【2】よっぽどのこと
……………疲れた。
いや、そうだな。少なくとも体は元気いっぱいだ。ラズ老師に回復してもらったおかげで、任務中に負った怪我も全て治った。だけど回復魔法では、心の疲れまでは治せないらしい。おまけにやたらと眠たかった。睡眠に勝る回復薬は無い…ということか。
結局、化け物アリの巣に、人の犠牲者はいなかった。少なくとも痕跡は見つからなかった。食料貯蔵室にあった大量の肉団子を、吐きそうになりながら一つ一つ確かめた上で出した結論だ。大半の犠牲者は雑木林周辺に生息していた動物たちで、残りは近くの村の家畜だった。
若者二人は行方不明のままだけど、幼い娘は見つかった。山小屋の薪置き場で泣き疲れて眠っているのを、きこりが見つけ、保護していたのだ。どうやら、冒険の旅に出た二人の兄を追いかけ、道に迷ってしまったらしい。二人の若者や幼い娘が向かった方角は、巣穴とは真逆だったので、少なくとも化け物アリの餌食にされてはないようだ。娘発見の報が村に届いたのは、皮肉にも僕がアリの巣に突入した直後だった。正に骨折り損のくたびれ儲け。それでもまあ、幼い娘が無事で何よりだったよ。あ? 若者二人だ? 知るかそんなもん。
全てを片付けた頃には夕方になっていた。僕が巣穴から出たところ、ビビリの冒険者に「青鬼が出たぁっ!」と騒がれ、一騒動起きてしまった。そこで初めて僕は、青く染まっていることに気付いた。どうやら化け物アリを片っ端から切り捨てているうちに、青い返り血を浴びまくっていたようだ。もしかしたら、また新しい二つ名を付けられてしまうのだろうか。カンベンして欲しい。
僕の大剣は、あろう事か真っ二つに折れてしまった。まあ、折ったのは僕なんだけど。狭い巣穴では取り回しが悪く、切っ先が度々壁にぶつかる。とにかくその長さが邪魔でしょうがなかった。イライラした僕は、大剣に八つ当たりする。剣を横から壁に叩きつけたのだ。すると、あっさり折れてしまった。どうやら僕の右腕に命を吸われ、耐久力が落ちていたらしい。短くなったおかげで今日も生き延びたけど…。ああココロナ、この大剣も一ヶ月保たなかったよ。
寄宿舎に戻り、屋根裏の自分の部屋までたどり着いた頃には、まぶたを開け続けるのもおっくうだった。風呂も食事もいらない。今はただベッドに飛び込みたい。だけど装備は傷だらけ。服は…とりあえず川で返り血を洗い流したが、臭いは染み付いたままだ。このまま飛び込んだらベッドが台無しになる。必死に意識を保ちながら、装備を外し、服を全部脱いでから体を拭き、替えのパンツを履いた。
…いや、まだだ! まだベッドには入れない! 右腕の包帯を引っ張ると、包帯はボロボロと崩れ落ち風化してゆく。やれやれ、もう半日も保たないのか。厄介な右腕だよ。戦場では頼もしいが、日常生活は困難になる一方だ。特に就寝時の死神は非常に危険だ。どんなに眠くてもこれだけはやっておかないと、管理人さんに叱られる。
僕の右腕…死神腕は、魔道士の高位封印魔法で、能力を封じこめている。しかし完全な封じ込めは不可能らしい。徐々にではあるけど、触れた物から命を奪ってしまう。生物なら命の危機を感じて逃げだすけど、静物にはそれができない。うっかりうたた寝しようものなら、もう手遅れだ。右腕が触れた部分から劣化が始まり、全体に伝わって風化崩壊してしまう。僕がこれまでダメにした毛布やベッドは、百や二百では足りないだろう。
ボロボロの包帯を全部はぎ取ると、僕は備え付けのクローゼットから新しい包帯を取り出す。これこそが僕の救いだった。色々試した結果、包帯は劣化速度が遅いと判明したのだ。交換も容易だし、何より服やベッドより遥かに安上がりだ。
僕は右腕の指先から肩に掛けて、手早く切れ目無く巻きつけてゆく。毎日やっているおかげで、今では目をつぶっていても数分程度で済ませられる。数少ない僕の特技と言える。もし競技があるなら優勝間違い無しだろう。
巻き付けた包帯の緩みがないことを確認して、ようやく、ようやく僕は安堵した。これで今宵のベッドは壊れない。任務を終えたばかりだし、よっぽどのことがない限り呼び出しも無いだろう。よし寝る! 寝てやる! 寝てくれる!
