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<< 後編 >>

 ◇ ◆ ◇



王都・ナダフへの帰還の道のりは、ボルヘザークへと向かった2週間前とは違い、何事もなく平穏無事に過ぎた。


「あ~~~明日の昼には王都入りだなぁ。なー、タクヤー。帰ったら休みもらえると思うか?」


夜。早々と寝息を立て始めたディランとは反対に、ベッドの中で両目をらんらんと開いているロドは、両手を頭の後ろに組み、天井を見上げながらニヤニヤと笑っている。


「・・・ムリ、かもな。『歪』に関係しているヤツがグウェン・アダーソンだと割れたうえ、王都に向かうと臭わせたんだ。厳重警戒態勢が布かれるだろう」


卓也も同じくベッドに横たわり、ロドの期待を一刀両断にする。休暇は暫くお預けだろうと言うと彼の顔から笑みが消え、変わりにウンザリとした呻き声が聞こえてきた。


「うえええ・・。マジか~? せっかくマリーさんをお茶に誘おうと思ってたのに・・・」


いい加減、しつこい。「グウェン・アダーソンめ。絶対に一発ぶん殴ってやる!」などとブツブツ悪態をつきながらモソモソとシーツをかぶると、ロドもやっと眠りについた。


「・・・」


隣から聞こえ始めた寝息に、知らず詰めていた息を吐き出す。ロドの口からグウェンの名前が出たとき、卓也の心臓はどきんと強く脈打った。

理由は後ろめたさだ。ディランたちには『歪』の原因が自分の血のせいかもしれないと、どうしても言い出せないままなのだ。


「・・・」


一人睡魔が訪れない。

ゴロゴロと何度も寝返りを打ってはみたが、一向に瞼が重くなる様子はない。

窓から差し込む月明かりに照らされ、ほのかに薄明るい室内。青色に染まった壁板を見つめながら、卓也はグウェンの言葉をボンヤリと繰り返し思い浮かべた。


『世界を揺り動かす存在は、その一カケラにも力を帯びている』

『キミの存在そのもの(・・・・)が力なんだ』

『なぜこの世界に呼ばれたのか、誰に呼ばれたのか、そしてその対価が何か』


どんなに考えても自分が選ばれた理由も、誰かに呼ばれた覚えもない。

そもそもヴェクセリオ時間で10年以上もの間、この世界の人々と同じものを食べ、同じものを感じ、同じ気持ちで生活してきたというのに、なぜ今頃になって・・・

それに異世界渡りは何も卓也だけではない。浩司、陽一朗、マリモ、千早。五人で渡ってきたのに、どうして卓也だと言い切れるのだろう。

他の四人の血では『歪』は発現しないのだろうか?

本当に卓也の存在がヴェクセリオの平穏を脅かしているのだろうか。


「・・・」


ゴロンと仰向けになり目をつぶる。

考えても考えても、全然わからない。次第に考えることが面倒になり、バカバカしく感じてきた。

どうしてあんなヤツの言葉に踊らされなければならないのかと。グウェンは敵で、卓也にとっては一度背中をバッサリと()られた恨むべき相手である。かつて聞いた話では、幼い頃のミランダにも嘘八百を吹き込み、無垢な心を引き裂いた最悪の男なのだ。


「そうだ。・・うん。そうだ。アイツの話を信じる方がおかしい」


グウェンに告げられた内容を考えるよりも、ヤツ自身が信用に値するのかを考えた方が答が早く出た。ヤツは信じられない。


すんなりと結論が出るとそれが一番正しいような気がして、卓也は少し安心すると、やっと眠りについた。


翌日、その結論こそが間違いだったと、眼前に突きつけられるとは思いもせずに・・・。






「なんだよ・・・これ?」


前日の見込みどおり王都入りできそうな卓也たちは、ナダフとウォーノとの領境、セシリアコットーの外れまで来た頃、なにやら異変に気がついた。


「なんか、人が多くないか?」


「はい。それになんだか物々しい・・」


訝しげに村を見渡すディランの問いに、ロドも眉を顰めて返した。


そう、普段この小さな村はのんびりと静かで、穏やかだ。王都と隣り合わせているほかの街に比べて人は極端に少ないし、目玉になるような特産物もない。

ナダフと繋がる橋はそれほど広くなく、大きな馬車は通れないため王都を目指す、あるいはダルバン各地へと向かう商人の旅団は、どうしても大きくて丈夫な橋が架かっている別のルートを行くのだ。

だからセシリアコットーに人が多いのはおかしい。


首をひねっていたディランはカポカポと歩ませていた馬を止めて降りると、通りの端に座り込んでいる疲れきった様子の親子連れに何かあったのかと声をかけた。


「おお・・これは近衛隊の騎士様。もしや昨日の騒動をご存じない?」


「ええ。たった今出向先から帰還したところなんです。すみませんが、何が起こったのかを教えてもらえませんか?」


ロドと違い、貴族出身でないディランは明らかに自分よりも年上の一家の家長らしき男性に、しゃがみ込んで目線を合わせ折り目正しくた訊ねた。


「いやいや、昨日は酷い騒ぎでした。空が茜色に染まる時刻です。町の中央広場の真ん中、切り出した石でぐるりと囲んだ憩いの池があるでしょう? あの真上になにやら黒い玉が現れたらしいんです。・・ああ、オレ・・ワタシは・・」


「"オレ"で結構ですよ」


「すんません。お言葉に甘えて・・。オレはその場にいなかったんで息子に聞いた話なんですがね、パリパリッて音がしたかと思ったら池の上・・大人の男の背丈ほどの位置に黒い玉が現れたそうなんです。ソレがみるみる根っこみたいなものを方々に伸ばし、オレが腕をこう・・広げて一抱えくらいですかねぇ。そのぐらいの大きさになると、今度は変な音を鳴らし始めたらしいんです」


「変な音?」


「ええ。『ピ―――――』って感じの。嵐の日の隙間風みたいな音だったそうです。ハハ・・ウチがボロ屋だってバラしてるみたいで恥ずかしいんですが。―――で、息子は怖くなってすぐに逃げ帰ってきたんですけど、後から人伝に聞いたところ、その場に残った子どもの友達や街の人々がそのあと急に暴れ始めたそうなんです」


「・・・」


「狂ったように、見境なく。それに追い討ちをかけるように、全身黒尽くめの剣を持った男たちがどこからともなく現れ、次々と民衆に斬りかかったとか・・」


話を聞いた三人は、同時に全身を強張らせた。それと同じ状態をボルヘザークで見聞きしたばかりだったから。


街中(まちなか)で『歪』だと・・・?」


「しかもアダーソンの手下の黒剣士まで・・ッ! 最悪だ」


王都のような人の多い場所で、どのくらいの範囲、どのくらいの規模で影響があるかはわからないが、正気を失った人々やグウェンの傀儡の剣士たちが暴れたなら、被害はかなりのものになってしまうだろう。

とにかく『歪』で一番重要なのは、襲い掛かってくる相手が『人間』だということ。獣や亜人と違い、ただ単純に殺処分してしまえばいいわけじゃない。


ディランは話を聞かせてくれた男性に礼だといって100ラム銀貨を2枚(2,000円)手渡すと、慌てた様子で馬に飛び乗った。


「ロド、タクヤ。聞いたとおりだ。状況はかなり逼迫しているらしい。このまま一気に王都の近衛本部まで駆けるぞ」


「「はい!」」


険しい表情のディランを先頭に、三人は手綱を握る手に力を込め馬の腹を蹴った。


最後尾で二人の後ろを追いかける卓也は、走る景色と軽快な蹄の音を聞きながらも、グウェンの去り際の言葉を思い出す。


『次は王都で』


嫌な予感しか(・・)しない。ギリリと唇を噛み締めると、卓也は何が何でもあの氷塊の中の血を取り返さなくてはと、固く胸に刻んだ。








 ◇ ◆ ◇



王都ナダフ。

・・いつもの穏やかな景色は一変していた。


砕け、割れてめくれあがった石畳。家屋の壁にも打ち砕かれた跡がありありと残され、ところどころ赤黒い血染みのような汚れが目に付く。

ケガを負った街の住人たちは道端に座り込み、白い制服のローブ姿の魔法庁職員らしき者たちによって、順番に回復術をかけてもらっているようだ。


「暴徒の姿は・・ないな」


影響を受け正体を失った人々は捕縛されたらしく、卓也たちが見る限りではその存在は見られない。ただ崩壊した街並みと負傷者、慌しく駆け回っては術でケガ人を治す魔術師たちの様子に卓也の心は痛む。


「あああッ! タクニャー!」


足元の瓦礫が酷くて馬を走らせられないため、手綱を引いて歩く三人を真っ先に見つけたのは、魔法庁の背高のっぽ・ルカだ。片膝を突いてケガ人の足の傷を治していた彼女は蹄の音に気付き、卓也の姿を認めると、弾丸のようにもの凄いスピードで駆け寄ってきた。

ドカーンと抱きつかれ、そのままギューッと締め付けられる。


「ぐわっ! ルカ、やめ・・っ! ギブ! ギブゥゥゥッ!!」


「ふえぇぇぇぇぇん!」


弾力のある巨大な双丘に顔の右半分が埋もれ、とにかく息苦しい。頚動脈を圧迫する腕をバシバシと叩いて降参を示し、やっとのことで開放された。

やばいやばい、本気で花畑を見るところだった。


いつもは元気いっぱい、明るいひまわりのようなルカは、痛めた首をさする卓也を涙をためた瞳で見下ろしている。


「どうした? 常に能天気なお前らしくないじゃねーか」


「だって~・・」


えっぐえっぐと子どもみたいに泣きじゃくるルカの背中をさすってやっていると、横からディランが無言でハンカチを差し出した。


「どうぞ」


「え・・・えっと・・・いいの?」


そろりと受け取ったはいいが本当に使っていいのかわからず、ルカは卓也に視線で助言を求めてきた。

卓也はチラッとディランの顔を盗み見て、彼の耳朶が微かに赤みを帯びているのに気がつくと、鈍感な女友達にウンとうなずいて「使わせてもらえ」と言ってやった。


「あ、りがとう・・」


「いえ・・」


モジモジし合う二人。卓也の後ろではロドが面白くなさそうにケッと毒づいている。


「で。一体どうしたんだ? お前が一人なんて珍しいな。フォナは?」


二人セットでしか見たことのない卓也がルカの相棒の名前を出せば、それまでしおらしい乙女のようだった彼女は表情を急変させ、グワシッと少年らしい薄い両肩を加減なしに掴んだ。


「いっで――――――ッ!!」


「タクニャ、教えて! 副師長様はどこなの?! もうね、あたしたちだけじゃどうしようもないのっ!」


馬鹿力のままに前後にガクガクと揺さぶられる。


「は? チハ? どこって・・いないのか?」


「いないのーッ! どうしよーッ?! 今は副師長様の仕事を庁舎でフォナが何とかこなしてるけど、もう限界ギリギリ・・ううん、多分限界を超えてると思う。師長様は所詮異界の者なのだから依存しすぎるなって仰るしー。なんで、なんでこんな時に騒ぎがおきるの? ねー! タクニャ、どっか副師長様の行きそうな所って心当たりない?!」


心当たりを訊かれても、ヴェクセリオでの千早の行動範囲はかなり狭いとしか言いようがない。彼はとても内気で引っ込み思案だから、一人で積極的に出掛けるとは思えない。

地球でも卓也たち四人とは駆け回るほどに仲良くなったけれど、根本的な部分はあまり変わらず今でも人見知りだ。


「アイツが一人で・・・」


「コージたちにも訊いたんだけど、わかんないって!」


友人の行方不明を聞かされた卓也は愕然としつつも、再び涙を溢れさせ始めたルカを宥めるため、高い位置にある彼女の頭をワシワシと撫でながら、大丈夫だと繰り返した。


「オレも探してみるから、お前はお前のやることを頑張れ!」


渋るルカの背中を押して仕事に戻らせる。まだなにか言いたげだったけれど、回復術待ちのケガ人の存在を思い出したらしく、通りの反対側へと駆け足で向かっていった。

背の高いスリムな後姿を見送っていると、ずっとやり取りを見ていた二人が声をかけてきた。


「行方不明って・・魔法庁の副師長が、か?」


「ああ。チハが姿を消したって。でもアイツすごい内気だから、一人で勝手にどこかへ行くなんてありえない・・・」


「まさか、失踪じゃなく誘拐されたんじゃ・・・」


ロドの発した不穏な可能性に一瞬ドキッと心臓が打ち鳴ったが、すぐにそれはないと否定した。


「確かに見た目と実年齢は11歳だが、アイツもこの世界で12年過ごしてるんだ。精神的には大人と言っていい。それに副師長の職に就くほどの魔力保持者だ。誘拐なんてされるもんか」


「じゃあ、一体どこへ・・・?」


訝しげに三人は首を傾げる。しかし今は千早の消息や理由を考えている場合ではない。気にはなるが優先順位を間違えてはいけないと、卓也たちは予定通り近衛本部へ向かうことにした。







「おお、やっと戻ったな」


隊本部に到着した三人を出迎えたのは、なぜか直属の上司・オーガン隊長ではなく、軍の制服を着た壮年の男・・総隊長のアドルフォンだった。

傍らには杖を手にした老翁の魔法師長・ログロワーズもいる。


「長旅で疲れているところ悪いんだが、このまま町外れの廃教会まで駆けてくれんか?」


「町外れの教会・・・。! 移転させた留置場ですね?」


ハッと気がついたディランが聞き返すと、アドルフォンは静かに頷いた。


「たった今、ログロワーズ本人がこうして異変を知らせにきてくれた。どうやら教会の封印が破られ、留置されていた輩が逃走したらしい」


「! 師長様のかけられた封印が破られたのですかッ! まさか・・」


アドルフォンの話に驚きを隠せない三人だが、中でも卓也のショックは相当なものだった。なぜなら総隊長と師長が続けるであろうセリフの先が読めたからだ。

困惑しオロオロするディランとロドとは違う様子の卓也に気がついたのか、アドルフォンは初対面のときから姿の変わらない少年と視線を合わせ、「そうだ」と縦に首を振った。


クラリと眩暈がする。握り締めていた拳に更に力が入り、プツンとツメが手のひらの皮を破って食い込んだ。


「やっぱり・・・そうですか」


「? なんだ?」


ディランたち二人は卓也の行き着いた結論がわからないらしく、アドルフォンとログロワーズ、それと後ろに控える同僚の少年の顔を交互に見やる。

怪訝そうに顰められた眉根を見て溜息をこぼすと、卓也はだるそうに重い唇を開いた。


「教会にかけられた封印を破るなんて、敵側に相当な魔術師がいるってことだ」


「? ああ。街に『歪』が現れたことと繋げて考えると、多分この件にもアダーソンが関係して・・」


「そうだな。タイミングが合いすぎているから、きっとグウェンは無関係じゃない。だけど、教会の封印を破ったのはアイツじゃないんだ」


そう、グウェンではない。ヤツではありえない。たとえどんなに魔力が高くても・・・。


「なぜ・・」


「ディラン。ロド。ちゃんと考えてくれ。思い出すんだ。廃教会に封印をかけたのが誰だったか。果たしてそれをグウェンが破れるのか、を」


二人の双眸が大きく見開かれる。

やはり忘れていたようだ。ここヴェクセリオには魔力の検定と登録の義務があることを。もしログロワーズを上回る魔力保持者の存在があるのなら、数年に一度の更新で必ず引っかかるはず。そしてそれだけの力を持つ者が現れたなら魔法庁でしっかりとした管理がなされ、何がしかの動きや変調を確認できたならば、即刻対処されただろう。


ログロワーズをも凌ぐ魔力の持ち主。そんな存在は唯一人(・・・)を除いて他に確認されていないし、その人物も疑われる立場にはいなかった。


「おい、タクヤ。まさかその一人って・・・」


「それ以外に誰がいる」


信じられないといった面持ちの、ロドの問いを遮ったのはアドルフォンだった。卓也の口にその名を言わせるなとばかりに、彼は小さく首を振った。

若かりし頃には"鋼鉄のドラゴンキラー"との二つ名を囁かれていたという伝説の軍人・アドルフォンは、普段はそんな噂など似合わないほどに穏やかな雰囲気を醸し出しているのだが、今はまるで別人のように厳しい表情を貼り付けている。


「チハヤは一昨日から姿を消しておる。庁舎にはもちろん自室にも居らん。思いつく限りの場所を探し、訊ね回ってみたのじゃがな・・・。徒労に終わったよ」


ログロワーズが疲れたように告げる。彼は卓也たちがコチラの世界に現れた瞬間、すぐに巨大な魔力の出現を察知し、そして千早を探し出した。

強引に魔法庁に引き込んだのは、はじめこそ監視する名目であったという。当然だろうと卓也は思った。ヴェクセリオの人々にとって異界からの来訪者は、例え子どものなりをしていてもエイリアンのごとき正体不明のモンスターだ。もともとこの世界に存在している亜人や獣の方が、余程怖くない。

しかし間近で接してみれば、魔力が高いだけのごく普通の子どもだ。引っ込み思案だが素直で優しい普通の少年。

警戒などする必要はなく、むしろダルバンのために尽力してくれた。―――12年も。ずっと。


「じゃが、あやつは去った。捜索中に一件だけあがった目撃証言では、連れがいたそうだ。長いプラチナブロンドの髪に青い目をした、背の高い美しい男と一緒だったうえ、魔法庁の制服である白いローブではなく、旅装していたらしいのじゃ」


男の特徴が、卓也の知るグウェンと一致する。しかも千早の格好からして、攫われたのではなく、自らの意思で同行しているのだろう。


「チハ・・・」


傷ついて血をにじませる手のひらに更に力がこもる。


どうして黙って出て行ったのだろうか。もし・・もし回避し難い理由から出て行かざるをえなかったというのなら、せめて何かメッセージを残しておいて欲しかった。浩司や陽一朗に(ことづ)けを頼むにしろ、メモを残すにしろ。そうすれば卓也はこんなにも不安にならずに済んだし、疑念に胸が苦しくなることもなかったのに。


疑念。

グウェンのあの時の言葉がよみがえる。彼の告げた『あの者』というのは、本当に千早のことなのか。本当に千早は進んでヤツについて行き、『歪』の情報を与えたのか。

そもそもどうやって『歪』の発生の原因を知ったのだろう?


