第四話 チェックポイント:家
依頼書を手に取った瞬間、紙の重みがやけに気になった。内容は単純だ。街道沿いの魔物避け。危険度はD。初心者の依頼にしては少し早い気がする。
「君は強いから、初仕事にはこのくらいがいい」
ウタシロの声は、いつも通り穏やかだ。僕は、頷いただけだった。簡単な依頼だ。村と村の間に出没する小型魔物を追い払うだけ。剣を抜くまでもなく、弓と魔法で事足りた。ウタシロは後ろで様子を見ていただけだ。
「問題なさそうだね」
「うん」
それで終わり。手応えも達成感もない。ただ、仕事を終えただけだった。
その町から、帝国までは二週間。町から町へ、街道をなぞるだけの移動だった。風景は少しずつ変わる。森が減り、畑が増え、道が整っていく。話すことは多くなかった。でも、気まずさもない。それが、かえって落ち着かなかった。
その夜、いつにも増して僕は眠れなかった。地面に敷いた布の上で、目を閉じても意識が沈まない。ローブの中で、指先だけが冷えたままだ。
まだ話していないことがある。話すつもりも、ない。それでも――このままでいいのか、と考えてしまう。きっと帝国へ行ってもこの関係は終わらないだろう。それなら、全部話してしまった方が良いんじゃないだろうか。
「……起きてる?」
前から、ウタシロの声がした。
「うん」
「そっか」
それだけだった。理由も、事情も、聞かれない。そのことに、胸の奥が少しだけ緩む。問い詰められないことに、ほっとしている自分に気づいて、少しだけ情けなくなった。
ウタシロは、静かに息を吸った。それから、歌い出す。聞いたことのない言葉。でも、不思議と落ち着く。どうしてだか、少しだけ泣きそうになった。その理由を考えるのはやめた。
「今の歌、何?」
「帰れない人の歌」
ウタシロは、こちらを見ずに言った。
それからの旅は、少しだけ静かになった。話さなくても、隣にいるのが当たり前になる。帝国領に入る頃、道は石畳に変わっていた。
「もうすぐだよ」
ウタシロの声に、僕は小さく頷いた。
帝国領に入ってから、数日が経った。きちんと整備された道を馬車が走る。僕は何度も言葉を飲み込んでいた。
「……ウタシロ」
「なに?」
呼ぶとすぐに返事があった。
「僕は……この世界の人間じゃない」
動きが止まる音がした。でも、剣に手がかかることはなかった。
「召喚、されたんだ」
喉が、ひどく乾いた。ウタシロは一瞬眉を上げ、少し考えるように視線をそらす。
「召喚、ね」
彼は目を閉じ、軽く手を組んで考えている。静かな間があった。
「俺、直感の加護を持ってるんだ。だから、最初から君が何らかの事情を抱えていることは分かってた。初めて会った日も、聖王国に行った方がいいって思ったから行ったし、魔物に襲われた時も、わざと剣を置いてきた」
「直感の加護?」
「そう。ちょっと説明するとね、物事の危うさとか人の本質とかが、直感として分かる加護なんだ。君を見た時、何だか普通じゃないなってすぐに分かった。」
僕は息を吐き、少しだけ勇気を振り絞った。
「僕の加護はね、魔法以外の傷なら直せる加護。それと、普通の人より長生きできるって祝福もある。だから、ほんとは見た目どおりの年じゃないんだ」
「それって、君の世界では普通なの?」
ウタシロは僕をじっと見つめる。眉をひそめるわけでも、驚くわけでもない。ただ、視線の奥で何かを探るように考えているようだった。一呼吸置いて、僕は少し肩の力を抜いた。ウタシロが自然に受け入れてくれることを肌で感じたのだ。
「……加護は万人に与えられる。祝福は……ちょっとだけ珍しい、かも」
「なるほど、だから君はあんなに落ち着いてたんだ。でもね、こっちの世界ではそれは普通じゃない。君のいた世界では誰だって加護を授かるんだよね?」
「そう……こっちだと違うの?」
「この世界では、加護を持ってるってことは珍しいことなんだ。それで行くと、俺も君とおんなじ、普通じゃないね」
僕は小さく頷いた。やっと、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