暖かいベッドに潜り込んだ途端、睡魔が僕の意識を刈り取っていった。
スヤァ…
気がつくと、僕は夢の中にいた。
夢の中の僕は、体が縮んで六歳くらいになっていた。
そこは、深い深い森に囲まれた小さな集落。懐かしい僕の故郷だった。
我が家に向かうと、畑を耕す父がいた。強くて逞しく、銀髪で褐色肌だった。
家に入ると、機織りをしている母がいた。優しくて美しく、黒髪で白い肌だった。
側には母の手鏡で遊ぶクロガネがいた。母に似た黒髪と白い肌の、双子の弟だった。
僕はクロガネの持つ手鏡を覗き込む。そこには銀髪で褐色肌の…顔の無い子がいた。
これは誰? 僕は誰?
そんな疑問を抱く間もなく、頭上から風を切る音が聞こえて来る。
何事かと思って外に出るが、大空を見上げても何も見えなかった。
しかし風を切り裂く音は徐々に大きくなってゆく。
何かが近づいている。何かが落ちてくる、そう思った瞬間……
凄まじい破壊音と共に僕は目を覚ました。『よっぽどのこと』の始まりだった。
目を覚ました僕は、どこにいるのか分からなかった。天井に大きな穴が開き、部屋が半壊しているのだ。まさかここが自室だなんて、寝ぼけ眼では想像もつかない。大きな穴の下には落下物があった。落下の際に舞い上がった塵や埃のおかげで、透明な球体が浮かび上がっている。術者を守る高位の魔法障壁だ。そして球体の中心には人影が見える。背中には魔法翼イカロスノツバサが発現していた。つまり飛行術を使っていたということ。何事で何者だ? 一級以上のスキルを持った魔法使いか、それとも…。
「緊急事態じゃ、シロガネ!」
聞き覚えのあるしわがれた声。僕の部屋にダイナミック訪問してきたのは、我らが偉大なる大魔道士、グリゴリヲ・ラズ老師だった。飛行術で飛んできた老師は、きっと寄宿舎のドアをノックする手間が惜しかったのだろう。僕の部屋が屋根裏にあるのを幸いに、最短距離で僕とのデンジャラス面会を試みたのだ。
老師は飛行術を使う際、自分を中心に球形の魔法障壁を展開する。これは鳥や虫のような空の障害物との衝突事故を回避するために考案された防御魔法で、特に高速移動の際には欠かせない。このおかげで屋根に突っ込んで大穴を開けても、老師はかすり傷一つ着かないわけだ。やったね! もうホントに大迷惑だよ。だけどまあ、ラズ老師なら仕方ないか。いつものことだし。
ラズ老師との付き合いは長く、もう六年になる。かつて『深キ深キ森ノ野人』と呼ばれていた僕を保護した時からだから、野薔薇ノ王国で最も古い知人でもある。その後、王国に僕を連れ帰ったのもラズ老師。家なき子な僕に居場所をくれたのもラズ老師。王宮戦士に推薦してくれたのも、任務の際にパートナーとして何度となく死線をくぐり抜けてきたのも、みんなラズ老師だ。だから僕は、何があってもラズ老師の頼み事だけは、断れないし、断らない。…でも老師、少しくらいは遠慮があってもいいんじゃないですかねぇ? ねぇ? ねぇ?
