終章:永遠の眠り
二人の女帝の最期
702年、持統天皇は五十七歳でその生涯を終えた。彼女の遺言により、遺体は火葬に付され、遺骨は夫である天武天皇と共に合葬された。
持統天皇の遺言の中に、次のような言葉が残されている。
「朕が『天皇』の名を受けしは、天照大神の導きと、遥か西方の武則天陛下のご厚意によるものなり。この名を受け継ぐ者は、常にその由来を忘れることなかれ。また、朕が着手した『古事記』の編纂は、我が国の永続のため、必ずや完成させよ」
705年、持統天皇の死から三年後、中国では武則天が八十一歳で崩御した。彼女の墓碑は、遺言通り無字碑となり、後世の評価に委ねられた。武則天の予見通り、李隆基(玄宗皇帝)は前半生こそ善政を敷いたが、後半は楊貴妃に溺れ、安史の乱により長安を占拠される国難を招いた。しかし、武則天が振興した漢民族の有能な家系が、その国難の収束に大いに貢献したのである。
二つの陵墓
中国の西安、乾陵。ここに武則天は、夫である高宗と共に永遠の眠りについている。陵墓の前には、彼女が生前に建てさせた無字碑が静かに立っている。文字のない石碑は、後世の人々に彼女の真の評価を委ねるという、武則天の最後の意志の表れであった。
陵墓の周囲には、樹齢千年を超える古槐の大樹が聳え立ち、その根は深く大地に張っている。春になると、淡い緑の若葉が芽吹き、秋には黄金に色づく。まるで武則天の波瀾に満ちた生涯を物語るかのように、季節ごとに表情を変える。
日本の奈良県明日香村、檜隈大内陵。ここに持統天皇は、夫である天武天皇と共に眠っている。陵墓は小高い丘の上にあり、周囲を竹林が囲んでいる。風が吹くたび、竹葉がさらさらと音を立て、まるで持統天皇の優しい声が聞こえてくるかのようである。やがて、この竹林と、持統天皇の読んだ和歌「春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」がもとになって「竹取物語」「かぐや姫」伝説となったことを知る者はいない。この物語の作者は不詳とされているが、伊波源城であることを知る者は藤原不比等ら少数の重臣だけだ。陵墓の傍らには、樹齢数百年の楠の大樹が天に向かって枝を伸ばしている。その葉は一年を通して青々と茂り、持統天皇の不屈の精神を象徴しているかのようである。
時を超える絆
千三百年の時が流れても、二人の女帝の精神的な絆は色褪せることがない。
西安の乾陵では、夕日が無字碑を照らし、影が長く伸びる。その時、墓碑に刻まれることのなかった武則天の想いが、静寂の中に響いているかのようである。「天皇」という称号を創り出し、それを遥か東方の同志に託した喜び。そして、自らは歴史の闇に消えることを選んだ孤高の心。
明日香村の檜隈大内陵では、朝日が竹林を通して陵墓を照らし出す。竹葉の間から差し込む光が、まるで天照大神の恵みのように温かく、持統天皇の魂を包んでいる。武則天から受け継いだ「天皇」の名は、この地で千年以上の時を経て、今もなお脈々と受け継がれている。
二つの陵墓は遠く離れているが、同じ空の下、同じ星々に見守られている。月が昇り、太陽が沈むたび、二人の女帝の友情と相互理解の物語が、静かに語り継がれている。
武則天の無字碑と持統天皇の竹林は、言葉を超えた深い絆の象徴として、永遠にその地に留まり続けるであろう。そして、「天皇」という称号と『古事記』に込められた想いは、二人の女帝の魂が結んだ不滅の証として、時代を超えて受け継がれていくのである。
【完】
________________________________________
※本作品は史実に基づく歴史小説です。唐の高宗による「天皇」号の採用(674年)、武則天の女帝即位、持統天皇の即位、白村江の戦いなどは史実ですが、武則天と持統天皇の直接的交流、伊波源城の存在とその活動、両者間の書簡のやりとり、武則天の持統天皇に対する具体的配慮、古事記編纂の具体的経緯などは全て創作です。この物語は、二人の偉大な女帝への敬意と、日中両国の友好への願いを込めて書かれたフィクションです。




