【第二章】 惹かれ合い、探り合い、自己紹介
「ちょっとやはり歌舞伎町まで戻って頂けます?」
「いやぁね、お嬢さん、さっき殺人事件があったって話ですよ。危ないですから今夜はこのまま帰ったほうがいいんじゃないですかねぇ」
桜坂はタクシーの運転手に言われた一言に、もはやこの街はインターネットの世界よりも情報が早く行き交っているということを教えられた。
歌舞伎町ネットワークはバカにならないが、既に尾びれがついていることにびっくりもした。
この調子だと明日には背びれや胸びれまでつきそうだ。
「いえ、でもちょっと忘れ物をしてしまいましたので、すみません」
「そうですかぁ?気をつけてくださいよ」
「はい、でも、どうしてそんなことご存知なんですか?」
「このへんを生業としているあたしたちにはね、その辺のことを上手に流してくれる業者ってのも存在しましてね」
「そんな業者さんが、どうして?」
「タクシー業界も生き残っていけるかどうか、けっこうな死活問題でしてね、ほら、最近じゃナビシステムのおかげでね、地方から出稼ぎに出てくるドライバーが多いんですよ。
だからですかねぇ、たくさんお客を拾えそうな情報を買って、稼げそうな場所に向かうってわけですよ。ま、歌舞伎町じゃそんな心配ないでしょうけどね。
でもあたしたちもね、ほら最近は物騒でしょう?
事件があった日はおとなしく違う場所で営業するんですよ。はい、着きましたっと」
運転手の長い話に付き合っているうちに、さきほどタクシーに乗った場所に戻ってきていた。
「ありがとうございました」
「ま、いいや。気をつけて」
今降りたタクシーにはもう次のお客が乗り込んでいた。
「どう?初回だと安いけど」
「けっこうです」
「あれ?お姉さんどっかで見たことあるなぁ?あ、もしかしてモデ・・・」
「そうよ。でも私今すっごい機嫌悪いから、話しかけないでくれる?」
幸元はホストクラブのキャッチにべったり張り付かれ、いい加減機嫌が悪くなっていた。
この私に気安く声をかけるなんて、ムカツク!
地面をどんどんと音を響かせながら歩く姿は怒りをアピールしているものの、キャッチだって仕事だ。
店に押し込んだお客の売り上げの一部で食っているので、金を持ってそうなお客はそう簡単には放さない。
「あ、そうだやっぱ戻ろう」
後ろ髪を引かれる思いで歩いてきた幸元だったが、やはり気になるのか、ライブハウスの方へ戻ろうとした。
「お姉さん、やっぱうち来てくれるの!」
「違うわよ。戻るのさっきの店に」
「えー、まじでうちの方がいいって絶対!」
「じゃ、ほら名刺ちょうだい。後で行くから」
足早に歩きながら手を出す。
その手の中に店の名前の書かれた名刺を置き、もちろん自分の名前を書くのも忘れなかった。
「待ってるからねー!」
「はいはい」
やっと引き下がったキャッチは次のターゲットの物色をするのに、歌舞伎町の奥へと目を向けた。
大きい獲物を釣ったと勘違いし、腕を大きく後ろに振って、一仕事終えた余韻に浸っていた。
幸元はそんなキャッチの姿を、口元を悪い人のように斜め上に上げて楽しむように眺めていた。
直後、貰った名刺を握りしめ、半分に破き、更に半分に破いて、紙吹雪のように自分の前に舞い散らした。
白戸はJR新宿駅、アルタの前で足を止めたが、何かを思いだしたように、バッグを胸に抱え、足早に今来た道を戻りだした。
「あ、おばさんごめーんね」
交差点で信号待ちをしている時、酔っ払った若者が白戸の背中にぶつかってきた。
その髪は、金色とピンク色のグラデーションで、ミッキーマウスのように頭の左右に二つに結んであり、鼻ピアスはもちろんのこと、もう付ける場所が無いってくらい多くのピアスが耳に付けられていた。
そして、パンツを見せているとしか思えない短いスカートにふわふわの靴下は、プードルにしか見えなかった。
「いえいえ、気になさらずに」
「気になさらずにだって、まじちょーうけんですけどー」
大げさに手を打って、大きな口を開けてげらげら笑う様は、白戸には異様に見えた。
その仲間達も皆同じように見える。
どこまでが目なのか分からない真っ黒い目にはつけまつげが伸びている。
カラーコンタクトをつけているのか、その目は不自然に青い。こんなに大きな頭をしていてちゃんと電車に乗れるんだろうかともう一度若者の頭に目をやった。
「何おばさん、これ気になっちゃうかんじ?やっちゃうー?」
白戸の頭に手を伸ばしてきた若者の爪には、ドハデな3Dデコレーションが施されていた。
「けっこうですけっこうです」
頭を抱えて逃げる白戸を面白そうに追いかけて笑う若者の舌には、またピアス。
信号が青になったとたん、若者の目が交差点の先に向かい、「じゃね、おばさん!」というお別れの挨拶により、白戸は解放された。
「・・・なによ、おばさんおばさんって失礼な」
小声で言った小さな罵りは、歌舞伎町へ向かう人混みの中に混じって消えて行き、若者の耳に届くことはなかった。
「あ!」
桜坂、幸元、白戸が、軽い驚きや感動などを現す便利な語を同時に発した。
ライブハウスの前で足を止めた3人はお互いにお互いを探り合い、何からどう話そうかと頭を急展開させていた。
「なんで戻って来たんですかぁ?桜坂さん」
口火を切ったのは幸元だ。
「いえね、ほら何かと気になりますし?」
「そうですよ、なんか歯切れが悪いっていうかなんかねぇ・・・らいちゃん終電までだったらまだ時間もあるし」
「あ、二人ともそうだったんだ。私もね、なーんかひっかかるところもあるしぃ。ホスト行くのやめて戻ってきちゃった」
「でも、野本さんはいないんですね。明日の準備がどうのって言ってたから、帰ったのかしら」
「あ、何気にしちゃってんですか?私が言ったことぉ」
「・・・何か?」
「だって私さっきあなたに、そんな話し方~って言ったし」
「・・・女同士で気取る必要もないかなってそう思っただけです」
「ほら、やっぱ気取ってたんだー!てかこっちのがいいですってやっぱ」
指を指して笑う幸元の指を、やめなさい!と下に下げる桜坂。
辺りを見回し何気なく野本を捜す3人の頭上から声が降り注いできた。
ワインと一緒に。
3人の目の前に落ちた赤ワインは誰にも当たることなく地面に吸収された。
ワインが落とされた地点を辿って上に目をやると、そこには笑顔でワイングラスを傾ける野本の姿。
右手をひらひら振っているそれは、まるで挨拶のようだ。
「ちょっとおばさん何やってんのよ!これ、だからドルガバの新作なんですけど!ワインかかったら弁償してくれるんですか!」
幸元は更に汚されそうになった自分の服を指さし、悪態をついた。
「なーに言ってんのよバカね、もう既にさっきの血で汚れてんじゃない!くだらない!」 あからさまに大きな声で言い放った野本の一言は、周りを一瞬で静かにさせた。
「早く上がってきなさいよ、待ってたんだから」
ドキリとする3人をよそに、手招きして自分の座っている椅子を叩く野本は、まるでここにこうやってみんなが戻ってくるのを分かっていたような口ぶりだ。
3人は顔を見合わせ、ひとつ頷くと、野本のいる店の中へと静かに案内された。




