第三話 チュートリアル:通行料スキップ可
森の闇に紛れ、ウタシロの後をついていく。夜の冷気が肌を刺す。枝や落ち葉を踏む微かな音が、先ほどの戦闘の緊張を思い出させる。
「もうすぐ馬車だよ」
ウタシロが低く言った。その一言で少しほっとした。でも、まだ気を抜けるわけじゃない。
指を指した先、街道からほど近く、ランタンの光と月明かりに照らされて幌馬車の輪郭が浮かび上がっていた。馬の鼻息と蹄のかすかな音が夜に混ざる。ウタシロは先に御者台に乗り、荷台を指し示した。
「疲れただろう。乗るといい。」
馬車の中は意外に広く、外の暗闇を遮る布の壁が安心感を与えた。馬の足音に合わせた揺れが心地よく体を揺らす。
「君、なかなかの手練れだよね。森の中でも落ち着いていたし、剣も扱えるんだろう?」
「多少はね。……どっちかって言うと魔法や弓の方が得意なんだ」
「へぇ、すごい。俺は剣も使えるけど、護身用って感じだし、今だってうっかり馬車に置いて来ちゃったよ。」
馬車が走り出して、しばらくは蹄の音だけが続いた。揺れに身を任せていると、ウタシロがふっと息を吐いた。
「……帝国に行くの、急ぎ?」
「急ぎってほどじゃないけど……」
「そっか、それなら俺と同じだね。仕事柄、あちこち回るんだ。歌って、情報集めて、時々――厄介事に首突っ込んでる」
「ただの吟遊詩人って感じじゃないんだね」
「そう、冒険者と兼業してるんだ。歌だけで飯が食えるほど、この世界は優しくないからさ」
冒険者。聞いたところ、傭兵や便利屋に近い立ち位置らしい。少なくとも、僕のいた世界にはなかった職業だ。口ぶり的に、冒険者をまとめる組織もあるのだろう。
それきり、会話は途切れた。馬車は一定の速度で進み、布越しに夜風が流れ込んでくる。馬の蹄の音が、規則正しく地面を叩いていた。ウタシロは手綱を握ったまま、前を向いている。こちらを振り返ることはない。
「……無理に話さなくていいよ。夜は長いし、眠れるなら、少し休んだ方がいい」
ぽつりと、独り言みたいに呟いた。拒まれていない。でも、踏み込まれもしない。その距離感が、今の僕にはありがたかった。ローブの中で体を丸め、意識を落とす準備をする。警戒を解くつもりはない。――それでも、瞼はゆっくりと重くなっていった。
目を覚ますと、布の向こうが淡く明るくなっていた。夜明けだ。馬車の揺れは少し穏やかになり、遠くから人の声が混じる。鳥の鳴き声も聞こえた。森が遠くに見える。
「起きた?」
ウタシロの声が、前から飛んでくる。
「……うん」
「ちょうどいい。もうすぐ町だよ。小さいけど、冒険者ギルドがある」
町。その言葉だけで、胸の奥が少し引き締まった。馬車は町の手前で速度を落とす。石造りの門と、数人の兵士。簡素だが、きちんとした検問だ。
「ここ、通行料がいるんだ」
「通行料か……」
「うん。旅人から取るのが決まり。冒険者なら、免除なんだけどね」
なるほど。冒険者が優遇される仕組みらしい。ウタシロは一瞬だけこちらを振り返り、僕の様子を見た。それから、少し考えるように首を傾げる。
「……そうだ。登録、していく?」
「登録?」
「冒険者の。ギルドで簡単にできるよ。登録料は俺が立て替える」
断る理由が、すぐには浮かばなかった。通行料が免除されるなら、悪い話じゃない。いいや、すごく都合がいい。
「後で返す」
「いいよ。稼げばすぐだし」
軽い口調。でも、断る余地はちゃんと残されている。なんだかそれが、すごく心地良かった。
門をくぐると、町の空気が一変した。朝の匂い。焼き立てのパン、馬糞、湿った石畳。人の生活の匂いだ。
「ここがギルド」
馬車留めに行ったあと少し歩いた先で、ウタシロが通り沿いの建物を指さす。木製の看板に刻まれた紋章を見上げる。冒険者――この世界なりの「便利屋」たちの拠点。僕は一度、深呼吸をした。逃げるだけの旅は、ここで終わる。