千早の考えがわからない。


イライラして頭を掻こうと持ち上げた手のひらがやけにヌルつき、ふと視線を落とすと刻まれた三日月形の赤い4つの傷からは、ジワジワと血が盛り上がってくる。


「オレが原因・・・オレの存在そのものが世界を揺るがす・・・」


半ば無意識に呟き、まるで証拠を隠滅する犯人の心境で、手のひらをズボンで拭った。








 ◇ ◆ ◇



シトシトと絶え間なく奏でられ続ける水滴のリズムは、なぜか寂しさを感じさせる。

少女はやっと訪れたつかの間の休息を堪能するかのように、窓枠においた自身の腕を枕にして、ボンヤリと雨の景色を眺めていた。


「ねぇ、本当に千早クンの行き先、わからないの?」


憂い顔をけだるげに持ち上げ、後ろを振り向く。つい先ほどまでは引っ切り無しに患者が押し寄せていた治療室の奥の、休憩用の小さな丸いテーブルでは、彼女の同僚がケトルに沸いた湯を茶葉の入ったポットに注いでいるところだった。


「わからない。これでもナダフ中をくまなく探しているんだが・・・」


答えたのは茶を淹れている男ではなく、椅子に座ってもてなしを受けている一人。短い黒髪と、屋外での仕事で日に焼けた健康的な小麦色の肌。成長期特有のヒョロリと長い四肢はただ細いだけでなく、12年もの近衛隊勤務で培われた腕前に比例した、しなやかな筋肉をまとっている。

少年はゆっくりと注がれてゆく琥珀色の液体を目で追いながら、ハァ・・と溜息を吐いた。


「どうぞ」


「あ。サンキュー」


差し出されたカップに口をつけ・・・た途端、少年は複雑そうに眉根を寄せた。


「なあ。本当に岡部はその・・ぐうぇん? ・・ってヤツと一緒に、王都にいるのか?」


その隣ではこの中で一番小柄な人物が、先ほどから一人でムシャムシャと茶菓子のクッキーを貪っている。同じように目の前に置かれたカップの中身を啜り、「草のニオイがする~」と顔を顰めた。


「こんだけ探していて見つからないって事は、王都にゃあいねーんじゃねーの」


「いや、いるだろ」


俺だったら王都に潜んでいるとキッパリ言い放ったのは、また別の少年。背は高いが、横幅も結構。おおらかで穏やかな物腰の彼は、いつも微笑んでいるように見られる糸目で、他の誰よりも多くのことを見通している。


二人分の、飲みかけのお茶がズズイと押しやられて彼の前に並ぶ。ヤレヤレと嘆息すると、冷め始めてしまったカップの一つに手を伸ばした。


「! これは・・美味しいですね」


満足そうにほぅっと吐息するふくよかな少年の様子に、他の面々は頬をこわばらせた。


「気に入っていただけて嬉しいです。これ、ワタシが普段から愛用している茶葉なんですが、どうも他の方々には不評で・・・」


ちょっとだけ残念そうに微苦笑した、ポットを持った青年・セオは、不思議そうな顔をした陽一朗へ、チラッと視線で浩司と卓也を見るように促した。

二人は・・いや、マリモを含む三人は、顔の前で手を横に振っている。


「ね?」


肩を竦めたセオと目を見合わせ、陽一朗は再び溜息をついた。


「で? お茶はともかく、なんでまだ王都にいるって言い切れるんだ?」


あまりにも自身ありげだった陽一朗に、浩司はクッキーをかじりながら訊ねる。

少し離れた窓辺に座るマリモも、窓枠に頬杖をついた姿勢で話の続きを待っていた。


「どうやらその青年は卓也に用があるみたいだし、岡部クンの卓也への依存も大きい。『王都で』とわざわざ告げたのは、青年にとって最終的な一大プロジェクトはここ、王都で遂行するとの予告であり、きっと卓也が彼の計画に必要不可欠なんだろう」


その場全員の視線が一点に集まり、卓也の心臓がドキンと跳ねる。まだ陽一朗たちには、ボルヘザークで起きた詳細を話していなかったから。

なかなか切り出す勇気が無い。なぜなら多少にかかわらず、『歪』の被害は彼らにも降りかかっているからだ。


「卓也。話す気にはなれないか? ヴェクセリオの人々には言いづらくても、俺たちなら相談に乗れることもあると思うんだ。俺たち五人は友人であり、家族のようなものなのだから」


達観した、子どもらしくない落ち着いた声で陽一朗は諭す。もともと大人びているところはあったが、こちらで10年以上も過ごしているうちに、更に精神面が成熟したようだ。


卓也はジッと陽一朗の目を見つめていたが、突然後ろ頭をバリバリと掻き毟ると、クソッと呟いた。


「ちょっと長くなるが、いいか?」


四人が首を縦に振ったことで、卓也は迷いを捨てた。どう話そうかと少し考え、結局は全部話せばいいかと開き直った。

もうすでに浩司と陽一朗には聞かせたことがある、5年前ボルヘザークで起きたこと、そして今回再びグウェンと遭遇し、彼が起こしたことと卓也に告げたこと。


「ヤツはオレを選ばれし者だと言った。オレ自身が世界を揺るがす力だと」


卓也は自分の手のひらを睨むように見つめる。このヴェクセリオではできて当然の、ほんの些細な魔法さえ使えない魔力不保持者の自分が、まさか存在そのものが危険だったなんて。


グウェンが目の前で『歪』を発現させたときの状況を説明すると、浩司たちはごくりとツバを飲み込んだ。彼らが街中で『歪』を見たことがあるのかは知らないが、民衆の暴徒化やそれに伴う被害の数々には直面しているから、その根源が目の前に座る幼馴染みなのだと知った今、どう感じているのだろう。


「・・・」


全てを話し終わり、シン・・とした室内。最初に声を発したのは陽一朗だった。


「それでお前は? 卓也はどうするつもりなんだ?」


わかっているくせにわざと投げかけられたように聞こえた。実際、彼には卓也の浅い考えなどお見通しなのだろう。


「どうするもこうするも・・チハがいなきゃオレたちは帰れないしな。とにかく探すよ。そして・・・」


テーブルの上に乗せられていた少年の手がギュッと握られ、小刻みに震えるほど両拳に力が入る。

些か逡巡した後に覚悟を決めた面持ちで、卓也は自分の考えを告げた。


「そしてチハを見つけたら、さっさと元の世界に帰る。」


もう二度とヴェクセリオ(ここ)には戻らない。


「に・・二度と?」


「ああ」


「ちょっ・・」


うろたえて聞き返す浩司に、卓也は深く頷いた――――――――――――直後、外へと繋がるドアが破るように開けられ、何かを言いかけた浩司の声を遮った。


ドガァンッ!!


「タクヤ!」


現れたのは雨に打たれてずぶ濡れの、『仔羊のしっぽ亭』のウェイトレス・キャレ。丸太のように太いムキムキの腕で力任せに開け放たれたドアは、上の蝶番が(ひしゃ)げて斜めに傾いた。


「ここにいるんでしょッ?!」


「ど、どうした?!」


キャレのあまりの剣幕に卓也は少し怯んだが、彼女はお構いなしにドカドカと靴音を鳴らして距離を詰めると、グワシッと少年の体をびしょ濡れの逞しい腕で抱きしめた。


「フゥグッ! ぐるじッ・・キャレ! 絞まってる! 絞まってる! オレ、オチちゃうから!」


デジャ・ビュか? ちょっと前にも同じようなことがあったと思いつつ、必死でもがく。冗談無しにやや意識がボンヤリし始めたところへ、キャレの衝撃のセリフが発せられた。


「ふうぇぇぇぇぇん! タクヤぁ・・大変なのッ! 商店街の通りに変なものが現れて、マスターが! ベリスが・・ッ!」


「!! 何だ?! マスターたちがどうしたんだ?!」


強引に懐から脱出すると、今度は卓也がキャレの顔を手挟んで、まっすぐに視線を合わせた。

彼女の前髪からポタポタと水滴が落ち、卓也の頬に当たって流れた。


「キャレ! 言うんだ!」


「・・・ッ、店の外が騒がしいなって思って、ア、アタシ、様子を見に出たら、黒いひび割れみたいなものが通りの真ん中に浮かんで、えっく、そしたら街の人たちの様子がおかしくなって、きゅっ、急に暴れだしたの。・・ヒック、店の中に刃物とか棒を持って押し寄せてきて、マスターやお店に来ていたべリスが慌てて取り押さえてくれたんだけど・・・」


襲い掛かられたキャレに変わり、ベリスが刺されたという。

店内にいた客も同じく数人が暴れだし、流血沙汰の大暴動になったらしい。


卓也をはじめ、その場全員の目が大きく見開かれ、顔から血の気が引いた。


「ベリスはッ? マスターはどうしたんだ?!」


「わかんないっ! アタシだけ必死で逃げてきたの! 早くタクヤを呼んでこなきゃって! 誰か助けを呼ばなきゃって!」


よく見ると、彼女のこめかみのあたりに薄っすらと血が滲んでいる傷がある。

ボロボロと泣きじゃくるキャレをセオに預け、卓也は治療院を飛び出した。


「卓也! あたしたちも行くわッ!」


背後でマリモが叫んでいたが最早卓也の耳には届かず、ただ最悪の状況になっていなければいいと祈りながら、少年は暖かな季節に似つかわしくない冷たい雨の中を、神に縋る思いで疾走した。








 ◇ ◆ ◇



王都での『歪』の出現と、それによって影響を受けた人々の暴徒化・致死傷者の増加・街の崩壊、更には追い討ちのように黒尽くめの剣士たちが無差別に襲いかかってくる。脅威は途絶えることなく、しかも郊外から徐々に、ナダフ中央の王城に向かっているように感じられる。

城下の人々の中には王都を出てゆく者も現れ始め、荷車に家財を積んで街外れに向かう一家を見ることも多くなった。


「今日はとうとう2度目か・・・」


初めて王都に『歪』や黒尽くめの剣士たちが現れてから、次が現れるまでに一週間以上もあった。が、その次、次、次と出現を重ねるたびに、段々と頻度が上がってきている。

最近では連日のように目撃情報が寄せられていたが、今日は日暮れの時刻になって2度目の通報があった。しかも近衛本部に近い場所だ。


「はい。それに威力も増してきているようです。隊員の話では、最近、魔法庁から支給されている魔法具では防ぎきれなくなりつつあると・・・。まだ破られてはいないようですが、『歪』に近づくと酷い頭痛に襲われ、意識がボーっとしてくるとの報告が多数上がってきています」


「いかんなぁ・・」


天井を仰ぎ、溜息を吐く。思い切り寄りかかったせいか、椅子の背もたれがギシ・・と悲鳴を上げた。

数人ずつ分けたチームの各チーフが提出した報告書に目を通しながら、オーガンは昨日と代わり映えのない報告を聞き、痛むこめかみを指先で揉んだ。


「アダーソンだけでなく、副師長殿もまだ見つからないか・・・」


「ええ。どうやら一緒に行動しているようなので、発見時に一人だった場合にはすぐに手出しせず、泳がせておき、合流してから捕縛するよう伝えておきました。ただどちらもかなりの魔力保持者ですし。まぁ、そう一筋縄にはいかないでしょうけど」


「・・・」


エドガーの辛辣とも思えるセリフは事実である。ログロワーズが幾重にもかけた封印を易々と破ることのできる魔術師が、たかが近衛隊の隊員にしてやられるわけがない。

当然『歪』を操れるうえ、黒剣士という護衛に守られているグウェンも然りだ。


「どうしたものか・・・」


いい案が浮かばず、オーガンは椅子から立ち上がると窓辺に寄る。雨に濡れそぼる景色。こうして眺める街はいつもと変わらない様相だが、この長閑な風景のどこかで、グウェンは今も次の騒ぎを画策しているのだろう。

一人でも脅威なのに、なぜ副師長はヤツに加担しているのか?


コンコンコンッ


やや遠慮がちに響くノックにオーガンとエドガーは顔を見合わせ、どうぞと入室を許可した。

ドアを開けたのはオーガン班の見習い隊員、異世界の少年・タクヤだ。この雨の中を外套もなしに来たのかグッショリと濡れていて、いつもの彼らしからぬ消沈した様子で部屋に入ってくると、後ろ手にドアを閉めてゆっくりと机に近づいてきた。


「なんだ? どうかしたのか?」


再び椅子に腰掛けたオーガンは、エドガーの横に並び僅かに見上げる位置になった少年の顔を見上げながら訊ねる。

やはり普段と様子が違う。顔色も酷く、疲れきっているのがわかる。

短期とはいえボルヘザークへの出向。向こうでもグウェンとやりあった以外にもゴーレムと戦ったらしいし、帰って来たら来たで休みなしの捜索。どんなに若いといっても、立て続けに戦闘ばかりでは体が休まらないだろう。しかも同郷の親友が敵に同行しているとなれば、心中は穏やかでいられるはずがない。


オーガンはタクヤの曇る表情の理由を推測しつつも、彼が話し出すまでジッと待った。


「実は・・・ボルヘザークでの一件で、報告していないことがあるンすけど・・」


散々時間をかけてやっと唇を開いた彼は、それでもまだ躊躇いがあるらしく、オーガンから目をそらした。


「してないって・・・隠匿したのか?」


エドガーの双眸が眇められる。普段の彼ならばもっと余裕を持って言葉を受け止められるのだが、今は少々無理のようだ。

副長である彼もまた仕事量はオーガンと並ぶほどに多く、ここ数日まともに睡眠時間を確保できていない。そのせいだろう。どうやらイライラしているらしい。


「まさか、副師長の行方も知ってて黙っているんじゃ・・」


「いや、それは本当にわからない。チハがグウェンについた理由ももちろん。だけど・・・だけど、どうやってグウェンが『歪』を発現させているのかは知っている。その元となっているものが何なのかも」


「おいおいおい。タークヤ~? そりゃあグウェンの行方なんかよりも、もっと知りたい重要な部分じゃねーか。なんでそんな大事なことを黙って・・」


「エドガー。追及は後だ。まずは最後まで話しを聞こう。それとタクヤ、お前は先に着替えだ」


いちいち突っかかるエドガーを窘めると、オーガンはタクヤに着替えを済ませてから続きを話すよう促す。

二人の視線を受けて居心地が悪いのか、卓也はいったん足元の水溜りに視線を落とし彷徨わせるが、すぐに顔を上げ頷いた。


彼の故郷での習慣なのだろう。ぺこりと頭を下げて挨拶すると、卓也はドアへ向かう。だが、ノブを掴んだところで思い出したように振り返り、射抜くようにオーガンを見た。


「隊長。オレが話すことは、とりあえずまだ公表しないと約束して欲しい。黙っていたことを罪に含めてオレを罰するのならそれでいいッス。だけど誓って浩司、陽一朗、マリモの三人は関係ないから」


そう前置きしたタクヤに、オーガンはわかったと首肯した。エドガーも上司が納得していることに反対はできないし、もともとタクヤとは仲が良いこともあり、些か渋々ではあるものの口を閉じて聞く姿勢をとった。


二人と交互に視線を交わしたタクヤはようやく微かに表情を緩め、もう一度会釈を残して部屋を出て行った。






「――――――二人は、『歪』がいつから現れるようになったか、ハッキリと覚えてますか?」


すばやく5分ほどで着替えを済ませた卓也は、約束どおりオーガンとエドガーの待つ隊長室へと戻り、まだ報告していないボルヘザークでのやり取りを話そうと切り出した。

本題に入る前に、卓也は二人に一つの質問をする。


「いつから・・・? そうだなー・・3年・・4年くらい前か?」


顎に手を当てて考え込んだエドガーは、答えたあとにチラッとオーガンを盗み見た。


「いや、もう少し前だろう? 報告数はかなり少なく、隊の上層に回っているだけだったようだが、すくなくとも5年前には目撃の報せがあったはずだ」


5年前。当時まだ隊長ではなく副長だったオーガンは、上司が中域隊の隊長と交わした書簡を何度か見せられ、意見を求められたことがあるという。


「最初はボルヘザークのはずれ・・どこか森の奥や山の中だったりしたんだ。ハッキリと『歪』という概念はなかったし、それ自体ももっと小さかった。人里から離れているから影響を受けるのはもっぱら獣ばかりで、時折正体を失う亜人も居るにはいたが、幸いにしてゴブリンみたいな小物だったし、近衛の地方駐屯地やギルドの各支部に通達しておけば、被害が出る前に駆逐できていた」


小さいというよりも、空間にできた僅かな歪み。現在の『歪』とは程遠く、出現時間もせいぜいが数十秒足らずだったと言う。


「なんだ? それがどうしたんだ?」


どんな関係があるのだと訝しげな視線を受け、卓也は居心地悪げに嘆息した。


「・・・5年前。オレはボルヘザークに出向し、侯爵の娘、ミラ・・ミランダ様に襲い掛かったグウェンに斬られ重傷を負った。・・・結局はチハが駆けつけてくれてグウェンを倒し、オレのケガも回復術で治してくれたンすけど」


「ああ。報告書で読んだとおりだ。その後アダーソンは捕縛され、投獄の判決が出た。投獄直前に脱走したヤツが今頃になって姿を現し、『歪』までも操れるぐらいに魔法の腕を上げているのには、正直驚いた・・」


「違うんです」


オーガンの声がキッパリと卓也によって遮られた。


「違う・・」


「何が違うんだ?」


「ヤツは・・グウェンは腕を上げたわけじゃない。多分アレ(・・)の扱いに慣れるまでに時間が掛かったんだと思う・・んです」


「アレぇ?」


エドガーが怪訝そうに聞き返す。話の先が読めないことに不満なのか、上司(オーガン)の前だというのに腕組みをし、睨むように卓也を見下ろしている。

オーガンも卓也が何を指し示しているのかわからず、ジッと少年の目を見つめて来る。


「アレ・・・。5年前、オレを斬ったことで刃に、ヤツの剣に付いた血。レモンドたちが目撃し報告書に書いた、グウェンの手のひらに浮かんだ氷塊の中に止められているもの」


「? 血」


「そう。ヤツが言うには、オレは選ばれし者らしい。魔力ではない・・・巨大な力があるんだそうだ。それは世界を――――――このヴェクセリオ全体をも揺るがすことができる・・・らしい。実際に目の前でグウェンはその血を使って『歪』を作り出し、周囲に影響が出ないように自らの意思で調整していた」


