プロローグ3 「再会」
相変わらずの無茶苦茶な句読点のつけ方ですが…どうぞ宜しくお願いします。
本堂を後にした俺は、寺の北東側に位置する宝物倉へと歩みを進めていた。
宝物倉とは呼んでいるが、実際は普段使わない道具やら、誰が読むのかも分からない大量の古書やら骨董品やらが仕舞ってあるだけの、宝物倉とは名ばかりの、ただの倉庫でしかない。
一見価値のありそうな物も、ただ爺さんが趣味で集めているものであったりするので、貴重なものであるかは酷く疑わしい。
一度○○鑑定団に出して撃沈してもらいたいものだ、そうすれば少しは自重するだろうに…
「はぁ~、しっかしほんと久しぶりに帰ってきたけど、全然変わってないな、ここは」
昔を思い出す。
親父と母と爺さんと四人で暮らしていたあの頃。
跡取りがどうとか、御社の掟がどうとか考えなくても、日々何気ない日常が絶え間なく続いていたあの頃を。
しかし、そんな生活も両親が亡くなることで一気に崩れ去った。
家族という団欒を失った上、御社家の跡取りという穴を埋めるために修行させられ、親父が背負っていた責任が全て俺へと流れ込んできたからだ。
「まぁ、ガキだった頃は責任なんて深く考えたことなんてなかったな」
座禅も武術も術式も、辛くはあったけれど、修行中に幼馴染共が遊びに来て何故か一緒に修行したり、たまに抜け出して色んな所を散策したり、幼馴染という存在が俺の心の穴を埋めてくれて、樹希さんという優しいお兄さんが、暖かく俺に接してくれて、そんな風に支えられていたからこそ、あまり寂しくも感じなかったし修行も嫌々でも続けていられたんだと思う。
境内を見渡した。
昔はよく、ここでも遊んだ。
樹希さんは、実家が忙しくてここではあんまり遊ばなかったが…
あいつらはいつもここに来ていた。
急いで宝物倉に行かなければいけないことは分かっているのだが、懐かしいと一度思ってしまうと、どんどん昔の記憶が蘇ってくるものだ。
もう倉は数メートル先に見えているというのに、俺の歩みは自然と目的地であった倉から逸れ、昔、幼馴染達とよく遊んだ木陰の方へと歩みを進め、立ち止まった。
「そういや、三人の中で寺を抜け出そうって言ったり、はしゃいで問題行動起こしたり、迷子になったりしたのは、いつも氷梶也だったよな…。 その度に、あいつが怒って暴走しようとする氷梶也を引き止めては爺さんの処に連れてって、それで結局いつも、あいつだけ叱られずに俺と氷梶也だけ長時間説教聞かされてたっけ……」
一人孤独に木陰で昔のことを鮮明思い出して口に出してみたことで、ふとあることを思い出した。
「ああ、そういえばあいつ…元気にしてるかな?」
いつも俺と氷梶也と行動を共にしていたもう一人の幼馴染、最後に会ったのは氷梶也と同じく、中学の時が最後だ。
氷梶也も高校は同じだったがそれ以降はあまり会う機会も無かったって大学の入学当初に言っていたし、恐らく今も大して連絡をとってはいないのだろう。
メールのアドレスを教えてくれるとは言っていたが、今更なんと送れば良いのだろうか…?
