姉さん風だったり、包容力のありそうなオバサン風だったり、守ってあげたくなるような幼い少女風だったりと、明らかに探りを入れて来ている。僕の好みにたどり着くのも時間の問題だろう。幸い、正体が目の前のカイジュウだと分かっているので、どんなに魅力的な声でも誘惑されるわけは無いのだけど。
「大丈夫かシロガネ」
「うっせぇよ! ……って、なんだじいちゃんか」
「大丈夫なのかシロガネ」
「ああ、大丈夫だよ。それで何さ」
「そろそろデッドラインに到着じゃ」
「ありがとう。助かるよ」
作戦を成功させるにも、まずは近づけるだけ近づかないといけない。しかし、うっかり近づきすぎると、恐怖のそよ風が僕を吹き飛ばすだろう。幸い、ラズ老師達は観測室からデータを取っていた。おかげでボレアスが動き出すデッドラインのギリギリまで近づくことができた。老師達の分析好きに感謝だ。
僕はイフリータの切っ先で石畳をつついて砕き、爪先を入れて具合を確認しながら横長の穴を掘る。うん、まあこんなものか。さて、ここからが本当の本番だ。そしてもう後は無い。被験者の命運はこの一戦にかかっていると思え。気合い入れていくぞっ!
「ところでシロガネ、本当にイフリータを投げるのか? 投げやりになっとらんか?」
「それだけどさ、実はじいちゃんには黙ってたことがあるんだ」
僕はイフリータを槍のように持ち替え、投擲体制に入る。
「実はね、影でコッソリ猛特訓してたのさ」
二ヶ月ほど前だったか…。ターゲットに飛ばれ、空へ逃げられたことがある。ラズ老師のフォローがなければ、任務自体が失敗するところだった。悔しくて悔しくて、夜も眠れなかった。それ以来、離れた敵を攻撃する方法ばかり考えていた。弓矢や投げナイフ。手裏剣やブーメラン。色々試してみたけど、どれも失敗だった。荷物が増えるばかりで任務に支障をきたしてしまうのだ。反省した僕は原点に立ち返る。僕は剣士。剣で戦ってこそ剣士。他の武器で戦うなど邪道。剣士が剣士の本分を忘れてはいけない。本分? …そうだ。剣で戦うのが剣士の本分なら、剣を投擲すれば良いんじゃないか? 逆転の発想だった。もちろん、実戦でいきなり得物を投げるなんてことはしない。僕もそこまで馬鹿じゃない。あくまで最後の手段として、死神とは別の切り札として、投擲技を磨くことにしたのだ。
最初の一週間は酷かった。本当に酷かった。飛ばない、当たらない、削れないのナイナイ尽くしで、練習用に買った百振りもの鉄剣は、あっという間に鉄屑になった。
次の一週間でようやくコツを掴み、十メータ先の的まで飛ぶようになった。しかし的には当たらない。当たっても耐久力が削れない。剣が持つ本来のポテンシャルが引き出せないのだ。相手の虚を突くことくらいは出来るかもしれない。でも、決定打にならないなら切り札には使えない。僕は完全に行き詰まってしまった。
そんな時だ。王宮戦士の大先輩、電光のライオがアドバイスをくれたのは。
「回転を加えず、まっすぐ投げればいいんじゃないか?」
僕はそれまで、ブーメランの要領で回転が付くよう横に投げていた。その方が浮力が付くように思えたからだ。しかしスピードは出ないし、まっすぐ飛ばないので狙いも付けにくい。おまけに、的に当たるのは切っ先か柄で、その確立は二分の一だ。すべてにおいてダメダメだった。参考にすべきはブーメランではなく、投げ槍だったのだ。
次の一週間はまた試行錯誤の連続だったが、少しずつ成果が出始める。命中率は相変わらず酷かったが、命中さえすれば的は粉々になった。更に試行錯誤を繰り返しているうちに、剣の刃を翼に見立て、紙飛行機を飛ばす要領で投擲すると、飛距離が伸びることに気付いた。この大発見には飛び上がって喜んだものだ。