血。卓也の。

世界を揺るがす。


二人の顔から表情と血の気が失せた。もしそれが事実ならば、ほんの数滴の卓也の血で、今こうして王都が窮地に追い込まれているのだ。


「そ・・」


「だけどアイツの言葉を鵜呑みにできるかと訊かれたら・・・できない。隊長、エドガー、思い出して欲しい。オレがコチラに渡るようになってから12年、ただの一度もケガをしなかったか? 流血しなかったか?」


卓也に問われた二人は互いに目を合わせ、すぐに首を横に振った。

確かにダルバンは平和で穏やかな国ではあるが、国軍近衛隊に所属する隊員が厳しい訓練も含めて、ケガをせずにいられるほど何もないわけじゃない。


「そういや入隊したての頃は、毎日のように医務室の世話になってたな」


「そうですね。俺とタクヤは見習い同期だからよく覚えてる。今でこそ腕を上げたが、初めの頃は小さくて弱っちくて、訓練用の中剣さえ持ち上げるのにやっとだった。・・ああ、小さいのは今も変わらないけどな。なあ? タクヤ」


後の一言は余計だ。だが、エドガーの話は本当のことだった。他の隊員がみんな15や17で入ってくる中で、異色の少年はただ一人10歳だったのだ。体格の差、力の差、知識の差はどうしたって生じる。

体術での組み手、剣術での打ち合い、その他諸々の訓練、etc・・とにかく見習いの同期や1,2年先輩の隊員たちは、こぞって卓也と組みたがった。


「よく投げ飛ばされたし、打ち身でいつも痣だらけだった。擦り傷切り傷も毎日絶えなくて、医務室だけじゃなく、チハの世話にもなってたよ」


もう10年以上も前の話だ。あの頃は疲労と痛みを押し隠して、深夜にコッソリと寮を抜け出しては千早を訪ねて行き、回復術で治して貰っていたと白状する。


全く気がついていなかったのか、エドガーは一瞬ポカンと口を開けたけれど次にはズルイと文句を言い、オーガンは察していたらしく、苦笑しただけだった。


「・・・チハに回復を頼むと、アイツ、よく泣いてたんだ。自分のせいだって。自分があの呪文みたいなものを読み上げなければ、異世界にトリップなんかしないですんだのにって・・」


トリップしなければ、のんびりと穏やかな田舎町で元気に走り回る、ごく普通の少年少女でいられた。こんなにも酷いケガを負うことも、自身で食い扶持を確保しなければならない状況とも縁のないままでいられた、と。


ケガしたって、働かなきゃならなくたって、卓也は・・卓也たちは充実したこのヴェクセリオでの生活がとても気に入っているのに。

どんなに言葉を尽くしても、千早は納得しなかった。今でもきっと、心のどこかでまだ自分を責めている。


「・・・っ。脱線したけど、グウェンが言うとおりオレの血で世界が終わるのなら、なぜ今頃なんだ? もっと早く兆しがあってもいいし、何より魔法庁の師長が気付かないわけがない」


「そうだな。あの人が知らないはずねーもんなー。お前たちが元の世界に帰っている間に、扉を閉じちまえばいいんだ。簡単だ。・・・アダーソンが仮に本当のことを言ってるんだとしたら、どーして師長はそうしなかったんだってことになる」


卓也の後を続けたエドガーの言葉に、オーガンも頷く。


「で、お前の考えは?」


執務机に両肘を突いた姿勢で探るようなまなざしを向けてくる上司に、卓也もまっすぐな視線で「氷塊だけは何とかしたほうがいいと思う」と返した。


「チハがグウェンと行動しているのなら、ヤツを誘き寄せれば二人同時に見つけられると思うんだ。そして隙を見て氷塊を奪う」


「そう簡単にコトが運ぶとは思えないが?」


確かに。相手は5年も逃げ延びているグウェンと、ログロワーズに匹敵する魔力保持者の千早だ。思ったようにはいかないだろう。

それでも意地でもグウェンを捕まえてやると宣言し、ギリリと唇の端を噛み締めた卓也の様子にオーガンたちは背筋に冷たいものを感じた。


「絶対・・絶対にアイツを許すわけには行かないんだ・・ッ」


「・・・なにがあった?」


双眸に薄っすらと涙さえ浮かべている卓也を、二人は心配でたまらなくなった。しかし少年は「なんでもない」とはぐらかし、目元を袖でグイッと拭った。


「一つだけ、どうしても聞いて欲しい頼みがある」


「頼み?」


沈黙したままのオーガンに代わり、エドガーが聞き返す。


「ああ。頼みというよりも脅迫に近いけど。・・・見事グウェンを捕らえることができたら、チハのことは諦めてくれ(・・・・・)


諦めるの意味が正しく理解できなかったらしく、副長殿は大仰に眉を顰めた。


「それは見逃せといっているのか?」


到底できる取引ではないと一蹴するエドガーに対し、真意を探るように真っ正面に対峙している少年の瞳の奥を覗き込んでいたオーガンは、無言のままに一度目を閉じ何かを考えているようだったが、おもむろに瞼を持ち上げると静かに訊いた。


「・・もう二度と帰ってこない(・・・・・・)つもりなんだな」


それは質問というより、確認。

オーガンは卓也の目に宿る光や声の響きに、本気の色を認めたのだ。


「はい。オレがいなければヴェクセリオは平和なはずです。氷塊の中の血を焼くなりして消滅させて、寮とかに残ってるオレの痕跡・・髪の毛一本にわたる全てを師長様に頼んで消去してもらえば、もう『歪』の心配もなくなるだろう」


「そして最後に扉を封印する・・か」


こっくりと頷いた卓也とは反対に、エドガーは納得がいかないらしい。ギュッと眉根に力をいれ、硬く拳を握り締めた。


「タクヤがチキュウに帰らなくたって、アダーソンが持っている血さえ消滅させればいいんじゃないンすか?」


ヤツが血を手に入れるまでは大丈夫だったんだからとオーガンに詰め寄るが、それに関しての返答は卓也自身から返された。


「確信がないからだよ。エドガー、アンタにもわかってるだろう? 目撃情報はあくまでも情報であって、確実性に欠けるんだ。実はヤツが力を手に入れたよりも前から『歪』が発生していたのだとしたら? 血を利用しなくてもオレ自体がヴェクセリオに作用してしまっているとしたら? ・・・全ては憶測だけど、ほんの僅かでも可能性があるのなら、脅威の芽は元から絶たなきゃダメなんだよ」


「だからお前が帰るのか?」


いつになく真剣な面持ちのエドガーと目を合わせていられなくて、卓也はオーガンに視線を向けると、自身が囮となることを告げた。


「アイツがハハスやボルヘザークを集中的に狙っていたのは私怨からだ。なら、攻撃場所を王都に変えたのにも理由があるんだろう。とにかくどこを狙うにしろ大きな力が必要ならオレを無視するわけにはいかない。だから・・」


「いいえ。囮には(わたくし)がなります」


割り込んできた聞き覚えのある澄んだソプラノに卓也は、・・卓也を含む三人は一斉に振り返った。

その人は静かに扉を押して姿を現すと室内を一瞥すると、外套のフードを捲くりながら一番近い場所にいた少年に向かい微笑んだ。


「久しぶりね。タクヤ」


「なっ?! なんで・・」


しずしずとドレスの裾を捌いて姿を見せたのは、先日ボルヘザークでほんの少しだけ見かけた懐かしい女性(ヒト)・・ミランダだ。薄汚れた隊長室に、場違いにも一輪の花が迷い込んだ。

慌ててオーガンたちを振り返るが、二人も顎が外れんばかりにあんぐりと口を開けている。


「ミラ・・・どうしてこんなところに・・?」


「あら? わざわざ会いに来たのに、喜んではくれないの?」


意味深に微笑を浮かべる可憐な淑女は、侍女のマゼンタを率いて卓也の正面で立ち止まった。白い手袋に包まれた細い手を持ち上げ、ソロリと卓也の顔の前に差し出す。

何をしたいのかがわからずにボケーッと見つめていると、キュッと丸められた人差し指がピシリとはじかれたように飛び出した。


「いだっ!」


デコピンだ。

頭上にクエスチョンマークを浮かべて額をさする卓也を尻目に、ミランダはクルリと髪を揺らし、オーガンのいる執務机に近寄った。


「許可も得ずに入室いたしましたこと、平に陳謝いたしますわ。並べて、お初にお目にかかります。私、ボルヘザーク侯爵が長女、ミランダと申します」


「! こ、侯爵令嬢ぅッ」


ポカンと固まったままだった二人は、ミランダの自己紹介を聞きアワアワと慌てふためいた。急いで立ち上がろうとしたオーガンは、机の脚に膝をぶつけたらしくガンッと耳障りな音を立てた。


「失礼しました。ご挨拶が遅れ・・」


「あら、いいのよ。今回は私用だからお忍びで参りましたの。ですから堅苦しい挨拶は抜きでお願いいたしますわ。・・・というか、わたしもそろそろ普通に話をさせてもらうわね」


突然コロッと口調が変わり、雰囲気も『令嬢』というよりも『お嬢さん』に変化したミランダを、マゼンタが羽目を外し過ぎるなと言わんばかりに、ジトーッと視線で訴えている。

残念ながらミランダに効き目はないようだが・・・。


「先ほどのお話ですけど、囮にはわたしがなります」


「ダメだ」


間髪入れずに却下すると、ムッと眉間にしわを寄せたミランダがどうしてと理由を求めてきた。


「当然だろう。お前はグウェンの標的の一人なんだぞ」


「だからじゃないの。わたしが王都を歩き回っていれば、絶対にグウェンが現れるわよ!」


「現れねーわ! 怪しすぎるッつーの! どう考えても罠だろ、そりゃあ!」


どんなマヌケだって警戒するわ! ネズミ取りの中に仕掛けられたチーズや、落とし穴の上に開いた状態で放置されてるエロ本みたいなもんだ。

ボルヘザークの箱入り姫君が、どんな理由で王都をフラフラ徘徊する必要がある?


ギャンギャンと口喧嘩する二人を黙って見ているだけだったオーガンは、平行線をたどる内容に脱力したのか、盛大に溜息をつくと侯爵令嬢には些か無礼かなと思いつつも、バンバンと机を叩いた。


「はい、二人ともそこまで。えー・・と、ではボルヘザークのお嬢サマ。お言葉に甘えさせていただき、ご協力をお願いします」


「隊長!」


あっさりOKを出してしまったオーガンに噛み付く勢いの卓也を、エドガーが後ろから羽交い締めた。


「まあ、とにかく話だけでも聞いてみようや。ただ漠然と『囮』なんて言ったってナ、お前だって明確な方法を思いついたわけじゃないんだろう?」


「う・・」


卓也は言葉に詰まる。確かに決定的な作戦があるわけじゃないからだ。


ミランダを見れば、勝ち誇ったように口角を持ち上げていて、メチャクチャむかつく表情だ。

5年前の可愛いお姫様は、すっかり強かに変貌してしまったらしい。


「・・・絶対に無茶はするなよ」


結局折れるしかなくなった卓也は、念だけはキッチリと忘れずに押した。








 ◇ ◆ ◇



・・ぴちょん


(水の音? ああ、まだ外は雨なんだ・・)


以前持ち込んであったデニム生地の上着の上に外套を羽織った格好で、少年は胎児のようにクルンと丸まってまどろんでいる。

春から初夏に変わる季節なのにどことなく肌寒く感じるのは、彼が横たわる場所が固く冷たい石の床の上だからだろう。


ソロリと瞼を持ち上げる。焦点の合わない目に映るのは、軽く握った形の自分の両手。水仕事も力仕事もしたことのない、白くてやわらかな子どもの手だ。


(だけどこの手は汚れている。もうどんなに洗っても、きっとキレイにはならない・・)


見ているのが苦痛で、ギュッと目を閉じた。


「目が覚めたのか?」


僅かな気配を察したのか、背後で同行者の声がする。男はランプの薄暗い明かりの中、部屋の隅に腰を下ろし、壁に凭れて剣の手入れをしていた。


「・・・寝てないんですか?」


ダルい体をノロノロと起こしながら問いかけると、彼は休んだと返した。


「目を閉じて、休みはした」


「・・・。また眠れなかったんですね」


共に行動するようになり、男がいつもちゃんと眠れていないことを知っている。少年は溜息をつくと、自分の荷袋から水筒を取り出し、少ない中身を飲み干した。


(しっぽ亭で飲んだジュース、美味しかったなぁ・・)


長年馴染んだ、居心地のよい場所から抜け出してきたのは1ヶ月近く前だ。ボルヘザークに出向していた卓也たちが帰還するとの連絡が届き、ならば顔を合わせる前に姿を消してしまおうと、千早は魔法庁の寮舎をあとにした。


(タッちゃん。怒ってるかな・・・)


誰にも何も言わずに出てきた。同郷の仲間はもちろん、魔法庁の同僚、フォナやルカにさえも。


千早にはこのヴェクセリオでやらなければならない使命がある。それは決して代替のきく役目ではなく、その期限も目前に迫っていた。

誰にも相談できない。だから全て千早が一人で考え、一人で行動した。この計画(・・・・)では自分が悪役になるのは必然で、更にはもう一人、協力者に矢面に立ってもらう必要があるから。

そしてその共犯者に、千早はグウェン・アダーソンを選んだ。


(みんなゴメンね。でも、仕方がないんだ)


彼に力を与えたのは千早だ。彼が復讐心から『歪』を発現していることも、黒剣士を作り出し彼方此方で暴れさせていることも知っている。いや、彼がそうするように仕向けた張本人といってもいい。


罪悪感に押しつぶされそうな心を懸命に奮い立たせ、重責を小さな背中に背負わされた少年は、それでも大事な人のために必死で歯を食いしばっていた。


(あと少し。あともう少しで全部終わるから・・ッ)


全てを完遂させたところで大手を振って仲間たちの元に帰ることはできないけれど、大好きな人々の役に立てた充足感は千早の心を満たすはずだ。


――――――もう二度と友達と呼んでもらえなくても。もう二度と笑い合えなくなっても。








 ◇ ◆ ◇



一歩踏み入った途端、そこかしこから聞こえてくるのは、耐え難い苦痛にもれる呻き声だった。


「うう・・・痛いよぅ。 お母さ・・ん・・ッ」


「誰か・・助け・・誰か・・・」


マリモの勤める治療院のような小さな施設ではなく、ミランダは微力ながらも回復術が使えるからと王都の中央病院を訪れ、・・・地獄のような光景にただ呆然と立ち尽くした。

今日のミランダは普段着ている令嬢にふさわしいドレスではなく、街娘のような動きやすいワンピース姿のために、剥き出しになっている両脚が小刻みに震えているのが一目瞭然だ。


酷いありさまだ。病室はもちろんだがベッドの数も全く足りておらず、野戦病院さながら床や廊下に至るまで、布や(むしろ)を敷いた上に包帯まみれの患者を寝かせている状態だった。

魔術師の人数や魔力、外科治療ができる医師や治療に必要な薬、医療設備・・何もかもが足りない状態なのは先に説明を受けてわかっていたつもりだが、実際目の当たりにすると現状がいかに困窮しているか、骨身にしみて痛感せざるを得ない。


「ミラ。大丈夫か? 無理そうなら()めてもいいんだぞ?」


青褪めて目を見張る少女の様子に、護衛役としてつけられた近衛の隊員たちは心配になった。特に卓也は5年前のボルヘザークでの件で、ミランダが流血にトラウマを抱いているのではないかと不安になり声をかける。

だが彼女はハッと我に返ったように体を揺らすと、ギュッと両手を硬く握り締め以前よりもやや視線が低くなってしまった友人を振り返り、強張った頬で微笑んで見せた。


「平気よ。大変なのもツライのも、わたしじゃなくてここにいる方々ですもの」


そう気丈に振舞うと、震える足を叱咤して踏み出し、ケガ人たちの世話で忙しく駆け回る看護士に手伝いを申し出た。


「いいえ! いいえいいえ! 侯爵家の姫様に、そのような恐れ多いことなど・・」


「痛みに苦しんでいる者に、身分とか格差なんて関係ないわ。残念ながらわたしの魔力は皆さんの痛みを拭ってあげられるほど大きなものではないけれど、包帯を交換したり、痛むところを擦って差し上げることはできると思うの。・・お願いします。わたしにも何かさせて」


真剣なまなざしで懇願された看護士は、困り果てた顔で院長に訊いてくると場を離れ、すぐに白衣姿のふくよかな初老の女性を伴って戻ってきた。


「あらあらあらっ。ボルヘザーク侯爵のミランダ様ですか。私は院長のオリーブです。ん~~~そうね。ここにいる間だけは侯爵令嬢であることを忘れていただけるのなら、お願いしちゃおうかしら?」


「院長ッ!」


オリーブはぽやぽやと小首を傾げて了承したが、彼女についてきた、やはり白衣を纏った小柄で目つきの悪い中年の男は、本人を前に人目もはばからず否を唱えた。


「ダメですよ! もし何かあったらどうするんですか!」


「あらあら、エクター。もし何かって?」


「ケガしたり、患者の病気がうつったりですよ! 院全体の責任になります!」


「だからさっき言ったでしょ? ここにいる間は侯爵令嬢じゃなければって」


「そんなの守られるわけないでしょうッ! 貴族なんてものはどんなにおとなしく見せてたって、結局は貴族なんですよ!」


エクターと呼ばれた彼は、余程貴族相手にイヤな経験をしたらしい。オリーブからミランダにキッと視線を移すと、態度だけは恭しく頭を下げたが、ナイフのような鋭い言葉で申し入れを拒絶した。


「大変申し訳ございませんが、お嬢様の気まぐれにお付き合いできるほど現状に余裕がないので、諦めて下さい。今こうして話をしている時間にも、一体何人の治療に当たれるかをお考え頂きたい。一分一秒でも早く苦痛から救って欲しいと願っている者たちが大勢いると居るのに・・・。我々はお遊びで患者を診ているのではないのです。命が掛かっているんですよ。人の命がね」


「なッ! 貴様、侯爵令嬢に対し、無礼にも程が・・」


「やめてください! いいんです!」


男のあんまりな言い方に、激怒した隊員の一人が剣の柄に手をかけた。が、荒げた声を遮ったのは、当の本人、ミランダだ。激昂する護衛の腕にしがみついて青褪めた顔をフルフルと振り、何も言わずに隣で見ていた卓也にも首を横に振って見せた。


