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【3】奈落の底

 どうして僕が裸かと問われれば、「おめーのせいだ! くそじじい!」と答えざる負えない。眠る前に履き替えたおニューのパンツは、飛行中に失われてしまった。風圧に耐えきれず、戦線離脱して……お星さまになってしまったのだ。数百年後に僕が伝説になっていたら、星座となったパンツの物語が語られるのかもしれない。

 幸い、右腕に巻いた包帯は無事だったが、大事なところがむき出しでは全裸も同然だ。ひとまず両の手で鉄壁のガードに入るものの、このままでは任務がこなせないし、何より僕の人としての尊厳が失われてしまう。パンツが戻らぬなら、代用品で妥協しよう、そうしよう。というわけで、僕はラズ老師に襲いかかった。

「イヤーッ! 乱暴しないでぇ!」

 と、乙女のような悲鳴を上げるラズ老師。なんとも気持ち悪いが、妙にノリノリなのは何故だろう? もちろんジジィのパンツなど死んでもいらない。お目当ては肩から垂れ下がっているご立派な白マントだ。

 白は野薔薇の花の色。野薔薇ノ王国の色。王国において白マントは権威の象徴であり、要職を務める者のみが着用を許される。一方で、王国の顔として任務を遂行する王宮戦士や王宮魔道士にとっては、白マントは強さの証であり、公務中の着用は義務である。もし一般人が王国内で着用しようものなら、称号詐称、標章等窃用の罪とかで、問答無用で逮捕される。外国人が野薔薇ノ王国に訪問する際には、白マントだけは絶対に着用しないよう、国境の検問所でキツく申し渡しているそうだ。

「うおおおっやめんかっ! ワシのマントに突起物を押しつけるでないっ。ぐわーっ!」

 そんなわけで、僕はラズ老師の大切な白マントをはぎ取った上に、腰に巻き付けるという暴挙に及ぶのだった。僕の尊厳を守ると同時に、ささやかな嫌がらせもできて、一石二鳥である。


「汚されちゃった……汚されちゃったよ…ワシのマント」

 シクシクといじけるラズ老師をよそ目に、僕は周囲に関心を移す。目の前に大きな門があるので、塔の中にいる気になるが、ここにたどり着くまでの経緯を思えば、巨大な井戸の底と考えた方が正しいだろう。地面は直径十メートルくらいの円形で、敷き詰められている石畳は裸足にはヒヤリと冷たい……はずが、むしろ人肌よりも暖かい。裸のまま寒空を連れ回されて体が冷え切っていたせいか、気温も高く感じる。暖房? ……いや、これは地熱か? 

 壁には大きな門が一つ。門の左右にクリスタルらしき結晶体が設置され、照明の役割を果たしている。しかし他には何も無い。窓や上り階段も。コケや虫のたぐいも。

 頭上を見上げると、どこまでもどこまでも縦穴が続いていた。どんだけ深いんだ?

「なあグリゴリじいちゃん、ここ、どこよ?」

 ションボリしているラズ老師に聞くと、元気を取り戻したかニヤリと意味深に笑う。

「ここはの、奈落の底じゃよ」

「えっ! それじゃ、ここがあの有名な…タルタルソース!」

「タ・ル・タ・ロ・スじゃ!」


 新たな魔法を開発するなら、実際に詠唱して効果を確認する必要がある。しかし、恐ろしいのは術式に潜むバグの存在だ。魔法の失敗や暴走を引き起こす危険があるのだ。低位魔法なら自宅ラボを吹っ飛ばす程度で済むかもしれないが、高位魔法が暴走すれば街の一つや国一つ壊滅しかねない。そんな実験を地上でやれば、大惨事待った無し! というわけで古代の偉い人々は、いかなる魔法の暴走をも防ぎきる大実験場を、奈落の底に築き上げた。その名をタルタロス。智の探求者たる魔道士の聖地であり、総本山である。

 そしてここは、地下大実験場タルタロスへの唯一の出入り口、タルタロス・ホール。僕達がいるのはその最深部だ。とにかく深い。嘘か誠か知らないが、自由落下だと最深部まで到達するのに十日かかると言われるほどに深い。ラズ老師が飛行術で無茶な急降下をしたのも、到達時間を短縮するために必要だったのだろう。おかげで僕のパンツが犠牲に………ううっ。

 ちなみに上り階段は無い。登り切るのに数ヶ月を要するのでは無意味だからだ。低位魔法の飛行術ではスピードが出せないので、魔法使いでも困難が伴う。よってタルタロス・ホールの往来は、高位魔法の飛行術を扱える魔道士に限定されている。