それから一ヶ月。飛距離は千メータオーバー。破壊力もまずまずだ。しかし命中率だけはなかなか上がらない。確実に当てられるのは五メータが限界。それより先は一メータごとに命中率が落ちてゆく。せめて十メータ先の的に確実に当てられるようになるまで、実戦では使うまいと心に決めていた。だからこれまでラズ老師には黙っていたし、投擲に頼ろうなどとは思いもよらなかった。
しかし今回ばかりは迷わず使える。何しろ的がバカデカイ。外しようがないのだから。
「いっせいっのおっ! せぇいやぁぁぁぁ!」
雄叫びを上げながら、僕はボレアスめがけて全力で投げた。イフリータは弧を描いて飛んでゆき、ボレアスの脇腹にザクッと突き刺さる。さあ、体力ゲージはどうだ。ダメージは……一割程度か。ま、そうだよな。刺さっただけだもの。
「なにやっとるんじゃシロガネ! それならフルバースト状態で投擲した方が数倍も削れたじゃろ!」
そんなことは百も承知さ。だけどごめん。今は返事する暇がないんだ。
僕はラズ老師を無視して、先ほど開けた小さな横穴に左の爪先を入れ、四つん這いになる。たしか利き足だから左足が前で、右足を後ろ。両手は肩幅か少し広いくらいの間隔で地に付ける……ええっと、左手には水筒の紐を握ってるけど、大丈夫だよな。
今、僕がやろうとしているのは、異世界ガングワルドで確立された俊足技の一つ。技名は確か、クラウチングスタート!
「よお〜い」と言いながら、僕は腰を上げ、前傾姿勢になる。そして…
「ドンッ!」のかけ声と共に左足に力を入れ、僕は全力でデスゾーンへと飛び出した。
イフリータをフルバースト状態にして投擲すれば、確かに大ダメージが与えられる。更に死神を解放してからの投擲なら、追加ダメージも期待できるだろう。だけど体力を削りきる確証が無いし、ボレアスが紙装甲であることも忘れてはいけない。イフリータに勢いが付きすぎれば、貫通してしまうかもしれないのだ。仮に、見事イマジネ・ボレアスを倒せたとしても、まだ続きがある。一分以内に棺にたどり着き、被験者を目覚めさせなければ終わらないのだ。投擲した場所からでは棺は遠すぎる。間に合わなければ最悪だ。更に強くなった五十番目の守護者が降臨してしまう。だからイマジネ・ボレアスは接近戦で倒すしかないのだ。
それでは何故、攻撃の要となるイフリータを投げたのか。理由は三つある。
一つ目は撹乱だ。ボレアスは頭が良い。僕なんかより遥かに頭が良い。僕の攻撃を分析し、最適の対策を立ててくる。ならば、そこにつけ込めるのではないか? 思いもよらぬ攻撃を受けると、ボレアスは何事かと分析を始める。その間なら判断が鈍るはず……と考えたのだけど、実のところ確証は全く無い。だから期待もしていない。一秒でも反応が遅れてくれれば大成功。上手くいけば儲けものってくらいの認識だ。
二つ目はボレアスに取り付くためだ。右腕は力が余っているから、重い大剣も軽々と振り回せる。だけど、走るとなると話は別だ。僕の両足は右腕ほど力自慢じゃない。大剣も思いのほか負担で、真っ直ぐ走ろうとしても、少しずつ右へ右へとずれてしまう。これではどんなに頑張っても、取り付く前にそよ風の餌食だ。だったら、余計な荷物は放り投げてしまえば良い。丸腰で身軽なら全力で走れる。一陣の疾風にだってなってみせるさ。
そして三つ目は、イフリータこそが攻撃の要だからだ。イフリータが無ければ、それこそ死神に頼るしか無くなる。けど、一度もボレアスに試していないから、本当に死神が通用する保証がない。もっとも、一度も試してないからこそ、切り札になりえるのだけど。あれ? なんだか矛盾してる? ま、いいや。とにかく、イフリータ・フルバーストこそが勝利の鍵。しかし手に持ったままでは、ボレアスの元にたどり着けない。ならば到着予定地に、あらかじめ運んでおけばよい…と言うわけだ。
イフリータをボレアスの体に突き刺しておくことにも、ちゃんと意味がある。もしボレアスに届かず、大地に刺さっていれば、ボレアスは決して見逃さないだろう。踏みつけで砕くかもしれないし、砕けなくても十分だ。踏みつけたままでも、僕はイフリータを取り戻せないのだから。