ムカつく言い分だが、エクターのセリフは正論だった。ミランダはキュッと唇の端を噛み締めると、オリーブたちに向かいペコリと頭を下げた。


「ごめんなさい。私の考えが至りませんでした。貴重なお時間を割かせてしまって・・・・・・。帰りますわ。ですから、どうぞお仕事にお戻りくださ・・」


「あらあら、帰ってしまわれるの? エクターはともかく、私はお手伝い大歓迎なんですけど?」


諦めると告げる彼女の言葉を途中で止めたのは、空気を読まないぽやぽやした声だ。オリーブは再びエクターに睨まれるも、どこ吹く風。紅茶色の癖っ毛を揺らして小首を傾げ、ニコニコと笑っている。


「院長!」


「あらあらあら。だって看護士が足りないんだもの。折角お手伝いをしてくれるって言うんだから、ここはお願いした方がいいんじゃない?」


「た、確かに手は足りていませんが・・・」


「でしょう? ね。じゃあ決まり。と言うわけで、ミランダ様・・・じゃダメねぇ。なんだか堅っ苦しいわ。ん~・・・あ、そうだわ! ミラさん。ミラさんにしましょう!」


一人ハイテンションでサクサクと突き進んでゆくオリーブを、その場の全員が目を点にして眺めていたが、パンパンと手を打ち鳴らされてハッと我に返った。


「はいはーい。いつまでもボーっとしていない。患者さんたちが「早く楽にしてくれ~」って待ってますよ。じゃあ、ミラさんと付き添いの方々(・・・・・・・)。お手伝いヨロシクね♪」


「院長! 何度言ったらわかるんです! その『楽』って言い方は誤解を招くからやめてください!」


「ほほほっ♪」


楽しげに笑いながら奥へと戻っていくオリーブを追いかけようとしたエクターは、一度ピタッと立ち止まると、ぐる~りと苦々しい面持ちでミランダへと振り返った。


「・・・仕方ないので許可します。しかし足手纏いならすぐに辞めて頂きますから、そのつもりで」


不承不承の体ではあるが一応手伝いを認める発言を残し、エクターは近くにいた看護士に扱き使えと指示して上司の後を追って行った。


「・・・ちゃっかりオレたちまでお手伝い要員に含めていったな。院長」


ポソッと呟くと、後ろに立っていた隊員の一人にゲンコツを落とされた。


「当然だろう。元よりそのつもりで回復術が使えるメンバーを揃えたんだ」


「そうだぞ。この中だと魔法の使えないタクヤが一番足手纏いかもな!」


過去には一緒に見習い期間を過ごした仲間たちに野次られ、卓也は一瞬ドキッとしたものの顔には出さず、普段どおりの態度で言い返した。


「何おう?! コチトラ地元じゃ『今どき珍しいガキ大将のタッちゃん』て呼ばれてんだ! 昔ッから生傷が耐えなくて、ケガの手当てなら自分の体で修練済みよ! オレの包帯を巻く腕を見せてやろうじゃねーか!」


鼻息も荒く二の腕を叩いてみせると、ミランダと他二名の隊員は同時に嘆息し(かぶり)を振った。

もっと絡まれるかと思っていた卓也は拍子抜けし、眉根を寄せて仲間たちを見回す。


「あの~・・そろそろ宜しいでしょうか?」


なぜか涙目の看護士が遠慮がちに割って入ってきたことで、状況を思い出した四人は瞬時に口を噤み、一斉によろしくお願いしますと頭を下げて彼女を怯えさせた。








 ◇ ◆ ◇



「大変よ! 4区でまた『歪』が出たんですって! 大勢のケガ人が運ばれてくるから、手の空いている人はこっちを手伝って!」


「えええっ? まだ昼前なのに今日はもう2回目よ?!」


『歪』発現の一報が入ると、病院内は突付かれた蜂の巣のように大騒ぎになった。医師と看護士は押し寄せてくるだろうケガ人の対処のために処置室へ走り、回復術師は仮眠室から引っ張り出される。


「ごめんなさい、ミラさんたちもこっちを手伝って! 在院患者さんたちに薬湯を配るのは・・・タクヤ! タクヤにお願いするわ!」


一方的に指示を残して駆けてゆく看護士長は、ほつれた髪と目の下のクマのせいで酷い形相だ。しかしそれも当然。今日は未明と呼ばれる暗いうちに一度『歪』が現れ、影響を受けて正体を失った夜行性の獣に襲われた街の人々が、こぞって病院に押し寄せてきたらしい。

ミランダはもちろん卓也たちも夜は病院にいないため巻き込まれなかったが、今朝訪れたときもまだ騒ぎは収まっておらず、到着早々扱き使われた。


ちなみに近衛隊員たちは緊急の召集がかかり、病院関係者とは別の対処に大忙しだったのは言うまでもない。


「タクヤ! 薬湯を配り終えてガーゼを交換したら、アナタの判断で軽傷者は退院させてちょうだい!」


「いいーッ?! オレが判断するんすか?」


「そうよ、できるでしょ! じゃッ、頼んだわ!」


バタバタと走り遠ざかる後姿を唖然と見ていた卓也は、押し付けられたワゴンに乗る薬湯の入ったポットと小振りのコップに視線を移し、それを待つ患者たちにも目を向けた。


「・・・」


「ま、ボウズ。頑張れや」


松葉杖をついたゴツい男性患者に、ぽんぽんと肩を叩かれ励まされた卓也は、溜息をこぼすとポットに手を伸ばした。


卓也たちがボランティアで病院に通うようになってから3日。はじめこそ不慣れで戸惑ってばかりいたミランダも扱き使われているうちに作業にも慣れ、あっという間にサクサク対処できるようになった。

ちょっとした擦り傷や捻挫程度ならミランダや隊員たちにも処置が任され、卓也は宣言どおりプロ級の包帯技術を見せつけた。


「うえ~、これ苦ーい。もういらなーい」


頭と左腕に包帯を巻いた4,5歳ほどの男の子が、不味いと言ってカップを 突き返してきた。


「ダメだ。ちゃんと飲んでおかないと、早くよくならねーぞ!」


「お~い、兄ちゃん。こっちにも三人分頼む~」


「ちょっと! そんなにノロノロ配ってたら、最後はさめて冷たくなっちゃうじゃないの!」


一人に(かま)けていると、彼方此方から催促の矢が飛んでくる。


「ンナこと言ったってオレ一人じゃ限度があるんだよ! 何ならケガの軽いヤツはこっちに取りに来て、飲んだらそのまま退院してくれ」


てんやわんやの大騒ぎの果てに何とか薬湯を配り終え、軽傷者にも退院を勧められた卓也は、空になったポットとワゴンを片付けようと厨房に向かう途中、すっぽりと外套のフードを被り、廊下に座り込んでいる男に気がついた。

投げ出している足にほ長年履き慣らしたと推測できる皮製のブーツなことから、たまたま王都に立ち寄った際『歪』の騒ぎに巻き込まれた旅人だろうとあたりをつけ、卓也は正面にしゃがんで声をかけた。


「どうしたんだ、アンタ。薬湯もらい損ねたのか?」


俯いたままで返事をしない男の様子が気になり、卓也はそろ~とフードの中を覗き込んだ。


「! お前は・・ッ」


かち合った男の目は不気味に笑っていた。咄嗟に飛び退き身構えると、相手もユラリと揺れながら立ち上がった。


「ふふふ・・久しいな、タクヤ・アオヤマ」


ゆっくりとした動作でフードをはずすと、露になった顔は紛れもなく・・・


「グウェン・・。てめぇ、こんな所まで・・・ッ」


「くくく・・、こんな所? キミが待ち合わせに選んでくれたんじゃなかったのか? わざわざミランダ様まで呼び寄せてくれた」


「!」


卓也は左腰に手をやるも、すぐに思い直しその手を引いた。こんな狭い場所で長剣は、逆に不利になる。渾身丸は使えない。

仕方なく上着で隠してあった背後の戦闘用ナイフを取り出すと、その切っ先を宿敵に向け牽制した。


「おい! チハはどうした? 一緒に行動してるって聞いたぞ」


視線だけで周囲をうかがう。ここには腕を組んで余裕の笑みを浮かべるグウェンだけで、千早の姿が見えない。・・・? いや、ヤツに気をとられて気付けずにいたが、どうも様子がおかしい。

静か過ぎる。

薬湯を配り歩いている時は患者たちがギャーギャーと騒いで喧しかったが、今は誰もいない廃屋に迷い込んだかのように、全く物音がしない。


「・・・何をした?」


睨みつける双眸を眇め、何をしたのかと詰問する。が、グウェンは楽しそうに微笑んだままで肩をすくめ、眠ってもらっただけだと言う。

魔法かと思ったが、グウェンでも大勢の入院患者を一度に眠らせるのはさすがに無理があるのではと考え、ハッとワゴンの上のポットに目を移した。


「睡眠薬か。・・・いつの間に」


「外野に騒がれても面倒なのでね」


ミランダの登場ですっかり忘れていたが、卓也自身もグウェンの標的だったのだ。


「できるだけ穏便に事を運びたい。わかるだろう? ・・さあ。友人がキミを待っている。行こう」


顔は笑っているが、その瞳の奥は氷のように冷えている。差し出された手をとらなければ、院内にいる人々がどうなるか・・・想像してゾッとした。

ほんの僅か逡巡した後に卓也はナイフをしまうと、怒気を含んだ声でグウェンに迫った。


「オレがついていけば、ミランダや病院には何もしないと約束しろ」


眼前の手をピシッと払い退け、高い位置にある胸襟を捻るように掴んで引き寄せる。

焦点が合わなくなるほどに近付いた空色の目をまっすぐに捕らえ、約束しろ繰り返し迫った。


「――――――いいだろう。キミがおとなしく従うならミランダ様にも誰にも手出しはしないし、もちろんここで『歪』を発生させるような無粋なマネもしない」


「・・・」


「約束する」


言質を取った卓也は突き飛ばすように手を離すと、顎をしゃくって案内しろと上から目線で命令した。

そんな不遜な態度にも気を悪くした様子のないグウェンは、乱れた襟元を簡単に整えた後、上着の隠しから一枚の紙片を取り出した。


「絶対に後で覚えてろよ・・」


悪態をついた途端グウェンの指先につままれた紙片が光だし、その光は紙面からスルリと飛び出すと、意思を持った生き物のように宙を舞い、二人の間に降り立った。―――と同時に足元には直径3ミグル(1m50cm)ほどの光で描かれた魔法陣が現れ、一瞬にして輝く柱を作り出す。

あっという間の出来事に成すすべなく飲み込まれた卓也たちは、光の柱が消えるとともに姿を消した。




静かな廊下に残されたのは、ポットの乗ったワゴンだけだった。








 ◇ ◆ ◇



小さい頃の夢は、思いっきり外を走ることだった。だけど小学校の中学年くらいになると、叶わない夢は見ないことにした。


『けほッ・・けほん。こんッ、こんこんこんッ・・』


一旦咳が出始めるとなかなか治まらず、苦しくて苦しくて堪らなかった。咳の合間に必死で息を吸おうとがんばるけれど、ノドの奥が重ダルくなると空気は少しずつしか入ってこなくて、視界や頭がボンヤリとしてくる。


凄く怖かった。

きっとこのまま死んじゃうんだと思ったのも一度じゃない。夜中に発作が起きたらと怯え、一睡もできずに朝が来たことも。


『大丈夫よ。絶対に治るわ』


絶対?


『元気になったら、お友達と同じように学校へ行けるようになるわよ』


いつ? お友達?


『だから今は我慢して、お家の中にいましょうね』


今は?


母親の優しい言葉に従い、毎日おとなしく良い子にしていた。なのに病気は一向に良くならず、咳に苦しめられる日々は続いた。


窓ガラス越しに眺めるだけの世界。生垣と鉄柵の向こうを、ランドセルを背負った同じ小学校の生徒が、笑顔で通るのをずっと見ていた。

同じ黄色い帽子と名札。体操着。ランドセルに挿してあるリコーダーのケースも同じ水色。全部同じに見えて、だけど一つだけ違う。

彼の道具は新品のようにピカピカのままだが、外の子どもたちの物は、みんな使い込まれて程々にくたびれていた。


『いいな・・・』


カーテンを握り締めてコッソリと隙間から覗いていると、透明のガラス一枚に隔てられたコチラとアチラが同じ世界に思えなくなる。

笑顔で駆け抜ける彼らと自分が、同じ小学生に思えなくなる。


気がつけば少年の両目からは止め処なく涙が溢れ、発作ではなく嗚咽で息が・・胸が苦しかった。






「だから、引っ越した先で、タッちゃんがすぐに友達になってくれて、スゴク嬉しかったな・・」


誰もいない、ひやりと冷たい土壁に囲まれた空間で独り言つ。千早は思い出に耽りながらせっせと術を編んでいた。

足元には赤い光で描かれた巨大な魔方陣。部屋の四方の角には、膨大な魔力を更に増幅させるために仕掛けた水晶のカケラが、ランプの明かりをキラキラと反射させている。


ここは『歪』の出現と黒剣士の襲来のせいで荒らされた街の一角、いつもトリップするときに利用している空き家の地下室だ。現在はほとんどの街人は非難してしまっているためにゴーストタウン状態で、指名手配されている千早でも、見咎められることなくすんなりと侵入できた。一応術師によって立ち入りを禁じるための魔法を施されて入るのだが、師長(ログロワーズ)に魔法の全てを叩き込まれた千早には、何の障害にもならなかった。


グウェンが卓也を迎えに行っている間に、一人で準備を整える。決して不備があってはいけない。なぜなら華々しいフィナーレを飾れるかどうか、千早の腕に掛かっているから。

少年少女五人にとって・・ううん、厳密には卓也と千早にとって、トリップしてから今日のこの日、この時までの時間全部が、ここに(いざな)われた理由であり、最後の幕引きまでがシナリオの範囲なのだ。

千早はともかく、卓也においては使命を背負わされていたことも、気付かないうちに使命を全うしていたことも知らない。だから役目を終えた自分たちがこれからどうなるのかも、当然知らされていない。


一人全てを知る千早は、大変なことを押し付けられたと神様を恨んだこともあったが、今ではもう文句はない。

ヴェクセリオで過ごした12年、触れ合った人々は皆んな良い人ばかりだし、楽しいことも嬉しいこともいっぱいあった。困難もあったが、すばらしい経験だったと思う。

この体験を誰にも話して聞かせられないのは惜しいけど、卓也たちの中に蓄積されたヴェクセリオでの時間は、とても貴重で有意義なものだから。


「さて・・これで準備はOKだ。きっとそろそろタッちゃんたち(・・)も来るはず」


力仕事をしたわけではないが、パンパンと手を叩く。グルリと広大な空間を見渡し、完璧に仕掛けられた満足のいく準備に、ホッと息を吐いた。

張り巡らせた術の一つ一つには、大切な友人たちへの・・とりわけ卓也への多大な親愛と感謝の気持ちが込められている。自分に持病がなかったら、引っ越して来なかったら、卓也たちに会わなかったら、友人として受け入れてもらえていなかったら・・・いろいろな偶然や運命が折り重なって今の千早があり、そして異世界トリップなんて夢のような経験がめぐってきたのだ。


欲を言えば、もっともっとずーっと続けばよかったけれど、なんにでも終わりは来るのだから仕方がない。だから最後だけは自分の思い描いた演出で、サヨナラがしたかった。


「・・・楽しかったな」


楽しかった。本当に楽しかった。

千早はふんわり微笑むと、物語のクライマックスに向かうべく、出迎えのために部屋を後にした。








◇ ◆ ◇



一瞬で目の前が光に包まれ、驚きと眩しさにぎゅっと瞼を閉じた。


「着いたぞ」


グウェンの声に目を開けると、そこは病院の廊下ではなく、街の中・・一軒の民家の前だった。


「ここは・・・」


「そうだ。キミたちの拠点なんだそうだな」


固まったままの卓也に構わず、グウェンはドアノブに手をかける。聞きなれた軋む音を響かせ、ドアはいつも通り卓也を迎えた。


「なんでお前がここを・・?」


卓也たち五人が、地球と言う異世界から渡ってきていることを知る者は多い。だが、その渡航方法や拠点まで知っているのは、ログロワーズや総隊長のアドルフォン、もちろんダルバン王も然りだが、とにかく極少数だ。

なぜなら、この場所を破壊されると行き来できなくなるかもしれないし、地球に渡ろうと考えるヴェクセリオの人間がいないとは言い切れないからだ。

だからこの場所は秘密にしなければならないと、大人たちに念を押されていた。なのに・・・


「――――――チハか・・」


落胆し、力なく呟く。彼が敵側に回ったと知ってはいても、その事実を突き付けられるのは正直ツラい。それでもまだ心の片隅で、ないか特別な理由があって仕方なくグウェンと行動しているのだと思いたい部分が残っている。

のろのろと後に続いて家の中に入ると、千早がテーブルに頬杖をつきニコニコと笑顔で卓也を迎えた。


「タッちゃん、待ってたよ。久しぶりだね」


「チハ・・お前・・・ッ」


こんなにあっさり会えると予想していなかった卓也は、グウェンを力任せに押し退けて千早に駆け寄ると、些か乱暴に細い両肩をガッシと掴んだ。


「どういうことだ! お前は何を考えてる?!」


「痛ッ!」


指先に力が入りすぎたのか、千早は痛みに顔を顰めた。ハッと我に返り手を離すと、彼は苦笑いしながら肩をさすっている。


「相変わらずタッちゃんは力が強いなぁ」


痛い思いをしたと言うのに、満足そうに微笑む友人に、卓也は訝しげな視線を向けた。


そもそも一体何がしたくて卓也を連れてきたのか。壁際で腕組みをして傍観するグウェンを振り返ると、ヤツはひょいっと肩をすくめるだけ。もう一度千早に目線を戻して理由を迫ると、彼はもう少し待つように言い、自身の向かい側の椅子を勧めてきた。


「まだ全員揃ってないんだ。だからそれまで、お茶でもどう?」


ティーポットとソーサーに乗ったカップが数客。お茶をと勧められてももちろん電気ポットがあるわけじゃないし、使われていない竈には火種の一つもない。これから湯を沸かすのかと気が遠くなりそうだったが、副魔じゅ・・()副魔術師長は至極当然に魔法で熱湯を作り出した。