それに送れない理由もあったし、メール代が嵩むので遠慮しておいた。
それと共に、俺のことをあいつに話さないように口止めも要求しておいたので、氷梶也が酷く残念そうな顔をしていたのをよく覚えている。
「会いたくない訳じゃないんだけど…流石に……今更、会えねぇよな~…」
あいつと顔を合わせた時の自分の姿が脳裏に浮かぶ。
「………さて、バイトもあるし。早く用事済ませて帰るか」
募る思い出話も闌に切り上げて当初の目的である荷物を確保するため俺は再び数メートル先の倉へと向かい合った。
バイトのシフトまではまだ約数時間といったところ。
この程度なら、何もなければ余裕で間に合えそうだ。
しかし、油断は禁物。
どこでどんな災難が待ち受けているのかなど、誰にも予想などは出来ない。
その為、早急に目的を達成しようと思い、俺は急ごうとしたが…
「…奏……?」
背後から自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「ん?」
徐に声のした方へと振り返ると、そこには少女がいた。
スラッとした細身の体に、整った顔立ちで、髪は金髪ショートヘアーという、外見だけを見ればどこかのファッション系のモデル雑誌にでも載っていそうな程の美少女だった。
しかし、その容姿はどことなく初めて見るという訳でもなく、なんというか、懐かしさというものを俺に感じさせていた。
「ねぇ、カーくん…だよね…?」
「カーくん……って、お前…!?」
少女は青色の瞳を涙ぐませながら、俺のことを一心に見つめていた。
そして、その涙を目の当たりにすると共に、ある人物の顔が記憶の中で鮮明に写し出されるのを感じた。
さっき感じていた懐かしさの正体がこれだとするのならば…
「お前、もしかして……」
「…奏っ!」
少女は持っていた手提げ袋を地面に落とし、涙ぐんだ顔のまま走って俺に向かって来ると、その両手を広げて俺に飛び込んできた。
「やっぱりお前、かれ……」
そう言いかけた時だった。
「えっ…!?」
飛び込んできた勢いのまま両手で肩を『ガシッ』と掴まれ、飛び膝蹴りの要領で俺の腹の中心へと少女の膝の一撃が叩き込まれた。
「ガハッ!」
辺りに『ドガッ』という鈍い音が響く。
その一撃をモロにくらうと、俺は呻き声を上げながら腹を抱えこむようにして前かがみになり倒れそうになった。
しかし、少女はすかさず、俺の襟を掴んで体勢を戻させ、半歩後ろへ下がると、くるりと回転し後ろ回し蹴りをもう再度叩き込んできた。
「グァッ!」
何が起きたのかと状況を把握した頃には、俺は既に地面に倒れ伏していた。
そんな中、その少女は俺の隣で何事もなかったかのように、平然と乱れた髪や服装を整え、無表情のままに俺に歩み寄りとると、しゃがんで話しかけてきた。
「さて、聞かせてもらいましょうか? 私たちに何も言わずに出て行った訳と、今まで連絡の一つも寄越さず、どこで何をしてたのかをねぇ~、カーく~ん」
その言葉とは裏腹に無表情だった少女の顔は満面の笑みで塗り固められていた。
他人の笑みをここまで恐ろしいと感じたのは初めてな気がする。
「全く、お前も変わらないな…これが、約10年間連れ添った幼馴染に対する再開の挨拶かよ…華恋…」
「約3年間も黙って行方晦まして、可愛い幼馴染に心配かけまくってたやつがよく言えたものね、奏」
『志操 華恋』小学校時代から氷梶也と共によく遊んでいた俺のもう一人の幼馴染。
親がイギリス人と日本人のハーフで、髪色も目の色も日本人離れはしているが、心は生粋の日本人の普通の女の子である。
いや、彼女も普通というべきではないのだろう。
彼女も、子供の頃から俺と同じように霊感があり、霊を見たり妖怪などを寄せ付け易かったりと、色々な苦労をしてきていた。
俺たち三人が仲良くなったのも、そういう共通点がきっかけであったり、氷梶也のあの性格が原因であったり。
まぁ、同じ境遇の中で結構気が合い、とても親しくなった幼馴染だ。
「久しぶりだな、元気してたか…?」
俺が笑顔で華恋に声をかけると、今度は肩ではなく『ガシッ』っと髪を掴まれた。
「えっ…?」
そして、華恋は腕にもう一度力を込めてグリグリと俺の頭を地面へとこすり合わせ始めた。
「痛い痛い痛い!痛い、痛いって、華恋っ?華恋さんっ?いや華恋様!?」
「何が『元気してたか?』よ! 人が散々心配したってのに、よくひょっこり帰ってきて能天気な顔でそんなことが言えたものね! 少しは心配する方の身にもなって考えなさい!」
血気盛んで元気が良いというかなんというか…彼女には、活発という言葉がとても似合ってる。