僕がイメージしたベストプランはこうだ。
ステップ1、投擲でイフリータをボレアスに突き刺す。
ステップ2、身軽になってからの全力疾走でデスゾーンを走り抜ける。
ステップ3、ボレアスに取り付いてからイフリータを引き抜く。
ステップ4、数回の斬撃を繰り出してある程度の体力を削る。その上で…
ステップ5、最後に必殺のイフリータ・フルバースト! ボレアスは爆発四散する。
これを成功させるには、奇跡が何回必要なんだろうね、まったく…。我ながらムチャクチャな作戦だ。必ずどこかで綻びが出るだろう。その時のためにも、死神は切り札としてギリギリまで残す必要があった。ボレアスに対策を立てられる可能性を考えると、死神の解放を後回しにすればするほど作戦の成功率が上がる。そしてもし、死神を解放せずにボレアスを倒せたなら、五十番目の守護者が現れたとしても、切り札を残したまま対峙できる。それこそ本当に最後の切り札として。
それにしても、最後の切り札か……。なんて心強くて、なんて心細い言葉なんだろう。それがあるだけで安心感がハンパ無いし、使った途端に湧き上がる不安感もハンパ無い。このまま心にゆとりを持ったまま、全力で戦いたいものだ。だけど今は、余計なことは考えまい。ただひたすらに、駆け抜けるのみ。
僕は走った。とにかく走った。力のあらん限り走った。心臓はバクバクと破裂しそうなほどに鼓動する。肺は酸素を欲するが、いくら呼吸を早めても全然足りない。両足の筋肉が悲鳴を上げる。石畳の欠片を踏んだか、足の裏に激痛が走る。だけど気にしてる暇はない。もっとだ! もっと速く! 一秒でも! 一ミリ秒でも! 体がボロボロになってもかまうものか! どうせ御神酒を飲めば全部治る! 痛みに耐えろ! 限界を越えろ!
耐えろ! 越えろ! 耐えろ! 越えろ! そして決めろ!
僕がボレアスの懐に飛び込んだその直後、猛烈なそよ風が実験場に吹き荒れる。あ、危なかった。とっさにボレアスの腹と石畳の隙間に潜り込まなければ、また吹き飛ばされるところだった。心臓は破裂寸前。太ももは筋肉痛。右足からは出血。息も荒い。ついでに吐きそうだ。今のうちに回復して、次のステップに備えないと……
うひゃっ!
慌てた僕は変な声を出しながら、横に転がって外へ出る。その直後、ミシミシと音を立てて隙間が塞がった。ボレアスはちょっとだけ姿勢を傾けたのだ。あっぶね〜。もう少しでノシイカになるところだった。僕は急いで立ち上がり、回避体制に入る。体中が痛い。だけど回復はさせてもらえそうにない。ほんの一口だけ。ほんの一口、御神酒を飲むだけなのに!
ボレアスの前足が振り下ろされる度に、バァァン! バァァン! と激しい衝撃が大地を揺さぶる。まるで巨大なハエ叩き。ぼやぼやしているとペシャンコだ。それにしてもまいった。限界を超えた走りの影響で、だんだん足が言うことをきかなくなってきた。いつまでも避けきれないぞ。ボレアスの猛攻の合間に、僕はチラリと横を見る。イフリータはボレアスの横腹に突き刺さっている。高さは三メータほど上か。側に駆け寄ってジャンプすれば、簡単に手が届く高さだ。ああ、それなのに! それなのに!
もう諦めるか? 傷みで意識が飛びそうになる。イヤだ! このままじゃ終われない!
一旦引くか? 守護者の猛攻に怯みそうになる。ダメだ! 最後のチャンスを失う!
封印を解くか? 最後の切り札に頼りたくなる。マダだ! 万策は尽きていない!
体中がボロボロでも、両腕は健在だ。封印した状態でも、死神は右腕にパワーを与えてくれている。封印を解かなくても切り札になるはずなのだ。考えろ! 考えろ!
次の瞬間、僕は石畳に頭突きを喰らわせていた。右足が左足を引っかけたのだ。倒れた僕に影が迫る。足に力が入らない。立ち上がれない。逃げられない!