コポコポコポとポットの底から湯が湧き出し、あっという間に満たされた。そんな様子を眺めつつ椅子に腰を下ろすと、壁に凭れていたグウェンがテーブルに寄り、手ずからカップにお茶を注ぎだした。


「どうぞ。・・と言ってもすぐに皆んな、到着すると思うけど」


カップを持ち上げ口元に運ぶ。一口啜ると、口中に覚えのある香りが充満した。


「・・・ルイボスティー?」


前に、母親が愛飲しているお茶を盗み飲みしたときの味がした。わざわざ取り寄せているのだから勝手に飲むなと怒られた記憶がある。


さりげなくカップを遠ざけると、頬杖をついて向き合った千早を睨みつける。彼は困ったように笑っているが、やはり全員が揃わないと口を開かないつもりらしい。だが、


「どうしてヤツと組んだんだ?」


グウェンについたわけを訊くと、丁度よかったからだと答えた。


「彼ほどの適任者はいなかったんだ。剣の腕が立つし、魔力もかなり大きい。そのうえ罪人として指名手配されているし、生家に勘当されているからご両親にもたいした迷惑は掛からない。それにね、タッちゃんと個人的な因縁があるところも、彼を選んだ理由かな」


「オレ・・?」


「うん。だってタッちゃん、優しいんだもん」


わけのわからない返答に、卓也は首を傾げた。

特別優しくもないと返すと千早は首を横に振り、もう一度同じセリフを繰り返す。


「優しいよ。優しすぎる。悪感情を持った相手じゃないと、ちゃんと戦えないでしょ? だから。これからボクがやろうとしていることも、知ったらきっと止められるんじゃないかと思ってる」


「そう思ってんならやめとけよ」


戦うと言うところに引っ掛りを感じはしたが、訊ねても多分教えてくれないだろうと予想し、今は横に置いておく。何をするつもりかはわからないけれど、寂しそうな笑顔を浮かべる千早に、卓也は胸騒ぎを覚えた。


「ううん。ダメ。これはボクに課せられた使命だから。――――――ね、タッちゃん。一つだけどうしてもお願いしたいことがあるんだ」


「・・・なんだよ?」


「あのね、・・・絶対に躊躇わないで欲しい。ボクたちには絶対に避けられない運命が待ってるけど、迷わないで欲しいんだ」


「?」


ますます眉間のシワを深くする卓也に、千早はテーブルの上に身を乗り出して念を押した。


「約束して」


「・・・」


「タッちゃん」


真剣な表情に渋々ながらも頷くと、ほんの僅か口角を上げて体を引いた。


「チハ・・」


「あ、来たみたいだ。タッちゃん。ゲストが揃ったよ」


先に立ち上がった千早に行こうと急かされ、卓也もその後に続く。ドアの前で腕を組んだまま動かないグウェンの前を通り過ぎようとしたとき、囁くような声が頭上から降ってきた。


「今回ははじめから全力でいかせてもらう。キミもそのつもりで」


「グウェン?」


足を止めて見上げる卓也に一瞬笑みを見せた彼は、そのままスルリと千早の後を追いかけて部屋を出て行った。


薄暗い部屋に一人取り残され、四角く切り取られた外界の光を見つめる卓也の瞳は、言い知れない不安で占められていた。








 ◇ ◆ ◇



「ち、千早クン?! ちょっと卓也! なんで千早クンと一緒にいるのッ? 一体なんの用であたしたちを呼びつけたのよ?!」


千早たちの後の続いて外に出ると、家の前には白衣姿のマリモ、作業服に皮製のグローブをつけた浩司、首に手ぬぐいを巻いた陽一朗。それと、なぜかセオの姿があった。

しかもマリモはかなりご立腹の様子で、卓也の顔を見つけるなり胸倉を掴み、ガクガク揺さぶりながら質問攻めにした。


「ぐぁっ、やめろ! ちょっと、まずは離せ! ・・・ッたく、用なんかねーし、そもそもオレは呼んじゃいねー・・・」


言い掛かりだと言おうとして、すぐさま口を噤む。確か千早がすぐに皆も来ると・・ゲストが揃ったと言っていたのを思い出した。

クルリと振り返り彼を見ると、見慣れた愛らしい顔に、真意の読めない空っぽの笑顔を貼り付けていた。


「チハ、お前か? こいつらを呼ぶのにオレの名前を使ったのか?」


「うん。だってボクが呼んだってわかったら、近衛にも連絡が行っちゃうかもしれないからね」


だからこっそりセオに連れてきてもらったと飄々と告げられ、卓也は弾かれたように件の人物に振り返った。


「セオ・・・アンタもチハとグウェンの側だったのか?」


暗に敵だったのかと問うと、彼は何も言わず、ただほんの少しだけ微笑んで見せた。


「おい、卓也! さっきから何なんだよ! おれにはサッパリわかんねー。ちゃんと説明してくれよ!」


状況やこの場に揃った人物の相関図を理解していない浩司が、痺れを切らして騒ぎ出した。


「そうよ! 千早クンは行方不明だって聞いてたのに! セオさんはセオさんで、卓也が大変だって真剣な顔して、強引にこんな所へ引っ張ってくるし」


「おれらだって暇じゃねーんだぜ! 用があるのなら早くしてくれよ。じゃなかったら、とっとと帰してくれ」


「ピーチクパーチクうるせぇ! オレだって連れられてきたクチなんだよ。文句はチハに言ってくれ!」


ぎゃいぎゃいと三人で言い合っていると、視界の隅で一人会話に混じらなかった陽一朗が、友人たちの口ゲンカをどこか楽しそうに眺める千早に近寄っていった。


「岡部クン・・・」


物言いたげな陽一朗の様子に、千早は苦笑している。彼は敏い。糸のような細い双眸で、どこまで見通しているのか、いつも誰にも予想できない。だが、互いに言葉のないまま向き合っている二人の間に、唐突に背の高い人影が割って入った。


「残念だが、感動の再会はここまでだ」


些か乱暴に陽一朗と千早の間に割り込むと、ぽっちゃりとした少年を突き放し、グウェンは呪文を唱えて氷塊を出現させた。


「さあ、タクヤ! 前回の続きをしよう! 決着の時だ!」


突き出した氷塊が赤く光りだす。と、中央から何本もの紐状の影が伸び、地に到達するや否や影は蹲った姿勢の人の形に変わった。

ゆっくりと彼らは立ち上がり、顔を上げる。黒い仮面をつけた、黒装束の剣士たち。


卓也の表情が一瞬で険しいものに変化した。

剣士たちから漂い出る殺気にも似た不穏な気配に、卓也はマリモたちを下がらせると、瞬時に渾身丸を抜いて構えた。


「グウェン! てめぇ!!」


「キミは忘れてないか? ここに連れてきた目的はチハヤの依頼であり、邪魔者のいない場所でキミと決着をつけるためだからだ」


いくぞ! と言うなり、黒剣士が一斉に動き始める。それぞれが腰に佩いている剣を抜き、一気に襲い掛かってきた。


「クソッ! 浩司! なんか防御のマジックアイテムを持ってねーか!」


「ああ?! んな都合のいいモンが・・・。! ある!!」


ゴソゴソと作業着のポケットを探ると、浩司は小さな物を掴み出した。


「ちゃちゃらちゃっちゃちゃ~ん! ・・って言ってる場合か! コレ! コレッ! 魔法・物理、両攻撃に対して効力を発揮する【ウィンド・シールド】・・・の試作品!」


ハイハイと指輪型のアイテムを陽一朗とマリモ、それと自分の指に嵌め、卓也に向かってビシッと親指を立てて見せた。


「バッカやろー! お前らだけかよ?! オレのは? オレの分はねーのかッ?」


「・・・あ」


次々と斬りかかって来る剣士たちの刃を払い退けながら浩司と話していたが、マヌケな声にマジックアイテムの助けが望めないと知ると、意識を敵に集中させることに切り替えた。


キィン! ガキ・・ン! シャリンッ!


金属同士のぶつかり合う音が、半壊の街中に響き渡る。 広い場所での戦いが不利だと悟り、卓也は隙を見て走り出した。


「卓也!」


追いかけてくる剣士たちを振り向いて確認すると、彼は子どもの体格を利用し、スルリと建物と建物の間の小路に入り込む。太陽の光が遮られた薄暗い路地裏は、黒剣士が一列に並び卓也を追い詰めた。


「もう後ろが無いぞ。どうするつもりだ? タクヤ」


いつの間にか屋根の上って様子を窺い見下ろしていたグウェンが、勝ち誇ったように笑みを浮かべている。


「まだまだだ! 勝負は最後までわかんないもんだぜ!」


そう叫ぶなり卓也は渾身丸の柄を捻って文様を合わせると、バットを振る要領で大きく剣を振り抜いた。


「いっっっけぇぇぇ! 渾身丸ッ!」


バリバリバリッと、大気を劈く爆音が轟き、周囲に黄色い閃光が走る。黄金色の竜が切っ先から躍り出ると、縦一列に並んだ剣士どもに向かって疾駆した。


「!」


一瞬だった。

雷の竜は黒剣士すべてを焼き尽くすと、そのまま空に向かって駆け上がり、天に浮かぶ雲の間に姿を消した。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・」


あっという間に勝負はつき、先ほどまでの喧騒が嘘のように静かになる。額と顎を伝った汗を袖口で拭うと、卓也は小路から出た。


「よう、グウェン! アンタの木偶人形たちは片付いちまったぜ。どうするよ? さっさと白旗振った方が賢くねーか?」


挑発的な笑みを浮かべ、卓也はグウェンに降参を促す。実際には今の攻撃でHP・・体力がごっそりと持っていかれ、立っているだけでも辛い。

渾身丸の力を最大で放出すると、かなりの負担が掛かる。魔力のない卓也はMPが削られることはないが、体は疲れきってヘトヘトだ。

しかし疲弊して小刻みに震えそうな膝にグッと力を込め、屋根の上のヤツを睨むように見上げた。


「くくくっ・・」


逆光となったシルエットがクスクスと笑いだす。


「元より傀儡如きでキミを倒せるなどと思ってはいな・・ッ!」


「!」


パンッ・・と音を立てて、突然グウェンの手のひらの上でなにかが破裂した。

下から見上げていた卓也には何が起きたのかわからなかったが、溶けた氷のカケラが水の粒になって降り注いでくると、状況を察し周囲をキョロキョロと見回した。


「タクヤーッ! 氷塊は壊したー! もう『歪』の心配はないぞー!」


通りを挟んだ向こうの、建物の二階窓にロドの姿がある。その隣にはディランが腕を伸ばした姿勢でいることから、実際に魔法で氷塊を狙撃したのは彼だろう。


「やってくれる。・・少々油断したな」


だが、と彼は再び卓也に視線を戻すと、笑いながら剣の柄に手をやる。


「本当の勝負はコレから・・だッ!!」


宣言するなりグウェンは抜刀し、屋根の上から飛び降りた。


「はああああああああああああッ!!」


真上から勢いをつけて振り下ろされる剣を、卓也は咄嗟に愛刀で受け止めた。ギィィィン!!と鼓膜が痛むほどの金属音が、柄を通して手のひら、腕、肩にも振動し、どんなに鍛えてあるとはいえ子どもの体には衝撃が強く、両腕を駆け抜けた鋭い痛みに、卓也は顔を顰めて呻き声をもらした。 


「くぅッ・・」


「辛そうだな。タクヤ」


「・・ハッ! どこが! オレはまだまだ余裕だ・・・ぜッ!」


渾身の力でグウェンの剣を押し退けると、今度は卓也から斬りかかる。大きく踏み込んで間合いを詰め、ヤツの左脇腹から右肩へと両断を試みた。――――――が、


「甘い!」


あっさりと叩き落される。そのうえ低い位置から喉元めがけて、剣先が鋭く迫る。咄嗟に首を横に倒して難を逃れたが、耳たぶの端が僅かに掠りピリッと痛みを感じた。


「ッぶね・・」


粗いアスファルト舗装の道路以上に凸凹した石畳の上を転がって、グウェンから距離をとる。回避できなかったら喉仏を真っ二つにされていただろう。


「惜しいな」


「ぬかせ!」


剣を構えた姿勢で、ジリ・・ジリ・・と靴底をにじる。ピンと張り詰めた空気の中、物音どころか呼吸することすら躊躇われる。

いつ動くのか、どちらから仕掛けるのかと互いに探り合っていたが、コツン・・とグウェンの踵に小石が当たったのを合図に、二人は地面を蹴り一気に間合いを詰めた。








 ◇ ◆ ◇



姿は見えないが、引っ切り無しに衝撃音が響いてくる。


「卓也は大丈夫かしら?」


建物の向こうでモワッと粉塵の煙が舞上がるのを見上げ、マリモが心配そうに呟く。


「大丈夫に決まってんだろッ。さっきだって渾身丸の雷竜が空に上っていったじゃないか!」


だから大丈夫なのだと、浩司は怒ったような口調で断言した。


畑での仕事中、一緒に来て欲しいとセオに頼まれたのはほんの1時間ほど前だ。悲壮感さえ感じるほどの真摯な面持ちで懇願され、断ることができなかった。

農場をグルリと取り囲むように張り巡らせた浩司特製の獣避けフェンスまで来ると、木陰を作る大木の下、気が置けない幼馴染の二人が陽一朗を見つけ、手を振っていた。


「浩司たちもか。一体何があるんだ?」


被っていた藁帽子を枝に引っ掛けて、手ぬぐいで首筋を拭う。途端マリモと浩司は顔を顰め、「「おっさんクサ~イ」」と非難した。

ヒドイなぁと笑いながら再度訊ねるが、二人は理由を教えられないままについて来たと言う。ならば当の本人に訊こうと彼を振り返れば、これから向かう場所にちゃんと説明してくれる者がいるからとかわされたのだ。

セオに連れられて閑散とした街へ来てみれば、行方がわからなくなっているはずの千早がいることに内心驚かされた。そればかりか卓也までもが揃っており、見覚えのない青年との戦いが始まってこの場から離れると、後を追おうとした浩司を千早は引き止めた。


黙って様子を見ていた陽一朗は、タイミングを見極め、衝撃音が轟く方向を真剣な表情で見つめる、訳知りらしい二人に向き直った。


「そろそろ俺たちにも話してくれないかな? 岡部クン」


「・・・」


いったんは陽一朗へ顔を向け口を開きかけた千早だが、何かを捜すように目線をうろつかせ、結局いい言葉が見つからないのか、唇をかんだまま黙っている。

そんな様子の友人に代わり、横から別の声が割って入った。


「私から説明しましょう。・・千早さんには言い難いこともあるでしょうから」


視線で了承を請うと、少年はコクンと頷いた。

セオは、住人が避難して空っぽになった家の玄関先の石段に腰を下ろすと、遠い目をして語りだした。


「そうですね。まずは、そもそも何故アナタ方がここ、ヴェクセリオに呼ばれたのか・・から」






「ここヴェクセリオは、端的に言ってしまえば、もう一つのアナタ方の世界なんです。・・ああ、これでは解り難いですね。もっと砕いて説明すると、ヴェクセリオとそちらの世界は、存在する次元こそ違えど、双子のような世界なのです」


「双子?」


意味がわからず眉間にシワを寄せる三人に、セオは微苦笑した。


「ええ。そちらの世界・・長ったらしいので、とりあえず『地球』と呼ばせていただきますね。・・・地球とヴェクセリオは、似た条件、似た環境、似た切っ掛けのもと、同じ日の同じ時刻、同じ地軸に誕生しました。そして似たような進化、発展の途を辿ってきたのです」


「え、でも・・あたしたちの文化とここでは、ぜんぜん発展の速度が違うわ。それに魔法なんて物語の中にしか存在しないし・・・」


首を傾げるマリモの隣で、浩司もうんうんと頷いている。


「そうでしょうね。でもそれは当然です。だって双子として生まれた兄弟姉妹だって、同じ家庭で育てられても全く同一の人間じゃない。一見そっくりに見えても、一人一人個性が生じ、好みが違い、性格が違ってくる。・・・世界も同じです。そっくりに誕生して、そっくりな環境におかれても、流れる時間は全く同じものじゃない」


だから現在の文明・文化や特性に差があるのだと言う。


「二つの世界は、次元さえ取っ払ってしまえばピッタリと重なってしまう位置に存在しているのです。そのため思わぬ弊害が現れました」


初めてソレ(・・)が起こったのは、ずっとずーっと昔。地球でもヴェクセリオでもまだ人は存在していなかった。


「ソレって・・?」


「共鳴・・と言えばいいのでしょうか。あまりにも似すぎているため、次元を越えて影響し合ってしまうのです。・・・最初の段階では地が揺れ始めました」


「地震ってことか?」


「はい。ですが地震は地面だけが揺れますが、共鳴による揺れは、地だけに留まりません」


初期は感じ取れないほど微弱な地揺れが、次第に大きくなり、やがて大気さえも振動する。世界全体が振るえ、ねじれ、やがては剥がれ落ちて崩れ去る。


「・・・どうしてそんな結末だと言いきれるの? もしかしたら自然に治まって・・」


「いいえ。いったん始まれば決して自然には治らない。世界だって人と同じなんです。放って置いても治るケガや病もありますが、治療なくしては治らないものもある。患っている間はとても苦しくてツラく、いっそこのまま滅んでしまったなら、楽になれるかもしれない・・・そう考えてしまうほど・・・」


陽一朗たちは違和感を覚えた。さっきまでは第三者的な説明だったセオの口調が、突然主観的なものに変化したからだ。

しかも変化したのは話し方だけではなく、彼の外観が少しずつ変わってゆく。


「セ、セオ・・さん?」


狼狽える少年少女たちを尻目に、セオの長い金色の髪はすっかり鮮やかな緑色に変わり、ごく普通の肌の色だった顔や手も、徐々に色が抜けて紙のように真っ白に変化した。

一つにまとめていた髪を解き軽く首を振ると、パサッと音を立てて一瞬で脹脛ほどまで伸びた。


「だ、だ、だ、だ、誰だ?! アンタ、セオさんじゃなかったのか?!」


慌てふためく浩司に、薄く笑うセオ。マリモはすでにいっぱいいっぱいのようで、ポカンと口を開けたまま声も出ない様子だ。

唯一冷静さを欠かなかった陽一朗は、セオではなく千早に話しかけた。


「岡部クン。セオさんは人間じゃないんだね。この方の正体は・・」


「うん。セオの本当の名前はセリオ。ヴェク(統べる)セリオ。・・・この世界そのもの、ううん、簡単に言うなら『神様』だね」


「「!」」


予想通りの答をもらった陽一朗に反し、マリモと浩司は驚愕に目を丸くした。特にマリモは、診療所で共に働いてきた仲間が神だと知り、ヘナヘナとその場にへたり込んだ。


気持ちが昂ぶり過ぎて変身が解けてしまったセオに代わり、今度は千早が続きを話し始めた。


「とにかく。初めての危機のときは、かなり滅亡ギリギリまでいったらしいんだ。その時ありとあらゆる手段を考え、試し、やっと見つけた対処法が・・・・・・ヴェクセリオと異世界を繋ぐ方法だった」