全く、何で俺の周りはどいつもこいつも、再開と同時に奇襲をしかけて来る奴らばかりなのだろうか…
「いや、だから勝手に出てったのはごめんって! こっちにも色々と話せなかった事情ってもんがあってだなぁ」
「知らないわよそんなの! だからこそ相談して欲しかったのに…! 一人で全部抱え込んで…勝手に決めて出てって……全く連絡もなくて……ほんとに……ほんとに…心配したんだから……」
華恋の言葉は俺の髪を掴む腕の力と共に徐々に弱くなり、青かった瞳は赤く、今にも泣き出してしまいそうだった。
「……はは、全く、力も外見も見違える程に成長したってのに、中身は全然変わんねぇな。 泣き虫のままじゃねぇか…」
「なっ⁉︎ うるさい! カーくんのバ~カ!」
「グォッ」
顔を赤らめながら馬鹿にされた上に、もう一度最後に思いっきり地面へと顔を押し付けられた…
「それで、今まで何処でどうしてて、何で今になって帰って来たのよ? 路頭にでも迷った?」
「失敬な。 ここ数年間、自分でバイトして高校通ったり大学行ったりして、自らの人生設計を考えていただけだ。 路頭に迷ったりなどしていない、というか、氷梶也から聞いてないのか?」
「聞こえは良いこと言ってるようだけど、そんな体勢で言っても締まらないわね…氷梶也からはなんにも聞いてないわよ。 何っ? あいつ知ってたの!?」
「知ってたも何も、お前らメール……あ…」
「メールがなによ?」
「いや、何でもない…こっちの話だ」
危ねぇ~…地雷踏むところだった…
自分で口止めしていたことを流れによってすっかり忘れていた。
氷梶也が我慢して言わずにいてくれたのを台無しにするところだ。
まぁ、華恋に出くわしている時点で台無しになっていると言えなくもないが。
「そういえば、何でお前こんな処にいるんだよ?」
「それはこっちのセリフよ…私はただ玄司さんに届け物を持ってきただけよ。 石段昇ってみたら、何か見覚えのあるような、ないよな不審な青年が歩いていくのが見えたから、後をつけてきたのよ。 それでカーくん、何で誰にも言わずに出てったのよ? それと、いつまで地面とラブラブしてんの?」
「誰の所為だと思ってやがる…?」
幼馴染を不審者呼ばわりとは…俺の知人でまともな人間は樹希さんただ一人のようだ。
「それと、そのカーくんって呼ぶのいい加減に止めろよな、カラスか俺は!」
『カーくん』小学校時代に華恋に呼ばれていた俺のあだ名。
氷梶也やクラスの大体の連中は俺のことを、『奏』や『御社』くんと呼んだが、華恋だけは俺のことをあだ名でそう呼び続けていた。
周りと違う呼び方が良いんだとか、一番呼びやすかったからだとか、色々と理由はあったが、一向にそう呼ぶのを止める気配は無かった。
「良いでしょ、カーくん。 可愛いじゃない? それに、奏ってなんか言いにくいのよ」
「普通に言えてるじゃねぇか…というか、さっきも言えてたよな、これただの嫌がらせだよな?」
「ああ、もう分かったわよ、そこまで言うなら止めてあげるわよ。 それで、なんで誰にも相談することなく出て行ったの? 氷梶也はともかくとして、何で私にも相談してくれなかったのよ」
「ああ、悪いがそれは言えない」
大勢を起こし、俺はそっけない態度でそう答えた。
例え幼馴染でも、いや幼馴染だからこそ言いたくないことだった。
「言いなさい、言わないと怒るわよ」
華恋が睨みを効かせて俺を見つめてくる。
「もう十分に怒られた気がするがな…。 寺を出て行った理由は、簡単に言ってしまえば、修行に嫌気がさしたからだ。 でも、何で相談しなかったかは言いたくない」
「……私達、そんなに信頼されてない…?」
「いや、俺は二人のこと、すっごく信頼してるし、信用もしてる。 頼れる良い幼馴染だって思ってるよ」
「それでも…言えない…?」
「ああ、言えない…」
「…………」
「…………」
沈黙というのは、いつも重く苦しいものだ、まぁもう慣れたようなものだがな。
「はぁ~、人のこと変わってないって言うけど、奏だってそういう頑固なとこ全然変わってないじゃない…。 いやちょっとは成長したのかな?」
呆れたような顔でため息をつき、華恋は少し微笑んで俺にそう言った。
「なんにも変わってねえよ。 俺はあの頃からずっと足踏み状態だ。 寺を出て一人で過ごしてみれば、何か得られるかとも思ったけど、失っただけで、まだ大して何にも手になんか出来ちゃいないしな。 空っぽのまんまだよ」
「ううん、奏は奏のままで、私はそれで良いよ。 奏が訊いて欲しくないって言うなら、もう深くは訊かないから」
「そうか、ありがとな華恋」
「別にお礼なんて良いわよ、それと」
「ん?」
「お帰り、カーくん」
