その3
ふらふらと側に寄って行ってしまうキク。
そして、男に近づいた時に何とか我に帰りました。
「はっ!あたいは何を?」
キクは冷静になって男を見ました。
それから、この男の心を覗いてみたのです。
すると。
「わしらの間で、歌が流行っている。わしも女子にもててぇから、歌ってみるか」
と、こんな心の声が、キクに聞こえたのです。
そして男は再び歌い始めます。
キクは、なんと邪まな!と思ったりもしましたが、いつの時代も、男と云うのは女を振り向かせるためならば、格好つけるものなんだなと、どこか分かった気がしたのです。
「しかし何だな?この男の歌。決して上手くはない。けれど、もてたいが為か、歌詞はいいかも知れんな?問題はその歌詞に込めた本当の心じゃが」
キクは、その男の心を歌詞に感じ、様子をみたいが為に会ってみることにしました。
男が本堂を離れたのを確認して、それからついて行き、その男の様子を伺いました。
すると、浜辺に着きました。
その男も漁師でしたが、魚ではなく、海苔の漁師でした。
男は海へと入って行きます。
「海苔の漁師かあ。なるほど、細身な訳じゃな」
どこか格好よいと思ったキク。
それでキクは、耳と尻尾を隠して、人間に化けました。
そして、その漁師に近づきました。
「漁師さん。精が出るねえ」
「おう」
何か違和感を覚えた漁師。
「ん?」
よく見ると、自分は腰まで海面に浸かっているのに、目の前の女はつま先から海面に立っていたのです。
「あわわ。海の上に女子が立っとる。どうなってるんだっぺ!」
漁師がびっくり仰天する。
「あ・・・」
これは失敗したと、左手の指で頬を掻くキクである。しかし、気になった以上、後には引かないキク。
「あんさん。見ての通りなんだけど、あたい、あんさんに惚れとるんよ。あたいと付き合ってくれん?」
「は?何いっとんじゃ。物の怪と世帯を持つなんぞ・・・」
「でもさ。そんなあたいを見て平気な顔して落ち着いているあんさんは、あたいと相性、いいんでないかい?」
「あほいうでねえ!人と物の怪は一緒になんねーよ」
「よよよ。あたい、あんさんの歌に惚れて近づいたのに。あたいじゃ駄目?」
キクは、海面に浮くようにして「しな」を作った。
「だめじゃ。それにしても器用な物の怪じゃ・・・」
漁師が半ば、呆れ顔になった。
そしてキクは、黙ってその場を離れたのだった。
「また、失敗したかあ」
キクはうなだれながら、社へと戻りました。
「でも、明日はきっと成就させて見せる!」
最初は様子見のつもりだったのに、いつの間にか虜になるキク。
天を仰ぎ、力を込めてこう決意するキクなのでした。
翌日。
社で寝息を立てているキクがいました。そこへ、一人の女性が現れます。
その姿は、朱色の麻を着ていて、少し汚れていました。
そして、その女は社の前で両手を合わせました。
「どうか今年も豊作であります様に」
と、こんな願いでした。
そしてこの願いは、キクに直接、伝わるのです。
「はうっ!」
キクは、思わず声をあげてしまいました。
それと言うのも、寝ていたキクにとって、参詣者の願いは時として大音量の目覚ましに成るからです。
「!?」
女は何が起きたんだとばかりに、目をパチクリとさせました。
「社に何かいんのけ?」
女は、社の格子まで身を乗り出します。そして奥をのぞき込むのですが、そこには鏡と太鼓、とっくり以外は見当たりませんでした。
キクは、背板1枚を挟んだ奥にいて、見えないようにしているのだ。
そして、透視の術を使って様子を伺うのでした。
(豊作ねえ。ここは、漁師町のはずじゃが、何をじゃろう?米か?粟か?)
キクは、このどちらかと思いました。
そして、女の心に入りこむと、その答えは粟でした。
(粟か。庶民の主食じゃものな)
納得して頷くキク。
女は、一礼すると社を去りました。
それから、キクは外の様子を伺い、社を出て、誰もいないのを確認すると、その場で大跳躍をしたのです。
そして上空から辺りを見回します。
すると、目の前は海が広がり、左右は田んぼ。後方には山がありました。
そして、山の麓に畑が見えました。
その畑こそ、粟を栽培している畑だったのです。
(ふーん。あんな所に粟の畑が。結構広いじゃあないか)
キクは、それだけ確認すると、直ぐに降り立ち、社に戻って再び寝床につきました。
「明日がある。今日は寝て過ごそう」
キクがこう思ったのは、振られた事のダメージがまだ抜けて無いからでした。
ー続くー