その刹那、僕は右腕で力一杯石畳を殴った。右手と石畳が同時に砕けるほどの強烈な一撃で、僕自身を跳ね上げる。巨大なハエ叩きが大地を揺るがした時、僕は宙に舞い上がっていた。クルクルと回転しながら落下した先は、ボレアスの背中。何とか狙い通りの場所にたどり着けたようだ。ズルズルとずれ落ちていくのを、僕は残った左手で何とか阻止する。だけどこれでは身動きが取れない。攻撃されたらアウトだ。絶体絶命の僕に、ボレアスは何を仕掛けてくる?
…………あ、あれ? 仕掛けて来ない? もしかして僕が見えてない? そうか! ボレアスの死角に入ったんだ! 今のうちに御神酒で回復を…って、手が塞がってて飲めないよコンチクショウ!
…でもまあ、それでも、一息付けるだけマシかな?
僕は今、左手でボレアスの背中をつかんで、かろうじて留まっている。幸い水筒には長い紐が付いていて、左手にグルグル巻きにしていたから、紐が解けない限り手を離していても大丈夫。落とすことはない。両足は休息すればある程度は回復するけど、右腕はもうダメだ。手が砕けて折れた骨が見えている。御神酒を飲まなければ使い物にならない。残ったのは左腕だけ。これでなんとかできるのか?
「じいちゃん……イフリータ…どこ?」くそっ、声が出ない。
「安心せい! お前のちょうど真下じゃ」
最後の最後で幸運の女神が味方してくれたのか。それともこの希望は、後に訪れる悲劇を引き立てるための前振りか。とにもかくにも、イフリータに接触しなければ始まらないし終わらせられない。僕はボレアスの背中を、少しずつ、少しずつ降りていった。だけど下れば下るほど傾斜がきつくなっていく。ボレアスの背中はデコボコしているので登攀には適していたが、やはり左手だけではかなり厳しい。仕方がないので僅かに動く右手で背中を掴み、左手の負担を少しでも減らそうとするが、その度に激痛が走り、僕の意識を刈り取ろうとする。
突然、激しい揺れが僕を襲った。地震か? いや違う! ボレアスが僕を振り落とそうと体を揺すっているのだ。ボレアスが体を左右に揺らす度、僕は何度も宙に浮き、ボレアスの背中に叩きつけられる。体がバラバラになりそうだ。だけど負けるもんか! 掴んだ左手は絶対に離さないぞ! 絶対にだっ!
「あら〜〜〜〜〜〜〜」
無念。固い決意も左手の握力には届かなかったようだ。僕は再び宙に舞い上がった。僕はワラをも掴む思いで左手を伸ばす。しかし必死の思いも虚しく空を切るばかりだった。もうダメか? ダメなのか? その刹那、何かが左手に当たり、僕は反射的に掴み、ぶら下がった。
「おおっ! でかした! でかしたぞシロガネ!」
え? なに? ラズ老師、何を興奮してるの?
イフリータだった。僕はボレアスに突き刺さっていたイフリータを掴み、ぶら下がっていたのだ。何という幸運。何という奇跡。まるで物語に出てくるヒーローみたいじゃないか! もしかして僕、主人公補正かかってる?
やっとステップ3が完了した。ようやく次のステップに移行できる。だけどステップ4…引き抜いたイフリータでの攻撃なんて、ボロボロの僕には不可能だ。一抹の不安は残るが、ステップ4はキャンセル。ステップ5に移行する。イマジネ・ボレアス覚悟しろ! 紅蓮の業火で焼き尽くしてやる!
「イフリータ、フルバースト!」
……………。
あ、あれ? 何も起きない? どうなってるの? 僕に投擲されてヘソを曲げたか?
「もっと声を出さぬかっ! そんなヘナチョコ声では、彼女のハートに届かぬぞ!」
そ、そうだった。大声で叫ばないといけなかったんだ。
「イフリータッ! フルバーストッ!」
………またダメだ。欠陥品じゃないのかこれ。
「違う! もっと力を込めて! 魂を込めて叫ぶんじゃ!」
そんなこと言われても、どうすりゃいいのさっ! さっきもかなりの大声だよ? 途方に暮れていると、再び激しい揺れが僕に襲いかかる。しかもさっきより更に激しい。まずい。もう保たない! 僕は必死の声を振り絞る!
