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変えられる体と、変えられない心<性同一性障害>

作者: 時満

 私が性同一性障害というものの存在を知ったのは大学生の頃で、今から十年以上も前の話です。もっとも、最初から性同一性障害そのものを知ったのではなく、結果としてそれに続く知識を得た、というところから始まりました。

 それは性分化を扱う生物の授業だったと思います。

 その授業で扱われたのは、半分は倫理の問題でした。インターセックス(中間の性)として生まれて来た赤ん坊をどうするかという問題です。

 一般に、赤ちゃんは生まれた時の身体的特徴から女か男か分類され、出生届が出されます。しかし、約2000人に一人の割合で、外見からは性別の判断が難しい子供が生まれます。日本では、年間約600人が生まれている計算になるそうです。実は結構な数にのぼる。規模の大きな学校なら一人くらいいてもおかしくない計算です。そういう場合、どちらかの性を選択して幼少時の内に外性器形成手術を行い、女、あるいは男として医師が性別を決定していました。その為に、成長するにつれて体の性別と性自認が一致せずに苦しむ患者についてのお話でした。性自認、というのはジェンダーアイデンティティのことで、自分をどちらの性別と思うか、という認識です。

 この時が、心と体の性が一致しない苦しみ、というのを初めて知った瞬間でした。

 勿論、この場合性同一性障害とは全く別の問題ではありますが、精神的な苦痛という意味では同種のものであるように思います。私はこの問題についてのレポートを書く過程で、トランスセクシュアルという概念と出会いました。

 これは体の性別と性自認が一致せず、性自認している性別で生きたいと希望する人で、その中でも生物学的性そのものを外科的手術で変えたいと願う人のことです。いわゆる性同一性障害として近年メディアに取り上げられるようになった人達は、このトランスセクシュアルに該当することが多いです。

 体の性別と性自認が一致しない人々の中で、ホルモン注射などで外見を性自認の性別に近付け、社会生活を性自認の性別で送ることで満足して外科手術を望まない人もいて、こちらは狭義でのトランンスジェンダーと呼ばれます。

 ホルモン注射も、外科的手術も望まず、異性別装で満足する人もいて、一言で性同一性障害と言っても様々な段階の人がいます。


 ここで、よく間違われてしまうのが同性愛との混同です。性同一性障害と同性愛は全くもって別の話です。

 余談ですが、性的指向と性的嗜好もまた全く別の話で、同性愛というのを性的嗜好というのもまた大変おかしな話です。同性愛が性的嗜好なら、異性愛も性的嗜好でなければ公平でないからです。男女どちらに性的な魅力を感じるかという方向性、という意味での指向と、より選択的で巨乳が好きか貧乳が好きかというような好みの問題である嗜好と、はっきり区別しておかねばなりません。

 話を元に戻します。性同一性障害の場合、恋愛などをきっかけにして強く体の性別と性自認の不一致を自覚する、という話は良く聞きますが、それは説明しやすいからと良く引き合いに出される側面もあると私は推測しています。それがまた、同性愛との混同を引き起こしているのかもしれません。

 しかし、性同一性障害を抱える人は、恋愛以前に性自認が体と一致しないのです。性的指向は一つの目安にはなりますが、必要条件ではないのです。初恋もまだの人が、男と女、どっちを好きになるかなんて厳密には答えられないでしょう。

 たとえば、身体的な性が男性で、性自認が女性の場合を考えてみましょう。性自認というのは心の問題で、恋愛も心の問題なら、この場合身体的な性別は度外視して考える。「彼女」が、男性を愛したとしたら、それは心の問題だけで論じるなら異性愛です。「彼女」が、女性を愛したら、それは心の問題だけで論じるなら同性愛です。後者の場合、一見すると普通の男女の異性愛です。でも、「彼女」は自分を女性だと性自認しているので、性同一性障害です。

 たとえば、村上春樹の「海辺のカフカ」には体は女で心は男で、しかしゲイ、という大島という人物が出てきます。大島さんは性同一性障害で、なおかつ同性愛の性的指向を持つ人物なんですね。

 このように、性同一性障害と性的指向は全く別ものなんです。


 ちなみに、このエッセイを書こうと思ったきっかけは、まさにこの点にあります。ある程度予想はしていたのですが、余りにも同性愛と性同一性障害が混同されているという現実に愕然としてしまったことがつい最近ありました。

 これだけ情報が氾濫し、メディアに露出する当事者が増えても、正しく理解するのは難しい。むしろ情報が氾濫し過ぎて、深く考える余裕が無いのだろうか。そんな思いに突き動かされた結果が、このエッセイになりました。