「繋ぐ?」


「そう。榎木クンたちも知っている通り、地球の彼方此方に、ヴェクセリオに渡るための合言葉を散らして待っていた。異界渡りの素質を・・ヴェクセリオを救える者の来訪を心待ちにして」


「そうか・・。あの文字を読める者が救世主なんだね」


選ばれたのは千早だった。だからこそ強大すぎるほどに魔力が強く、ログロワーズもすぐにその存在を見つけられた。

なるほどと納得して陽一朗が頷いていたが、ふと疑問が頭の片隅を過ぎった。


「岡部クン。もしかして・・」


「うん。残念だけど、ヴェクセリオに選ばれたのはボクじゃない。今回(・・)は祝詞の読める者=救世主じゃないんだ。・・・ボクはただの扉係。世界を救うのは・・勇者は・・・」


泣いているように笑う。そして千早は突然立ち上がると、何も言わずに卓也たちがいると思われる、土埃が舞い上がる方向へと走り出した。


「岡部ッ?!」


「千早クン!!」


二人の声が聞こえたはずなのに、彼は振り向くことも立ち止まることもなく、そのまま姿を消してしまった。


「なんで・・・?」


「行かせてあげてください。チハヤには考えがあり、どうしてもやり遂げたいことがあるのです」


追い掛けようとした子どもたちを引き止めたのはセオだ。彼は千早が走り去った方角を見つめたまま、話の続きは自分が引き継ぐと言った。


「・・・ヴェクセリオの共振を止め、この世界を救ったのはタクヤです」


本人はその事実を全く知らないが。

卓也の存在は上手く共鳴を抑え込んだ。セオやログロワーズにわざわざ訊かずとも、まだこの世界に来たばかりで何にも知らなかった千早にさえ、ハッキリと計画の成功を感じ取れたほどに。なぜなら、日に日に地震の回数は減り、その大きさも体感してわかるほどに小さなものになっていったから。


「共鳴が完全に治まった時点で、タクヤを、アナタたちを地球に帰すべきでした。だけどチハヤは、どうしても未練があってできませんでした。皆と過ごす異世界での生活はとても楽しくて満たされていて、失いたくなかったそうです。・・・・・・そんな彼の迷いが『歪』の発現に繋がってしまったのですが・・・」


言わば、副作用だ。卓也という特効薬(・・・)は、効力が強すぎた。

共振は抑えたが、今度はヴェクセリオそのものに、『歪』という形で影響し始めた。このまま放置すると歪みはどんどん酷くなり、結果的にこの世界は―――――――――崩壊する。


「崩壊って・・・そうなったら、今ここにいるおれたちはどうなるんだよッ?」


アンタ、神様なんだろう?!と、噛み付く勢いで浩司が問い詰めるが、セオは瞑目して首を横に振った。


「どうにもなりません。何もしてあげられない。なぜなら、ヴェクセリオの崩壊は私自身の『死』だからです」


「「「ッ!」」」


あまりの衝撃に、三人は言葉を失った。―――が、ややあって正気を取り戻した陽一朗が、あることに気がついた。


「俺たちが元の世界に帰ればいいんじゃないですか? 帰り、そして通路を・・扉を塞ぐ。ヴェクセリオとの繋がりを断絶すれば、歪みもゆっくりと正常へ向かうのでは?」


陽一朗の読みは的を射ていた。

三人の縋るような視線をまっすぐに受け、セオは首肯する。そう、まだ手遅れじゃない。


「帰れる・・の?」


「ああ、大丈夫だ。みんなで帰ろう」


涙を浮かべて見つめてくるマリモの頭を、陽一朗は優しく撫でた。

ホッと安堵の息をついた浩司が、さっそく卓也たちを呼びに行こうと提案するが、それに難色を示したのはセオだった。


「何だよ? おれらが帰れば全て解決だろ?」


不愉快そうに眉間を寄せた浩司に、セオは愁いを浮かべた表情で、「実は・・」と口を開きかけ――――――・・・


ドガァァァン! バリッ! メキメキメキ・・!


一際大きな破壊音が響き渡り、二つほど通りをはさんだ向こう側に、家々を壊しながら巨大な影が現れた。

巻き上げられた粉塵や瓦礫が、陽一朗たちの上にも落下してくる。


「キャーッ!」


「!! 何だアレは?!」


身の丈は軽く30メートルを超えている。逆光のためか真っ黒なシルエットでしか見えないが、表面はゴツゴツと隆起し、まるで動く岩山のようだ。


「まさか、アレは・・・」


大きさの割りに動作が早く、俊敏に身を翻す。岩山のようなソレが体勢を変えるごとに、ズシーン・・ズシーン・・と地面が響き、振動が足元からビリビリと全身に伝わった。

ヴェクセリオが魔法の世界である以上、RPGに登場するようなモンスターがいてもおかしくないと思っていたが、こんなにも間近で見上げることになろうとは想像さえしなかった。


ゴーレム。


巨大な岩石の拳を振り上げ、何かに向かって振り下ろす。


ドゴォォォン!! 


激しい衝撃に地震が起こり、一同は地面にしがみつくように蹲る。懸命に体を支え、見上げた先に映ったのものは・・・・・・ 

ゴーレムの右肩に乗る人物。それは遠目ながらもハッキリとわかる、友人の姿だった。


「・・・岡部クン?」








 ◇ ◆ ◇



卓也は信じられない思いで、自分を見下ろす千早を見上げた。


「どうしたの、タッちゃん。そんなにボンヤリしてると死んじゃうよ?」


微笑を浮かべ、愛らしく小首を傾げる。しかし千早の可愛いしぐさに反し、ゴーレムは卓也が立つすぐ隣に力いっぱい足を踏み込んだ。


「グッ・・わあああああッ!!」


もの凄い地鳴りと衝撃波が、容赦なく卓也を襲う。

両足を踏ん張り必死で突風に抗ったが、努力の甲斐なくあっさりと猛風に吹き飛ばされた。


「が、はああッ!」


レンガ造りの家壁に勢いよくぶつかり、悲鳴がこぼれる。強打した際に擦ってしまったのか、右肘と右のこめかみからは血が滲み、利き手は酷く痺れて、剣を持っていられない。


「クソッ!」


左手の甲でこめかみの血を拭う。思ったよりも流血しているらしく、目に入り視界が悪くなった。






さっきまで卓也はグウェンと戦っていた。途中、近衛の仲間が駆けつけて手を貸してくれたおかげで、なんとかヤツを倒すことができた。―――――――――そう、グウェンとの決着はついたのだ。だが、正直なところ、卓也の気持ちは沈んでいた。なぜなら彼が最後に(※ 死んでません)告げたセリフが、卓也の心に留まっているから。


『ワタシはミランダ様を貶めたいわけではなかった。ただ、幼い弟君に家督を奪われる・・その理不尽さに気が付いて欲しかっただけだ。女人だから、長男ではないからと蔑ろにされることに我慢ができず、結果、少女の心を傷つけてしまった』


ミランダに向けていた冷たい態度やセリフの数々は、全て彼女を奮起させたいがためのものだったという。

最後には、謝っていたと伝えて欲しい。・・・後悔をにじませ苦々しい笑みを浮かべたグウェンに、そう言伝を頼まれた。


ハア、ハア、と上がった呼吸を落ち着かせ、頬を伝って落ちてきた汗を手のひらで拭う。消化しきれない気持ちを持て余し、卓也は空を仰ぐ。・・・そんな時、()は軽く息を弾ませて現れた。


「タッちゃん」


「チハ・・」


言いたいことはいっぱいある。だけどグウェンが倒れた今、すべては地球に帰ってからでもいいと考えた。

卓也は強張らせていた目元を優しいものに変え、静かに手を差し伸べた。


「チハ、帰ろう。文句も含めて言いたいことは沢山あるけど、こんだけ壊しまくっちゃったからな。今ここで話し込んでると、大人たちに怒られそうだ」


最後の最後まで始末書だけは勘弁して欲しい。

早くズラカろーぜ!と、卓也は千早に手を差し出して催促した。


「タッちゃ・・。ゴメン。ボク・・・・・・・」


俯いて両肩を小刻みに震わせる千早に、卓也はカラリと笑った。


「バカだな。泣くなよ。謝んなくていいから、さっさと帰っちまおう」


「ちが・・・ボク・・ボクは・・」


「チハ?」


口元を手で覆い、下を向いたまま顔を見せようとしない千早に、なにか引っ掛かるものを感じた卓也は、再び友人の名前を呼んだ。


「・・・ぷ、ふ・・ふふふッ。~~~~~~あーダメ。もう我慢できない!」


開き直ったように顔を上げ、千早はくすくすと笑う。何がそんなにおかしいのかわからない卓也は、ポカンと傍観してしまった。


「チハ、なぜ笑う?」


訝しむ卓也とは逆に、千早は満面の笑みを浮かべている。


「嬉しいんだ。タッちゃんがスゴく強くて。やっぱりボクのヒーローはタッちゃんしかいないって、よくわかったよ!」


「チ・・」


「だからね、――――――――――――遠慮はしない。今回は最初から全力でいかせてもらうよ」


一瞬で笑顔が消え去ると、人形のような無表情の千早は、聞き取れないほどの早口で詠唱を唱えた。


「な・・ッ」


ゴウンゴウンと地面が不穏な音を発する。と同時に千早の足元が見る見るうちに盛り上がってゆき、道路も民家も全て巻き込み、巨大な人型を造り出した。

見覚えのある巨体。いや、以前戦ったヤツよりも、数倍は大きく数十倍も強そうだ。


「ゴーレム。・・・まさかあの時のゴーレムも・・?」


驚愕に顔色を失くした卓也に、ゴーレムの肩に腰掛けた千早は、うっすらと微笑んで頷いた。


「あれはテストだったんだ。ちゃんと動くゴーレムが造れるか試したかったから。でもタッちゃんと戦ったおかげで機動性とか諸々の調整ができた。ありがとう」


千早は嬉しそうにお礼を言いながら、ゴーレムに攻撃の命令を出した。


「さあ! タッちゃん。戦って! ゴーレムを・・ボクを倒して! タッちゃんが最強の正義の味方だってみんなに教えてあげるんだ!」


ビュウッ・・と空を切る音がして拳が落とされる。慌てて横に飛び退くと、元いた場所、鼻先数センチの先に大きな穴が穿たれた。


「ッ!!」


ゾッと背筋が冷たくなる。

急いで体勢を立て直すと、見計らったように次々と攻撃が繰り出された。

彼は本気だ・・・卓也は信じられない思いで、自分を見下ろす千早を見上げた。


「どうしたの、タッちゃん。そんなにボンヤリしてると死んじゃうよ?」


微笑を浮かべ、愛らしく小首を傾げる。しかし千早の可愛いしぐさに反し、ゴーレムは卓也が立つすぐ隣に力いっぱい足を踏み込んだ。


「グッ・・わあああああッ!!」


もの凄い地鳴りと衝撃波が、容赦なく卓也を襲う。

両足を踏ん張り必死で突風に抗ったが、努力の甲斐なくあっさりと猛風に吹き飛ばされた。


「が、はああッ!」


レンガ造りの家壁に勢いよくぶつかり、悲鳴がこぼれる。強打した際に擦ってしまったのか、右肘と右のこめかみからは血が滲み、利き手は酷く痺れて、剣を持っていられない。


「クソッ!」


左手の甲でこめかみの血を拭う。思ったよりも流血しているらしく、目に入り視界が悪くなった。


「クソッ、やめろ! チハ!」


ブウンッと唸りを上げて、横なぎに迫る岩の腕をギリギリで避けると、建物が破壊されガラガラと崩れ落ちる。続けて虫を叩き潰すがごとく天井のような平手に襲われ、すんでのところで転がり避した。


「はぁッ、はぁッ、はぁッ・・」


「も~、ダメダメ。逃げ回ってるだけじゃ、いつまでたっても勝てないよ? タッちゃんは救世主なんだから、カッコよくモンスターなんか倒しちゃってよ!」


普段の千早らしからぬ能天気なセリフに、卓也のこめかみに青筋が浮き上がる。ギリリと奥歯を噛み締めると、まだ痺れが取れない手に無理やり渾身丸を握り締め、ユラ~リと立ち上がった。


「そうかよ・・そんなにオレにやっつけられたいのかよ。・・・いいぜ。お望みどおりそのウドの大木、根元からバッサリと切り倒してやるぜ!!」


袖で瞼を汚した血を拭くと、卓也は剣を構え、襲い掛かる拳を避けながら突進した。


「はあああああッ!」


以前のゴーレムを思い出し、術師の書いた支配を示す文字を消すべく、腕を駆け上がる。が、前回とは比べ物にならないほどモンスターの動きは早く、肘辺りまで上ったところで五指が追いかけてきた。

電車ほどの大きさの指がドスン・・ドスン・・と間髪入れずに襲い掛かり、卓也の行く手を阻むが、加速し勢いのついた卓也を止めるには至らなかった。


「よっしゃぁぁぁぁぁッ! 今度こそデコ! いってやるぜぇぇぇ!」


卓也を潰そうと向かってくる指先に飛び乗り、続けて高くジャンプ! ロッククライマーよろしくゴーレムの頬にしがみつくと、ケガの痛みも忘れよじ登った。


「タッちゃん、いい標的だね! 狙って欲しくてそんなところにいるの?」


イースター島のモアイ像のようなゴーレムの顔を挟み、反対側の肩にいる千早の嘲笑が聞こえる。案の定ゴツゴツした平手がもの凄いスピードで襲い掛かってきた。


「これを待ってたぜ!」


卓也は渾身丸の柄から木片を引き抜くと、それを岩肌へムリヤリ突き刺した。鍛えた腹筋に力を込めて木片に片足を引っ掛けると、その小さな足場一つを踏み台に、全力で乗せ跳び上がった。


ドバンッ!


ゴーレムが己の頬を叩いた拍子に生じた強風は、旋風となって卓也の体を高く舞い上げる。


「狙いどおぉぉぉり!!」


宙に浮いた体は、当然だが落下する。渾身丸を舵代わりに、卓也は眉間めがけ一気に急降下した。

タイミングを計り、額の中央に剣を突き刺す。結局前回と同じようにぶら下がったが、不思議と今回はゲンコツが襲ってこなかった。


「タッちゃん、残念! 今回()そこじゃないんだ!」


「! ・・おあぅッ!」


千早の楽しそうな声と一緒に投げかけられたのは、メラメラと燃える(あか)い火の玉。魔法だ。ギリッギリで避けられたが、息つく暇もなく次には水の蛇が絡みついてきた。


「ぐ・・うええ。やめろ、チハ! 冷た・・! 濡れる! パンツまで濡れちゃうだろ!」


ジワジワと締め付けられつつも、着替えが無いからやめてくれと叫ぶ。そんな卓也にちょっぴり呆れながらも、千早はニコニコと笑顔で話しかけた。


「こんな時にパンツの心配なんて、やっぱりタッちゃんはスゴイよ」 


「なんだよ! バカにしてるのか?!」


パンツは大事だろうと言い返すと、千早はケラケラと声を上げて笑い出した。


「違うよ。バカになんてしてない。ボクがタッちゃんをバカにするわけないじゃないか。・・ただ、本当にスゴイと思ったんだ」


そして千早は、ぶら下がったまま水蛇に締め付けられている、絶体絶命の真っ最中である卓也に構わず、まるで展望台から景色を見渡すように、ゆっくりと周囲を一瞥した。


「タッちゃん。ヴェクセリオってキレイな世界だね。ゴチャゴチャしてなくて、空気も澄んでいて・・・ボクらの住むあの町に似てるよね」


「くぅ・・テメ、オレは今それどころじゃ・・・・・・そ・か、そうだなッ。似てるかも・・・。お前らのせ・・で、ここは随分と壊されちまった・・けど・・な」


のんきに世間話を始めた千早に文句を言いかけた卓也は、一瞬考え、話に乗ってみることにした。

ミシミシと全身が痛み、額に脂汗が浮く。腕一本で渾身丸にぶら下がっているため、もう肩も腕も指先も痺れきっている。


「クソッ!」


限界を悟った卓也は、イチかバチかの賭けに出た。宙吊りの状態でゴーレムの頬である岩壁に両足を踏ん張ると、突き刺さっていた剣を引き抜いた。


「! タッ・・」


千早が驚きに目を瞠る。そして慌てて卓也を拘束している水の蛇を消した。


「おっし! やっぱり消したな」


自身を今以上の危機に晒せば、きっと千早は魔法を解くと思った。

落下する卓也は読みが当たったと笑い、神業のごとく渾身丸を鞘に戻すと、体をひねって体勢を立て直し、指先が削れ爪が剥がれることを承知の上で、目の前の岩肌にしがみついた。


バリバリバリッ! ガリガリッ・・


「がああッ!」


覚悟はしていても、酷い痛みが指先から脳天までを支配する。神経を焼き切りそうな痛みと引き換えにガクンと落下が止まり、再び卓也はぶら下がった状態に戻る。

ガクガクと腕が震えるが、少しでも気を抜けば辛うじて突起に引っかかっている指が血で滑り、再び落下が待っている。

涙が滲んだ目で上を見上げると、青白い顔で覗き込んでいる千早と目が合い・・・虚勢を張り微笑んでみせた。


「ここは・・」


やはり随分と落ちてしまったようだ。上にはゴーレムの顎の下が、まるで軒先みたいに張り出しているし、左右を見れば二の腕らしき円柱形の岩が聳えている。

どうやらゴーレムの胸付近にいるようだ。左頬から落下したので、たぶん人間に例えるなら心臓のあたり。・・・心臓?


