二人の物語
*たった5秒の……
ジリリリ……
発車のベルが鳴り始めた。
抱きしめた腕がスーっと私の腕の中から離れていく。辺りの冷たい空気が私の腕の中に入ってきた。
寒いよぉ。
凍える私に気付いて、また強く私を抱きしめるあなた。
ベルの鳴り響くプラットホームで、沢山の人がいる。でもこの時間にさよならをしなきゃならなくなって1年。私達は、こうしている。いつもいつも。お互いがまた会えるその時まで、大切な温もりを忘れないために。
あなたの香りがする。
寂しさまぎれに買ったあなたの使っているコロン。お店でちょっと恥ずかしくて、プレゼント用に包んで貰ったの。あなたと撮った写真の隣に置いてある。毎朝毎晩、あなたを感じたくて、それを手にとって、蓋をほんの少し開けて、香りを楽しむの。日課になってしまったわ。
ベルが鳴り終わったよ。もう、乗らなくちゃ……行って……
「また今度な」
「うん」
いつものセリフ。
絶対「さよなら」は言わない。特に約束したわけじゃないけれど、暗黙の了解ってやつかもしれない。
あなたの背中が広く暖かく見えた。
振り返った時は、もう列車の中。
そして扉は静かに、でも無情に閉まった。
こみ上げてくる思いを必死で堪えて、右手をあげる。
一枚のガラスの向こうとこっちで、作り笑顔で見つめあう。
ゆっくりとあなたの作り笑顔が横滑りを始めた。
私もそれに引っ張られるように、二・三歩横滑り。でもそれ以上は行っちゃいけない。ここで踏みとどまって、四角いフレームの中のあなたを見送る。
大丈夫、大丈夫、また会えるから。
がまん、がまん、頑張って我慢するよ。
あなたが好きだからね。
*会いたいコール
「会いたいよ。今すぐ会いたいよ」
「奈緒……」
「あい、たい、よ……」
「……わかった、今すぐ行く」
しばらくたって、受話器の向こうから聞こえたあなたの声。
「九時ちょうどの列車に乗れる。待ってろ」
「いいの?」
「俺も会いたいんだ」
「うん」
私の我儘だった。三日前の日曜日、彼は仕事で会いに来れなかった。
目一杯落ち込んで、これでもう一週間、がまんがまんなんだって諦めて頑張るつもりだったの。
でも仕事から帰ってきて、TVつけたら、あなたと行った公園が映し出されて。そしたら、堪らなくなって……どうしようもなくなって……気付いたら電話してた。
ごめんね、仕事忙しいのに。
あなたの転勤が決まって、私も仕事があるからあなたには着いて行けなくて……あなたの仕事の邪魔だけは、あなたの重荷にだけはならないようにしようって心に決めたのに。
耳元でツーツーいってる受話器を置いた。
ごめんね。
「今すぐ行く」のあなたの言葉が頭の中で響いてる。
私はコートを着込むと部屋を出た。
彼が着くまでにはまだまだ時間がある。けれど、じっとしていられない。プラットホームであなたを乗せた列車が着くのを待とう。
駅までは歩いて十分。すれ違う人々。皆、家に帰るのかな。暖かい誰かの待つ家に……。
駅にもまだ人がいる。
明かりのついたプラットホームは、まるで映画館でスクリーンに映し出されたような感じ。
空いている椅子に腰かけた。ひんやりする感触がなんだか寂しい。
ひとり、こんなところで二時間以上も座っていたら、変に思われるかも……でも、ここしか今の私の居場所がないの。
列車が入っては人波が流れ、列車は出ていく。
少しずつ少しずつ人影が減っていくプラットホームを見つめる。
あなたが来るのがわかっているから待つのは辛くない。
正面のプラットホームに列車が入ってきた。あなたの転勤が決まって、見送ったのもこのくらいの時間だったわね。
あなたは「休みには必ず会おう」って言ってくれた。私達の愛がこのくらいの距離で変わったりはしない。
そう思う反面、怖かった。遠距離恋愛なんて、私には寂しすぎる。あなたにいつでも触れられる、そんな距離でいられなくなることが不安で不安で堪らなかった。
「強くなろう。二人の未来のために」
あなたがあの時、最後に言ってくれた言葉で、私は頑張れた。「二人の未来のために」それはとても大きな意味を持って、私を支えてくれたのよ。
あれから1年。あなたは休みの度に会いに来てくれた。私が行ったこともあったわね。仕事で会えない時も何度かあったよね。
体が冷えてきた。それでも心はあったかで、ちょっと我儘を言った後ろめたさはあっても、あなたの優しさが嬉しくて……。
列車から吐きだされる人もすっかり少なくなってきた。椅子にかけているのなんて、私くらいかも。
静かになったプラットホームにあなたを乗せた列車の到着を知らせるアナウンスが響き渡った。
私は立ちあがって列車が入ってくるのを待つ。
そしてやっと待っていた列車が滑り込む。
光る窓が段々ゆっくりになって、前を通り過ぎていく。その一つの光の中にあなたの姿が見えた。走り出す。あっという間にあなたに追いついた。
列車が止まり、プシューっという音を立てて、ドアが開いた。
降りてきたあなたに抱きつく。
もうこの温もりしか、私を温めてくれるものが見つからない。
抱き付いた私を引き離すと、あなたは私の手を握りしめた。
「やっぱり! こんなに冷えて。ずっとここで待っていたのか?」
「うん。電話を切ったあと、すぐにアパート出たの」
「それからずっと?」
「うん」
「バカだな。風邪引くぞ」
「平気だもん。あなたが来て、温めてくれる。でしょ?」
あなたは苦笑い。
「そうだな」
私の肩を引き寄せて、あなたが言った。
あったかい。
あなたに抱き寄せられながらアパートに戻る。来るときはみんなが羨ましかったけど、今度はその中に私も入れるのかな。
この夜、あなたはずっと私と一緒にいてくれた。
言葉を交わしたのはほんの少し。
「こんな我儘言ってごめんなさい。嫌じゃなかった?」
「嫌だったら来ない。でもそうしょっちゅうは無理だからね」
「うん、もう我儘言わない」
「約束しなくていい。お互いのためにあまり無理しすぎるのはよくないから」
「そんなこと言うとまた会いたいコールしちゃうよ」
「こら、調子に乗るな」
ふたりはひとしきりじゃれあった後、あなたがぽつりと言った。
「でもたまには、いい。君が呼べば会いに来れる」
「ずっるーい。私ばっか……。でも、うん。ひとりが辛くなったら、かけるからね」
「ああ」
あったかい夜だった。
あなたは、朝一番の列車で帰って行った。
夜のいつものさよならほど、辛くはない。だって、まるで「いってらっしゃい」って感じなんだもの。
いつかきっと本当にそうなるといいな。
愛しているから、あなたの背中に言う言葉は「いってらっしゃい」がいいね。
おわり




