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長編読み切りですが、思いのほか長くなってしまいましたので、前・中・後の3部に分けさせていただきました。


時間に余裕のある時にでも、お読み頂けたら幸いです。

 ◇ ◆ ◇



後になってちゃんと考えると、ああ・・そうだったのか! って思うこと、誰にでも一度はあるだろう?

その『後』というのは、すぐ後なのか、翌日なのか、一週間後、一ヵ月後、一年後・・もしかしたらウンと先になってからかは、誰にもわからない。

そう・・シワクチャの爺さんになって、子どもや孫たちに看取られながら、「あ、そうか!」なんて、半世紀も前のことに気がついたりなんて・・・


オレはね、時間がかかったけど、ちゃんと気がついた。だけど、気づいた時にはもう色々と遅くて。もう少し早ければって・・・凄く悔しかった。


アイツはもっと、ずっと前・・ううん、きっと最初から知っていたのに・・・って。








 ◇ ◆ ◇ 



「おいッ! 早く来いよッ」


「待ってよ~! タッちゃ~んッ」


見渡す限り青々とした田ンぼと林ばかりが目立つ、長閑(のどか)な田舎の風景。

シャカシャカと鳴る自転車の音と上がる息遣いを掻き消してしまうほどの、蝉とカエルの大合唱が四方八方から聞こえてくる。

荒いアスファルト舗装の道路に映し出される二つの走る影は、まだ太陽の位置が高いことを証明するように短い。


浅黒い肌に真っ黒な短い髪、Tシャツとハーフ丈のパンツ、足元は散々に酷使したと思われるバスケットシューズ。いかにもガキ大将といった風貌の少年の後を、見るからに気が弱そうな、先の少年とは真逆の印象の少年が泣きそうな顔で追いかける。

二人の自転車は住宅の間を駆け抜けると、児童公園の奥の藪へ。砂利道をガタゴトと無理やり走らせ、バシバシとスネを叩いてくる草を蹴散らしながらペダルを踏む。


「おっそいよ! 卓也(たくや)千早ちはやクン!」


放り出すように自転車を降りた卓也は、千早が追いつくのを待たずにガサガサと藪を掻き分けて奥へと進んでゆく。背丈を越す草の迷路を抜けた途端、甲高い声に怒鳴りつけられた。


「この暑い中を待たされる身にもなりなさいよ! 日焼け止め塗ってきても意味無いじゃない!」


プンスカと頬を膨らませているポニーテールの少女に、遅れてきた二人はギリリッと睨まれた。

だが、しょっちゅう聞かされているといい加減慣れるもので、不機嫌もあらわに睨らまれ少々ヒステリックに怒鳴られても、卓也にはちっとも効き目がない。


「お~う! ゴメンゴメン! チハ(・・)のヤツがなかなか来なくてよー」


やっとで卓也に追いつきゼーハーと息を切らせていた千早は、卓也に横目でチラリと見られたうえ、腰に手を当ててご立腹な様子の女友達に気がついて、タジタジと体を退きモゴモゴと言い訳を始めた。


「だって~・・本当は今日、塾だったんだよ~。だからお母さんにバレないように、先に終わらせておいた課題を出しに行ってきたんだ~」


大柄な二人に挟まれると、小柄な千早はその威圧感に気圧されてしまう。

クラスどころか学年でも背の順で最後尾にいる卓也と、ローティーン向けファッション雑誌の読者モデル(時々)でもあるマリモ(・・・)。方や千早は常に真ん中よりもやや前のほう。

11歳・小学5年生にはとても見えないほどの愛らしい面立ちと華奢な体型をしている。


「まあまあ。二人ともそんなに岡部(おかべ)クンを責めないで。いいじゃないか。別に時間に縛られているわけじゃないんだから」


「そうだよ。そんなことよりも早く『ヴェクセリオ』に行こうぜ。おれ、前回仕事を残してきちゃったから、もう~気になって気になって!」


マリモの後ろで、すでにリュックを背負い準備万端の状態で待機していた陽一朗(よういちろう)は笑っているが、浩司(こうじ)には早く早くと急かされ、三人も慌てて用意を始めた。・・・といっても特別必要なものはなく、卓也と千早に至ってはほとんど手ぶらに等しい。

ちなみにマリモはメイク道具とおやつの入ったトートバッグは必需だと言って、毎回必ず肩にかけている。


卓也と並ぶほどの身長に千早の倍はありそうなドッシリとした体躯、だが性格は温和で、陽一朗の名前どおり『太陽のような、朗らかな』少年と、身長も体格も平均並、だけど指先の器用さにかけてはこの中でピカ一の浩司は、出立が待ちきれないのか足踏みまでしている。


「よっしゃ~ッ! じゃあ、いざ行かん! 我らが第二の故郷、ヴェクセリオへ!」


「「「「おー!!」」」」


卓也はハーフパンツのベルトに差していた懐中電灯を握り締めると、掛け声と共にそれを頭上高く掲げた。そして生い茂る草に隠されるように存在するポカリと開いた狭い穴に、身をかがめて入り込んだ。

続けてマリモ、千早、浩司、最後に陽一朗。

入り口は狭いが中は広々としていて、かがむ必要はないくらいに天井が高い。ややカビ臭いものの、子どもの秘密のアジトとしては十分だといえる。


五人は小さな明かりひとつを頼りに慣れた様子で奥へと進む。突き当りまで来るとそれぞれがゴソゴソと身じろぎ、ナニかを取り出した。


卓也は15センチほどの、緻密な彫刻がなされている木片を取り出した。

千早は襟元から、銀鎖の先にぶら下がる紫水晶のような円柱形の石を引っ張り出し、手のひらに乗せた。

マリモはポニーテールに結い上げていた髪を解き、その琥珀色の髪留めを両手で握り締めた。

浩司はすでに用意していたらしく、細い手首には朱い小さな珠がはめ込まれたリストバンドをしている。

陽一朗はもそもそとリュックのポケットを探り、黒い蹄鉄を取り出した。


円を描いて立ち並んだ五人は互いの顔を見合わせると小さく肯き合い、手にしたものを中央に差し出す。


「チハ」


「うん」


卓也に呼ばれた千早はそれまでの情けない表情を一変させ、キリリと頬を引き締めると、静かに目蓋を閉じた。


「【時は満ち、鍵は自ら訪れる。定められし血脈の命に応え門を開けよ。抗えざる流れを繰るがため、此処に選ばれし者を、その膝元へと導かん】・・・・・・みんな、来るよ」


目を開けた千早が上を向いたと同時に、岩の天井しかないはずの頭上からキラキラと銀色に輝くなにか(・・・)が、ドボドボーッと降り注いできた。


「「「「ッ!」」」」


例えるなら、バケツ・・いや、タライいっぱいのヌメヌメした液体を被ったような感覚。実際には一滴も濡れていないのだが、毎度のことながら何度味わってもこの感触には慣れない。


「うえええ~ッ・・いつもながら、気持ち悪ぅぅぅッ」


「うへぇ・・・頭から大量のナメクジをぶっ掛けられたみたいだよなぁ・・」


「もう! 浩司クンやめてよ! 想像しちゃったじゃないのッ!」 


「あはは。病原菌やウィルスを持ち込まないために必要なエアシャワーの役割だと知ってはいても、コレばかりは慣れないもんだなぁ」


心底不快だとばかりに顔を顰めた三人に反して、陽一朗は気持ちが悪いと言いつつも笑っている。

祝詞をあげた当の本人(ちはや)といえば、ヌメヌメを浴びたときの姿勢のままに、顔を上に向けたままボンヤリと佇んでいた。


「おい! チハ、大丈夫か? そろそろ行くぞ」


「え? あっ、う、うん!」


卓也に腕を引かれて我に返った千早は、まるで遠足のようにウキウキと楽しそうに先を歩く三人の後ろを、卓也とともについていった。


周囲の景色はさっきの一瞬で様変わりしている。古い防空壕のような洞穴の中ではなく、今はどこか年季の入った木造家屋の一室だ。

秘密基地にはあるはずのない古びた木の扉。浩司が(かんぬき)をはずして両手で押すと、扉はゴリゴリと角を石床に擦りながら、外界の光を受け入れてゆく。


ギイィィィィィィィ・・・


蝶番(ちょうつがい)がサビ付き、軋んだ音が石造りの壁に反射して大音量で鼓膜へと響いた。

しかしこの五人にとっては聞き慣れた音。特に気にするでもなく、先頭にいた浩司は至極当然に扉の外へと踏み出した。


「おおお? なんだよー、コッチ(・・・)は雨かぁ?」


「えー? あ、ホント。ヤダなー、髪が広がっちゃうわー」


浩司とマリモは軒先から灰色の空を見上げ、ムスッとへの字に口を曲げた。

激しくないながらもシトシトと降る雨にがっくりと肩を落とした二人に、背後からにょっきりと顔を出した陽一朗が、「いいじゃないか」と嬉しそうに笑う。


「雨、様様さ。天からの恵みだよ。豊穣、実りの神・シェセラ様の計らいだね」


ここのところ晴れた日ばかりが続いていたからありがたいと、子どもらしくないセリフを吐き、手を伸ばして雨粒を手のひらに受けると、濡れた指先を眺めた。


「悪いが俺は先に行く。せっかく土が湿ったからな、一秒でも早く畑に行って手入れをしたい」


「あーはいはい。わかってるよ。・・滑るから気をつけて行けよ」


「ああ、じゃあ!」


普段はおっとりキャラの陽一朗がらしく(・・・)なく(いや、ある意味子どもらしいのか?)、足取りも軽やかに雨の中を駆け出した。

その後姿を手を振って見送っていた四人は、彼の姿が角を曲がって見えなくなると、互いに顔を見合わせた。


「じゃあオレらも・・」


「あーッ!! いたッ! いましたよー!」


それぞれ持ち場に移動しようかと言おうとした卓也の言葉は、突如頭上から割り込んできた甲高い大声によって遮られた。


「ふ・く・し・ちょーさ・まー! おむかえにーあがりましたよーッ!」


揃って見上げれば、雨の中を巨大なシャボン玉が2つプカプカと浮かび、その中で浮遊している人物が四人に向かってブンブンと手を振っている。


「げ・・・アレってルカとフォナだろ? お前を迎えに来たのか?」


「・・・たぶん」


あからさまに嫌な顔をしたのは浩司。天敵の登場に頬が引き攣っている。

シャボン玉が徐々にこちらに近づいてくることにウンザリしながら訊ね、背後では嘆息した千早がげんなりと頷いた。


「ル・カ・ちゃーん! フォ・ナ・さーん! おひさしぶりでーす!」


浩司とは正反対に、満面の笑みでもって再会を喜んでいるのはマリモ。ルカに倣って両手を振り返している。


「どういうことだ? なんであいつらがオレたちの到着を知ってんだ?」


「んー? あたしが報せたけど?」


首を傾げる卓也にクルリと振り返ったマリモは、さも当然だとばかりに、自分が連絡しておいたとバラした。


「前回来たときに通信用のマジックツールの試供品を貰ったから、コッチ(・・・)に渡る前に報せておいたの」


ホラッと向けられたマリモの左手の甲・・いや、薬指には確かに、見慣れない小さな蒼い石の付いた、白金製のやや幅の広いリングが嵌められている。

マジックツールと説明されなければわからない、それなりにデザインを重視したオシャレなものだ。


「ああん? なんだよソレ、魔道具(マジックツール)だったのか。やけに彫金に細かい注文がつくなぁとは思ったんだ」


「でっしょー? あたしに難しいことはわからないけど、なんでも複数の古代文字やら計算やらを、ミリ単位で組み込んで彫られているとかで、ギリッギリ向こうの世界(・・・・・・)の秘密基地の一番奥くらいまでなら通信できるかも(・・)って言われたの。まあ効き目は一回っきりなんだけどね。早い話、実験を頼まれたってことね」


指輪を凝視する卓也と千早を無視して、マリモと浩司はなるほどと頷きながら楽しそうに話している。


「・・・ソレはナニか? 単刀直入に言えば、アイツらにチハを売ったのか?」


「・・・」


言葉もない千早の代わりに卓也がマリモに訊ねると、大きな目をぱちくりと見開いた彼女は一拍の後に「えへへ」と笑って誤魔化そうとした。


そんな会話を交わしているうちにも、ルカ、フォナと呼ばれた両人は四人のもとに到着し、空を飛ぶ為のものなのか、はたまた雨をしのぐ為なのかはわからない、巨大なシャボン玉をパチンと割って地面に降り立った。