「だから…そう呼ぶなって…」
華恋は、俺にそう言って微笑みを向けてくれた。
裏のない、本当の華恋の笑顔を見たのは、本当に久しぶりな気がして、何だか凄く懐かしかった。
「でも、お前外見は本当に変わったし、髪も切ったよな? 中学時代はもう少し長かった気がするし、背も少し伸びたか? 雰囲気全然変わってて気づかなかったよ」
「うん、切ってみたんだけど…どう…かな? 変じゃない?」
「ん? ああ、変じゃないし、凄く似合ってると思うぞ、やっぱり華恋は短いほうが似合うな、初めて会った時も確かそれくらいだったし」
「よく覚えてるわね…」
「まぁな」
俺には親しい友人は氷梶也と華恋くらいしかいないため、こいつらに関する記憶ならば、かなり鮮明に多くを記憶している。
「まぁそれはそれとして。 奏、帰って来てくれたんだよね?」
笑顔のまま、凄く嬉しそうな顔で華恋は俺にそう訪ねてきた。
「いや、今日はただ荷物を取りに来ただけだ。 用が済んだらまた直ぐに出て行くよ」
自分で口にしてみて、またバイトのことを忘れていた事に気がついた。
少々時間を取ってしまったので、早いうちに切り上げないとまずい気がする。
「え…? そう…なんだ」
さっきまで笑顔だった華恋の顔は、何故か寂しそうな顔へと変わっていた。
「じゃあ、今度いつ会えるのかも分からないってこと…だよね?」
「ああ、そうだな。 どっちにしてもゆっくりはしてられないんだよ。 氷梶也が旅行に行きたいっていうからさ。 俺も付き添いで行くことになって、それで、今日は親父の登山道具を取りに帰って来ただけなんだよ」
「……旅行?」
「ああ、そういうわけで俺これからバイトのシフトがあるんで、じゃあまたな!」
少々強引だったが、これも給料の五割の為、許してくれ幼馴染よ。
ではさらばと、俺は方向転換して、倉へ向かおうとしたが。
「んっ?」
足を出した瞬間、何かが俺の手を握るような感覚が伝わってきた。
振り返ると、そこには俯きながら俺の手を強く握っている華恋がいた。
「なんだよ、まだ何かあるんだろうが俺は急いでるんだ…。悪いが、見逃してくれ」
「く……」
「はぁ?」
俺の言葉に何か返答したようだったが華恋の言葉は、か細く凄く聞きづらかった。
「行く…」
「ああ? 行く?」
なんだ、行くなってか…? 流石にもう時間もない。
ここは心を鬼にして、言うべきなのだろう。
「はぁ~全く、聞き分けのないやつだな…悪いが俺は急いでるんだ、また時間があったら戻ってくるから、用があるならその時に…」
しかし、その言葉は途中である言葉によってかき消される。
「私も!一緒に、旅行いく!!」
「……は…?」
「私も、着いて行くから!」
「えっ⁉︎ いや、着いてくるって…旅行って言っても、氷梶也観光のプランだぞ⁉︎ ついてきても面白くもなんともないって。 それに山登って妖怪探索とか言ってたし、霊感ある上に女のお前には…」
「奏が居れば霊とかは大丈夫だから! 迷惑はかけないから! ねぇ…」
「うっ……」
今まで俯いていた顔を上げ、上目遣い、しかも涙目でとても弱々しく華恋は俺にそう告げた。
俺は無言で華恋から目を離し、心の内で『顔近いって…!その顔を止めろ!』と叫んだ。
「奏…」
「………わっ、分かったよ……氷梶也に連れてくように言っとく」
「本当に…?」
「ああ、本当だ、だから手…離せ」
「あっ、うん、ごめん…」
あ~あ、分かったって言ってしまった…
だから嫌なんだ。
昔からこいつに泣かれると、俺はいつも『嫌』と言えなくなってしまう。
寺を出ていこうと決意したあの時、こいつに何も相談しなかったのもそれが理由だった。
決心を揺らがせたくなかったのだ。
俺が出て行くといえば、こいつは必死で俺のことを止めようとするだろう。
もしかしたら、今みたいに『着いてくる』とか言い出しかねない。
華恋は、頭は俺たちの中ではズバ抜けて良い方なのに、氷梶也と同じように、少々バカ正直なところがある。
本気で言われた時に、俺が誤った返答をして、危険に晒して傷つけたりしないかと考えると…いつも不安で仕方がない。
さっき華恋に理由を訊かれて言いたくないと言ったのは、幼馴染の涙に弱いということが、何とも男気の弱さを問われているような気がして、少し小っ恥ずかしかったというのが正直な理由だった。
「じゃあ、俺はバイトあるから。 お前も、用事早く済ませて来いよ」
「うん、ありがと、カーくん」
さっきまで薄暗かった華恋の顔にまた徐々に笑顔が戻っていた。
「はぁ…だからそう呼ぶなって…」
とんでもないところで、とんでもなく時間を使ってしまった。
果たして、無事にバイトへ行けるのだろうか?
