【序章】 重なった星は混じり合う
「おい、そろそろ時間じゃないのか?」
「うっそ。もうそんな時間?」
田ノ木は渋いお茶をすすりながら、隣で高級ワインを飲みつつ、今度の学会で提出する自分の論文に目を通すツグミに、時間に遅れるぞーと簡単に伝えると、また湯飲みに口をつけた。
「今日はAJIの日だって言ってたろ?あの例のおばさん連中も一緒に行くってはりきってたのに遅刻はさすがにまずいだろ」思い出したように付け加える。
「何言ってんのよ。私は数字のプロよ。どんなことにおいても計算してますから、遅れるなんてことはないの。ご安心を」
毎週金曜日の夜、熟練された4人の女性は必ず新宿に集まるのが習慣になっていた。
例の事件以来、性格も趣味も全く合わないはずなのに、なぜか一緒にいることが多い。
それなりに相談をしたりしていると、考え方の違いや思想が異なっている分、新たな発見ができるので、お互いにお互いを重宝しているのかもしれない。
ツグミはお気に入りの夜遊び用の服に着替えると、残りのワインを喉に流し込み、行ってくるねと向かいのテーブルに座っている田ノ木に声をかける。
「白戸さんに貰ったこのヴィンテージワイン、本当おいしい。無くなったらまた貰わなきゃ」
「買えー」
田ノ木はツグミの言うことにいちいちつっこみを入れる。これも日課の一つだ。
「じゃ・・・」
「おう、楽しんできな」
「うん・・・あのさ」
「ん?心配すんな」
ほれ。と、大きく両腕を開き、ツグミを受け入れる。これも、日課。
ツグミは目の前に開かれた腕の中を3秒ほど眺めると、そのてっぷりとしたタヌキの腹のように膨れた田ノ木の腹に顔をうずめた。
「このお腹が本当に気持ちいい。これが一番好きかも。安心感もあるし」
「それは奇遇だな。俺の腹もそう言ってるよ」
笑うとお腹が波打つ!と文句をたれるツグミの背中を優しく叩くと、玄関のドアを開けて見送った。
ツグミは閉められた玄関の前でまだ立っている。
ドアに両手の手の平を預け、何かをぶつぶつと呟く。
『どこにも行きませんように、どこにも行きませんように、どこにも行きませんように』
呪文のように唱えて、指にキスをしてドアにタッチすると、小さく、行ってきますと言って笑顔で門を出た。
「っとに。俺はどこにも行かねーから安心しろって」
玄関ののぞき穴からツグミの姿を見ていた田ノ木は、可笑しそうにくすくすと笑い、背伸びをしながらリビングへと戻って行った。
しかしその顔は愛に満ちあふれていた。