「皆さん、お久しぶりです・・」


「ブッリで~すっ!」


話し方も表情も硬いフォナと比べ、ルカはどこまでも軽くて明るい。今も小学生低学年の出席確認ヨロシク、はーい! と手を上げて騒いで、後頭部をフォナに叩かれた。

この二人、性格が正反対なら見た目も全然違う。センチメートルであらわすなら、180はありそうな長身に、耳朶くらいの長さの、栗色のふんわりボブヘアーなのがルカ。

対するフォナはギリギリ140センチあるかどうか。限りなく黒に近い濃い紫色の髪は、サラッサラの腰まであるストレート。

服装はどちらも白い制服。襟元がチャイナ服に似た足首まである長衣で、袖と裾に銀糸で縁取りがされている。


「あーッ! コージだぁ! ひっさしぶり~! 相変わらずちっちゃくて可ぁ愛ぃね~!!」


「うるせえ! ちっちゃい言うな! おれはこれから伸びるんだよ! ルカなんか「あッ!」と言う間に追い越してやるぜ!」


浩司を見つけたルカが、いつもどおり彼のコンプレックスを突付いて遊びだしても、フォナは聞こえていないかのように表情一つ変えず、静かに千早の前に歩みでた。


「お帰りなさいませ。副術師長様」


ルカのキンキン声とは違い、フォナは低めの落ち着いた声だ。

雨の当たらない軒の下まで来ると卓也たちより7つほど年上の二人は、千早を前に些かの躊躇いもなく、深々と頭を下げた。


「た、ただい、ま・・」


コソッと卓也の後ろに隠れたが、フォナのまっすぐで鋭いまなざしからは逃れられない。


「魔術師長様が首を長くして待っておられます。早速ですが、ご同行をお願いします」


部下(フォナ)の淡々とした物言いにやや気圧された上司(ちはや)は、オロオロとしている間に「はいはい~♪」とルカに腕を引かれ、荷袋のように小脇に抱えられた。


「では」


カチッと音が聞こえそうな折り目正しい会釈をすると、ルカに向かって「行くわよ」と声をかけた。


「そっれじゃーねー。マリー、コージ、タクニャ!」


「タクニャじゃねぇ! タ・ク・ヤ!」


卓也がムキになって訂正したが、ルカはけらけらと笑うばかりで理解した様子はない。

気がつけば千早を抱えるルカとフォナの周りには、さっきと同じシャボン玉が張られている。


「え・・あ・・ちょっとま・・」 


相手が女性でも、小柄な千早とは十分な体格差があり、ガッシリと抱えられると身動きが取れない。

必死でもがいても拘束が緩むことはなく、ジタバタしている間にふわりと浮き上がった。


「タ、タッちゃ・・ッ」


「いってらっしゃ~い!」


振り返って助けを求める彼に、能天気に手を振って送り出したのはマリモだけだ。


「・・・あのシャボン玉、なんで人が乗れんの?」


「おれに訊くなよッ」


ゆっくりだけど次第に遠ざかって行く二つのシャボン玉を三人で見上げていたが、浩司がポツリと「ありゃ~倒れるまで働かされるな・・・」と呟いたのを機に、それぞれの予定のために動き出した。


「じゃあ、おれも行くわ」


「うん。頑張ってね」


「夕飯は一緒に食おうぜー! いつもんトコで待ってるからなー!」


だいぶ小降りになった雨の中、片手を挙げて飛び出した浩司。その背中を見送ったマリモと卓也も、互いの向かう先を知っているからか、簡単に「またね」と言って別れた。


マリモはしっかりとトートバッグに入れてきた折り畳み傘を取り出し、薄暗い雨模様の、中世期の下町ような景色にはまったく似合わない、パステルピンクの地に赤とホワイトのイチゴが描かれた傘をクルクルと回しながら、軽い足取りで卓也とは反対方向へ歩き出した。


「・・・よし、オレも行くか」


ひとつ深呼吸をしてから歩き出す。顔を上げて所狭しと立ち並ぶ、年季の入った民家の屋根の上に視線を向けた。


「あ~あ・・・、隊長、怒ってるだろうなぁ」


前回、帰ることをきちんと言う時間がなく、ほとんど無断で元の世界に戻ってしまった。

帰宅して、久しぶり(?)の母親の手料理を、ありがたさを感じながら腹に詰め、自室のベッドに寝転んで11年も向き合っている天井を眺めていたら、隊長は今頃どれだけ怒ってるだろうかと不安になってきた。

次に顔を合わせたとき、メチャクチャ文句を言われるだろうと予想するだけで気が滅入り、溜息ばかりの一週間だった。


「やだなぁ・・ゲンコツぐらいは覚悟しておかなきゃならないかなぁ・・」


ボリボリと頭を掻く。気が重いとボヤきつつも、口元には笑みが浮かぶ。

卓也が向かう先には尖った建物の先が見える。・・・大きく聳え建つダルバン城の天守。目的の場所、国軍近衛隊本拠地が城に程近いことを少年は知っている。


心は距離が縮むほどに逸る。

歩く速度は次第に加速し、いつしか全速力で走り出していた。








 ◇ ◆ ◇



ここは『ヴェクセリオ』。水と緑に恵まれた、4,5世紀ほど遡った地球(・・)にとてもよく似た環境の世界(・・)だ。

そして卓也たちが今現在いるのは、東の大陸のほぼ3分の1を占める大国『ダルバン』。肥沃した大地と穏やかな環境のおかげで農業・酪農は安定し、工業・商業、そして流通と、多方面での文明が足並みを揃えて日々進歩の一途を辿り、現状では近隣の諸外国のどこと比べても、一番の発展国となっている。


少年少女五人組がこのヴェクセリオに迷い込んだのは、ほぼ一年と少し前。彼らがまだ小学4年生・・10歳のときの初夏の頃だった。






青山(あおやま) 卓也。

石黒(いしぐろ) 浩司。

宇都宮(うつのみや) マリモ。

榎木(えのき) 陽一朗。


生まれたときからの幼馴染四人組は、ケンカはすれど仲は良く、テレビゲームやオンラインゲームが流行っているこの時代においても、卓也たちは外で走り回ることを好んでいた。


彼らに変化がおきたのは、ゴールデン・ウィーク明け。クラスに転校生がやって来たことで始まる。


岡部 千早。


伸び伸びと育った田舎の子ども・・・卓也たちと比べてヒョロリと細く小さな彼は、性格もかなり控えめらしく、転入初日の挨拶は、教壇の前の席の者たち数人にしか届かなかった。


聞けば以前の学校では、体調を崩しがちであまり登校できなかったらしい――――――というのは、担任教師から直々に転校生の面倒を頼まれた、クラス委員長の陽一朗に聞いた情報だ。

喘息という持病を抱えた息子を、空気が澄んだ自然あふれる土地で養生させたいとの親心から、岡部夫妻は仕事を辞めてまで、『ど』が付くような辺鄙な田舎に引っ越してきた。


実のところ、陽一朗を経由しなくても、卓也は前もって千早を知っていた。理由は簡単。卓也の住む団地の、同じ棟、同じ階の2軒隣に引っ越してきたから。


『こんにちは。うちの子も4年生なのよ。これからヨロシクね』


連休の最終日に熨斗紙を巻いたタオルを持って、同じ階の一軒一軒を回っていた千早の母親は、恰幅の良い青山夫人の後ろでのんきにアイスを齧っていた卓也に、息子と仲良くしてあげてねと微笑みかけた。


・・・・・・・・・いや、決して上品で美人でスタイル抜群な岡部夫人にクラッと来たわけじゃない。じゃないが、卓也は頼まれたとおり、千早をなにかと気にかけるようになった。

学校でも。それ以外でも。

ソレが証拠に、四人以外には絶対に誰にも内緒だと誓い合い、ずっと守り抜いてきた秘密基地の存在を卓也は千早に教え、ほかのメンバーにも紹介した。


『なんだよ! 秘密だって言い出したのは卓也だったのに、自分が真っ先に喋るってどーゆーコトだよ!』


『そうよ! 誓約書なんてものまで作って書かせたくせに、自分勝手すぎるわッ!』


浩司とマリモの怒りは凄まじかった。だが卓也は飄々と怒声を受け流し、隣で黙って話を聞いていた陽一朗に、チラッと視線を送った。

それに気づいた陽一朗はハァ~とため息を吐くと、眉を吊り上げる二人にいつもの調子で、「まあまあ・・」と割り入った。


『俺はね、いいと思う。確かに約束を破った卓也は悪いが、えっと・・岡部クン? ―――は誰かにペラペラと喋るタイプに見えないし。なにより彼、ずっと体が弱くてこんな風に外で遊べなかったらしいから、いろいろと経験させてあげたいじゃないか?』


落ち着き過ぎていて、お前ホントに小学生か? と三人が思ったのは内緒だ。陽一朗は普段オットリと優しいが、いったんキレるとこの中で一番怖いから。


『ヨウがそう言うんなら・・』


まあ、陽一朗の気性は横に置いといて、卓也の企みどおり(?)浩司たちを納得させ、秘密基地は新しいメンバーを迎えた。


ちなみにこの口ゲンカの原因である千早は、事態が収束するまで、居た堪れなさにオロオロと四人を見ているだけだった。


こうして秘密を共有する仲間が五人になったのだが、それまでただの拠点だった元防空壕と思しき洞穴は、新メンバーがあるモノ(・・・・)を発見したことで、存在の意味を変えた。

あるモノ・・・洞穴の最奥、壁面に小さく小さく彫られた異国の文字の一文。四人にはただの模様か、たまたま岩肌の凸凹がそう見えるだけとしか思えなかったが、千早にはなぜか、それ(・・)が読めた。


【時は満ち、鍵は自ら訪れる。定められし血の命に応え門を開けよ。抗えざる流れを繰るがため、此処に選ばれし者を、その膝元へと導かん】


解釈がピッタリと当て嵌っているかはわからないが、千早が声に出して読み上げたことで別の世界への扉が開いた。

そう、異世界。『ヴェクセリオ』への扉だ。


なんの覚悟も知識も無いままに放り出された、文化の異なる世界。辛うじて言葉は通じるものの、服装が違う、人種からして違う、貨幣を持っていない、常識が通じない、そのうえ子ども。・・・・・・怪しまれる要素しかない(・・・・)少年たちは、当然のごとく警吏に捕縛された。






「・・・・・・・・・今思い返してみると、確かにオレらって怪しかったよな~」


「ええい! 訳のわからんことを言っている暇があるなら、その分手を動かさんかッ!」


「あだッ!」


ぶっとい濁声とともに卓也はゴツンッと後ろ頭をゲンコツで殴られて、前につんのめる。

荒縄を束ねて作った簡易タワシを放り出し、ズキズキと痛む後頭部を両手で押さえた。


「痛いッすよ! オーガン隊長!」


何するんすか! と振り返り涙目で睨みあげると、背後にいた大男・・ダルバン国国軍近衛隊三番隊長オーガンが、腕組みをして卓也を憤怒の形相で見下ろしていた。


今、卓也は『罰』を受けている。『地下牢』・・日本で言うところの『留置所』の掃除。石床をガッシガッシと磨いている最中だ。

ここは近衛隊本部の地下、犯罪者や犯罪予備軍などを一時とどめて尋問や捜査する場所である。普段なら少なくても一人二人は鉄格子の向こう側なのだが、今日は誰一人居らず、ならば幸いと卓也は清掃を言いつけられた。

ちなみにサボり防止の見張り役には隊長自身が立候補し、卓也が汗だくになって床掃除をしている間中、ずっと説教を言い続けている。―――――――――いい加減、耳タコだ。


「バッカ野郎! 痛いに決まってるだろうが! そのつもりで殴ったんだからな!」


紺地にオレンジ色の縁取りの、学ランにも似た軍服に身を包み、腰には長剣を佩いている。隊長という肩書きと、伯爵出という証のバッジが左胸を飾り、右胸にはこれまでの功績を顕す戦斧を模した刺繍がいくつも施され、その実力を証明していた。


「まったく、お前というヤツは! 前回は警邏途中で姿を消したと思ったら、今日になってのんきに手を振ってノコノコと現れやがる」


警邏と卓也に何の接点があるのかというと、実のところ少年は、この近衛隊オーガン班の末席・・いわゆる『見習い』の席に置いてもらっているのだ。

推薦者は魔法庁のお偉いさん、魔術師長ログロワーズ。卓也の印象だと、穏やかに微笑む水戸黄門みたいな白ヒゲのおじーさんだ。


「ソレは仕方がないって、前に説明したじゃないッすか! オレには向こうでの生活もあるんで、いつ帰るかはわからないし、いつコッチに戻ってくるかもわからないって!」


「ああ、そうだな! 言ってたよな! 聞いたよ! 覚えてるさ! お前が異世界人で帰る場所があり、アフターはママンの手作りキッシュ恋しさにさっさと家路に着くってな! だがな、帰るなら帰るでキチンと言ってから帰れ!」


再びゲンコツをお見舞いされ、今度は脳天を抑えてうずくまる。


「痛ッッッて~・・・! ッて、ウチの母ちゃんはキッシュなんてオシャレなものは作れねーッすよ!」


半ばヤケになって言い返すと、オーガンではなく格子の向こう側のベンチのほうから、別の声がツッコんできた。


「タ~クヤ~。母ちゃんはいいから、姉ちゃんは~? メイちゃん。お前、今度来るときにはあの鮮明な似絵(・・)を持ってきてくれるって言ってたよな~?」


オーガン班副隊長・エドガー。少々タレ目だけど甘いマスクの色男の彼は、女に不自由なんてしていないだろうに、なぜか卓也の姉・芽衣(めい)(16)にご執心だ。

ずっと前、財布の内側に張ってあった(と言うか、ムリヤリ貼られた)プリクラを見て以来、エドガーはしつこく芽衣の話を聞きに来る。あまりのしつこさに辟易し、前回とうとう写真を撮って持ってくると約束してしまったのだ。


「アレのどこがそんなにいいンすか? 見た目はまあまあだけど、かなりワガママで乱暴モノのゴリラ女ッすよ?」


趣味が悪いと言いつつもポケットをゴソゴソと探って、 ちょっぴり端っこがシワになってしまった写真を数枚取り出した。

寝顔や高校の制服着用の後ろ姿、夏祭りに行く前に撮った浴衣姿やリビングで寛ぐノースリーブ&ホットパンツ。中には買ったばかりの水着を家で試着して見せてくれた時のビキニ姿なんて、少々無防備なもの等などetc。

当然すべて隠し撮りだ。バレたらマジで殺される。


ハイと差し出すと彼はひったくるように受け取り、覗き込んでヒューッと口笛を吹いた。


「やっぱりカーワイイなぁ。・・・ゴリラが何かはわからないけど、あまり良い意味じゃないんだろ? だがな、どうせ俺はメイちゃんとは一生会えないんだから、見た目だけで十分なんだよ。わかったか? 弟クン」


まるで子どもに言い聞かせるみたいに体をかがめ、目線を合わせて言われた。確かに一生、芽衣と彼は会えないだろう。だから夢くらい見せろと言いたいのだ。

気持ちはわかったが、体を起こして胸をそらし、フフン!と高い所から見下ろすエドガーの態度にカチンときた卓也は、憎たらしい目の前の男に負けない不遜な態度で、最終兵器を投下した。


「へっへ~んだ! 副長は写真を見てるだけだけど、姉ちゃんのカレシはきっとあ~んなコトやこ~んなコトしてるんだからな!」


「なッ! タクヤッ、てめぇ~!」


実際に『あんなコト』『こんなコト』がどんなコトなのか、ハッキリと知るわけではない。知るわけではないが、卓也の反撃はキッチリ功を奏したようだ。

ワナワナと怒りの形相のエドガーに胸元をつかまれても、卓也は一矢報いてやった喜びのほうが勝り、ニヤニヤと笑っている。


「いい加減にしねーかッ、この馬鹿モンどもが! ・・ったく、エドガーもいちいち絡むんじゃねえ!」

 

ウンザリと顔をしかめたオーガンに窘められた二人は、渋々ながらも睨み合っていた鼻先を離し、エドガーは先ほどまで座っていたベンチに、卓也は放り出したタワシを拾うと床磨きを再開した。


「それにしても・・・」


しばらく無言でゴシゴシと石の床をこすっていた卓也は、ふと浮かび上がった疑問を口にした。


「どうして(ここ)、罪人の一人もいないんすか?」


少し離れているうちにダルバンは平和になったのか?

