第五章:持統大王の胸中
一方で、史上最大の敗北を喫した倭国――。
実際には国内領土を喪失したわけではなかったが、かつて任那地域を領有し属国に近い扱いをしていた朝鮮での足場を完全に失い、艦船八百隻の半分を喪失するという倭国史上でも未曽有の大敗を喫した倭国(日本)では、王族内の反対勢力から天智大王が「欠地大王」と揶揄された。次代の天武大王も病弱で権威を回復できぬままに生涯を終えた。
持統大王は、夫である天武大王が崩御し、次いで大王になるはずの息子も失い、孫の大王位継承までのつなぎの大王として登壇した。
白村江での敗北は国威を深く傷つけ、対外的な地位を揺るがした。唐の軍事力、唐・新羅連合の戦略、それらが遙かに勝っていたことを思い知らされる。反大王派の一部からは、総兵力三百万人ともいわれる大唐連合軍に攻め込まれ、滅亡する前に、他の属国と同様に持統の王女を含む数名の王女を貢物とともに、唐王朝の皇子や武一族に嫁がせ、朝貢と和平を模索してはどうかとの揺さぶりも出始めていた。
このような内憂外患にあっても、持統大王(女帝)は、毅然とした態度を崩さなかった。新しい都・藤原京建設の意志を固め、国内体制を整え始めた。そこへ、遣唐使で長く唐の朝廷に残っている王族の伊波源城から密書が、超特急扱いで届いた。
伊波源城は大王一族の傍流の医師・薬師の家系で、遣唐使として派遣後、永らく、武一族の惣領家に仕えている。
要約すると――
・先ごろ、武后は自らを「聖神皇帝」と改称し帝位に就き、「唐」を廃し、国号を「周」とした
・実子で三男の皇帝睿宗は皇太子に格下げされ幽閉、李姓さえも剥奪され、代わりに、実母である「聖神皇帝」の姓の武姓を下賜された
・遠い過去には、長男の皇太子を自分の意に反したとして毒殺したとの噂がある
・次男で睿宗の兄の廃皇帝中宗は、当時の武后により五十五日で廃位された過去があり、いまだ六年以上も幽閉中である
・武則天「聖神皇帝」に皇帝宗室の李一族が、男女の別を問わず、総力で反旗を翻したが、悉く一網打尽にされ、皇族での生存者は武則天の親族か縁戚、皇后時代からの側近のみであり、もはや逆らう者も意見する者も唐の朝廷にはいない
・国民や朝貢国には、灌漑整備や農業増進策、飢饉の時の迅速な支援を施し、またその知恵を授けており、恐怖しながらも崇拝する者がほとんどで、太宗李世民の時代よりも皇帝の権力と国力は遥かに強い
・かつては、皇帝と皇后は、「天皇」と「天后」を名乗って、武則天の権威付けをしていたが、皇帝より高位の「聖神皇帝」の称号を自称した今は、もはや、かつての「天皇」の称号には興味はないと思われる
・かつて、皇后時代に、もしも倭国が帰順の意思を示さない場合は、八十万人の大軍を派兵し、倭国を制圧し東海王国とし、大王と高官一族を捕虜として連行すると高宗天皇に奏上したのを朝議の場で聞いた
・実は唐側は、先の大戦以降、実質属国化した新羅と協力して、倭国の都に至る道程や軍事戦力、防衛状況、大風や大雪などの十年間の気象条件、食糧事情などを調べ上げたようだ。私が内々に得た情報では、もし倭国が今後も帰順しない場合、春に、新羅に一万人の部隊で九州の大宰府を急襲させ、同時に都に至る海側から、唐の十五万人で上陸、都に到達後、一両日のうちに、民への被害は極力避ける形で、制圧が可能との結論が出たようである。倭国側は最大三万人の動員を想定し、仮に想定以上の善戦を見せた場合、残る六十五万人の大軍団を三回に分けて順次派遣すると……
・あわせて憂慮すべきことがあり、倭国各地での内通者網を整備するとともに、一部の反大王派には、唐が倭国を制圧した場合の、一族の安泰と東海国での地位も約束し懐柔しているとも聞く。これの真偽のほどは不明だが、大王さまの側で注意深く調査されたい。倭国内に「唐が倭国を討伐し、大王一族と高官を捕虜にして唐に抑留するらしい」という噂が流布されていると聞くが、その噂もこれらの内通者が流布しているようだ。唐の宮中にいて、今上皇帝の政治的な非情さを見るに、あながち噂ともいえないのが心底恐ろしい
・廃皇帝である息子二人については、やがては幽閉を解き、西域と東方に国を与え、副皇帝のような称号を考えていると漏れ伝わる。今は使われなくなった、しかし、自分が奏上し定めた「天皇」の称号を意識しているかもしれない。東方とは、過去の発言や倭国征伐の場合の軍事案が既にあることから、「倭国」の可能性が非常に高く、宮廷内でその真偽と時期について注意深く情報収集を続けている
民衆の間に広がる噂が、更なる深刻な状況になる恐れを感じた持統大王は、最側近の藤原不比等以外には極秘としたものの、内心では激しく動揺した。
「唐連合の総兵力三百万人、侵攻勢力八十万人。とても太刀打ちできるものではない。もしやのとき、神武大王以来のわが『倭国』は、朕の代で消滅してしまうのか……」
もはや、開祖にして、倭国の守り神、女神「イナンナ天照」のご加護にすがるしかないのか……。いや、すがるというより、開祖様とは何か太古からの特別で強烈な縁を感じる。
持統大王は、大王大殿の奥の開祖廟で、七日間の深い祈りを捧げた……。