「イフリィィタッ! フルッ! バァァァストッ!」
再び左腕の握力が敗北し、振り落とされた刹那だった。ああ、やっと聞いてくれたよ、愛しのイフリータ。短い間だったけど本当にありがとう。そしてごめんね。お別れだ。
フルバーストが、発動した!
転がり落ちながら僕は聞いた。立て続けに起こる爆発音を! ボレアスの体内から鈍く響くのを! 紅蓮の業火が体中を焼き尽くす音を! 僕はやった! やったのだ!
僕はボロボロの体をなんとか起こすと、ボレアスを見上げる。それは正に地獄絵図だった。ボレアスは後ろ足で立ち上がると、苦しそうに頭上を見上げ、朽ち果てる前の断末魔を上げる。凄まじい爆圧は体のあちこちを食い破り、腹から、胸から、背中から、紅蓮の炎が激しく噴き出てゆく。噴き出す炎は火柱となり、天井を紅く染めてゆく。これが地上での戦闘だったら、大火災になっていただろう。しかし燃え広がる心配は無い。さすがは大実験場。こんなに凄まじい炎でも、びくともしないんだな。
あとは被験者を目覚めさせるだけだ。ボレアスが朽ち果てたら、急いで棺に向かい、御神酒を飲ませよう。それで僕の任務は完了だ。良かった。本当に良かった…。
「騙されるでないシロガネ! それは、フェイクじゃ!」
「……は?」
フェイクってなんだ? 馬鹿も休み休みに言ってくれ! どう見たって断末魔だ。体のあちこちから炎が噴き出ているのも、火炎ダメージが全身に行き渡った何よりの証拠だ。肉や内臓の焼ける臭いだって…臭いだって………臭わ…ない?
僕は頭上の体力バーを見る。体力は僅かに残り、そこで止まって……いや、違う! 体力バーは零から一割の間を激しく乱高下している。イフリータ・フルバーストは今もなおダメージを与え続けている。だけどボレアスは回復魔法を連続使用することで、踏みとどまっているのだ。そして、そしてなんということか! 乱高下しながらも体力は少しずつ上昇していた。フルバーストの効果はまだ消えていない。なのにどうして? どうしてダメージが減り始めた? そこで僕は気付いた。やっと気付いた。イマジネ・ボレアスはドラゴンではない。生命ですらない。魔法で作られた疑似生命体なのだ。生き物のふりをするまがい物なのだ。体中に開いた穴は、爆圧で出来たんじゃない。自ら穴を開けて、爆圧を外に逃していたのだ。
ああダメだ。ボレアスが復活してしまう。あともう少しだったんだ。あともう少しだったのに。ちくしょう! ちくしょう! ちくしょう!
このまま、このまま負けてたまるか! やってやる! やってやる! やってやる!
右手を高々と上げ、ついに僕は、封印を解くための二つの単語を口にする。
「アソボウ、クロガネ」
右腕から力がみなぎってくる。溢れだした力は肩から体へと侵食する。グチャグチャになった右手は瞬時に元に戻り、少し遅れて体の回復も始まる。包帯は耐えきれず風化四散する。そして、隠していた右腕があらわになる…。
その右腕を一目見れば、誰もが違和感を感じるだろう。長さも太さも大きさも、僕の左腕と大して変わらない。だけど色白なのだ。体は褐色肌なのに、右腕だけが色白なのだ。これは母シラユキから受け継いだ白い肌。双子の弟、クロガネの右腕なのだから。
更によく見れば、奇妙なことに気付くだろう。肩の付け根には、鈍く輝く八つの魔法石が均等に並んでいるのだ。風、火、水、土。四属性の魔法石が二つずつ、肩の付け根をぐるっと囲むように埋め込んである。誰がどう見ても人工物としか思えないだろう。
そして注意深く見れば、おかしな事に気付くかもしれない。どの魔法石も色あせているのだ。まるで魔法を使いすぎて、マナを使い切ったかのように。だけど、これで正常なのだ。八つの魔法石は常に飢えている。餓鬼のように飢えている。命が欲しいと飢えているのだ。