しかし卓也の知るダルバンは、近年目覚しい発展によって豊かになったコトと比例するように、甚大ではないものの決して楽観できない程度に、犯罪も増えつつあったはずだ。

見習いとはいえ警邏や巡視、捕縛に同行している卓也は身をもって知っている。なのに・・・


「ああ。ここがスッカラカンな理由か? 少々困った事態になってな」


石壁に腕組をして凭れたオーガンは、深々と嘆息すると地下牢がもぬけの殻のわけを話し始めた。


「ここ数日、急に捕縛された罪人が増えてな・・・。この近衛本部の地下牢は王城に近いから物騒だという意見が出たのと、収容人数の限界も迫ってきていたんで、留置場所を移したんだ」


「そうそう。ホラ、お前も知ってるだろう? 王都の北のはずれにある古い教会。敷地ばかり広々とした、廃屋になってかなり経つ・・・」


ご機嫌で写真を眺めていたエドガーが、オーガンの後を引き継いで移転先を教える。そこは卓也も警邏で何度か訪れたことのある、やや壊れかけた廃教会だった。


「ですが、あの教会って建物自体はそんなに広くなかったっすよね?」


「ああ。だから魔法庁に依頼し、『地』の魔術で広大な地下空間を掘ってもらった。その他にも多重に結界を張ってもらったし」


「魔法庁に・・ですか?」


すぐに思い浮かんだのは、さっき別れたばかり(実際は拉致されたのだが)の千早。なぜなら彼はその魔法庁の現副師長の任に就いているからだ。

不思議なことに千早はこの世界にトリップしたと同時に、強大な魔力を手に入れた。

魔力・魔術に秀でたものが集う魔法庁の長、魔術師長・ログロワーズ老の眼鏡に適い、いつの間にかログロワーズの片腕、副師長の座に就かされていた。


しかし、


「でも、チハはオレとさっき来たばかりだよなぁ?」


そんなにも広い空間を作り出すには、それなりの魔力を持った術者がいなければならないだろうと考え、小首を傾げポソリと呟く。するとそれを拾い聞いたオーガンはしかめていた顔を更に苦らせ、魂さえも吐き出しそうな溜息を吐き出した。


「・・・もちろん師長様が来てくださった」


「あ――――――――――――・・・」


格子の向こうのベンチに座るエドガーを見れば、彼もげんなりと項垂れていた。


卓也はログロワーズにはたった一度しか会ったことがない。だから(ちまた)に流れている噂と千早を介しての情報しか知らないが、どうやらかなりの変わり者で気難しい人物のようなのだ。

近衛隊の隊長と副長にこんな反応をさせるほどのログロワーズに、ある意味尊敬の念と興味を抱いたが、それを言うと絶対に二人から責められると予感し、卓也にしては珍しく口を閉ざしていた。


何かがあったのは確かだろう。後でルカに聞こうと思い、今はせっせと罰の続きに精を出した。








 ◇ ◆ ◇



卓也はミシミシと痛む腰を伸ばして身体をほぐすと、見張りに飽きて隊長室に戻ってしまっていたオーガンへと報告に向かう。やっと罰掃除を終えたのは、陽が傾き始める時刻になってしまった。外は雨は上がって晴れ渡り、青から朱へと美しいグラデーションに変わっている。


「おー、タクヤ。帰ってきて早々ご苦労さんだったなぁ!」


「せっかくキレイにしたんだろ? 今夜一晩泊まってみたらいいんじゃないか?」


別棟の地下牢から、本部本館の2階にある三番隊長室へと行く途中、階段の踊り場で近衛隊の仲間に出くわすと、皆一様に悪い笑みを浮かべ、グリグリと卓也の頭を撫でながらからかってきた。

一番近くにいるロドが、あそこは本当に出る(・・)から夜は涼しく眠れていいぞーと言って、キシシと笑っている。


「冗談じゃねえ! そんなに涼しくなりてーなら、ロドが泊まればいいだろッ。地下牢ならどんなに寝相が悪くても、鉄格子があるから外までは転がっていかねーぜ!」 


「なんだと! そんなにヒドくねぇよッ!」


誰もが知っている彼のひどい寝相の話を出すと、ロド以外の面々が一斉に爆笑した。


「わっはっは! 確かに良い案かもしれねぇな!」


「いっその事タクヤと二人で泊まりゃぁいいんだ!」


ロドは以前、近衛隊が山奥での夜営訓練時に、突然行方不明になった。

交代で見張りを立てていたにもかかわらず、誰一人としてテントを離れるロドを目撃したものはおらず、ならば第三者による拉致の可能性を疑ったが、大の男を誰にも気付かれずに攫うのは困難を極めるだろうし、そもそも理由が思い当たらない。それに理由以前の問題で、まず不可能だという結論に達した。

ならばロドはなぜ消えたのか?


隊員全員で夜通し山の中を捜索し、そしてとうとう発見した。

―――――――――陣営を構えた先の崖下、張り出した木の枝に引っ掛かって、ハンモックよろしく安眠するロドの姿を。・・・・・・そう、彼の寝相は半端じゃないのだ。


「ほ~ら! お前以外は賛成してるぜ!」


ガランとした部屋が寂しければ、顔を描いた鉄球付きの足枷と抱き枕も用意してやると言うと、更に周りは大爆笑いした。


「そんなものいるか!!」


「なんだよ~。せっかくの好意を断るのかよ~」


一通りロドと睨み合ったり、他の仲間たちと挨拶を交わし別れると、卓也は改めて隊長室へと向かった。


「隊長ー。掃除終わッしたー」


ノックをしてドアを開けると、執務机で書き物をしていたオーガンが顔を上げ、ペンを下ろし手招きした。


「ちょっと来い」


「? なんすか?」


首を傾げつつ近寄ると、彼は抽斗から折りたたまれた一枚の紙片を取り出した。


「地図・・・?」


それはダルバンを中心に描かれた広域の地図だ。残念ながら全世界とはいかないものの、海や隣り合わせた近隣諸国もかなり詳細に描き写してあった。


「ああ。・・・お前はここ最近の犯罪の増加をどう思っている?」


「どうって・・・」


突然振られた質問と地図がどう関係するのかがよくわからなかった卓也は、更に首をひねるだけだ。

その様子を予想していたらしいオーガンはウンと一人頷くと、地図のある一箇所を指差しトントンと叩いた。


「ここがここ(・・)、ダルバンの王都・ナダフだ。少々高くなっている丘の上・・ちょうど中心あたりにある▲がダルバン城。そしてここから放射状に各領主の納める地方領が存在する。たとえば代表的な力のある領を挙げるなら、早馬で北へ2日半離れた地シェントは、シェント伯爵が統治しておられるし、南西に5日馬車を走らせればダルバン一豊かで広大な・・」


「ボルへザーク領・・」


「そうだ。確かお前は以前、ボルへザークに出向したっけな。オースカー隊長率いる中域班のオディオールと一緒に。んー・・それなら縁があるか。領主のエリウォン様や、そのご息女―――」


「ミラ・・いえ、ミランダ様です」


その名を口に出すことで、今まで忘れていた懐かしい顔を思い出した。


ミランダ・ボルへザーク侯爵令嬢。当時卓也より二つ年上だった、コチラの世界でできた友人の一人だ。白い肌に金髪碧眼の美少女は、か弱く儚い印象を裏切るなかなかしっかりとした女の子だった(・・・)


しかしある事情から侯爵親子は魔法庁副師長である千早を怒らせ、侯爵はもちろんミランダともそれっきりになっている。


「・・・任務で少しの間、侯爵家にお世話になってただけだし」


その時の大変だったアレコレを思い出しつつ、縁と呼べるほどの交流は無いと笑って告げると、立場上状況のすべてを把握しているオ-ガンは微苦笑を浮かべた。


「ああ、そうだな」


当時とほとんど変わりの無い、まだあどけなさを残す少年の表情に、一片の恨み辛みもないことに内心感心したが表には出さず、頷くにとどめて話を元に戻した。


「ダルバン国全土へと調査隊を派遣している中域班からの情報だと、最近各領地の郊外・・人里を離れた田舎のあちらこちらに、『(ひずみ)』が発生しているらしい」


「『歪』・・・ですか?」


「ああ。しかもかなり複数箇所で。発生している時間そのものは短いらしいが・・・」


 肘を机について両手を組んだオーガンは、眉間によったシワを親指でグリグリと揉み解し、卓也は以前に遭遇したことのある『歪』を思い出し、ギリリと奥歯を噛み締めた。


『歪』・・・それは突如空間に発生する、正体不明、原因不明の(ゆが)みだ。ありとあらゆる力が重ね合わさって変質しているらしく、どんなに魔力の強い術師でも消し去るのは不可能で、一度発現したら自然と収まるのを待つしかない。

だが、そこ(・・)に現れるだけであれば、脅威とは言わない。地球でだって、熊が人里のはずれで発見されたとしても、何もせずすぐに山へ戻ってゆくのなら、人間とてあえて熊を殺処分にすることはないだろう。

被害があるからこそ対処せねばならないのだ。


「さっき隊長が訊いた犯罪の増加と『歪』。・・・関係があるんですか?」


「どうやらそうらしい。調査していた者が目の当たりにしたそうだ」


偶然にも隊員数人の目の前で突然空間にピシッとひび(・・)が入ると、わずかに景色がずれ、ビキッビキッと音を立てて亀裂が進んだらしい。そして四方八方に長さ1ミグル(50センチ)くらいの、地中に張り巡らせた木の根のようなひびの塊はその中心から絞るように、異質な力によって捻られたという。


「隊員たちは念のためにと、ログロワーズ師長が防御魔法を付与してくれたマジックツールを身につけていたおかげで大事に至らなかったのだが・・・」


『歪』が及ぼす影響の範囲にいたと思われる亜人やケモノたちが一様に正気を失い、隊員たちをグルリと取り囲んで一斉に歯を剥き、唸りだした。

ゴブリンやワーム、狼やヘビ・・・敵愾心もあらわに威嚇してくるそれらの中には、隊員が世話をし心を通わせた愛馬たちの姿もあったという。


「『歪』が現れている時間は短い。だが、周囲に与える影響は過ぎるほどに大きい。もし人間にも同じ作用があるのなら、ここ最近の犯罪増加の一因は『歪』せいかもしれない。それにこの先もっと数が増え、もっと現れている時間が長くなったらと想像すると・・・」


「・・放置するわけにはいかない」


「そうだ」


卓也は手のひらにツメが食い込むほどに、固く拳を握った。


少年たちはこの世界に来てからたくさんの人々と出会い、助けられてきた。

異なる世界。風習もルールもマナーも何もかもが初体験の連続で、トリップした当初は正直泣き出してしまいたいほどに心細かった。

だが、ダルバンの人々は優しかった。何も持たない五人の異世界の子どもたちに手を差し伸べてくれ、ただ庇護するだけでなく、自身の力で生きてゆく術を教えてくれたのだ。


昨今の日本では地震の研究はかなり進んでいるし、予知だって当たる確立はだいぶ上がってきて・・・いると思いたい。だから同じ自然現象なら、『歪』だって予知できないものだろうか?