 さて、心の面から性同一性障害の事を書きましたが、それでは身体的な部分はどうなのかという話をしましょう。一体彼らの体と脳には何が起っているのか。性同一性障害の場合、インターセックスとは違って体の方は典型的な男性、もしくは女性ということになります。遺伝子レベルで言えば、身体的には設計図通りで正常、ということです。

 性自認を行うのは脳ですから、脳の性分化がこの場合は問題になる。

 何時の時点から脳の性分化が起こるのかは、未だになぞに包まれている部分が多いですが、出生後男児の場合盛んに男性ホルモンが分泌される時期があります。一般的には、この時期に大量の男性ホルモンによって脳の性分化が起こると考えられています。

 ここで注意したいのが、この男性ホルモンによる脳の性分化は基本的に遺伝子の性とは別のものと考えられることです。 男性ホルモンと呼ばれる物質は女性でも分泌されるものであり、 この量は個人差があるもので、 男の新生児であっても分泌量が少なければ遺伝学上男でも女性化した脳を持つ場合、女の新生児でも分泌量が多ければ(あるいは外部から男性ホルモンを投与されるなど)遺伝学上女でも男性化した脳を持つ場合がありえる、ということです。

 これは性自認と身体の性別が一致している人間でも同様で、一口に男性化した脳、女性化した脳といっても、完全なる男性脳、女性脳というものは存在せず、どちらかというと男性化している、女性化している、という事なんですね。これは性格といわれる部分でもあり、料理や手芸が得意な男性がいてもおかしくないし、機械いじりが大好きな女性がいてもおかしくない。男性は一般的に空間認識が得意ですが、女性にもそういう事が得意な人がいる、というように脳の部位によっても、その男性的と思われる部分と女性的と思われる部分の発達の仕方には個人差があり、ばらつきがあります。統計を取れば明らかな男女差がありますが、個人差がある限りはっきりとした“完全な男性脳”や“完全な女性脳”は存在しません。

 更に、脳の性分化はこれで終わるわけではなく、 育てられ方、いわゆる文化的な環境要因によっても脳の性分化は影響を受け、8、9才で一応脳が完成されるまでは完全には性自認は固定されないと、一般的にはされています。

 しかし、性同一性障害はこの限りではありません。性同一性障害の場合、性自認の固定は早いうちから強固であることが多く、生育環境で矯正出来ないものだからです。環境要因に対する感受性の個体差の影響も考えられますが、現在その原因として有力視されているのが、脳の分界条床核が性ホルモン分泌の異常によって正しく構築されなかった、という説です。性同一性障害を持つ人の脳を解剖すると、性行動に関わる分界条床核の構造が性自認と一致しているらしい、という事が報告されています。

 しかし、それだけが原因ということはおそらく無いでしょう。通常、一つのホルモン分泌異常が一カ所だけに影響を及ぼすという事は無く、その影響範囲は多岐に渡り、複雑に別のホルモン分泌系統と絡み合うようにして影響しあっているのが普通です。

 それが原因の一つと考えられるとしても、全ての性同一性障害者がそれに当てはまるとは限りません。そして、脳の構造そのものを弄るような治療というのは現段階ではどう考えても不可能と言わざるをえません。

 結局、脳に何が起っているかということもほんの少し分かってきただけで、実際に性同一性障害の人々の苦しみを緩和できるような根本的な治療法は無く、体の方を性自認に近付けるしか無いのが現状なのです。


 ここまでで心理学的な部分だけでなく、生物学的な知識も合わせて記載してみましたが、性同一性障害の理解に役立ったでしょうか。

 実際の性同一性障害の方々が具体的にどのような苦しみを感じるのかは、ここでは書きません。実際にその苦しみを抱えている人達の書いたものが世に出ているし、生の声を聞くという意味でも、第三者の私が言うよりも第一次的な情報源としてそちらの方がずっと相応しいでしょう。

 正い知識を選択し、その上で実際そのような人々に出会ったらどのように関わっていくか考える事は、自分を深く知り、自分を大事にすることと同義になるのではないでしょうか。

 私達は、男と女に分けられる前に一個の人間であり、男と女という単純な二元論で分けられない部分を誰でも多少なりとも抱えているはずです。

 性自認という言葉を知ってから、私はより深く自分の性について、そして体の性と向き合うことについて考えるようになりました。性同一性障害という問題を抱える人を理解するのではなく、自分の為に一緒にその問題について考えてみる。マジョリティーのマイノリティーに対する優越と憐憫ではなく、共に同じ世界に生きる仲間として、一緒に悩む。そんなふうでありたいと願って止みません。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 以前、知人にカミングアウトされたことがあります。 何よりもつらかったのは中学生の頃で、学校に行くことがまさに恐怖そのものだったそうです。 近頃は、この問題も多少は認知されてきたようですが、…
2013/02/05 09:28 退会済み
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