卓也はなんとなくピンときた。ゴーレムに心臓はもちろん無いだろうが、呪文字を刻むのならば左胸もアリ(・・)じゃないかと思い、キョロキョロと周囲を・・・


「あ」


あった! しかもすぐ近く、1メートルほど離れた左斜め下方に。

あまりのあっけなさに拍子抜けしたが、とにかくこの三文字の内の一つを消してまえばゴーレムを倒せる。

ただ一つ問題なのは、手や足を伸ばしても届きそうにない。卓也はどうやって消すかを考え、以前のゴーレムの時のように一文字を剣で貫くしかないとの結論に至った。


チャンスは一度きりだ。二度目は多分ない。

渾身丸を再び鞘から抜いて左手に構え、タイミングを計るため頭の中でシュミレーションを繰り返した。


(手を離す。・・落下の瞬間に壁を蹴って文字の正面に移動。と同時に最後の文字を渾身丸で貫く!)


ほぼ一瞬でキメなければならないだろう。

気持ちを落ち着かせるために空を仰いだ卓也の視界に、千早の姿が映る。そういえば彼もさっき決して躊躇うなと言っていたことを思い出し、少年の心は固まった。


「チハ! これで終わりだ! 帰り支度でもしておけ!」


叫ぶなり卓也は岩から手を離す。シュミレーション通りに壁を蹴り位置を修正すると、柄を両手で握り締め、呪文字の一字・・小さな標的に向かって剣を突き出した。――――――その瞬間、


「卓也ーッ! ダメェェェッ!」


マリモの絶叫が聞こえた。


「やめてー! ゴーレムを倒しちゃダメー!!」


ぶら下がった場所から声がした場所を探すと、マリモを先頭に浩司や陽一朗、見知らぬ緑のロン毛男と、なぜかルカ・フォナまでもがこちらに向かって走ってきた。

ん? ・・・今、ゴーレムを倒すなって言わなかったか?


空耳か、はたまた聞き間違いか。首をひねる卓也に、マリモの涙声が再び届いた。 


「卓也! ゴーレムを倒すと千早クンが死んじゃうの! ヴェクセリオと地球を繋ぐ扉は千早クンの命と引き換えでしか塞ぐことができないからって、ゴーレムと自分をシンクロさせてるって! だからゴーレムを倒さないで!」


卓也を見上げてボロボロと泣くマリモ。彼女の話が信じられず・・否、信じたくない少年は、乾いた笑い声をこぼしながら浩司たちへと視線を移すが、彼らは痛みに耐えるような表情を背けるだけだった。


「はは・・なに言ってんだよ? ゴーレムとシンクロって・・・。ヴェクセリオの扉・・・?」


混乱する頭を必死で落ち着かせようと試みる。しかし卓也は直後に気がつく。自身が今、ナニに捕まり、ナゼぶら下がっているのかを。


「タッちゃん」


千早の声はとても穏やかに卓也を呼ぶ。おそるおそる彼を見上げれば、はじめに目に飛び込んできたのは渾身丸と、その渾身丸に一文字貫かれた呪文字。そして文字を中心に徐々に広がってゆくひび割れ。更には遥か上、ゴーレムの右肩に座り込んだ千早だ。

彼は優しい微笑で、卓也を見ている。


「チ・・・ハ・・?」


「うん。タッちゃん、頑張ったね」


「チハ、マリモが変なことを・・」


冗談にしては酷すぎる。


「タッちゃん」


「き、気にすんなよ! きっと居眠りでもしてて、変な夢見たんだよ。マリモのヤツどーしたってんだ? うっかり〇兵衛的ポジションは、浩司の役目のはずなのに。ヨウがちゃんと監督してくれないと困るよな!」


「・・・」


マリモの言葉を肯定されるのが怖くて、卓也は千早が話せないよう、矢継ぎ早にまくし立てた。

けれど、


「タッちゃん、お願い。もう時間がないんだ。少しだけ話をさせて?」


ビキッ・・ミシッ・・と硬質なものがひび割れてゆく音が鳴り続け、ガラガラ・・とゴーレムのあちらこちらから岩石が崩落し始めた。


「チハ・・」


卓也が口をつぐむと、千早はなにかの魔法を唱えた。すると、前に見たことのある大きなしゃぼん玉がポン!と現れ、まだぶら下がったままだった卓也を包み込んだ。

正直なところ、腕が疲労で限界だった。フワフワと運ばれながら痛む腕をさすっていると、シャボン玉は千早がいる場所まで卓也を送り届けた。


「チハ・・」


「タッちゃん、ごめんね。ずっと黙ってて」


自らもシャボン玉の中に入ってきた千早は、卓也の正面に立つなり謝りだした。

ぎゅっと唇を噛んで涙をこらえる友人の癖を見つけ、卓也はマリモの話が嘘ではなかったのだと、改めて痛感し、愕然とした。








 ◇ ◆ ◇



嘘であって欲しかった。


「大丈夫か?」


グラリと視界が揺れたと思うと、陽一朗の腕に囲まれた。

肩を抱かれたままゆっくりと彼の顔を見上げ首を傾げると、再び「大丈夫か?」と訊ねられた。


「ヨウちゃん・・。嘘・・よね? お願いだから、嘘だって言って?」


涙を浮かべ懇願するマリモを、痛々しい眼差しで見下ろす陽一朗は、些かためらいを見せた後に、首を横に振った。


「残念ながら、嘘でも夢でもない。マリモ、これは逃げられない現実だよ」


「いやッ!」


両目両耳をふさいで、マリモは拒絶する。その隣では、やはり突きつけられた運命を受け入れられない浩司が、呆然と立ち尽くしていた。


セオは緑色の長髪が重いとばかりにうな垂れ、打ちひしがれる三人に謝罪を告げた。


「すみません・・・」


そんなに長くはないけれど、それでも仲間として一緒に診療所で働いていた彼の告白は余りにも残酷で、マリモには裏切りのように感じた。


「ほかに方法はないの?! 千早クンが死ななくてもいい方法! 卓也が知らないとは言え、大事な友達に手をかけなくていい方法が! 探せば・・もしかしたら・・ッ」


世界だとか神だとか関係ない。陽一朗の腕から飛び出したマリモはセオにすがりつくと、頭一つ分以上も高い位置にある彼の顔を見上げ訴えた。


「セリオ様を責めても、何も変わりゃあせんぞ。なぜなら、セリオ様はこれまで幾度と、犠牲の出ない方法を試みては、悲しい結果に涙して来られたからのう」


気配もなく突然割り込んできた老人の声に、一同は同時に振り返る。


「ログロワーズ魔術師長・・」


コツンコツンと杖をつき、白い髭の老翁は弟子の女性幹部をつれて魔法陣から現れた。


「師長様、あなたは全てご存知だったんですね。そのうえで何も言わず見ていただけ・・」


いつもの陽一朗とは違う、やや刺を感じる問いかけに、ログロワーズは微苦笑すると、そうする他なかったと答えた。


「そもそも儂らでどうにかできるのであれば、とうにそうしておる。じゃが、国中の賢者や知恵者が集まって模索した方法は、どれも功を奏さなんだ」


「国? 国ってことはダルバンだけだろう? もっと他の国とも協力してアイディアを出し合ったら、解決策が出るかも・・」


「いいや。無理だ。連携はできん」 


ログロワーズに言い返した浩司の声を、スパッと断じたのはまた別の人物だ。彼は単騎で駆けつけたらしく、少し離れた場所に彼・・アドルフォン総隊長の愛馬が見える。

アドルフォンは軍靴を鳴らしながら近づいて来ると、浩司の頭をぐしゃぐしゃっと一撫でし、そしてセオの前で恭しく跪いた。


「我が主、セリオ様。このアドルフォン・ダッカー、参上が遅れましたこと、平に陳謝いたします」


「構いません。今の私はただのセオですから。――――――ただ、貴方がいらしたということは・・」


「はい。師長様のご依頼の件、つつがなく準備が整いました」


大人たちばかりが得心した面持ちで頷き合うのを見て、マリモたちは不安を募らせた。

怯えた様子のマリモに気づいたログロワーズは、コツリコツリと近づくと、シワだらけの手で少女の手を取った。


「まもなくチハヤとタクヤの決着がつく。そうしたらお前さん方を元の世界に送り出してやれるからの」


「で・・でも、千早クンは・・・?」


ぐすぐすと鼻をすすりながら、往生際悪く再び訊ねた。


「チハヤのことは諦めてくれ。あやつ自身はもう運命を受け入れ、己一人の命より、ヴェクセリオに生きる大勢の命を選んでくれたのじゃ」


何千何万の人々の命と、この先のヴェクセリオの未来。あんなにも華奢な千早の背中には、なんて大きくて重たいものが伸し掛っていたのだろう。

気付かなかった。気づいてあげられなかった。

マリモたちには一言も告げず、一人で考え一人で悩み、そして一人で決心した。


胸が痛くてたまらない。彼はただ単純にい世界生活を満喫する友人たちを、どんな気持ちで見ていたのだろうか。

辛くて悲しい。たとえ地球に帰ってもこれから先ずっと、失った友人を思い出すたびに、この悲しみが蘇るのだ。


「一生・・一生忘れない・・・」


「可哀想じゃが、それも無理なんじゃ。・・ゴーレムはあやつと同調しておるからの。あれが崩れる時、チハヤは皆の記憶から消えてしまうじゃろうて」


マリモの呟きを拾い聞いたログロワーズは、気の毒そうに眉尻を下げてる理由を話した。


「?」


マリモは意味がわからず、ジッとログロワーズを見つめている。

マリモだけではなく、浩司や陽一朗、離れた場所に控えているルカやフォナも眉を顰めた。


「扉は、選ばれし者の()で塞ぐのではなく、選ばれし者の存在全て(・・・・)で塞ぐのじゃ。チハヤ本人のみならず、千早がしたこと、チハヤが残したもの、接した人々の記憶・・・チハヤが生きた時間そのものが全て消滅する・・」


「「「!!」」」


消える? 千早が消える・・・


知らされた事実に愕然としたマリモは、直後、ハッと我に返り全力で走りだした。


「マリモッ!」


浩司の叫び声が聞こえたが、マリモはゴーレムが暴れまわる方向へと急いだ。

早く! 卓也がゴーレムを倒してしまわないうちに、早くこのことを知らせなければならないと、マリモは切実にそう感じ――――――走った。


「卓也ーッ! ダメェェェッ! やめてー! ゴーレムを倒しちゃダメー!!」


間に合って! と願いながら。








 ◇ ◆ ◇



本来、このヴェクセリオにトリップする選ばれし者は、一人なのだと言う。


「今回みたいに、歪みを修正する人と扉を開閉する人に分かれたことって無かったんだって。だから師長やアドルフォン総隊長もかなり困ったらしいよ」


崩壊が進むゴーレムの肩に並んで座り、卓也は千早の声に耳を傾けていた。


「いつもはね、たとえ複数人が渡ってきても使命を帯びているのは一人だから、少々乱暴な話、ヴェクセリオのために死ぬのは嫌だって断られても、・・・・・・強引に、その・・」


「殺しちまってたんだな」


たぶん、総隊長が汚れ役を引受ていたのだろう。自害でも他殺でも、扉を塞ぐ引換の妨げにはならないようだ。


「うん。だけどボクは自殺できるほど勇気はないし、ムリヤリ殺されるのも怖かった。だから・・」


ゴーレムとシンクロし、卓也に戦わせた。


「カッコよかったー・・。出会った時からタッちゃんはボクのヒーローだから、一番近くで見られてスゴく嬉しかった。・・・みんなの記憶は失くなっちゃうけど、幽霊になったボクの記憶までは絶対に失くさないって誓ったよ」


千早は笑っているが、卓也は笑えなかった。考え方はどうであれ、結果的に卓也が千早を殺すことになったのだから。

ギリっと噛み締めた唇からは、血の味がした。


こんなふうに座って話している間にも、どんどんゴーレムの体は岩と土に戻ってゆき、今ではもうこれが人の形を模していたなどとは思えないほどだ。


俯いたまま打ちひしがれていると、千早は徐ろに立ち上がった。


「チハ・・?」


隣を見上げると、清々しい笑みを浮かべた千早が、ゆっくりと首を巡らせて景色を堪能している。


「タッちゃん。世界ってキレイだね。このキレイな世界をボクは守ったんだ」


いつの間にか茜色に染まっていた風景を、満足そうに見つめる瞳。そして、


「ありがとう。タッちゃん」


友人は感謝を告げた。


「チ・・!」


「うわぁッ!」


「きゃぁぁぁッ!」


ソレ(・・)は友人たちの悲鳴とともに、唐突に襲ってきた。

ヴェクセリオにトリップする際、キラキラと降り注いでくる粘液のようなあの感覚。アレがなぜかハッキリと見える。それが地表からもの凄い速さで湧き出したかと思うと、巨大なドラゴンの顔を形作り、大きな口を開けて牙を晒し、あっという間に陽一朗とマリモを飲み込むと、空の彼方へと攫っていった。


「卓・・ッ」


卓也の名を呼びかけた浩司もすぐに口中へ取り込まれ、同様に上方へと押し上げられてゆく。


「浩司ーッ!」


しかし他人事ではなかった。更には、その光景に愕然としていた卓也にもソレは襲い掛かり、シャボン玉ごと丸呑みにした。


「!!」


粘液のドロリと不気味な感触に一瞬ひるんだが、宙で溺れるように(もが)く卓也の目に飛び込んだのは、空へと流されてゆく浩司たちと、どういうわけか影響を受けていない千早の姿。

寂しそうに笑い、奔流に押し流され始めた卓也を見上げている。


「ここでボクは皆んなとお別れだよ」


「チハ! ダメだ! お前もッ・・」


卓也は流れに必死で抗い、千早に手を伸ばすが、彼はその手をとってはくれない。


「フォナ! ルカ! 気を抜くでないぞ!」


「「はい!」」


ログロワーズの叱咤が聞こえ、こっちで友達になった女性ふたりが応えている。


「ダルバン国国軍近衛隊の名誉にかけて、耐え抜け! 意地と底力を見せてみろ!」


今度はアドルフォンの号叫が轟いた。直後複数の返事が聞こえたが、どれも苦しそうにかすれている。


首を動かすだけの余裕がなく、視線だけで周囲を見渡せば、魔術師の三人は大きな魔法陣を取り囲んでその維持に尽力しているようだし、近衛隊の隊員たちは両腕を広げ目に見えない巨大な何かを、歯を食いしばって抑え込んでいる。


「あれは・・」


「彼らはボクに協力してるんだよ。ムリヤリ扉をここに移動させたから、強大な負荷が生じているんだ」


聞いた途端、卓也を押し流そうとする力が強まった。思わず目を閉じそうになったが懸命に堪え、少年は渾身の力を振り絞り、友の手を握り締めた。


「お前も・・一緒に帰るんだ!」


「!」


「絶対に一緒に・・ッ、行くんだ!」


ちゃんと説明を聞かされた今、それでも千早を連れて帰るというのは、卓也の我が儘なのだろう。でも、それでも諦めたくない! どうしても諦められない!


「無理な・・」


「チハ! オレなッ、今年の6月に従兄の結婚式に行ったんだ!」


「え・・?」


突然脈絡なく、現状にまったく関係のない話が始まり、千早の目が点になる。


「タッちゃん、なにを・・」


「で、披露宴ってパーティで、すっげぇ面白いことがあったんだよ!」


あれは面白すぎた。青山家では、未だに笑いのネタとして団欒の席であがるほどだ。


「 ・・クッ・、友人代表のスピーチの時、兄ちゃんの友達が緊張しすぎて喋れなくって・・、噛みまくりのベロベロ状態だったんだ!」


その友人・・Aさんは恥ずかしかっただろうが、おかげでパーティはかなり盛り上がった。


だけど、そんな思い出を語られても、千早には全然わからない。

はじめキョトンとしていた彼は、卓也の意図することが見えず、微かに眉根を寄せている。


「だからさ! オレが将来結婚するときは、絶ぇぇぇ対に友人代表はチハにやらせようと思った!」


「!」


お前がカミカミでベロベロになったところを、思いっきり笑ってやろうと予定している。


「・・ッ、オレたちは来年中学生だ! 中学まではたぶん一緒にいられるだろうけど・・ッ、高・・校はきっと別々だ! なんてったってオレはバカで、お前は頭いいからな! ・・グ、そうなると当然大学も違・・う。そもそもオレに行ける大学があるのかすら怪しい!」


一気にまくし立てると、クシャリと顔をしかめた千早の目に涙が盛り上がり、目尻から頬を伝って落ちた。


「学校違っても、ずっと一緒なんだ! オレがそう決めたんだ!」


我が儘と言われるなら、それでいい。そんな将来のことを今から考えていることを呆れるなら、どうぞ呆れてくれ。呆れても、嘲笑(わら)われても、千早と離れずに済むのなら一向に構わない。

さあ嘲笑え!とばかりに千早を見下ろしていると、彼はボロボロと泣きながら唇を開いた。


「でも、ボクのほうが先に結婚したらどうするの?」


「ああん? オレより先にか?! 生意気だ! ・・・でもしょうがねーからなッ、オレが先にベロベロに噛みまくってやるよ!」


「あははッ」


二人が交わすのは、決して訪れはしない未来の約束。でも、とても幸せで、とても悲しかった。


千早は袖口で濡れそぼった目元を拭うと、そっと目を閉じなにかを唱えた。その瞬間少年の体は太陽のように暖かい光に包まれ、千早の手を握ったまま宙で抗っている卓也は、眩しさに目を眇めた。


「タッちゃん! ボクも諦めないことにした! 今、ボクに残されていた全部の魔力(ちから)を使って魔法をかけたんだ! 絶対にタッちゃんがボクを忘れないようにって! 絶対ボクがタッちゃんを忘れないように! ・・必ずもう一度会えるようにって!」


嬉しそうに声を弾ませ、満面の笑顔で告げる千早に、卓也は笑い返・・せなかった。

残されていた全部の魔力(ちから)。魔力保持者が過度に力を消費すると言うことは・・・


気づくと握っている千早の手の指先が、光のエフェクトとなり散り始めている。


「チハ?!」


指の隙間を光の粒子がすり抜け、手のひらが空っぽになると、卓也の体が再び流されだし、上へ上へと押し上げられてゆく。

次第に千早との距離が広がっていくことに恐怖した卓也は、届かないとわかっていても夢中で腕を伸ばし続けた。


「チハ! 来るんだ! 手を! 反対側の手を伸ばせ!」


叫んでいる間にも、どんどん千早の体は光に変わり、先端から消えて小さくなってゆく。


「タッちゃん。きっと・・きっと・・また・・・」


会えるよ。


喉元まで消滅が進み、最後まで聞き取れなかった。

遠ざかってゆく卓也を見つめ続ける千早は、柔らかな微笑みを湛えたまま――――――――――――――――――今、消え去った。


「ッ!! チハ―――――――――――ッ!!!」


卓也の絶叫が響き渡る。




魔法陣と、それを取り囲んで卓也を見上げている異界の友人や恩人。そして12年もの長い年月を過ごし、慣れ親しんだ街。緑が多く、故郷にも似た長閑な景色。・・・それらがどんどん離れてゆきずっと遠くなると、卓也の意識に霞がかかり始め、瞬きをした瞬間、スイッチを切ったように・・・暗転した。








 ◇ ◆ ◇



顔を動かすと、ザリっと土の感触がした。


「ん・・?」


薄く目を開けると、焦点が合わないくらい近くに、浩司の安らかな寝顔。


「ううわあぁっ!」


危なかった! 危うく浩司と初チュウしちゃうところだった!