・・ふと、『歪』を天災のカテゴリーで考えたとき、あることが頭の隅をよぎった。


「そういえば、以前は地震が多かったっすよね」


卓也たちがトリップしてきた当初は、それなりに大きい地震が連日起こっていた。日が経つにつれ段々と小さく、回数も減り、10数年たった現在では全くといっていい程に起きていない。


「ああ。そういやこのところ全然揺れねえな。一時期は国が崩壊しちまうんじゃねえかと思うほどに酷かったんだが」


地質や自然現象を研究している局の学者たちによると、地震の心配はもうないだろうと言う。しかしここへ来て、新たな脅威が人々に不安をもたらせはじめた。

卓也が地震と『歪』との因果関係について訊ねると、オーガンは調査中らしいと吐きすてた。


「とにかくだ。データを収集した結果、どういうわけか一番『歪』の発生頻度が高いのがどうもボルへザークのようなんだ。理由はともかく今はどうにかして発生原因を掴み、何とか対処方法を突き止めたい。だが調査中『歪』に遭遇し、凶暴化した獣や亜人と戦った隊員たちにケガ人が続出したらしい。―――そこで、タクヤ・・」


続けられたオーガンのセリフにハッと顔を上げた卓也は、考えるまでも無く反射的に自分に行かせてほしいと頼んでいた。


「前回向こうにいたときに、領地の隅から隅までを把握させられました。5年(・・)でそう変わるとは思えないし、オレが適任です!」


「・・・そう言うだろうと思ってたさ」


オーガンは呆れを含ませた苦笑で息を吐くと、目の前の山積みにされた書類とは別に、その横に置いてあった皮羊紙を引き寄せて何かを書き込み、まだ触るなよと言いながら手渡してきた。

覗き込むと三人の名前が連ねてある。一番下が卓也。その上にはロド、一番上はディランだ。


「調査出向の任命書だ。ディランに渡しておいてくれ。一応アイツが今回のリーダーになるからな」


「リーダー? 出向はオレ一人じゃないンすか?」


「当たりまえだ。どこの世界に見習い一人を危険な任務に就かせるヤツがいるんだ。前回だって今の中域隊副隊長やってるオディオールと一緒だっただろうが。・・確かにお前には土地勘がある。だがな、神出鬼没な『歪』や『歪』の影響を受けた亜人たちに遭遇したときに、一人じゃ対処しきれんだろう」


「はあ・・」


卓也は気の抜けた返事を、溜息とともに吐き出した。


(見習いって言っても、もう10年以上(・・・・)も続けてるんだから、そろそろ一人前として扱ってほしいんだけど・・・)


などというグチは飲み込んで、卓也は皮羊紙をくるくると丸めるとオーガンへ敬礼を残し、ドアへと向かった。

失礼しましたと部屋を出る際、すでにデスクワークに戻って書類とにらめっこをしているオーガンが、顔は上げないままに卓也を呼び止めた。


「異世界出身だとか未成年だとかは関係なく、あと身長を10ミグ(5センチ)体重を20セグル(10キロ)増やしたら、正式に隊員として認めてやるぞ」


見習い期間が長いと不満に思っている卓也の心情を読んだらしいオーガンはクククと笑い、卓也はムスッと口をヘの字にひん曲げた。








 ◇ ◆ ◇



寮に住まうディランに任命書を届けた卓也は、同じく寮内にある自身の部屋へと向かった。

尻ポケットから毎回必ず持ってくる、木片以外の唯一の持参品(今回はエドガーに写真も持ってきたけれど)・財布を取り出すと、小銭入れから一本の古めかしい鍵を出して、年代ものの、鉄製のドアの鍵穴へ差し込んだ。


カチリ・・


ひかえめな開錠の音を聞き、卓也はノブを回す。ドアをあけると些かカビ臭い嫌なニオイがして、ぎゅっと顔をしかめた。暫くと言うほどではないものの、少しの間留守にして締め切っていた室内は、空気が澱んでいて蒸し暑い。

卓也は真っ先に窓へ向かうと、一気にカーテンをあけ、ネジ式の鍵を外して木戸を押し開けた。


「ふう・・・」


窓枠に両手をついて身を乗り出す。部屋の中に流れ込んでくる風を感じて、気持ち良さに目を瞑った。

ダルバンを囲む森の匂いと煮炊きする街の匂いがここまで届いている。自分たちの住む地球と似ていて異なる、不思議な匂いだ。

ゆっくり瞼を持ち上げると、遥か彼方に山間へと徐々に沈んでゆく朱色の太陽が、森も家々の屋根もすべてオレンジに染めていた。


また当分ここでの生活が始まる。今度はどれくらい(・・・・・)いられるだろうかと考えると、ウキウキと胸が騒ぐのを止められない。知らず口元がにんまりと笑みを形作っていた。






初めて少年たちがトリップしたとき、彼らは帰り方がわからず、ダルバンの王都ナダフに半年間滞在した。


『なんじゃ? 元の世界に帰りたかったのか。ワシゃ、お前たちはもうヴェクセリオに落ち着くつもりなのかと思っておったわ』


帰郷を諦めはじめた頃、ログロワーズはわざとらしく驚いた表情で、抜け抜けとそう言ったそうだ。

千早を通して聞いた四人は、それぞれ口に出しはしなかったものの、みんな同じことを思った。そう、『クソじじぃ』・・と。

それでも、半年振りに帰れる喜びと、きっと行方不明になった自分たちを家族たちはヒドく心配しているだろうと、長すぎる時間の経過を感じる少年たちは、いろいろな気持ちで胸をいっぱいにして元の世界・・地球に戻ってきた。


懐かしい秘密基地から外に出ると、景色は夜に染められていた。

草と土の匂い。家々や街灯にともる人工的な明かり。

空を見上げればチカチカと瞬く星の間を、飛行機らしき赤い光がゆっくりと移動している。


「帰って・・きた、の?」


はじめに声に出して確認したのはマリモだ。呆然と立ち尽くすほかの面々がのろのろと彼女を見た。


「・・・・・・とにかく家に帰ろう。半年も行方がわからなくなっていたんだ、きっと家族は心配している」


陽一朗の言葉に頷き、五人はガサガサと藪を掻き分けて、自転車を停めていた場所まで出てきた。

異変に気がついたのはほぼ同時。全員が自身の愛車に近付いたときだ。


「おかしくないか? 自転車・・汚れても錆びてもいないなんて・・」


そもそも発見されていないことが不思議だ。

半年も子どもたちが失踪していれば、絶対に捜索願が出され、秘密基地はともかく自転車は発見され、回収されていてもおかしくない。・・いや、回収されていなければ(・・・・・)おかしいんだ。


彼らは一様に首を傾げていたが、再度陽一郎の呼びかけで、やっと家路に着いた。・・・――――――――――――――――――――結果から語ろう。少年たちは両親にこってり叱られた。

「暗くなる前に帰ってきなさい!」と。


そう、五人はヴェクセリオにトリップした同じ日(・・・)の、6時間後(・・・・)に帰ってきたのだ。


彼らはこのときまで知らなかったのだが、実はヴェクセリオと地球では流れる時間の速度が違う。ヴェクセリオでの1ヶ月は、地球では大体1時間、半年・・6ヶ月向こうに滞在していても、コチラでは6時間しか経過していないのだ。


その後数日、何事も無かったかのように学校へ通い、宿題や家の手伝い、塾などなど・・一人一人がそれぞれ普通の小学生の生活を送った。だが、一月ほどが経った頃、五人は再び秘密基地に集まった。

理由は簡単。ヴェクセリオが懐かしくなったのだ。

勝手なもので、向こうにいて帰る方法がわからない頃は、地球が恋しくて仕方が無かった。両親や兄弟に会いたかったし、漫画やゲーム、スナック菓子も懐かしかった。

だが元の世界に・・元の生活に帰ってこれた今、今度はアチラでできた友人や残してきた仕事が気になって、気が気じゃなくなった。


もう一度ヴェクセリオへ! 少年たちの思いは重なった。


「念のために訊いておくけど、トリップできないかもしれないし、渡れたとして次はコッチに帰ってこられないかもしれない。皆、それでもいいんだね?」


最終確認する陽一朗に、四人は頷くことで答えた。仲間たちを一瞥して自身も頷いた陽一朗は、千早に頼むと声を掛けた。


【時は満ち、鍵は自ら訪れる。定められし血の命に応え門を開けよ。抗えざる流れを繰るがため、此処に選ばれし者を、その膝元へと導かん】


1ヶ月前と同じ場所で同じように向かい合わせ、千早が壁に書かれた一文を読み上げる。ただ一つ前と違うところはアチラでの貨幣など、五人ともがヴェクセリオから持って帰ってきてしまった物を手に握っていることくらいだ。

これは浩司の案だった。少しでも向こうとの繋がりを濃くしたほうが渡れる確率が上がるのではないか? と思ったのだ。

現在は、それぞれが自身で選んだヴェクセリオのカケラを身に着けている。


そして少年たちは再びヴェクセリオへ。この日から五人の、地球と異世界での二重生活は始まった。


ちなみにここで疑問を一つ解消すると、不思議なことに地球での1時間を向こうで1ヶ月かけて過ごしているにもかかわらず、地球で数日過ごしてからヴェクセリオに戻っても、こちらでの1日はあちらでも1日しか過ぎていなかった。

ヴェクセリオに渡る前は単純計算で1時間=1ヶ月なら、24時間は向こうで2年、1ヶ月なら744時間・・・62年。62年ッ?! 

一体どれだけの時間が過ぎてしまっているかと不安だったが、アチラに渡って一番に再会した街の住人たちが皆んな姿を変えず、「やあ、久しぶり!」と声を掛けてくれたことで、五人はホッと胸を撫で下ろした。






「さてと、出掛けるか」


夕焼けに染まる景色を眺めながら物思いに浸っていた卓也は、ふと浩司や陽一朗たちと行きつけの食堂で食事の約束をしていたことを思い出し、いそいそと窓を閉めるとクローゼットへ向かった。

ベッド以外では唯一といっても過言ではない、木製の簡易クローゼット。幅30センチほどの扉を開けると、今日は着なかった隊服と外套が2着、数本のベルトがぶら下がっている。


季節に合わせた薄手の方の外套を取り出してベッドに放り投げ、皮製の幅の広いベルトを引っ張り出し、腰に巻いた。それほど高価なものではないが、自分の給料で買ったお気に入りの一品だ。

右側にはお金やちょっとした物を入れておける小物入れが付いており、左側には剣を佩くための通し穴が施されている。

続いてクローゼットの奥をゴソゴソと探って布でぐるぐる巻きにされた細長いモノを見つけると、まるでペットにでも話しかける飼い主のように愛情を込めて話し掛けながら、ウキウキと布を剥がしていく。


「よ~ぅ、相棒ッ。久々のご対面だぜ~!」


出てきたのはやや短めとはいえ、鞘に納まったままの日本刀にやや似た長剣。コチラの世界で卓也が愛用している『渾身丸(こんしんまる)』だ。

なぜ『渾身丸』などとオカシナ名前なのかというと、この剣の生みの親が浩司だから。

工房で有名な刀鍛冶に付き、長い間修行を積んでやっと一本作らせてもらえるようになった浩司は、剣に対する思いや、それまでに培ってきた修行の成果をすべて注ぎ込んで、精一杯鋼を鍛えた。

直伝の技や彼自身の中に眠る才能など、すべてがプラスに作用し、師匠が驚くほどの秀でた一品が生み出された。――――――――――――それが『渾身丸』。名前の由来はもちろん、浩司の渾身の力作だからだ。

浩司は迷うことなく卓也に贈った。


卓也はハーフパンツのポケットからトリップ時にも手にしていた木片を取り出すと、柄にある一部へこんだ溝にそれをパズルのピースのようにカチリと嵌め込む。一瞬ふわりと青白く発光したがすぐに元に戻り、緻密な彫刻は柄に彫られた溝とピタッと合わさって、美しい意匠となった。


慣れた手つきでベルトに愛剣を佩くと、先ほどベッドに置いた外套を纏った。


「ああ、そうだ。忘れるところだった」


部屋を出ようとした卓也は何かを思い出し、ベッドまで戻ってくると寝台の下を覗き込み、腕を伸ばす。奥から5キロサイズのみかん箱ぐらいの木箱を引っ張り出すと、以前地球から持参したダイヤル式の鍵をはずし、中から麻でできた袋を取り出した。

袋はチャリチャリと音を立てる。


「これがなきゃメシが食えねーもんな」


ダルバンの通貨。見習いという肩書きから正規の隊員程の金額はもらえていないが、寮で賄いを用意してもらったり必要なものを自分で購入できる程度には、十分足りる。

麻袋・・コチラでの財布なのだが、中を確認して食事代には十分な枚数だけを残し、あとは木箱に仕舞って鍵をかけ、ようやく部屋を後にした。


きっと誰かしら先に来て待っているだろう。待ち合わせはいつもの大衆食堂『仔羊のしっぽ亭』だ。

暫くぶりに会える人の良さげなマスターと、ちょっぴり愛想過多でかなりマッチョなウェイトレス(?)を思い浮かべ、卓也はニヤけそうになる口元に力を込めて抑えながら、慣れた通りを急ぎ足で向かった。








 ◇ ◆ ◇



(だいだい)一色に染まる街中。家路を急ぐ仕事帰りの人々や夕餉の買い物に訪れた客と、そんな人たちを狙い、一つでも多く品物を売りたいがために大声で呼びかける露店の商売人などなどで、通りは活気に満ちている。