「じゃ、じゃあ奏…その…メ…メアド交換しない?」
「悪い。 今、時間ないから日程なら氷梶也に訊いてくれ」
「いやっ…でもほら、あれじゃない? 氷梶也って少し…ていうか大分頼りないし、待ち合わせの時間とかに齟齬が発生したりして、間違えたりして、またトラブルになったりするかもしれないし…! だから交換しておいた方が…その……」
こいつは何を慌てているのやら…もしかして華恋もこれから急ぎの用があるのだろうか?
確かに、華恋の言い分にも一利ある。
氷梶也のメールは、たまに要件がまとまっておらず、内容が入ってこなかったりして、何度も訊き返して、時間とメール代の無駄となることも考えられる。
だとするならば、まとまったメールを華恋に一通送ってもらった方が、大幅な無駄の解消となるだろう。
ただメアドを交換するだけだ、バイトまでの時間に支障はあるまい。
「ああ、分かった。 じゃあ俺、携帯の使い方とか、あまり知らないから華恋がやってくれ。 それと出来る限り早くしてくれよ、一分以内で頼む」
そう言って、俺は華恋へと自分の携帯電話を手渡した。
華恋は、少し驚いたようにしていたが、俺の携帯を受け取ると。
「…うん!」
優しい顔を浮かべて、作業を始めた。
そして、一分も経たないうちに華恋がアドレスを交換し終え、俺は自らの携帯を受け取った。
「じゃあ、私行くから。ありがとね奏、また連絡するから」
何が嬉しいのか、ニコニコとした表情で、華恋は自分の荷物を持って歩き出した。
女の顔というものはコロコロ変わって、本当によくわからないものだ…。
しかし、これでやっと本来の目的地である倉へと行ける。
「ねぇ、奏…」
「なっ、なんだよ…?」
こいつは、俺を遅刻させるつもりなのだろうか?
華恋は俺に背を向けたまま立ち止まって、また声をかけてきた。
「玄司さん、まだ一人で妖怪退治とか、お祓いとか頼まれて、それを引き受けてるらしいわよ…でも、あの人ももう歳だし、これ以上は…」
「………」
「ねぇ、凄く前だけど…覚えてる? あの時、奏、言ってくれたよね」
「…………」
「もし、もしだよ。 奏の言う、その人生設計っていうのが新しい道として確立したとしても…奏は、私たちの処に戻ってきてくれるよね…?」
「………」
「あっ、はは…ゴメンね変なこと訊いて…じゃあ、私はこれで…」
「……俺には、何の力もねぇよ…。 親父みたいにはなれないし…爺さんみたいになるつもりもない…俺は俺だ、何かを守る絶対的な自信なんて持ち合わせちゃいないよ。 だから…もう家に戻る気はない……」
「………そう…」
「だけど。 華恋や、氷梶也が俺を必要とするなら…そう思ってくれてるなら…いつか…絶対に帰るから」
振り返った華恋の顔は笑っていた。
しかし、その笑みは何処か寂しそうで。
そんな笑顔を見たのは二度目だった。
何処で誰が見せたのか、既に忘れてしまったが、記憶の片隅で今も覚えているような気がした。
今日、目の当たりにした彼女のその笑顔がこれから先、頭の中から離れることは決してないのだろう。