転生者と念話で繋がれるようにしたら24時間対応になった件
異世界転生というのは、神の仕事の中でも特に気を遣う業務だ。
死という理不尽を経験した魂に、新しい世界と新しい可能性を与える。ただそれだけのことだが、相手は人間である。傷ついている。だからユイは毎回、できる限り丁寧に、できる限り誠実に、転生の儀を執り行うことにしていた。
今回転生する青年の名前は、ケンジといった。
トラックに轢かれて死んだ。三十二歳。末っ子。独身。趣味はゲームと読書、好きな食べ物はカレーライス。特筆すべき点は特にない、ごく普通の人間だった。ユイの執務室——雲の上に浮かぶ、こぢんまりとした白い部屋——に現れたとき、ケンジはまだ少し、死の混乱を引きずったまま目をしばたたかせていた。
「はじめまして、ケンジさん。私はユイと申します。あなたの転生を担当する神です」
ユイは微笑んだ。長い白髪を片側に流し、淡い光をまとった神様らしい神様の顔で。
「異世界への転生という形でご提案させていただこうと思っておりますが、いかがでしょうか」
「あ、はい」とケンジは言った。「漫画とかでよくある、あの転生ですか?」
「はい、あのよくある転生です」
正直に答えると、ケンジは少し安心したように肩の力を抜いた。日本人は何故か転生に対してハードルが低い。他の国の人は転生を理解させる前に、絶句し、混乱し、泣きじゃくり、おお神よ。私に慈悲をと、神である私を無視して祈りを始める。
その点、日本人は比較的楽だった。
ケンジに付与する能力の説明をした。剣の才能と、魔法の適性と、あとは幸運と状態異常無効をつけた。地味だが堅実で、長い冒険生活では必ず役に立つスキルだ。ケンジは「へえ」とか「なるほど」とか言いながら、それなりに満足そうに聞いていた。
そしていよいよ転生の直前、ユイは懐から小さな石を取り出した。
掌に乗るくらいの、淡く光る白い石。
「これをお持ちください。祈りの石、と呼んでいます。新しい世界で困ったことがあれば、その石を握って私を呼んでください。私にすぐに繋がります」
「神様に直接聞けるんですか」
「はい。何かあればいつでもどうぞ」
ユイは微笑んだ。これが親切心というものだ、と思いながら。転生者は新しい世界に放り出される。右も左もわからない場所で一人で生きていかなければならない。そのとき頼れる存在がいれば、どれほど心強いだろう。
ケンジは石をぎゅっと握って、嬉しそうに笑った。
「助かります!ありがとうございます!」
「いいえ。どうかお元気で」
光が満ちて、ケンジの姿が消えた。
ユイは一人になった執務室で、温かい気持ちのまましばらく立っていた。
良い仕事をした、と思った。
本当に、そう思っていた。
転生から六時間後、さっそく石が光った。
「ケンジさん、どうかなさいましたか」
『あ、神様。繋がりましたでしょうか』
「はい、繋がっています。何かございましたか」
『えーとですね、宿屋の夕飯がまずくて。おすすめの食べ物などはございますでしょうか』
ユイは笑顔のまま、一瞬だけ固まった。
それから、管理棚から地図を取り出した。王都南区。屋台通り。串焼きが名物。
「南区でしたら大通りを東に五分ほど歩いた先に屋台が並んでおります。地球の豚に似た動物の串焼きが名物で、地元の方に人気です」
『ありがとうございます!行ってみます!』
「他に何か——」
『あ、もう一点よろしいでしょうか』
「どうぞ」
『この世界の言語はどうして最初から話せるのでしょうか』
「転生の際に言語適性をお付けしています」
『文字も読めますか』
「同様です」
『図書館はございますでしょうか』
「王都でしたら北区の中央に」
『ありがとうございます』
念話が切れた。
ユイは静かに地図を棚に戻した。
困ったことがあれば、と言った。
夕飯がまずいのは、困ったことなのだろうか。
ユイはその問いに対する答えを持たないまま椅子に座った。深く考えないことにした。神様は細かいことを気にしない。そういうものだ。
その夜中の二時、石が光った。
「ケンジさんどうされましたか」
『あ、ユイさん。起きてましたか?』
「神は眠りません」
『そっか。ちょっとだけいいですか』
ユイさん?と一瞬思ったが、私は神だ。そんな小さいことは気にしないことにした。
「どうぞ」
『この世界って風呂の文化あるんですかね』
「ございます。東区に公衆浴場が」
『料金は?』
「銅貨二枚ほどかと」
『タオルは持参ですか』
「貸し出しもございます」
『シャンプーは?』
「薬草を煮出したものが」
『コンディショナーは?』
「……この世界にコンディショナーという概念は」
『さすがにないか。わかりました。ありがとうございます』
「他に何か」
『あ、一個だけ』
「どうぞ」
『剣の練習って毎日した方がいいですか』