わいわいと賑やかな商店街の真ん中を、卓也は楽しそうに見渡しながら早足で歩いていた。


「おうッタクヤ! こっちに帰ってたのか?」


店仕舞いを始めていた金物店のちょびヒゲ店主・ベリスが、卓也を見つけて声をかける。

見ればメタボな腹をユサユサと揺すりながら、店先に出してあった看板代わりの超特大鍋から、野良猫たちを追い出している最中だった。


「コラッ! この猫どもが、さっさと出て・・あいたっ!」


「あはは! ベリスは相変わらずだなぁ。今日の昼頃に着いたんだ。また暫くヨロシク!」


「タクヤだって? あらホント! アンタ帰ってたんならもっと早く顔を見せにおいでなさいよ!」


ベリスとの遣り取りを聞きつけ、買い物に来ていた恰幅のいい中年女性が大きなパンの袋を抱えて近寄ってきた。そしておもむろに腕を伸ばしてくる。


「ゴメンゴメン。さっきまで本部で隊長に扱き使われていたもんだから。でもアネットも元気そうでよかったよ」


肉厚な手でワシワシと頭をなでられた卓也は、乱れた髪を直しながら目の前の肝っ玉母ちゃんに苦笑を向けた。

魚屋の店主である彼女からは、いつもの嗅ぎ慣れた水のニオイがした。


「元気も元気さ! アタシが元気じゃなくなったら店の魚が腐っちまうよ!」


夫に先立たれ、女手一つで四人の子どもを育てきったアネットに、店をほったらかしで出てきていいのかと訊くと、「店なんかみ~んな売り尽くして、さっさと閉めてきたわよ!」と、彼女はからからと笑った。


手短に挨拶だけを交わし、じゃあねとアネットと手を振って別れた卓也は、進むごとに顔見知りに捕まっては2,3言葉を交わし、大分時間をかけて目的の『仔羊のしっぽ亭』に到着した。

ドアを開けたところで立ち止まり中を覗くと、すでに浩司と陽一朗が定位置である奥のテーブルに着いている。

・・・それにしても、酒場を兼ねた大衆食堂のテーブル席に、子どもたちだけが座っているって図は、第三者的に見るとちょっと異様だ。


「よぅ! 卓也ッ、こっちこっち!」


タンブラーを手にコッチだと呼ぶ浩司に手を上げて応え、卓也は客でごった返す狭い店内を、人やテーブル、誰かの脚を避けながら奥へと進む。その間も何人かの顔見知りと目が合っては言葉を交わし、気安く笑い合った。


「相変わらず卓也は人気者だな」


やっとテーブルにたどり着いた卓也に、陽一朗は苦笑しながら自分の隣を勧める。伝染(うつ)ったように卓也も微苦笑を浮かべ、友人の示した席に腰を下ろした。


「よせよ。人気者って言うのとは違うだろ。近衛隊は警邏なんかで街中を巡回しているから、みんなオレを知ってるってだけだよ」


罰掃除とここへ来るまでに費やしたエネルギーのせいですっかり腹が減った卓也は、了解も得ずに陽一朗の前の皿に手を伸ばした。

甘辛いソースがかかった一口サイズの鳥肉のソテーを、行儀悪くも指先でつまみ、ポイッと口に放り込む。もぐもぐと咀嚼し飲み込むと、美味いなと呟いた。


「いらっしゃーい! タクヤひさしぶりねー。でぇ? 今日はなんにするぅ?」


頑張った裏声はウェイトレスのキャレ。彼女(?)はぶっとい二の腕とふくらはぎを露に、純白のひらひらフリルエプロンを翻しながら、軽い足取りでオーダーを取りに近づいてきた。


「おう! キャレ。久しぶり・・に見ても相変わらずムッキムキだな~! とと・・そんなに怒るなよー」


「タクヤひどい!」


女性(?)に対してかける言葉ではないことを承知の上で、わざとキャレのコンプレックスを刺激する。すると彼女は「もうっ、イジワル!」と頬を膨らませ、力いっぱい卓也の肩を叩いた。

バシィッ! と、景気のいい音が店内にこだまするのと同時に、卓也の断末魔も響く。だが挨拶代わりのようないつもの遣り取りに動じる者はなく、反動で椅子から転げ落ちたというのに、店主を含め友人たち見知らぬ客たち皆、腹を抱えて笑っていた。


「あだだ・・ッ。と、とにかくなんか食うもん・・腹に溜まるもんを頼むよ」


椅子に座り直しながら注文すると、キャレはベーッと舌を出した後に厨房へと戻っていった。


「マジですごい威力だ・・」


「じゃあ言わなきゃいいだろ? なんで卓也はいっつもキャレをからかうんだよ」


浩司は呆れ返ったまなざしで斜め前に座る無謀な友人を見ているが、陽一朗は何もなかったように落ち着いたまま、タンブラーを傾けている。


「まあ・・・一種の癖みたいなもんだな。って、それはともかく、マリモとチハはまだなのか?」


キョロキョロと見回して姿が見えない残りの二人について訊ねると、浩司は無言で首を振り、陽一朗はハハハと声に出して笑い出した。


「岡部クンはまだ来れないんじゃないかな? きっと今頃あの二人がベッタリと張り付いて監視する中、馬車馬以上に扱き使われていると思うよ。マリモは――――――言わずもがな、だね」


「あ~~~、そうだな」


この場にいない二人の今を想像し、卓也たちは頷きあった。

千早はともかく、マリモの仕事は時間で区切るわけにはいかない。治療院の方は終業時間があるが、生活拠点は教会なのだ。小さな子どもたち相手に悪戦苦闘の日々を過ごしているからだ。






ヴェクセリオでは17歳で成人と認められるが、学校にでも通わない限り15歳で就職する者が多い。


卓也たちは、元の世界との時間に差異があることが影響しているのか、ヴェクセリオで10数年(・・・・)過ごしたにもかかわらず、今でも子どもの姿のままだ。

地球(じつ)年齢と見た目で言えば現在11歳の五人だが、ヴェクセリオではそれぞれ仕事に就いている。一応後見人になってくれた人はいるのだけれど、『親』のように庇護してくれるわけではないため、ダルバンで特例として就労の許可をもらえたのだ。






トリップした初めの頃こそ元の世界に帰りたい気持ちが先行して、何もせずにただ沈んでばかりいた彼らは、手を差し伸べてくれたコチラの世界の人々の優しさに触れ、次第に落ち着きを取り戻し、先々のことを考えるようになっていった。

地球では両親の庇護の下、本当の意味で『生きてゆく』ことをまだ知らずに安穏と過ごしていたが、異世界では子どもだからという甘えは通用しない。いや、甘えきってはいけないのだと、五人は互いに話し合い、そう結論付けたのだ。


「いつ帰れるかなんてわからない。ならばそれまで、ここ(・・)で、ここ(・・)にいてもいい理由を作ろう」


元の世界に帰る方法を模索しつつも、少年たちは自身の力で生きてゆくための居場所作りを開始した。


先陣は千早。・・・といっても、彼の場合はほぼ強制的に連れ去られた。強大すぎる魔力を感知した魔法庁のお偉いさん方が、五人が身を置かせてもらっている教会へと千早を訪ねてきて、知識もないままに使うのは危険すぎると説得(脅迫?)し、半ば強引に引き摺って行ったのだ。

ちなみに現在は魔法庁で魔術副師長をやらされている(・・・・・・・)


その次は陽一朗だった。彼は街で野菜や果物を売る露店を出しているエイビーという女性と知り合い、街外れの更に先にある農村・コバンの彼女の家に、農夫として住み込みで働くことになった。

陽一朗の生家は地元でも有数の規模の大きな農家を営んでいるだけあり、幼い頃から農業に携わる両親の背中を見て育った彼の助力を得、近年エイビーの農場は毎年のように豊作らしい。


続いてマリモ。彼女も千早と同様、ヴェクセリオに渡ってきてから魔力を持ち、それが癒しに特化したものだとわかると、すぐさま治療院へと就活に行った。結果は即採用! だがマリモは今でも教会で、孤児たちの世話を手伝いながら一緒に暮らしている。


最後は卓也と浩司。彼らは同時に仕事が決まった。千早を介してログロワーズ魔術師長から近衛隊に兵としてと打診があったらしく、近衛隊を統括している総隊長・アドルフォン将軍と三番隊長のオーガンが卓也を見定めにわざわざ足を運んだ。


『ふむ、お前さんか。・・・少々規定の体格に満たないから暫くは見習いという扱いになるが、ヤル気があるのなら、どうだ?』


恰幅のいい大柄の将軍とオーガンに並ばれて見下ろされ、その迫力に圧倒されながらも、卓也はまっすぐに男たちの目を見つめ、よろしくお願いしますと頭を下げた。


目の前で卓也の就職先が決まり、一人取り残されたような気持ちになった浩司は、自分も近衛隊へと希望したが、10歳の平均身長よりもほんのちょっと小柄な浩司ではきっとついていけないだろうと断られた。


『でもッ! おれ、かなり手先は器用なんです! 近衛隊でも武器や防具を使うでしょう? 兵じゃなく装備の管理人なら・・ッ』


しかし装備の手入れは個人がすることになっているからと告げられて、内心ガッカリと肩を落とした。だが、せっかくの足掛かりをこのままみすみす逃しはしないと、浩司は諦めずにジッと二人を見上げていた。

必死の形相で自身を売り込む小さな異世界の少年になにを思ったか、将軍は豊かなアゴひげを一撫でして再びふむ? と唸ると、斜め後ろにいたオーガンにひそひそと耳打ちした。


『手先が器用ならば、少年よ。近衛ではなく、工房などはどうだろうか』


『工、房・・・』


ものすご~く興味があるらしく、提案された途端に浩司の瞳がキラキラと輝いた。 

その気があるなら口を利いてやると言われ、悩むまでも無く浩司は首を縦に振った。


こうして五人は、地球で就活する大学生よりもアッサリ職に就くことができた。






「あ、来た来た。岡部クンだ」


三人で、昼に別れて以降のことや目の前に並ぶ料理についてなどなど・・気ままに雑談していると、一番に気がついたらしい陽一朗が、千早の到着を知らせた。

卓也と同様、店のドアを開けたところで一旦立ち止まり、先ほどと同じくタンブラーを掲げた浩司に微笑むと、満員の店内をヨロヨロとこちらに向かって歩いてきた。


「チハ、ごくろーさん! ずいぶん遅かったな」


「うん・・ごめんね。ボクの分の仕事はとっくに終わってたんだけど、師長とルカが離してくれなくて・・・」


着替えさえ億劫だったのか、昼間に見たルカたちと同じ白い長衣の制服のままだ。散々扱き使われたよれよれの様子でグッタリと椅子に腰掛けた千早は、陽一朗に差し出されたタンブラーを受け取り、中身を一気に飲み干した。


「~~~ッ。ふは・・ハァ~やっと生き返ったよ。ありがとう、榎木クン」


「どういたしまして」


中身はほんのりと甘い、さっぱりとした果物のジュースだった。

大きく息を吐いた千早は、空になったタンブラーを陽一朗に返・・すのをためらい、ちょうど近くを通ったキャレに声をかけると、同じものを2つ注文した。


「2つ?」


「うん。すごく美味しかったから」


卓也に訊かれた千早が頷いて一つは自分の分だと告げると、なぜか陽一朗がにっこりと笑った。

二人が不思議そうに彼に注視すると、理由を知っているらしい浩司が横から口を挟んできた。


「岡部が飲んだジュース、ヨウの農場で今年初めて収穫した、新しい果物からできてるんだってさ」


聞けば、それは見た目が洋ナシに似たとてもデリケートな果物で、果実をそのまま出荷できないらしい。どんなに丁寧に箱詰めしても、馬車の振動などで傷んで汁が滲み、すぐに腐ってしまうそうだ。


「え? じゃあ、どうやってここに運んだんだ?」


訝しげに眉をひそめて訊ねる卓也に、陽一朗は発想の転換だといって種明かしした。


「そのまま運ぶと傷むのなら、形を変えればいいんだよ」


果実のままがNGなら、ジュースにしてから出荷すればいい。ビンに詰めた液体ならどんなに揺れても傷まないし、そもそも収穫直後の果実を絞って作られるため、驚くほどにフレッシュで味も香りも良い。


「今日はここへ来る予定だったから、出掛ける間際にジュースを絞ってきたんだ。前に岡部クンに冷蔵の魔法を付与してもらった、浩司作の鉄板製の箱があっただろう? アレに入れてきたから、店に到着したころにはいい感じに冷えていたしね」


ずっと以前、マリモが暮らしている教会の孤児の一人が高熱を出した。その時、農作物だけじゃなく野草にも詳しい陽一朗と体力自慢の卓也が薬草を取りに遠く離れた崖山へと行ったのだが、二人がダルバンに戻ってくるまで薬草の状態を保持しなければならない為、浩司に無茶なお願いをし、クーラーボックスを作ってもらったのだ。


「いいよなぁ、アレ。オレも出向前にポケットサイズのを一つ作ってもらうかな?」


「「出向?」」


何気なくポソリと独り言ちた言葉を拾い、目を見開いた千早と浩司が聞き返してきた。


「どこに? いつ? なんで?」


矢継ぎ早に訊ねてくる浩司に、一瞬気圧されて身体を後ろに引いた卓也だけれど、苦笑を浮かべつつ順番に答える。


「ボルへザークにな。来週の頭から暫く。出向理由は・・一応守秘義務ってーのがあるんでヒ・ミ・ツ・だ。これでもオレ、近衛隊の一員だから」


「今だ見習いだけどな!」


いらないツッコミをしてきた浩司にウルセェ!と返して笑ったが、千早がタンブラーを握ったまま一人呆然と固まっているのに気がついて、静かに名前を呼んだ。


「チハ」


「タッちゃん・・」


疲れすぎて元々顔色は良くなかったけれど、更に紙のように真っ白になった頬を強張らせ、縋るような瞳で卓也に訴えてきた。


「タッちゃん。ボルへザークへ出向って・・・本当なの・・?」


「ああ、もちろん。・・つーか、話を聞いて打診される前に、オレに行かせてくれって頼んだんだ」


5年前に起こった事故の詳細を知る一人である千早は、信じられないとばかりに卓也を凝視する。卓也にしても、千早がすぐに納得しないことは予想していたから、ただまっすぐに見つめ返すだけだ。