 それにしても、また地下デスカ。昼間に巣穴に突入して、酷い目に遭ったばかりだというのに、またしても地下デスカ。嫌な予感しかしないのですけど、考えすぎですかね。


 僕が漠然とした不安を抱いていると、僕の不安を解消するかのように大きな門が開く。出迎えに現れたのは、穏やかなオーラをまとった老婦人。大魔道士ベロニカ・ベルトチカ老師だ。彼女の武勇伝もラズ老師に負けず劣らないが、ここ数年は魔法の研究に専念していて、ラボに篭もりきりだと聞いていた。それにしても、3年ぶりだろうか。懐かしい姿に僕の顔もほころんだ。

 ベルトチカ老師との付き合いも長い。野薔薇ノ王国に保護されてからの約一ヶ月、僕の世話をしてくれたのは彼女なのだ。もし祖母がいるとしたら、ベルトチカ老師のような感じでは、と良く考える。え? ラズ老師? あのジジィは…祖父というより悪友かな?

「おうおう懐かしいね。シロ坊じゃないか。ずいぶん大きくなったねぇ。ところで、どうしてそんな格好なんだね。まるでお風呂上がりだよ?」

「ああ、これはグリゴリじいちゃんに寝込みを襲われてさ…」

 ベルトチカ老師の穏やかなオーラが、一瞬にして殺意の波動へと変わった。

「生娘ならまだしも、少年にまで手を出すとは、語るに落ちたねグリゴリや!」

 おおうっ! ベルトチカ老師の波動に共鳴し、大地が響きだしたっ! スゲェ! ホントにゴゴゴゴって響いてる! 一方、本能的に距離を取ったラズ老師は、防御態勢に入りつつ全力の弁明を展開するっ!

「気色悪いことを言うなぁぁぁっ! このグリゴリヲ・ラズ、腐っても男なんかに手は出さんわっ! ここ数十年は生娘にだってちょっかい出しとらんわいっ!」

 あはは、懐かしい光景だ。昔からこの二人は子供みたいに言い争っていたな。対話(物理)ならぬ、対話(魔法)だ。昔は仲が悪いのかと心配だったけど、今なら二人が大の仲良しだと分かる。

 だがしかし、久々に見られると期待した大魔法喧嘩は、あっさり中断してしまう。

「ベロニカ、今はそれどころではなかろう」

「そうよな。ま、話は後でじっくり聞かせてもらうとして……」

 僕は驚いた。二人が二人とも大人の対応しているのだ! すげぇよ! どうなってるんだよ! 信じられないよっ!

「助けておくれ。シロ坊だけが頼りだよ」

 穏やかなオーラを取り戻したベルトチカ老師だが、その瞳には焦りをにじませていた。

 つまり、それだけ切羽詰まっているのか……。

「まかせてよ。荒事ならお手の物だから」

 老婦人を安心させようと僕は虚勢を張る。ハッタリは好きじゃないけど、まあ何とかなるだろう。王宮剣士としての六年もの経験は伊達じゃないからね。

 だけど……、勉強だけはマジご勘弁願います。はい。


「それはそうと……シロ坊や、いくつにおなりだい?」

 ん? 突然、空気が変わった気がした。穏やかというか、にこやかというか、どこかほのぼのとした感じがする。

「一応…十五歳だけど」

「そうかい、そうかい、十五歳かい。時の流れは早いねぇ」

 一応…というのは、正確な年齢を知らないからだ。生まれた年の年号や、野人と呼ばれていた頃、どれだけの期間森を彷徨っていたか。何もかもが分からないのだから。ただ、王国で住民登録をする際、書類に九歳と記述されたから、六年後の今、僕は十五歳というわけなのだ。

「ところでシロ坊は、誰とお付き合いしているんだい?」

 は? なんだ? ベルトチカ老師の眼差しが……アツい?

「付き合うって…何?」

「だってお前、十五歳なんだろう? 来年には大人の仲間入りじゃないか♪ お酒も飲めるし、たばこも吸える。そして何より、ケッコンが出来るだろう?」

 キラキラと瞳を輝かせるベルトチカ老師。しまった! ロックオンされたっ! なんということだ! すっかり忘れていた! ベルトチカ老師は、年頃の男女をくっつけたがる仲人請負人。ガングワルドで言うところのカプ厨だったのだ! ターゲットにされた若者は、異性関係を徹底的に調べ上げられ、余計なお節介を焼かれまくられるという。やめてよぅ! カンベンしてよぉ! そう言うの苦手なんだよぉ!