「剣の才能は付与していますが、練習した方が身体に馴染むかと」
ユイは答えた。丁寧に、誠実に、答えた。
神様というのはそういうものだから。
三日目の朝、石が光った。
『ユイさんがおすすめしてくれた串焼き食べました』
「それは良かったです」
『おいしかったですよ。ジューシーで豚肉よりも野性味があって、それがまた良かったです』
「それは良かったです」
『二本食べちゃいました』
「それは良かったです」
『ユイさんって食事とかするんですか』
「神は食事を摂る必要がありません」
『じゃあカレーの味とか知らないんですか』
「存じません」
『かわいそう』
「……」
『ありがとうございました』
念話が切れた。
かわいそう、とケンジは言った。
ユイは少しの間、執務室の天井を見上げた。
神様は傷つかない。そういうことに、なっている。
三日目の夜、石が光った。
『ユイさん!今!魔物に追いかけられてて!』
「それは一大事ですね」
『これ剣で倒せますかね!?』
「倒せます。才能をお付けしていますので」
『ほんとに才能ありますかね。なんか全然実感ないんですけど』
「才能があるということは自然に身体が動くということですので、実感がないのは正常です」
『え、じゃあ、とりあえず斬れば良いんですかね?』
「そうです」
『ほんとに倒せますか?』
「倒せます。頑張ってください」
『わかりました。ちょっと待ってください』
しばらく、ドタバタと騒がしい音が念話越しに聞こえた。それから静かになった。
『ふぅ。なんとか倒しました』
「それは良かったです」
『この才能ってやつすごいですね。なんか身体が勝手に動くんですね』
「ええ」
『ユイさんが付けてくれたんですよね。ありがとうございます』
それだけ言って、念話が切れた。
四日目の朝、石が光った。
『ユイさん、実は好きな子ができたんですけど』
「……おめでとうございます」
『どうしたらいいと思います?』
「デートに誘ってみてはいかがでしょうか」
『デートかぁ。日本にいた時もしたことなかったなぁ。いやぁ、照れるなぁ』
念話をしながら、ケンジは自分の世界に入り、いつの間にか念話は切れていた。
五日目、石が光った。
『ユイさん、靴擦れができちゃって』
「患部を清潔に保ち、薬草を——」
『何の薬草ですか』
「緑色の細長い葉の——」
『どこで買えますか』
「薬草店が——」
『王都のどこですか』
「南区の——」
『営業時間は』
「……この世界には時間という概念がありません。日の出から日没まで、かと」
『ありがとうございます。ユイさんって物知りですよね』
「神ですので」
『そっか。神様だった』
まるで今さら思い出したような言い方だった。
ユイは何も言わなかった。
六日目の夕方、石が光った。
『ユイさんって、暇なときとかあります?』
「神に暇という概念は——」
『じゃあずっと働いてるんですか』
「そうなります」
『大変ですね』
「神にはそういった感情はありません」
『ユイさんって休みの日とかないんですか』
「ないです」
『マジですか。それはちょっとかわいそうじゃないですか』
「……神はそういうものです」
『でもずっと働いてたら疲れませんか』
「神は疲れません」
『ほんとに?』
「ほんとうに」
『そっかあ』
少し間があった。
『じゃあ今日もいつでも呼んでいいですか』
「……どうぞ」
念話が切れた。
ユイは執務室の窓の外を見た。
地上とリンクした疑似的に作られ夕暮れの雲が、橙色に染まって流れていた。
神は疲れない。
本当に。
七日目の夜中、石が光った。
『ユイさん』
「……はい」
『眠れなくて』
「……そうですか」
『なんか話してもらえます?』
「……何の話がよろしいですか」
『なんでも。ユイさんの話』
「私の話、というのは」
『この世界のこととか。ユイさんが好きなこととか』
「私はずっとここにいますので、この世界の話をさせていただきます」
ユイは少し考えてから、話し始めた。
王都の成り立ちの話と、東の山脈に棲む龍の話と、南の海に沈んでいるという古代遺跡の話を。
気づけば一時間が経っていた。
ケンジはいつの間にか寝ていた。
念話の向こうから、規則正しい寝息が聞こえてきた。
ユイはしばらく、その寝息を聞いていた。
それから、静かに念話を切った。
神は疲れない。
眠くもならない。
誰かの寝息を聞いて、胸の奥がじわりと重くなることも、ない。
ない。
ないはずだ。
ユイは執務室の窓の外を見た。疑似的に作られた夜の雲が、音もなく流れていた。
一週間で、念話の総数は四十二回だった。
ユイはその数字を、管理記録の石板にきちんと書き留めた。
神は記録をつける。仕事だから。
疲れはない。神は疲れていないから。
疲れることは絶対にない。
神だから。
石板の文字、ほんの少しだけ、歪んでいた。