なんとなく事情を察している様子の陽一朗に反して、全くといっていいほどに何も知らない浩司が、居心地の悪い空気を発している二人を交互に見比べた。


「ダメ・・ダメだよ。タッちゃん。ボクは許さない」


「チハ。もうオレはき・・」


「ダメ」


取り付く島がないとはこういうことだろう。卓也が説得を試みて口を開こうとすれば、すかさず千早がそれを遮り、絶対に賛成しないという意思表示なのか、来たばかりでまだ注文したものさえ運ばれていないのに、千早は席を立つと振り返りもせずさっさと店を出て行ってしまった。


「・・・なんとなくわかってたけどな」


「でも、あえて言っておきたかったんだろう? 卓也は」


陽一朗に達観した大人のような面持ちで訊かれ、卓也は微苦笑で肯定した。


「えッ?! ええッ! 岡部のヤツ出てっちゃったけど、いいのかよッ?」


この場でただ一人何も知らない浩司が椅子から腰を浮かせて、千早の去ったドアとテーブルを囲む友人二人とを交互に見てオタついているが、卓也が後で謝っとくからいいんだと言うと、納得いかないような表情をそのままに、それでも渋々座りなおした。

ぶすっとしたままフォークを掴むと、冷め始めた料理に八つ当たりよろしく突き立てる。


「おれはさー、生まれたときから一緒だから、お前らの性格とかいろいろ知ってるしー? 卓也とヨウが実はけっこう秘密主義で意地が悪いこととかわかってるからいいんだけどー、岡部は違うじゃん? 転校してきてからまだ1年じゃん?」


見た目トマトソースのかかったペンネのような料理を口に運ぶでなく、浩司はフォークの先で切り分けながらブツブツと文句を言いだした。

姿はともかく、ヴェクセリオで10年超の月日を過ごし、精神的な面で大人になりつつある五人の中で、浩司だけは良くも悪くも今でもちゃんと小学5年生の気持ちを維持し続けている。

紅一点のマリモからすると"子どもっぽくて、成長のないヤツ"だそうだが、男連中からしてみると"いつまでも少年の心を忘れない"とかって、ちょっと羨ましい気持ちになる。


「秘密主義でイジワル・・・」


ズバリと言われたことがショックでタンブラー片手に呆然としていると、浩司はニヤリと笑って当たってるだろ? とダメ押ししてきた。


「オレ自身には秘密なんかないぞ。近衛の仕事上、他言できないことがあるだけで。・・陽一朗じゃあるまいし」


「ん? なんだ卓也。今のは聞き捨てならないな。俺がいつ秘密を持ったんだ?」


浩司に講義した卓也の言葉に異議を唱えつつも、陽一朗はニコニコと笑顔で胡散臭さ120%だ。

こんな詐欺師くさい同級生は嫌だと思った卓也と浩司は、互いに顔をあわせ同時にため息を吐くと、この話はもう終わりだとばかりに、黙々と食事に取りかかった。








 ◇ ◆ ◇



ヴェクセリオでの時間経過において、もう5年ほど前(・・・・・)になるだろうか。少年たちが異世界で二重生活の土台を固め、それなりに安定してきた頃のことだ。卓也は一度ボルへザーク領へ出向している。


当時、ダルバン一広大な領地・ボルへザークは、領内の区同士で対立していた。

区官吏たちの睨み合いが始まった当初は、いかに領主であるエリウォン・ボルへザーク侯爵に取り入るかを競い合っていたが、諍いがエスカレートするにしたがっていかに自分以外を貶めるか、どう私腹を肥やすかと、相手を潰すことや己が利益を得ることばかりに力を注ぐようになっていった。

各々の立場と使命を忘れ、次第に自分の区の勢力を拡大させることを中心に考えるようになった官吏たちは、ついには矛先をボルへザーク侯へ向け、その地位を脅かすまでに膨れ上がったという。


手っ取り早く侯爵家と縁を繋ぎ、今は無理でも次代のボルへザークを手中に入れる方法として婚姻がある。そして標的とされつつあったのは、その頃はまだ13歳と成人していなかった侯爵令嬢ミランダだった。

大切な一人娘がバカバカしい諍いに巻き込まれそうだが、わけあって娘に仰々しい護衛をつけるなどできない。貴族である以上娘を公式の場に出席させないわけにもいかないが、交渉の道具にと誘拐を考える輩や、既成事実さえ作ってしまえばといった質の悪い官吏がいるのも確か。

・・・父親として、領主として、エリウォンは悩みに悩んだ末、旧友でもあるダルバン王に相談し、兵士に見えない、それでいて腕の立つ、できるだけ娘と年の近い近衛を貸し出してもらえるよう頼み込んだ。


それに選ばれたのが卓也だ。


ダルバン王直々にボルへザーク領への出向を言い渡された卓也は、唯一の同行者オディオール(この頃はまだ副長じゃなかった)と共に南西の豊かな地へと向かった。

彼は男爵家の末子で、上に三人の兄がいるため生まれたときから家督争いからは外れているのだという。だから己の力で武勲を挙げて功績を残し、いつか貴族の地位を王より授けられるようにと頑張ってる超がつくほどのマジメな男だ。


馬で3日駆けて到着すると、玄関に入る早々わざとらしいほどのエリウォンの笑顔で迎えられた。

王より渡された任命書を手に、礼の姿勢をとろうと膝を突く直前、領主自らにによってあれよあれよと書斎に連れ込まれた二人は、依頼内容の確認以前にエリウォンにとって一番重要な事項・・・令嬢には護衛だとバレないようにとの注意を受けた。


「僭越ながら、理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


護衛であることを隠す理由がわからない二人は、互いに顔を見合わせて首を傾げると、卓也よりも上位の立場にあるオディオールが代表して、恐縮しつつもそのわけを訊ねた。


自分でもおかしな要求をしているとわかっているらしい侯爵は、目の前の若者二人を交互に見ると、ふと窓辺へと移動し、痛みをこらえるような表情で外の景色に目を向ける。

少しの間黙ったまま同じ姿勢で背を向けていたが、小さく嘆息した後、決して他言はしないようにと釘をさし、やっと重たそうに口を開いた。


「そう、あれはまだ娘・ミランダが幼かった頃のことだ」






聞けば、ミランダがまだ年端も行かない頃、父・エリウォンの護衛の一人によって、彼女はとても苦しめられたのだという。


「知人の甥であるその男は、騎士としてこの城にやって来た。ボルへザークの隣・ハハス領に屋敷を構える子爵の次男で、名をグウェン・アダーソンという。聡明で凛々しく魔術に長け、そして勇敢。・・・ご婦人方が恋焦がれてやまない、お伽噺に登場する騎士そのものといった美しく逞しい青年だった」


グウェンには一つしか変わらない兄がいるのだが、彼は幼い頃から体が弱く、床につくことが多かったそうだ。だからこそ万が一の場合を考慮し、次男であるグウェンにも兄と同じ・・いや、それ以上の教育を施し、病弱な兄には強いることのできない剣術や体術も習わせたという。

おまけに彼はとても容姿に恵まれていた。常に後ろで一つに束ねられている絹糸のように艶やかな白金の長い髪、空を映す湖面のような青い瞳、高い鼻梁や細くとがったあごのライン。背は高く、スラリと伸びた四肢はアンバランスと紙一重なほどに長い。


とにかくグウェン。アダーソンは完璧な男だったらしい。彼の努力はすべて実を結び、周囲からは彼が跡継ぎでないことが惜しいとまで言われるぐらいだったそうだ。


「・・・周囲がそう思うほどだったのだ。本人だって同じ思いなのだと、なぜ気が付かなかったのだろうか」


グウェンは完璧を求められ、それに応えた。しかしどれだけ努力をしても、子爵家を継ぐのは自分ではない。―――――――――――理不尽な気持ちは澱となって少しずつ彼の中に蓄積され、次第に心を腐らせていったのだろう。


エリウォンはそこまで話すとギュッと拳を固め、再燃した憤りを窓枠にぶつけた。


「騎士として勤め始めた彼は表面では完璧な男を演じていたが、水面下ではミランダに的を絞り、徐々に娘を壊しにかかっていた」


身体に危害を加えないから、少女の負った傷に気付かなかった。

グウェンは、生まれたばかりの弟がいるミランダの境遇を自身と重ね、自分の感じた虚しさや理不尽さ、憤りを日夜、彼女の鼓膜に流し込んでいった。


アナタは侯爵家にとって必要ではない。

アナタは後継者である弟ほど愛されてはいない。

アナタはいつか捨てられ、追い出されるのだ・・・と。


淑女たちを虜にする甘い声音で、彼は少しずつ少しずつミランダの鼓膜に、毒の言葉を流し込んでいった。そして少女は・・・


グウェンがどこかおかしいと侍女頭に教えられたエリウォンは、信じる気持ちを残しつつも秘密裏に調べさせ、数日ののち彼の悪質な動向を記した調査結果がエリウォンの書斎に届けられたまさにその時、ミランダは傷つけられた幼い心を守るため、3階にある自室の窓から――――――身を投げた。






「幸いにも植え込みに落ちたミランダはかすりキズ程度で済み、悪事が明らかになったグウェンはすぐに罷免にしてハハスに還した」


しかしミランダは、グウェンをクビにした後も暫くは自室に篭って誰とも会おうとしなかったらしいが、辛抱強く何度も何度も少女がボルへザーク家にとってかけがえのない、愛する娘であるかを語って聞かせると、徐々にではあるが明るさを取り戻し始め、やっと普通の生活を送れるようになった。


「だが・・今だ娘の心は癒しきれず、以前のような屈託のない明るい笑顔を見せてはくれない・・・」


心底悲しそうに呟いたエリウォンの後姿に、オディオールはどんな顔をすればいいかわからなかったが、卓也は妙な既視感を覚え、不思議とエリウォンに好印象を持った。たしか姉・芽衣の高校の合格発表日の朝、卓也の父親も人目など気にならないくらいにオロオロし、みっともないくらいに取り乱していたことを思い出したからだ。

貴族であるとか庶民だとか、地球人だとか異世界人だなんてことは関係なく、どこの世界の父親も娘を想う気持ちは同じなんだと感動した。


「侯爵様。お話は請け賜りました。ご要望どおりに私共二人、決して護衛だと気づかれないように細心の注意を払う所存です」


「・・そうか。よろしく頼む」


エリウォンはホッとしたように微かに笑った。


こうして二人はその要請を受け入れ、卓也は表向き付き人として傍に仕えることになったのだ。


早速今日から頼むと言われ、ずっと部屋の中に控えていたマゼンタと名乗る年配の侍女頭についてエリウォンの書斎を出ると、いったいドンだけ広いのこの城は? と訊きたくなるほどに歩かされ、ようやく彫刻の美しい白い扉の前で立ち止まった。

扉の前には別の侍女が待機しており、マゼンタから卓也を託されると、深々と頭を下げて引き継いだ。


「お嬢様。ダンナ様が仰っておられた方がお着きになられました。お通ししてもよろしいでしょうか?」


「・・・どうぞ」


心の準備が整わないうちにノックされ、中からまだ少し幼さを残したソプラノの返事が返る。と、侍女はドアを開けて卓也に入室するよう促し、脇に退いた。


一度礼をしてから部屋に入ると、目的の人物は本を手に、長椅子に座っている。長い金髪がとてもきれいな、透き通る青い瞳とピンク色の唇がステキな美少女だ。フリルで飾られた水色のドレスを纏ったその姿はまるで人形のようで、卓也はつかの間見惚れてしまった。


「は・・じめまして、ミランダ様。オ・・ワタシはお嬢様の話し相手として呼ば・・招待されました、タクヤ・アオヤマで・・と申します。暫くの間よろしくお願いします」


初対面では、エドガーに付け焼刃で教えられた作法を思い出しながらカチコチ棒読みの挨拶をした卓也を、ミランダは長椅子に腰掛けたままの姿勢でチラッと横目に見たが、無言のままに立ち上がるとスタスタ奥の部屋へ行ってしまった。


「・・・」


呆気にとられた卓也は、1ミリも表情筋を動かさずキリリと傍らに立っている侍女に話しかけた。


「えー・・と? あれ? 話し相手が来るって、伝わってなかった?」


「いいえ。お伝えはしてございます。が、お嬢様がご納得されているかは別の話ですので」


「・・・今のあの態度ってことは、オレ、拒否られてる?」


「そう受け取っていただいでも差し支えないかと」


「・・・」


このとき卓也の中の何かに火が点いた。

初日こそ成す術なくスゴスゴと引き返したが、翌日からは城中の従事者たちにミランダの話を聞き、少女の好きなものを持参した。


「ミランダ様、今日はコックにスグリのパイを焼いてもらいました。バラのお茶と一緒にいかがですか?」


惨敗。


「マゼンタさんから、ミランダ様は本がお好きだと聞いたのですが、どんな話が好きなんですか?」


応答なし。


「ミランダ様。今日は穏やかに晴れて絶好のピクニック日和ですから、もしよければ中庭で一緒にランチでもいかがですか?」


無視。


「ミラ・・」


卓也の脳裏に『仏の顔も三度まで』という(ことわざ)が浮かんだ。初日を合わせれば4度袖にされている。

5日目の午前。庭師に聞いたミランダの好きだという花を・・ピピュラというカスミ草に似た白くて小さな花をちまちまと摘んでいた卓也は、考えれば考えるほどに腹が立ってきて、花が腕いっぱいに抱えるほど摘まれた頃には、本人に一言文句を言ってやらなきゃならないとまで思い始めていた。