老師は魔法障壁を解除すると、寝ぼけた僕に近寄り耳元で叫んだ。
「眠っとるところをすまんが、お前の力を貸してくれ!」
いつになくラズ老師の顔は真剣で、どこか焦りが見えた。しょうがない。とりあえずズボンを履こう。話はそれからだ。確か……部屋の端っこに装備一式と共に脱ぎ捨ててあるはず……。しかしラズ老師は問答無用であった。僕がベッドから降りた途端、僕の左腕を掴んだのだ。
「舌を噛むでないぞ! そりゃっ!」
凄まじい破壊音と共に部屋に新たな穴を開け、老師は再び大空へ舞い上がるのだった。
大空には夜の闇が広がり、無数の星々がきらめいていた。まるで宝石箱をひっくり返したようだ。大地を見下ろすと、野薔薇ノ王国の王都ノイバラがどんどん小さくなってゆくのが分かる。日が落ちて間もないのか賑わいは絶えず、あちこちの灯火が街を照らし、王都ノイバラを地上の闇に浮かび上がらせる。その姿は正に素朴で可愛い野茨の花だった。
ただの空中散歩であればきっと、この美しい光景に感嘆していたことだろう。だけどこの時僕は、このろくでもない空中散歩に恐怖していた。多分悲鳴を上げていたと思う。多分というのは、風を切る音がうるさくて自分の声が聞こえなかったからだ。
ラズ老師が周囲に展開している魔法障壁は、飛行の際に体に受ける風圧を最小限に抑える。のんびりと空中散歩を楽しむだけなら何の問題も無いが、高速飛行となるとそうはいかない。障壁内でも風が舞い、服やマントを激しくはためかせる。こんな状態にもかかわらず、ラズ老師は僕の左腕を、ただ掴んでいるだけなのだ。命綱なんて無いから、老師がうっかり手を放せば、僕は地表へと真っ逆さまだ。落下ダメージだけで確実にオーバーキル。生半可な回復魔法では、ぺちゃんこになった体の蘇生は不可能だろう。
とにかくラズ老師は遠慮無しに加速し上昇を続ける。止めてくれと泣き叫んだところで風がうるさくて声は届かない。僕はワラを掴む思いで必死に右手を伸ばし、ラズ老師の背中からはためくマントを掴んだ。右手で長時間掴んでいたら、掴んでいるところからボロボロになっていくので、ただの気休めにしかならなかったけど、それでも掴まずにはいられなかった。
突然スピードが弱まり、空中で止まった……と思ったのもつかの間、今度は急降下が始まった。暗くてよく分からないが、肌に感じる風の強さから、これまたものすごいスピードで地表に向けて降下していると分かる。だが降下先は王都ノイバラではない。多分、王都から見て南南東にある山の付近だ。あそこには何があったか…。
ふいに大地と夜空が消えた。にもかかわらず、急降下は続いている。トンネル…いや、縦穴か? もしかして、先ほどの高々度からの急降下は、加速したままこの縦穴に飛び込むためだったのだろうか。…それにしてもこの縦穴、一体どこまで続くんだ?
…………………………
なんだか、眠くなってきた。
どれほどの時間が経過したのだろう。十分だろうか。一時間だろうか。縦穴に突入してからは、これといった変化も無ければ、見るべき景色も無い。ただ、ただ、退屈な時間が続いていた。あまりにも退屈で緊張感が薄れ、寝落ちしては目を覚ましを何度も何度も繰り返し……、そしてようやく縦穴の底が見えてくる。
ラズ老師は、スピードを落とし軟着陸。魔法障壁を解除して、やっと僕を解放した。母なる大地を踏みしめられるありがたみを、嫌と言うほど味わえた瞬間であった。ありがとう大地の女神ガイア様! 僕はまだ生きていけるよっ!
「さあ着いたぞ。ここが……」
僕に声をかけようと振り返ったラズ老師は、思わず僕を二度見する。そして怪訝な顔へと変わってゆくのだった。
「なんでお主、裸なのん?」