「ホッホッホッ♪ 風の噂に聞いているよ♪ 最近シロ坊が、何人もの娘さんとお付き合いしてるって」

「なっ、何じゃとっ! いつの間にっ! いつも任務で顔を合わせているというのに、何故一言の相談もワシにしてくれなんだっ!」

 素で驚くラズ老師。なんか悔しそうだ。

「え、え〜っと、何を言ってるの…かな?」

 いや、とぼけているわけじゃなくて、マジで意味判らないんですけど…。もしかしてとんでもない勘違いをされている?

「鼻持ちならないスカイエルフの娘に、えらく気に入られてらしいじゃないか」

「コ、ココロナはそりゃあ武器商人だし、僕は値切らずに言い値で買う上得意だもの。営業スマイルだって気合いが入るんじゃないかな、うん」

 鼻持ちならないってなんだ? 僕が王宮戦士になってからの長い付き合いだけど、ココロナにはフレンドリーな印象しかないぞ。もしかして老師が若い頃、個人的に何かあったのかな? スカイエルフって長寿だもんな。

「諜報機関の鬼畜眼鏡も、シロ坊にご執心だってね」

「オ、オハジキさんの興味は、僕の故郷だから。なんでも七福の方舟伝説の秘密が隠されているとかで、僕に思い出させようと必死なんだよ!」

 確かにオハジキさんは、あからさまにニンジャだけど! 監視の目も厳しいかもしれないけど! いくら何でも鬼畜眼鏡は失礼でしょ! いや、まあ、鬼畜と聞いてオハジキさんを連想してしまった僕も相当失礼かもだけど。

「以前王国で保護したケモノビトの娘も、シロ坊に懐いてるって聞いたよ?」

「モ、モナカは妹だからっ! 血のつながりは無いけど妹だからっ! 僕はモナカのにぃにだからっ!」

 確かにめっちゃエロ可愛いんだけど、年下で未成年だし、義兄妹の契りを交わしたし、あの子は特別で、そう言うこと考えちゃいけない子なんだよ!

「最近は巨乳の花売り娘に夢中なんだって?」

「ヘ、ヘスタねーさんからは売れ残った花を買ってるだけだから! ただの人助けなんだから!」

 確かにあのおねーさんのおっぱいはすごいけど! 包容力とかハンパ無いけど!

「じいちゃん何とか言ってくれよ!」

 助け船を求めてラズ老師を見ると、僕に向ける眼差しが変わっていた。

「その年で四股とはすごいのぉ。絶倫王の再来かのぉ」

「だっかっらっ、手なんか出してねーってのっ!」

 やめろ! やめてくれラズ老師! 僕を尊敬の眼差しで見るんじゃない!

「シロ坊……まさかとは思うけど……」

 さっきまで笑顔だったベルトチカ老師が、深刻な顔で僕を見る。

「男色に走ってないだろうね?」

「誰が走るかぁぁぁぁぁ!」


「そうかい、そうかい。シロ坊には特定の恋人はいないのかい。それは残念だねえ。もうじきシロ坊の子供が見られると思ったのに。ああ残念だ」

 言葉に反して、ベルトチカ老師はどことなく、嬉しそうに見えた。僕が男色じゃなかった事がそんなに嬉しかったのだろうか。ヤレヤレ。

「おばあちゃんには悪いけど、もし好きな人が出来ても、僕に結婚とか無理だから。恋人や花嫁さんをミイラにしたい人なんていないでしょ」

「ダメだよシロ坊。若いのに諦めるの早すぎっ! 今は無理でも、未来には出来るかもしれないじゃないか。右腕の制御がさ」

 そうだろうか。僕の成長に合わせて右腕のパワーも上がって来ている。いくら封印で抑え込んでも抑えきれなくなっているのに…。僕の未来に希望なんてあるのだろうか。

「ま、なんであれ、あたしはシロ坊の孫の顔を見るまでは死なないからね♪」

 僕の子じゃなくて僕の孫かよっ! 長生きする気マンマンか。なんか凄いや。

 ま、確かに、諦めるのはまだ早いかもね。世の中には六十代、七十代になっても足掻いている人がいるんだもの。たったの十五諦めたら、人生の先輩方からお叱りを受けるってモンだ。今は任務に集中しよう。


 あ、あれ? ……そう言えば、僕の任務って何だっけ?

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