僕は大きく息を吐きながら、ゆっくり立ち上がった。もう体はどこも痛くない。ただ無性に暴れたい。暴れたい。暴れたい。暴れたい…。だから遊んでくれよ、イマジネ・ボレアス! 僕と……いや、僕達と…。
ボクタチト、アソボウヨ。
僕達は立ち上がったボレアスに駆け寄ると、クロガネが左足にストレートパンチを喰らわせる。ボレアスは足腰が弱いのか、姿勢を崩して背中からひっくり返った。僕達はすかさず移動して、巨大な頭が大地にキスする直前に、クロガネがアッパーカットを喰らわせる。今度はボレアスが体ごと宙に舞い上がった。僕達は頭の落下地点を予測し、先回りする。そしてタイミングを見計らい、再びアッパーを食らわせる。ボレアスの巨体は再び宙に舞う。三たび。四たび。五たび。六たび。幾たびも幾たびも、ボレアスはダンスを舞い続けた。しかし、死の舞いは突然終わりを迎える。耐久力を失ったボレアスの頭が、破裂したのだ。
「なんだ、お遊戯はもう終わりなの?」
僕達はガッカリしながら体力バーを確認する。するといつの間にやら体力が八割まで回復していた。ボレアスは回復の時間を稼ぐために、敢えて僕達の攻撃を受けていたのだ。さすがは疑似生命体。その立派な頭も飾りだったか! 首無しボレアスは立ち上がると、戦闘態勢を取る。その健気な姿に、僕達は歓喜した。
「あははははっ♪ そうだよね! まだまだ遊び足りないよね! 良いよ良いよ♪ 最高だよ♪ 次は何する? 鬼ごっこかい? もちろん鬼は、ボ・ク・タ・チ、だよっ!」
そう言いながら首無しボレアスに走り寄ろうとした次の瞬間、首の断面から光が飛ぶ。凄まじい電撃が僕達の体を貫き、僕達は女の子のように悲鳴を上げた。
意識が跳びそうになるが、僕達はかろうじて踏みとどまった。やられた。不意を突かれた。今のは電撃魔法。世間では勇者の使う魔法と思われているけど、実際は風属性の高位魔法と位置づけられている。なるほど、ボレアスが使うわけだ。しかもこの凄まじい破壊力、アテナのイカズチか? すごいよ。まさか、こんな切り札を隠していたなんて…。
肉の焦げる臭いがする。体も痺れて動けない。僕達の体はボロボロだ。でもね、この程度で倒れたりはしない。だって、電光のライオはもっと凄まじいんだよ。魔法も使わずに電撃最高位であるゼウスのイカズチを発現させる、本物の化け物……もとい、神に愛された男なんだもの。耐性を付けるための特訓と称して、何発も喰らわされた時は、マジで殺されるんじゃないかと涙目になったものだけど、おかげで僕達は、こうして踏みとどまることが出来た。それに対策もある。ゴメンよボレアス。その切り札はもう役に立たないんだ。それと……僕達と遊んでくれて本当にありがとう。色々あったけど楽しかったよ。だけどもう黄昏時だもの。次で終わりにしよう。
首無しボレアスは立て続けに電撃を放つ。同時に僕達はクロガネの右手をかざした。全ての電撃は掌に吸い込まれ、消えてゆく。もう、電撃に傷つけられることは無い。むしろ放てば放つほど、僕達の回復に貢献することとなる。だけど、馬鹿力や自動回復は、二次的な能力に過ぎない。あらゆる『命』を吸収分解し、無に帰すること。それこそが真なる力。死神腕と呼ばれる所以なのだから。
そろそろ終わらせよう。いいよね、クロガネ?
「しょうがないなぁ…」クロガネのそんな声が聞こえた気がした。
僕達は、電撃が止んだ瞬間を見計らい、首無しボレアスに肉薄する。そして右手の指を真っ直ぐ伸ばし、手刀にしてボレアスの足に突き刺した。
「さようなら、ボレアス」
首無しボレアスは、小刻みに揺れ始める。揺れはどんどん激しくなり、突然止まったかと思うと、フッと消えた。跡形もなく消え去った。イマジネ・ボレアスが本物の生命ならば、骨なり皮なり、生命の痕跡が残されるはず。何も残らず消えたのは、肉体の全てがマナだけで構成された疑似生命体だからなのだろう。
イマジネ・ボレアスとの死闘は終わった。残されたのは最後の任務。そして……
一分間のカウントダウンが始まった。