慌てて飛び退いた卓也は、頬についた土を払い落としつつ、周囲を一瞥する。


「秘密基地の中・・か?」


目を凝らしてよく見れば、ここはゴツゴツとした洞穴の中。どうやら秘密基地で居眠りをしてしまっていたようだ。


「・・やべぇ、今何時だ?」


基地内は元々、懐中電灯がなければ真っ暗なのだが、出入り口までが暗いということは、外もかなり暗くなってしまっているということだろう。

早く帰らなければ! 母親のゲンコツと夕飯抜きはどうしても避けたい。


「おい! お前ら起きろ! マズイぞ、もう夜だ!」


卓也は未だに眠り続ける友人たちの名前を、大声で順番に呼んだ。


「おいってば! ヨウ! マリモ! 浩司! チハ!」


チハ?


当然のように口をついて出た名前に、卓也の思考は停止した。

目を覚ましたらしくモソモソと動き出したシルエットたちと、自分を入れて仲間は四人。間違いないはずなのに、どこか釈然としない。

一人で首を傾げている卓也に、陽一朗が目をこすりながら、どうしたのかと訊ねた。


「・・・なんか一人足んなくねぇ?」


「は? いや、秘密基地を知るのは俺たち四人だけだろう?」


皆んないるぞ。陽一朗に断言され、そうかと頷いた。

だが、やっぱり違和感は拭えない。


「ちょっと! ヨウちゃんと卓也も早くしなさいよ! おいてくわよ!」


飛び起きたマリモが慌てて帰り支度をはじめ、浩司はパニックのあまり基地内をウロウロしている。その様子を眺めていた卓也は、「まあ、いいか」と嘆息し、後頭部を掻いた。


「痛てえっ!!」


途端、指先に走る激痛に卓也は顔を顰め、痛みの元を確認した。


「なんだ、これは?」


「おい! 一体どうしたんだよ? こんな酷いケガ・・・」


両手の指先はボロボロに削れ、血塗れになっている。爪も割れていたり、中には生爪まで剥がれているのもあって、かなりの惨状だ。

一緒に覗き込んだ陽一朗は眉を顰め、マリモは小さな悲鳴を上げた。


「いだだだだだだ! ダメだ! おれ、こういうのは見てるだけで痛い。・・卓也は痛くねーのかよ?」


「・・・すっげぇ痛い」


本人以上に痛そうな顔をする浩司に訊かれ、ボンヤリとと答える。


(このケガ・・・いつ、どんな風に負った?)


ズキズキと酷く痛むのに、意識はそれ以外に向いている。


「卓也、とにかく帰ろう。早く家で手当したほうがいい。破傷風とか、怖いからな」


陽一朗が深刻な面持ちで、病院へ行くよう勧めていたが、今の卓也には誰の声も届かず、ただウンウンと頷くばかりだ。

その様子に業を煮やしたのはマリモで、ツカツカと卓也に近づくと唐突に耳朶を引っ張り、耳元で大声を出した。


「卓也! ちゃんと聞いてるの?! ヨウちゃんと浩司クンは、アンタのことを心配してんだからね!」


「ッ! うるせぇ! 耳元で怒鳴んな! 文句があるならお前がちょちょいと魔法で治してくれればいいだ・・ろ・・・?」


魔法? 口をついて飛び出した言葉に、卓也は衝撃を受けた。

魔法。魔力。魔力保持者。・・・その保持者ってどこにいた? 地球(ここ)じゃない場所・・・どこか、とても遠い所? ・・・思い出せ! 思い出せ!!


「・・・ッ」


急に黙り込んだ友人の様子に三人は不安になったが、気軽に声をかけられる雰囲気ではない。仕方なくオロオロと窺っていると、突然卓也は大きく目を見開いた。


「チハ・・」


チハ! 岡部 千早! 彼の姿が見当たらない!

まさか本当に千早だけ戻らなかったのか?


「なあ、おい! チハは? アイツはまだ帰ってきてないのか?!」


目の前にいたマリモの肩を掴んでガクガクと揺さぶれば、彼女は悲鳴を上げて卓也の手を払い退けた。


「何するのよ! ビックリするじゃない!」


マリモは怒っているが、卓也は構わず今度は浩司と陽一朗に訊いた。


「チハはッ? アイツだけまだ・・」


「チハって誰だ?」


浩司の問いに、卓也の顔から血の気が引いた。わなわなと震える唇で千早のフルネームを告げたが、三人は首をひねるばかりだ。


「チハだよ! 岡部 千早! 去年オレん家と同じ団地の同じ階に越してきた転校生!」


「「「?」」」


「小柄で可愛い顔で! 喘息の持病があって! 頭がよくって!」


不思議顔の三人に、無性に腹が立った。

千早の特徴を、千早と過ごした日々を聞かせても、彼らはわからないと首を横に振る。


「ヴェクセリオでは12年も一緒だったじゃねーか!!」


ブチギレて怒鳴ったけれど、結局誰も千早を思い出さなかった。そればかりか、


「卓也。お前、夢見てたんじゃねー? 異世界とか魔法とか、厨二過ぎるって!」


バカにしたように笑う浩司に激怒し、卓也は秘密基地から飛び出した。―――――外はすっかり陽が落ち、空には星が瞬いている。

田んぼと畑ばかりのこの辺りは外灯も少なく、一面真っ暗な景色にカエルと蝉の声だけが響いている。


卓也はガサガサと草を分け進み、自転車を置いた場所まで来ると、その数を目の当たりにして再びショックを受けた。


「チハの自転車が無い・・・」


本当に千早は死んでしまったのか? 体ばかりでなく、彼が生まれ、生きてきた11年の年月さえも消滅してしまったというのか?


『タッちゃん! ボクも諦めないことにした!』


いつも卓也の背中を懸命に追いかけて来た。


『絶対にタッちゃんがボクを忘れないように! 絶対ボクがタッちゃんを忘れないように!』


最後に見た顔は、晴れやかな満面の笑顔だった。


『タッちゃん。きっと・・きっと・・また・・・』


「~~~~~~ッ! チハ・・チハッ! またっていつだよ!」


卓也の頬を、後から後から涙が流れて止まらない。どんなに呼んでも、もう彼は帰らない。


「忘れないからな! オレは・・オレだけは絶対に覚えているから! 一生!!」


卓也は降るような星空を仰ぎ、家族や町内会の人々に見つけられるまで、草むらの中で泣き続けていた。






『会えるよ』




きっと、また。








 ◇ ◆ ◇



「おーい! 青山ー。このあと皆んなでメシ食いに行こってんだけど、お前もどお?」


普段は夜シフトで入っているアルバイトだが、この日は大型連休の中日。午前のメンバーが足りないからと急遽頼まれ、夕方から用があった卓也は、丁度いいとばかりに了承した。


「もうね、俺はクタクタなのよ。エイキを養わなくっちゃね」


「今お前、英気をカタカナで言っただろ?」


さっきからグダグダと絡んでくるのは、バイト仲間の男。彼も今日はピンチヒッターだ。

偶然にも大学まで同じだったせいか、初めから馴れ馴れしく、事あるごとに誘ってくる。


「悪いけど、今日はダメだ。このあと先約があるんだ」


「先約ぅ~? ・・あ! 女か! この前店に来たカノジョ!」


先日顔を見せたマリモのことだとすぐにピンときた卓也は、違うと首を横に振った。


「まあ、アイツも来るけどな。・・同窓会なんだよ。小学校時代の」


別段隠すことでもないので、あっさりと告げる。すると目に見えてガッカリと肩を落とし、彼はトボトボと離れていった。


「なんだ? ありゃあ・・」


「ああ、佐々木(ささき)クン? 彼ね、三田(みた)さん狙いなのよ。なんか、青山クンが行くなら行くーって言われたそうよ」


「へぇ・・」


「青山クンに恋人がいれば、自分にも可能性があるって信じちゃってるのよ」


餌にされそうだったと知り、卓也は溜息を吐く。それを見た先輩女史はお疲れ様と笑い、持ち場へと戻って行った。


店を出ると空は夕日に染まり、キレイな橙色だ。前にもこんな夕焼けを、遠い異国の自室で見たことを思い出し、自然に頬がゆるんだ。

もう同じ思い出を語る仲間はいないけれど、卓也の心の中にはくっきりと焼き付いている。


「・・チハ、あれから10年経ったぞ」


こちらでも、あちらでも、空は変わらないと改めて感心し、卓也は家路に着いた。






10年の年月は、あっという間に通り過ぎた。


ヴェクセリオから戻った卓也たちは、当然、翌年中学校に入学した。それぞれが、3年間という短い中学生活に充足感を抱いて終え、四人はバラバラの高校に進んだ。

陽一朗は家業を継ぐために、農業高校へ。

浩司は手先の器用さと興味の方向性で、工業高校を選んだ。

マリモは普通科。ただし意外にも女子高。

そして卓也は、中学時代に始めた剣道に本腰を入れ、高校はスポーツ特待で入学、2年の時にはインハイで全国3位にまで勝ち進んだ。


(いろいろあったよ。チハ。お前がいたら、どんな道に進んでいたんだろうな?)


卓也は陽一朗たちとの、思い出の共有を早々に諦めた。なぜなら、千早が言っていたことを思い出し、強要しても無駄なのだと悟ったからだ。

千早の存在は、忘れられたのではなく、消滅したのだ、と。


(オレだけが覚えていればいい。オレが忘れなければ、アイツがちゃんと存在していた証拠になる)


卓也は自分の指先に視線を落とし、未だ痛々しく残る傷跡とガタガタに歪んだ爪を、懐かしそうに眺めた。


バイト先から電車で二駅、駅前の自転車置き場にあずけておいた愛用4年目のチャリに跨り、3キロの道のりを少々飛ばす。腕時計で時間を確認すると、浩司が迎えに来ると言っている時刻にギリギリ間に合うかどうか。

団地の駐輪所に到着した卓也は、自転車を些か乱暴に駐めると、3階まで階段を一段抜かしに、一気に駆け上がった。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・」


息が上がる。剣道をやめたせいか、最近ちょっと運動不足のようだ。

3階に着いた卓也が自宅に向かうと、玄関前には三人の人影があった。


「あらまー! そんな、ご丁寧にー」


「いいえ、本当にご挨拶だけで。これからどうぞ、よろしくお願いします」


「まー、こちらこそー」


いつもよりややトーンの高い母親の声にうんざりとしながらも、時間がない卓也は彼女らに向かって進み・・・・・・・・・足を止めた。

目を見開き、呆然と立ち尽くす卓也は、今、目の前のことが理解できなかった。


ドアの外に顔を向けていた母親が卓也に気づき、おかえりーと声をかけると、後ろ姿だった二人が振り返る。


「ほほほ。ウチの息子なんですよー。図体はデカいくせに大して役に立たない大学生! 卓也! こちら同じ階に越してこられた・・」


「こんにちは。今日308号室に引っ越してきました」


「・・・」


ニッコリと微笑んで挨拶した婦人は、確かに見覚えのある友人の母親だ。以前、このおふくろさんにトキメいて、彼女の息子と友達になった。


「卓也ー、岡部さんたら偉いのよー。お子さんが病気だからって、わざわざ転地療養のために越してきたんですって! だからアンタもちゃんと気にかけてあげなさいね!」


もう何を言われているのかわからない。とにかく卓也の目は、岡部婦人のスカートにしがみつき、隠れてコチラを窺っている小さな人物に釘付けになっていたから。


「これから宜しくお願いしますね。ほら、ちーちゃん(・・・・・)も、ちゃんとご挨拶してね」


母親に背中を押されて前に出てきた姿は、紛れもなく・・・


「こ、こんにちは、初めまして(・・・・・)。岡部 千早、4年生です。タッちゃん、今日からよろしくお願いします」


ペコリとお辞儀をすると、卓也の母が「可愛い!」と大喜びした。

そのあと2,3言葉を交わし、部屋に戻ってゆく母子を凝視していると、ドアの向こうに消える千早は、一瞬卓也に目を合わせ――――――クスッと笑った。


(タッちゃんだと? お前、絶対に覚えてるだろう!) 


キッと睨むと、千早はひらひらと手を振り、部屋の中へと入っていった。


どうやら今回の千早は"いい性格"らしい。見た目は前と同じなのに、雰囲気が微妙に違っているようだ。

徐々にショックから立ち直ってくると、ジワジワと嬉しさがこみ上げてくる。もう二度と会えないはずの親友との再会は、卓也の心を満たした。


(帰ってきた! 帰ってきた帰ってきた帰ってきた!)


陽一朗たちにも報告しなければと考え、ハッと我に返り腕時計を確認する。うわ~、もう絶対に間に合わない。随分と時間を取られ、浩司がじきに迎えに来る。同窓会には完全に遅刻だろう。

きっとまた、マリモのお小言をくらうのかと、うんざりした。


慌てて自室に駆け込み、出掛ける支度を始めた卓也は、ふ・・と、今更ながらに違和感を覚えて手を止めた。


(あれ? そういえばチハのヤツ・・・)


さっきは頭の中が真っ白になってたから、全く気にならなかったけれど・・・なんであんなモノ(・・・・・)着てたんだ?


思い出して首を傾げる。確かにとても似合っていたけど。




(真っ白のワンピース?)


なんか髪も長かったし・・・









































 ◇ ◆ ◇



古びた木造校舎の廊下は、所々が傷みギシギシと嫌な音を立てる。

鉄筋コンクリートの新校舎と、この朽ちかけの旧校舎とは渡り廊下でつながっているが、今や立ち入り禁止となっているため、普段は鍵がかけられている。――――――――はずなのだが・・・


「やっぱりマズイだろ! 先生に見つかったら・・」


「大丈夫だって! ここは特別教室からも職員室からも死角になってるから。ほら! 外のケヤキの木、アレがいい感じに目隠ししてくれているんだ!」


大胆にも窓辺に近づき、ガラスの向こうを指差す。


「やめろ! わかったから!」


慌てて豪胆な友人を窓辺から引き離すと、床にしゃがみこみ溜息をついた。


少年ふたりは現在サボリの真っ最中。せっかくだから探検しようぜ!と提案した(しょう)を、ストッパー役が定着しつつある宏倫(ひろみち)が必死で止めたのだが・・・一緒にサボるハメになってしまった。


「先輩にさぁ、ここの合鍵を譲り受けた時からさ、これは俺がちゃんと引き継がなきゃならーん!て思ってたんだよ。でも実際一人で来るのはちょっと怖くて・・」


「だからってオレを引きずり込むなよ! っていうか、来るのは百歩譲って認めるけれど、授業中はやめろ。昼休みとか、放課後なら付き合うから」


「え! マジ?!」


キラキラと瞳を輝かせて喜ぶ翔が、しっぽを振る仔犬に見えて、宏倫は思わず苦笑した。


「やったー♪ サボタージュ仲間ゲットー!」


制服のブレザーが汚れるのも気にせず、平気で埃だらけの床に寝転ぶ翔に、宏倫が注意する。


「イヤな響きの仲間だな・・って、おい! やめろ。背中が真っ白になるぞ。どうするんだ、先生に訊かれたら」


「えー? じゃあ後で払ってちょーだいよ」


「よし、わかった。満身の力で払ってやるよ」


「・・・ゴメンなさい」


平手の素振りをはじめた宏倫に、翔は素早く起き上がると、土下座して謝った。・・・が、


「あれ? あそこになんか書いてある」


翔は古ぼけた黒板の下の板壁に、なにやらミミズが這ったような文字を見つけ、指さした。


「は? どこに?」


「ほら! そこ! そこの顔みたいに見える木目の斜め上!」


四つん這いのままゴソゴソと文字に近づくと、ここ、ここ、と宏倫に知らせた。


「あー? ・・・? 文字か、これ?」


「絶対に文字だよ! なんとかギリギリ読めそうだし!」


二人で顔を並べ、一点を覗き込む。


「お前・・・これが読めるのか?」


凄いなと宏倫が感心すると、翔はコクンと頷き、自分の字に似てると言い放った。


「・・・。と、とりあえず、なんて書いてあるのか読んでみろよ」


「うん。ちょっと待ってね。えー・・と、トキハミチ、カ・・カギハミ・・???」


つっかえつっかえ読み始めたが、宏倫には翔が何を言っているのかわからない。


「お前、それは本当に読めてるのか?」


デタラメを言って、読んでいるフリをしているんじゃないかと疑った。


「違うって! ちょっと待ってよ。今、頭の中で整理してから教えるから!」


ムキになったように文字とにらめっこをはじめた翔。宏倫は溜息を吐くと、やれやれと床に腰を下ろした。


10分程も経った頃だろうか、突然「わかった!」と叫んだ翔は、ふふんと鼻で笑い、得意げな顔で話しだした。


「読むよ。『ときはみち、かぎはみずからおとずれる。・・・」






【時は満ち、鍵は自ら訪れる。定められし血の命に応え門を開けよ。抗えざる流れを繰るがため、此処に選ばれし者を、その膝元へと導かん】




床に座ったままの二人の頭上に、キラキラと光る何かが降りてきた。




ありがとうございました。

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