「今日という今日は絶対に言ってやるッ」


花を抱えたままのっしのっしと廊下を行く子どもの姿は、傍から見ると微笑ましい。しかし卓也は怒り心頭で、ミランダの部屋の前に着くとノックもせずドカーンと叩きつけるようにドアを開けた。


「コラーッ!! オレがいつまでもおとなしくしてると思ったら大間違いだぜ!」


侍女が静止する間もなく、ツカツカと長椅子でカップ片手に固まるミランダに歩み寄ると、抱えていた真っ白な花々をピンクのリボンでまとめられている美しい金髪の上に放り出した。


「!」


フワフワと雪のように、少女の頭上に花が舞い落ちる。

ミランダは一瞬ポカンと少年を見ていた。が、直後プッと吹き出すと慌てて口元を隠し、長椅子の背凭れにしがみつくよう後ろを向いて、クスクスと笑い出した。


「な、何だよ? 何がそんなにおかしいんだ?」


感情に任せてつい行動してしまったが、気持ちが治まってくると後悔が生まれてくる。なんとなくバツが悪くて「スミマセン・・」と謝るが、ミランダは後ろを向いたままだ。

やっと笑いが収まったのは数分後。余程おかしかったのか眦に滲んだ涙を拭い、ミランダは堅苦しく話す必要は無いと、肩の力を抜くよう勧めてくれた。


「アオヤマというのよね? 変わった名前・・・話し相手ってどういうことかしら?」


少女は不思議そうに、コテンと小首を傾げた。その拍子にハラリと花が落ちる。

ミランダは一緒に驚いていた彼女付きの侍女・ルネを見たが、彼女はわずかに苦笑しただけで、空気にでもなったかのように黙ったまま壁際に控えている。


「アオヤマじゃなくて卓也って呼んでくれ。あー・・助かるよ。正直畏まった話し方って苦手なんだ」


とっとと通常運転のタメ語に切り替えると、パッパッと自分に付いた花を払いながら、卓也はアッサリと自分が異世界から来たのだと告げた。

驚きに目を丸くするミランダの様子にしてやったり(・・・・・・)とニヤニヤ笑い、了承も得ず近くにあった椅子をゴトゴトと引き摺ってくると、少女の座る長椅子のそばに置いてドカリと腰掛けた。


「ビックリしたか? ヘヘヘ、だからオレが選ばれたんだよ」


ヒキコモリのお嬢さんにはちょうどいいだろう? と前置きし、ミランダの知り得ない地球の話を、一つ一つ語って聞かせた。

人々の生活の違い、文明の違い、食べ物のこと、乗り物のこと。もちろん卓也自身が経験した出来事も話した。友達のこととか、家族のこととか、学校の行事とか・・・


話せば話すほど目をキラキラさせて、「それで? それで?」と続きをねだられる。まるで小さな子どもみたいで、卓也よりも年上のはずの少女がなんだか可愛く見えた。


「本当に夜中でもそんなに明るいの? ランプよりも? 月明かりよりも? ライトニングの魔法よりも?」


地球では電気なるものがあって、深夜でも街は色とりどりの明かりが照らし、とても明るいのだと教えると、どれくらいかと訊ねられた。

ミランダはどうやら暗闇が苦手のようだ。


「ああ。ミラは雷はわかるよな? 見たことあるだろう?」


「ええ、もちろんよ。空が暗くなるとピカピカって黒雲の隙間を奔るアレでしょう? その後ものスゴイ音が鳴り響いて、ちょっと怖いわ」


肩を竦めるしぐさにちょっぴり笑うと、ミランダはムスッと頬を膨らませた。


「そうそう、それ。実は雷も電気なんだ。発電所って場所で人工的に雷みたいな電気を発生させて、電線を通してあちこちに配ってるんだ」


「配るの?」


「うん。・・といっても、ただじゃないけど。使ったら使っただけ料金の請求が来る。ゲームとかしすぎて電気代がかさむと、母ちゃんがちょーコエーんだ」


拳骨で殴られたことが何度もあるというと、ゲンコツ? と不思議顔で首を傾げられ、そこからの説明が必だったかーと握り拳を作って身振り手振りで伝えると、えええッ! と大袈裟なくらいに驚き、その次には声を出してキャラキャラと笑っていた。


こうして出だしは拍子抜けするほどに順調で、ミランダはあっさりと卓也を友人として受け入れた。

近くに置かれれば警護もしやすい。しかもエリウォンが不安に思っていたほど行動に移そうなどと考える度胸のある輩はいないらしく、特になんの問題もなく何事も起こらず、 はじめに示されていた期間を平穏無事に終えることが出来・・・そうだった(・・・・・)






そう、過去形だ。状況は一変した。


タクヤと過ごすようになったミランダはそれまでのように部屋に篭りっきりではなくなり、太陽の下、木陰でお茶を楽しんだり、卓也と一緒に芝の上に直接座って話したり、時には馬で散歩をするまでになった。

明るい笑い声と軽やかな靴音が侯爵の城中に響くようになると、喜ばしく思い、暖かく見守る家人たちとは別に、後ろ暗い思惑(・・・・・・)があって潜伏している者たちが、行動に踏み切るチャンスを増やすことにもなる。


単純なタクヤは、ただ素直にミランダが外にも出るようになったことを喜んでいたが、実のところエリウォンには考えがあった。娘を溺愛しているし、護衛をつけていても決して不安が拭われた訳ではないが、エリウォンは不穏な企みを抱く官吏連中が動き出すだろうと予測し、あえて何も知らない(・・・・・・)ミランダとその現付き人の行動を制限せずにいた。


「害虫どもは動き出しますでしょうか?」


エリウォンの秘書見習いとして彼のそばで護衛兼卓也の監視役をしているオディオールが、周囲の気配に意識を集中させながら、無表情のまま彼にだけ聞こえるような小声でポソリと訊いた。


「動く」


書斎の机で、手元の書類に目を通しながら、エリウォンはきっぱりと断言した。


「今現在、各区に対して大々的に監査を派遣し、財政・経理を細かく調べさせている。それぞれにの代表責任者には脱税や横領の()を耳にしたので、潔白を証明するため(・・・・・・・・・)には協力しろと通達してあるからな。調査を拒否するという事は、罪を認めるのと同意だ。嫌とはいえない。ならば・・」


先手を打って領主の弱みを・・ミランダを狙うのは間違いないだろう。ある意味時間との勝負だ。

官吏たちは今頃死に物狂いで罷免を逃れるすべを講じているはず。だから必ず仕掛けてくる。


「方々に散らした調査隊が押収した証拠を持ち帰るのが早いか、私の口を封じられる何かしらの策を手に入れられるのが早いか・・・」


タクヤがミランダの護衛だということは、エリウォンとボルへザーク家の執事・ガーウィン、侍女頭マゼンタとオディオール、それと当の本人しか知らない最重要機密事項だ。何も知らない者が見たのならば、少年は令嬢に与えられた、ただの遊び相手の子どもにしか映らないはずだ。


「タクヤと二人っきりのところを狙ってくるでしょうね」


オディオールの言葉に思わず力が入り、ギュッとペンを握り締めてしまった拍子に、皮羊紙の端にポタリとインクが落ちた。

はじめプクリと盛り上がっていた水滴は、染みを広げてゆくにしたがって、みるみる姿を消してゆく。すぐに気づいて布などで拭えばこれほどの汚れにはならなかったのに、放置してしまったがためにひどく広がってしまった。


「・・・」


エリウォンは皮羊紙を汚すインクが、今まさにボルへザークの裏側で起きている官吏たちの諍いのようだと思った。

もっと早く手を打っていたなら、ミランダまで危険の魔の手が伸ばされることもなかったのではないだろうかと後悔の念が押し寄せてくる。


すっかり染み付いてしまった丸いインク汚れから目を離し、エリウォンは窓の外に視線を向けた。

わざわざ古い伝手まで引っ張り出して借りた護衛を信用していないわけではない。友人とはいえエリウォンの我が侭を聞いてくれたのは一国の王だ。彼が認めるだけの実力は備わっているのだろうことはわかっている。

わかってはいる。だが・・・


「やはり心配ですか?」


心の内を読んだようなタイミングで訊ねられ、エリウォンは一瞬ドキッとしたが、すぐに苦笑してオディオールを振り返った。

20代前半だと聞いている年齢よりもずっと大人びた柔和な面立ちの青年は、エリウォンと同じく苦笑の表情だった。


「君は何でもお見通しなんだな」


「いえ。侯爵様のお心を見通したわけではございません」


「ではなぜ?」


理由を訊ねると、自分もエリウォンと同じ考えを一通り抱いたからだと言った。


「タクヤのあの外見、心配になって当然かと思います。大切なご令嬢を子どもひとりに守らせる。しかも彼は異界の者。不安にならない方がおかしいでしょう」


「君も同じ考えだったと?」


「はい。今回のお話を承ったとき、同行するのがタクヤだと教えられ、私は立場も忘れすぐさま抗議いたしました」


子どもには荷が重い、と。

しかし決定は覆られず、それどころか総隊長・アドルフォン将軍が不敵な笑みを浮かべ、タクヤの実力は自身の眼で見極めろと言い出した。

10歳も年下の子どもとの手合わせを提案され、オディオールの自尊心は些か傷つけられた。しかし総隊長の言葉に逆らうわけにもいかず、不承不承、剣を交えることになったのだ。――――――――――――そして・・

結果はオディオールの惨敗だった。


「大人の君があの少年に・・?」


過ぎないながらも背は高く、細身ながらも鍛えられた体格の騎士を、エリウォンは信じられないまなざしで見上げた。

オディオールは赤茶色の短い髪をフワリと揺らすようにして頷く。


「後になって聞いたのですが、タクヤはもう7年もずっと近衛隊オーガン班で『見習い』なのだそうです。7年。・・・・・・17歳、成人するとともに近衛隊に入隊した私のほぼ2倍の年月を、彼はあの未成熟な体でもって筋骨逞しい男たちの中で過ごしてきたのです」


7年と聞き、エリウォンの相貌が大きく瞠られた。

ヴェクセリオの時間の流れに背き、タクヤは元の・・チキュウという彼の世界の速度で成長しているらしい。驚くことに、初めてこの世界に渡ったときはまだ10歳だったと笑っていた。


「そして何よりも強靭なのは精神力。後から入ってきた者たちがどんどん正規の隊員へと昇進してゆく中で、恨みも腐りもせずにいられる。彼も『男』ですから、きっと何度も悔しい思いに駆られたことでしょうに。だから・・だから、私も彼の腕を、彼自身を保証します。ミランダ様はタクヤが必ずお守りいたします。と」


爽やかな笑顔で言い切ったオディオールに、エリウォンの不安は少しだけ癒された。しかしこの直後、普段は冷静沈着な執事がやや乱暴に書斎のドアをノックし、血相を変えて入室してきたことで一気に嫌な予感が胸中に充満する。


「どうした?! 何があった?! ガーウィン!」


「賊が現れ、中庭で寛いでおられたお嬢様たちに襲い掛かりました!」


「なに!!」


エリウォンが勢いよく立ち上がったことで、彼の腰掛けていた椅子が後ろに倒れ、ガターン! と派手な音をたてた。


「状況は?! ミランダはどうした?!」


「お嬢様はご無事です。しかし賊の手にかかりそうになったお嬢様の盾になって、タクヤ様が・・・」


「タクヤが?!」


今まさに少年の腕っ節について話していただけに、信じられない気持ちで訊き返した。

三人は慌てて書斎を飛び出すと、一目散に玄関へと向かった。今日は昼過ぎから中庭でゆっくりと日向ぼっこをしながら本を読むのだと笑顔で言っていたのを思い出す。


ガーウィンに無事だと知らされていても不安で仕方がなく、エリウォンは祈るような思いで、全速力で中庭へと走った。


「ミランダ!」


「お父様!」


中庭よりもずっと手前で、城の外壁に隠れるようしてに侍女にしがみついている娘を発見したエリウォンは、涙でグシャグシャのミランダに駆け寄り、力いっぱい抱きしめた。


「大丈夫か? どこも痛めてはいないか?」


「ええ! ええ! お父様、私はどこもケガしてないわ。でも! タクヤが!」


逃げ遅れたミランダを庇おうとして斬られたと告げ、再びワンワンと泣き伏してしまった。


「大丈夫! 大丈夫だよ! ミランダ。すでに回復術を使える者たちが待機している。すぐに彼は治るから」


「ホント? ホントに? タクヤは死んだりしないわよね?」


「もちろんだ」


と言ってもタクヤがどれだけのケガを負ったのかがわからない今、最悪の事態になっていないことを願うばかりだ。

エリウォンは侍女にミランダを預けると、先に行ってしまったオディオールを追い、中庭へ向かった。


「状況はッ? タクヤはどうしたッ?」


城の衛士たちが幾人もの賊に縄をかけている場にたどり着き、佇んだまま中庭を見つめているオディオールに報告を求める。すると彼はご覧になった方が早いでしょうと体を引いて道を開け、本来は美しく整えられていた、ミランダのお気に入りの庭を指差した。


踏み荒らされた花々、無残にも折られたり葉を散らされた木々。ミランダのたっての頼みで立てた可愛らしい東屋も、中央に置かれていたテーブルセットはメチャクチャに壊され、美しく彫刻を施した柱は剣によってひどく削られてしまっていた。


そして何より、鼻をつく鉄サビにも似たニオイと、石畳に飛び散る大量の血痕。その跡を辿ってゆくと、バラの植え込みの陰に白い服をまとった小さな背中が、ヒックヒックとしゃくり上げながらうずくまっていた。








