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第二話 ただひとつの運命のために


 side:Lune

 

 僕は、彼を知っていた。運命の神フィエル。かつて世界の流れを整え、人々の行く末を静かに見守っていた神。


 もっとも、神だった頃の彼は、今とそれほど変わらない。少しばかりお人好しで、余計なことに首を突っ込みたがる、そんな神だった。


 だからだろう。人間たちは、彼を恐れた。未来を定める神を。運命を与える神を。そしてついには――殺した。……愚かな話だと思う。けれど、人間というのは昔からそういうものだ。理解できないものを恐れ、恐れたものを排除する。ただ、それだけのこと。


 神が堕ちたあと、僕は長い間、彼の魂を探していた。神の魂は完全には消えない。形を変え、いずれどこかで生まれ変わる。


 そしてある日、僕はようやく彼を見つけた。それは名前も知られていない小さな村で、世界の片隅にあるような場所だった。


 そこにいたのは、肩まである銀髪を緩く束ねた、ごく普通の人間の少年。それが――彼だった。フィエル。……いや。その時の彼は、もちろんその名を言わなかったけれど。


 当然ながら、本人は何も覚えていない。自分がかつて神だったことも、世界の運命を司っていたことも。ただの人間として笑い、泣き、そして普通に生きていた。


 僕はしばらく、遠くから彼を眺めていた。声をかけるべきかどうか、ほんの少しだけ迷ったのだ。けれど結局、僕は彼のそばに残ることにした。理由なんて、大したものじゃない。ただ――放っておけなかっただけだ。




 人の命は短い。


 神や魔族にとって、それは驚くほどあっけないものだ。生まれ、笑い、泣き、誰かを好きになり、そして老いて死ぬ。ほんの数十年で終わってしまう。当然ながら、彼の人生もそうだった。


 小さな村で育ち、畑仕事を手伝い、村人たちと笑い合いながら生きて――やがて静かにその生涯を終えた。ただ、それだけの人生。


 神だった頃の記憶を取り戻すこともなければ、特別な力に目覚めることもなかった。そして彼は、死んだ。……けれど。それで終わりではなかった。


 数十年ほど経った頃、僕は再び彼を見つけた。今度は別の国の、別の街で。魂は間違いなく同じだった。――フィエル。かつて運命を司っていた神の魂。


 それから先のことは、そう複雑な話じゃない。彼は生まれ変わり、また生きた。そしてまた死んだ。


 何度も、何度も、何度も。


 僕はそのたびに彼を見つけ、少し離れた場所から彼の人生を見守った。声をかけることもあれば、ただ通り過ぎるだけのこともあった。


 けれど、どの人生でも一つだけ共通していることがあった。彼は――必ず破滅した。ある時は戦争で命を落とし、ある時は災害に巻き込まれ、またある時は人に裏切られて死んだ。


 どんな人生を歩もうと、どんな場所で生きようと、最後には必ず悲劇的な結末が訪れる。まるで世界そのものが、彼を拒んでいるかのようだった。


 ……いや。実際、そうなのだろう。彼はかつて、運命を司っていた神だった。世界の流れを決める存在。その神が堕ちた時、彼が抱えていた「運命」そのものもまた、行き場を失った。


 だからなのかもしれない。主を失った運命が、かつての神へ牙を剥いたのは。そのことに気づいたのは、ずっと後になってからだった。


 その頃にはもう、彼の死を何度も見届けていた。そしてある時、僕は世界樹のもとを訪れた。この世界の中心に根を張る、古き存在。


 セシル。神話の時代から生き続けている、世界の記憶そのもののような存在だ。僕が事情を話すと、セシルは長い沈黙のあと、静かに言った。


「それが世界の理となったのです」


 あまり優しい答えとは言えない。けれど、嘘ではなかった。運命を司る神を失った世界は、歪んでいる。だからこそ、その神だった存在は、この世界の流れに拒まれているのだと。


 つまり――彼の破滅は、避けられない。そういうことだった。それでも。それでも僕は、諦める気にはなれなかった。何度も生まれ変わり、何度も死ぬ彼を見てきた。


 そのすべてを知った上で、なお思う。こんな結末で終わっていいはずがない、と。だから僕は、もう一柱の神のもとへ行った。あらゆる世界を創った神。すべての始まりに立つ存在――シエル。