ギルドの中は、思っていたより雑然としていた。酒場ほど騒がしくはないけど、役所のような堅苦しさもない。鎧姿の男が受付前で腕を組んで順番を待ち、隣では薬師らしい女性が依頼書を眺めている。掲示板には魔物討伐から荷運び、護衛、薬草採取、失せ物探しまで、節操なく紙が貼られていた。――便利屋、という表現が一番近い。
「……ずいぶん雑多だね」
「国や街が動くほどじゃない仕事を、全部ここに流すんだよ。変に縛られないのが売りなんだ。来たい奴は来るし、辞めたい奴は黙って辞める。だから二重登録とかも、わりと黙認されてるよ。犯罪歴とかはちゃんと見るけどね」
僕の視線に気づいたのか、ウタシロが教えてくれる。視線を動かすたびに、職業も格好もばらばらな人間が目に入った。剣を背負った者、杖を持つ者、明らかに戦闘向きではなさそうな商人風の男までいる。――ここでは、何者であるかより「何ができるか」が重視されるのだろう。
「初めて来た人は、だいたいキョロキョロするんだ」
隣でウタシロが小さく笑った。からかうような調子ではない。ただ、場に慣れた人間の余裕だ。彼に促されるまま、僕は人の流れについていく。自然と足が向かった先に、低いカウンターが見えた。数人が並び、順番に何かを手渡しては説明を受けている。
「あそこが受付」
「思ったより……普通だね」
「普通だよ。だから続いてる」
列の最後尾に並ぶ。前の冒険者が依頼書を受け取り、背中を軽く叩かれて去っていくのを眺めながら、僕は無意識にローブの裾を握りしめていた。
ウタシロが新規登録、と言うと、受付の女性がいくつかの空欄が書かれた紙と透明な板を差し出してきた。ガラス……いや、水晶に近い感触だ。おおかた、個人を証明するための魔道具だろう。紙に名前や年齢を書くようだ。
「登録料は銀貨一枚。規約に同意してもらえれば、今日から冒険者です」
「規約?」
思わず聞き返すと、受付嬢は淡々と紙を差し出した。
「依頼は自己責任。死亡・負傷について、ギルドは責任を負いません。これがギルドカードです。同意するなら、血を一滴、ここに。これで魔力認証を行います」
僕の世界では血液は魔力を多く含むものだ。何かと魔法に使う。それは、この世界でも変わらないみたいだ。言われるまま隣に置かれたナイフで指先を切り、血を押し付ける。次の瞬間、カードの中で、水面に雫が落ちたように波紋が広がった。
揺らぎの中から、文字が浮かび上がる。名前、登録日、ランク。
「……ふぅん」
受付の女性が、ほんの一瞬だけ目を細めた。何か分かったのだろうが、深くは突っ込まれない。このギルドの“踏み込みすぎない距離感”が、ここにも表れていた。
カードを受け取ると、端に小さく「F」と刻まれていた。
「F……?」
「ランクだよ。一番下、新人って意味だね」
ウタシロは自分のカードをひらりと見せる。そこには「B」の文字が書かれている。
「上はSまである。伝説級。まあ、滅多にお目にかかれないけど」
「じゃあ、上に行くほど強い?」
「強さだけじゃない。実績と信頼だね。仕事を放り出さない、とか」
なるほど。ただ力だけの評価じゃないらしい。
透明なカードを指で挟み、光に透かす。ここでは、名前と実績がすべてだ。逃げてきた僕の過去も、年齢も、正体も関係ない。必要なのは――仕事をこなすこと。
悪くない。少なくとも、追い詰められるよりはずっといい。僕はカードを懐にしまった。
「そうだ、一応これだけ」
ウタシロが思い出したように付け足す。
「パーティ組むとき、ランク差が二つ以上あるとね……」
「あると?」
「一番上のランクの、一つ下扱いになる」
つまり、BランクのウタシロとFランクの僕が組めば、パーティランクはC。
「新人を守るためのルール、って建前だけど」
ウタシロは肩をすくめた。
「高ランクが低ランクを連れ回すのを、ギルドはあんまり好まないんだ」
「いいの?パーティを組むの」
「俺はてっきりそうだと思ってたけど。しばらく一緒なんだし、違う?」
「いや、違わない。ありがとう」
彼の言う通り、帝国までは一緒に行くのだし、パーティを組んだ方がなにかとやりやすいのだろう。その提案を、ありがたく受け取ることにした。