 ◇ ◆ ◇



時は少々さかのぼる。




敵は突然、大勢で一気に襲い掛かってきた。


「ミラ! こっちだ! 早く!」


中庭の東屋でのんびりとティータイム中だった二人の元へ、無粋で乱暴な招かれざる客人の方々が、各々鈍色(にびいろ)に輝く物騒な手土産を携えて現れた。

一瞬で反応した卓也とは反対にミランダはすぐに状況が飲み込めず、ティーカップを口元に留めたまま、きょとんとしている。


「悪いな! お茶はまたの機会に付き合ってやるよ!」


そう言って少々乱暴に引っ張ると、少女はやっと走り出した。


「くそッ! こんなの聞いてないぞ! 潜入するにしてもこの大人数でどうやったらコッソリ入り込めるんだよ? 侯爵家のセキュリティはザルなのかッ? ザルッ!」


文句を言いながらも次々に斬りかかってくる賊たちをなぎ払い、峰打ちにして昏倒させつつ退路を確保してゆく。 

一人ならばそれほど難しいミッションではなかっただろう。ただ敵を倒して逃げればいいだけなのだから。しかし今回の一番の目標はミランダの安全だ。無事に彼女を守り抜き、且つ敵の殲滅とかってちょっとハードすぎやしないだろうか。


「タ・・タクヤッ」


「あーでもない、こーでもない」と、脳内で策を検索していると、傍らで震えるか細い声が卓也を呼んだ。

恐怖でガチガチのミランダはすっかり涙目で、痛いほどに卓也の手を握ってくる。


「だいじょうぶ! 絶対に侯爵様ンとこに連れてってやるから!」


任せとけって! と胸を叩いて大見得を切ったのは、ミランダを安心させるためか。はたまた自身を鼓舞するためなのか。

とにかく怯えきったミランダを無事にこの場から逃がすのが先決と、卓也は些か無茶な方法を選んだ。


「いいか、ミラ。律儀に玄関に向かって走ったところでヤツらに捕まっちまう。そこでだ、アイツ等とオレたちの体格の差を利用して、植え込みの間をすり抜けて西館の外廊下から城内に逃げ込むんだ」


「いや・・怖い・・・」


「大丈夫だってさっきも言ったろ? ミラの後ろはちゃんとオレが守ってやる。お前はただまっすぐに前だけを見て、父さんの元へ走ればいい。な? 難しくないだろう?」


こうしている間にも敵と二人の距離はジリジリと縮まっていく。早く覚悟を決めてもらわないと、最後のチャンスさえも失ってしまいかねない状態だ。


「ただ走ればいい、の?」


「そう。親父さんの部屋まで走るだけ。簡単だ」


少しでも彼女の不安を払拭できるように、卓也はできる限り明るく簡潔に努めた。それが功を奏したのか、ミランダは袖で目元をゴシゴシと擦ると、きゅっと唇をかんでコクンと頷いた。


「できるな?」


「ええ。走るわ!」


「よし! 良い子だ!」


自分と並ぶ背丈の少女の頭を、髪を掻き乱すように撫でる。きゃっと小さな悲鳴を上げたミランダに笑ってやると、彼女もまたほんの少し微笑んだ。


「走り出したら絶対に振り向くなよ。前だけを見ているんだ。そのほうがずっと早く走れる」


最後の助言をもらったミランダは、もう眼前まで迫っている敵を睨みつけると、突如としてパシッと卓也に叩かれ、それを合図に全力で踏み出した。


「今だ! 行けッ!」


幸いにも今日のドレスはライムグリーン。緑に囲まれた庭の中で、少しは保護色になって少女の姿を隠してくれることを祈る。


「さて、お前らの相手はオレだぜ」


ミランダを追い駆けようとした賊たちの前にすかさず回りこみ、卓也は両手でキッチリと剣を構えると腰を落とし攻撃の態勢に入った。


「見た目に騙されるなよ。お前ら・・ッ」


ガキィィィン!


卓也の挑発めいた言葉を皮切りに、賊は複数で斬りかかる。

一撃目の、上から振り下ろされた剣を受け止めた卓也は、そのままその刃を横にそらすように払い流した。


「?!」


小さな体でサラリとかわす相手に、剣を放った賊は目を丸くしている。しかしその反応に満足している余裕は、今の卓也にはない。

二撃目三撃目と次々と繰り出される攻撃に、卓也は的確に対応してゆく。受け止めては流し、なぎ払い、チャンスを見つけては一人ずつ的確に倒していった。


ギィィィン! ギャリュリュリュッ!


金属同士のぶつかり合う音が反響する。

ゼイハアと息が上がり、容赦のない攻撃を受け止め続けているせいで卓也の両腕は痺れっぱなしだし、肘の関節はギシギシと軋みだした。

汗が目に入って痛む。鼓動がこれ以上ないほどに脈打ち、ドクドクと耳の奥に響いていて煩くて仕方がない。


体力の限界を感じ始め、早く終わらせなければと焦る反面、なぜか卓也は楽しくなりつつもあった。


相手の剣先が頬をかすめてミミズ腫れを作っても、繰り出された突きをかわし損ねて左肩を貫かれても、不思議と恐怖心は湧いてこなかった。

それどころか、痛みが卓也の心を沸き立たせる。


「ククク・・オレが子どもだからって、手加減なんかしてくれなくていいんだぜ?」


沸騰する興奮のままに挑発すると、ヤツらの憤りが目に見えて増大した。

ギリリという歯軋りと、「このクソガキがッ」と毒づくのが聞こえてくる。


十数人もいた賊は、卓也によって既にほとんどが沈まされており、目の前にはあと二人だけ。彼らも手負いだ。脇腹や大腿から血を流し、石畳を赤く染めている。


さあ、これで最後だ。いつまでも遊んではいられない。

卓也は剣を握りなおすと、一気に勝負を賭けて相手に向かって走り出そうとした。その時・・・ 


「きゃあっ」


瞬く間に、ハッと我に返った。

声がしたほうへ視線を向けると、植え込みの間に金色の髪が見える。そしてその傍らには、賊の一人が少女の華奢な手首をつかみ、乱暴に引き摺り出しているところだった。


「やめろ! ミラから手を離せ!」


目の前で剣を振りかぶっていた敵の胸に剣を突き刺すと、血で滑って柄から手が離れてしまった。しかしそんなことに捉われている時間はない。

卓也は剣を失ったまま全速力でミランダへと駆け出すと、生け捕りと命令されているはずの賊が怒りに我を忘れているのだろうか? ミランダに切っ先を振り下ろす瞬間だった。


「ミラ――――――ッ!!!」


もう悲鳴さえ上げられず刃先を見つめている少女。

時が止まったように身動きできずにいる彼女に、凶刃を振りかぶった人物は楽しげに口角を吊り上げた。その表情はまるで、これから目の前で自身が作り出す残虐な光景を想像し、ワクワクと心を弾ませている子どものように見えた。


「グ・・ウェン・・?」


「ふふふ・・。私を憶えておられたんですね。麗しの蕾姫。とても嬉しいのですが、ハッキリ言って不愉快ですよ」


もう二度と会いたくなかった男の顔を見上げたミランダは、途端に顔を絶望の色に染め上げた。頬は上質の紙よりも青白く、眼からは光が失せた。

その表情を目にした瞬間、半ば無意識にその切っ先の向かう先へと身を割り込ませた卓也は、後先考えず力いっぱいにミランダを突き飛ばした。


「きゃあっ!」


「!」


右の二の腕に焼けるような痛みが走ったが卓也は構わず振り返ると、ミランダを抱え込むように覆い被さった。


「タクヤ!」


一瞬ビリッと痙攣のように震えた卓也は、次には腕の中の少女の耳元にゴメンと呟き、ズルリと体を弛緩させた。


「タクヤ・・? タク・・・ッ」


動かなくなった少年と、生暖かくヌルヌルする彼の背中。

ミランダはそろりとその正体を確認し、そして(つんざ)くような悲鳴を上げた。


「キャアァァァァァァァァァァッ!!!」


白く小さな手のひらを染めるのは、友人の命の灯火。あまりのショックにいまだ賊がそばにいることも忘れ、ミランダはガタガタと震えて卓也にしがみついていた。


「タクヤ! いやぁぁぁッ・・タクヤぁッ!」


「チッ。(うるさ)いですね」


苛立った男が少女を立たせようと、たっぷりと艶やかな金色の髪に手を伸ばしたとき、少年とも少女とも判断のつかないソプラノの声が聞こえてきた。


退()いて」


「ぇ・・・」


「退いて」


知らないうちにすぐ隣には、白い服を着た小柄な人影があった。

ボンヤリと見上げるミランダには一瞥もせず、その人は感情のこもらないガラス球のような瞳で卓也を見下ろしていたが、ツイと片手を持ち上げると、再び襲い掛かる体制だったグウェンに向かって衝撃波の魔法を放った。


ビュワッと突風が周囲を吹き抜ける。

一瞬目を閉じたミランダが再びまぶたを開けたとき、周りには誰もいなくなっていた。


「退いて」


自我のない人形のような子ども。彼(?)は三度同じ言葉を繰り返すと、卓也の顔の横にしゃがんだ。


「タッちゃん・・」


「チ・・ハ・・・?」


「今治すから、喋らないでいて」


泣きそうなのをグッと眉間に力を入れて我慢している千早のいつもの癖を間近に見られ、卓也は言葉にし難い安堵を感じた。


「眠ってていいよ。終わったら起こすから」


信頼している親友の声に頷くと、卓也は素直に目を閉じる。その直後、頬に暖かい滴がパタパタと落ちてきたが、卓也にはもう、それが何かを確かめるだけの力はなかった。






『もしタッちゃんに万が一のことがあったら、ボクは何をするかわからない・・・』 


卓也のピンチをどうして知ったのか。今にも事切れそうな、全身血に(まみ)れてボロボロになった友人とミランダ、そしてトドメを刺すべく剣を振り上げているグウェンの前に、千早は何処からともなく現れた。と、駆けつけた次の瞬間には、厳つい賊たちを魔法で瞬く間に吹き飛ばし、半ベソで卓也に全力の回復呪文を掛けながら呟いたらしい。

らしい(・・・)というのは、卓也はミランダを庇って斬られたあと、ケガの痛みに朦朧となりながらも突然千早の背中が現れ、賊を吹き飛ばしたところまでしか意識を保てず、その後を全く覚えていないから。


目を覚ました時にはすでにケガは癒され、ボルへザーク侯爵の城の一室に寝かされていた。


温和で有名な魔法庁の副術師長の怒りを目の当たりにしてしまった侯爵家の人々は、卓也が彼をつれて王都へ帰るまで緊張を強いられ、もちろん侯爵令嬢のミランダとも、結局それっきりになってしまった。


卓也としては欠片もボルへザーク侯爵親子を恨んではいないのだが、自身のせいで友人を酷い目に合わせてしまったと後ろめたさを感じているミランダと、ボルへザークの『ボ』の字が出ただけであからさまに不機嫌になる千早を気にして触れないようにしているうち、ミランダとの距離が開き、自然と音信は途絶えてしまったのだ。







「――――――と、まあ・・こんな感じだったんだ」


5年前の事の顛末を、極秘事項だけうまく隠して浩司と陽一朗に話した。

しかもこの話には卓也の知らなかった部分もあって、あとで聞かされかなりビックリした。


「へ~~~、結構大変だったんだなぁ」


他人事のようにノンキな感想である。

もぐもぐと料理を咀嚼しながら聞いていた浩司は、少し考え込んでから卓也に訊ねた。


「確か、ボルへザークってすっげぇ遠いんだよな? そんな場所へ岡部は一瞬で移動したのか? 魔法で?」


「ああ、そうらしい。しかも到着早々、城の周りにいたっつー怪しげな集団を、たった一人で撃退して、んで、オレを助けて、更には回復術。・・・・・・チハ じゃなかったら魔力が尽きて死んでたかも」


自分で言ってゾッとする。

あの無尽蔵の魔力がなかったら、魔法を使った本人はもちろん、卓也だって助からなかった。でもそんなことより、あれから卓也の一番の心配事は――――――――――・・・


「卓也。お前、気をつけてやれよ」


それまで黙って聞いていた陽一朗が、珍しく深刻な声音で注意を促した。彼も気がついた。とても危ういことを。


「わかってる。オレもそう(・・)思ったから」


千早は魔法庁でもそれ以外でも、温和で思慮深い副師長の印象を持たれている。それはただのイメージではなく、普段の彼は確かにそうだからだ。だが、なぜか事が卓也に関係してくると冷静さを失う時がある。

5年前の事件の時もそうだ。死にかけたのが卓也でなかったら、たぶん千早は無茶などしなかった。


「一つ間違えていたら・・・チハ がオレのピンチを魔力の残量が少ない時に察知したら・・・。アイツはそれでもきっとオレを助けるために駆けつけたと思う」


自分の死と交換にしてでも。


卓也の言葉を聞いた浩司が事の重大さに漸く気がついたらしく、みるみる顔色をなくした。

たかだか11歳の子どもにとって、他人の命まで背負わされるのは過ぎる重責だ。小さな水槽の中のグッピーの世話をする飼育係ですら、その責任を重過ぎると感じていたのに。


「オレは気をつけなければいけない。オレはもっと強くならなければいけない・・」


誰に聞かせるわけでなく、卓也はタンブラーの中に吐き出した責務を、ぬるくなった中身ごと一気に飲み干した。


決して忘れないように。

決して間違えないように。






中編に続きます。

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