「最後に、ひとつ言わなきゃいけないことがある。ほんとのことはウタシロにも言えないけどラフェル・リュノイアって名前は本名じゃない。……僕のことはそれだけ知っててくれればそれでいい」
「君がいろいろ隠してたことは分かってたけど……改めて聞くと、沢山のことを抱えてたんだね」
それだけ言うと、彼はにっこり笑った。
「これからも一緒に行っていい?」
「もちろんさ。気楽に行こう。君が望むなら、ずっと一緒でも構わない」
その一言で、僕の胸の奥の重さが、ふっと消えていく。肩の力が自然に抜けた。
馬車が石畳を揺れながら進む。首都の城壁を抜けると、広場に人々が行き交い、馬車や荷車がせわしなく動いていた。城の塔、噴水、商店の看板。匂いは、石畳と香辛料の煙が混ざった独特のもの。
「ここが……首都」
「改めて、ようこそアウスガルト帝国、首都ノイベルクへ」
言葉にすると、旅の長さが少しだけ実感できた。
「そう、今だから話すけど、俺も君に言ってなかったことがあった。……違う世界から召喚されたのは君だけじゃない。ここ数十年、聖王国では何度も起きてることなんだ。……聖王国と帝国が敵対してることは知ってるよね?君以外にも、聖王国から逃げてきた人はいる。それは知っていて欲しい」
「そうなんだ……知らなかった。召喚されたのは僕たちだけじゃなかったんだ……」
知らなかった。どおりで通された部屋がやけに勇者向けに作られていたわけだ。
「そうだ、ひとつ提案がある。首都で正式に暮らすなら、戸籍上での関係も作った方がいい。たとえば……養子縁組とか」
ウタシロが僕を見た。真剣な眼差しだ。
「養子?」
「住民登録、街と街の通行料、あれこれ手続きがスムーズになる。形式上のことだけどね」
「……わかった」
気負うことなく、自然に頷いた。僕はもう、彼の隣にいることを当たり前だと思えていた。
首都に着いて数日がたった。この間に養子縁組の手続きや戸籍を得るための手続きをしたりと、なかなか疲れる数日間だった。今日は久しぶりにギルドに行って依頼を受けることにした。
「これなんてどう?」
ウタシロが指差したのは買い物の手伝いとその荷運びの依頼だった。
「首都に来ての初依頼にはちょうどいいでしょ?」
依頼は市場まで行って、終わったら依頼主の家まで届けるという簡単な依頼だった。正直、初めて受けた依頼の方が緊張したし、こんな簡単なもので良いのか、と拍子抜けした。
通りに出ると、屋台の声や香辛料の匂い、活気に満ちた人々が目に飛び込んできた。
「ここが首都の市場か……」
「そういえば、市場に来るのは初めてだったね」
そう言ったウタシロは依頼の買い物ついでにいくつかおすすめの店を教えてくれた。ここのカフェはパスタが絶品だとか、ここの屋台は朝食にちょうど良いとか。
依頼を終わらせる頃にはウタシロの好きな食べ物をある程度把握できるくらいには沢山のことを教えてくれた。これからは僕も通うことになるのだろう。……こういう時間を、旅の途中で想像したことはなかった。
帰り道を、夕陽が市場をオレンジ色に染める。
「今日はありがとう、楽しかった」
「俺もだよ」
互いに言葉を交わさなくても、空気で伝わる安心感があった。
「これからも、こうして一緒に動くことになるんだ……」
「もちろんさ。無理せず気ままに行こう」
僕は自然に頷いた。首都での生活も、ウタシロとなら安心できる――そう思えた。
市場を離れると、人の声は少しずつ遠ざかっていった。石畳の通りも、家々の影が長く伸びる細い道へ変わる。ウタシロは慣れた足取りで進む。僕は、その少し後ろを歩いた。
「この辺は、夜になると静かでいいよね」
それだけ言って、ウタシロは歩く速度を僕に合わせた。帰り道を一緒に歩いている、という事実が、不思議と胸に残った。ただ家へ帰るだけの道なのに、僕は、ここに帰ってきたんだと思えた。
すれ違った商人たちが、声を潜めて「また聖王国で……」と話しているのが聞こえた。ここは、安全だ。ただし、それは今の話だ。――自分のためにもウタシロのためにも、それだけは忘れちゃいけない。