 その神がどこにいるのかを知る者は、ほとんどいない。けれど、セシルだけは例外だった。世界樹は、世界の根――地脈に触れている。神々の気配を辿ることもできるのだ。セシルはしばらく考えたあと、静かに枝を揺らした。


「……後悔するかもしれません」

「かもしれない、だよ」


 僕はそう答えた。すると、セシルは小さく息をつくように葉を鳴らした。


「それでも行くのですね」

「行くさ」


 それだけ言うと、セシルはそれ以上何も言わなかった。ただ、静かに道を示した。


 


 シエルは、世界のどこにもいない。けれど同時に、世界のどこにでもいる。空の果てでもなく、海の底でもない。ただ、世界の外側に近い場所。そこに、彼はいた。


 


 気がついたとき、僕は白い空間に立っていた。上も下も、遠くも近くも、すべてが淡い光に包まれている。その中央に、一人の少年が浮かんでいた。白い髪。透き通るような瞳。どこにでもいそうな姿だが、その存在だけが、この場所の中心だった。


「久しいね、リューヌ」


 少年は、静かな声でそう言った。まるで、僕が来ることを最初から知っていたかのように。


「……創造神に呼び捨てにされるのは、少し落ち着かないね」

「そうかな」


 シエルはわずかに首を傾げた。その仕草は、どこか人間じみている。けれど、彼は人間ではない。この世界そのものを創った神だ。


「君の来訪の理由は分かっているよ」


 シエルはそう言うと、静かに続けた。


「フィエルのことだろう」


 僕は何も答えなかった。答える必要がなかったからだ。


「彼は、世界に拒まれている」


 シエルの声は、淡々としていた。


「かつて運命を司っていた神。だが今は、その役割を失った存在。世界の流れから外れた魂だ」

「……だから、必ず破滅する」

「そういうことになるね」


 シエルは、まるで天気の話でもするかのように言った。少しだけ、腹が立った。けれど、それを表に出すほど子供でもない。


「なら」


 僕は言った。


「運命を変える方法はあるのか」


 しばらく沈黙があった。シエルは僕を見つめていた。その瞳は、まるで世界のすべてを見通しているようだった。


「……ある」


 やがて、彼はそう言った。ただし、と続ける。


「簡単な話ではないよ?」

「だろうね」

「世界の流れそのものを歪めることになる」

「それでも構わない」


 僕は迷わなかった。シエルは少しだけ目を細めた。まるで、僕を試しているかのように。


「世界を巻き戻す」


 彼は静かに言った。


「時間を繰り返し、可能性を積み重ねる。君が望む結末に辿り着くまで」

「……なるほど」

「だけど、その代償は君が払うことになる」


 当然だ。神がそんな都合のいい奇跡を、無償で与えるはずがない。


「どんな代償?」


 僕がそう聞くと、シエルは少しだけ微笑んだ。


「君は、世界の外側に近い存在になる」

「……つまり?」

「世界が終わるたび、君はその記憶を持ったまま次の世界へ進む」


 なるほど。つまり。永遠に世界を繰り返すということだ。


「彼が救われるまで、君は終われない」


 静かな沈黙が落ちた。普通の人間なら、きっと恐れるのだろう。けれど。僕は少し考えただけだった。


「構わない」


 そう答えると、シエルはほんの少しだけ驚いた顔をした。


「迷わないんだね」

「迷う理由がないからね」


 僕は肩をすくめた。


「どうせ、何度でも見てきたんだ。彼の死を」


 それなら、終わるまで繰り返せばいい。ただ、それだけの話だ。シエルはしばらく僕を見つめていた。やがて、小さく息をつく。


「……君は、本当に面白い」


 そして静かに言った。


「契約は成立だよ、リューヌ」


 その瞬間、世界が光に包まれた。時間がほどける。歴史が崩れる。世界そのものが、静かに巻き戻っていく。すべては――たった一人の運命を変えるために。

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