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第十八話 その夜、俺たちは逃亡者になった


 四ヶ月目。訓練内容が変わった。青葉、菜乃花、茉莉は実戦形式へ。俺は神殿の地下室へ。


「あなたは“大器晩成型”でしょう。刺激を与えれば、加護が覚醒するかもしれません」


 シリルさんが静かに言う。部屋には魔術陣、拘束具、魔力増幅装置。


「危険はありません。ただ少し、負荷がかかるだけです」


 俺は頷いた。それが役目なら。だが。誰も付き添わない。仲間は知らない。試験は繰り返された。結果は――何も起きない。


「まだ足りませんか」


 シリルさんの声は始終穏やかだった。だが、その目はひどく冷たかった。




 五ヶ月経った。一週間かけて聖王国の北部辺境へ赴く。俺たちは初めて本格的な討伐任務に同行することになったのだ。


 魔族は“悪”だと教えられてきた。人を騙し、神に背き、世界を乱す存在だと。だが実際に目にしたそれは、拍子抜けするほど人間に近かった。弟を守ろうとする青年。怯えた子ども。血を流しながら、家族を庇う母親。外見だけなら、ただの人間となんら変わりない。


躊躇(ちゅうちょ)するな!」


 騎士団長の声が飛ぶ。青葉の放った光の魔術が戦場を切り裂き、歓声があがる。菜乃花の補助魔術が称賛される。俺も魔術は使える。だが決定打にはならない。敵の瞳と視線が合った瞬間、身体が強張る。――本当にこれは正しいのか。その迷いを見抜いたかのように、騎士団長の視線が刺さる。


「覚醒がない者は、せめて役に立て」


 冷たい言葉だった。戦闘は勝利で終わった。村は焼かれ、そこに住む魔族は殲滅された。


 帰路につく馬車の中、誰も口を開かなかった。車輪の軋む音だけが続く。血の匂いが、まだ鼻の奥に残っている気がした。飛んだ返り血はすでに拭われているのに、指先に感触が残っている。


 青葉は膝の上で拳を握ったままだった。菜乃花はその手にそっと触れようとして、触れられずに引っ込める。茉莉は窓の外を見ているが、何も見ていない顔をしている。


「……あれは」


 菜乃花が、ようやく口を開いた。


「本当に、悪い人だったのかな」


 誰もなにも答えない。正しいと教えられた。だが、目に映ったのは“敵”ではなく“家族”だった。俺は右手を見つめる。魔術を放った感触は残っている。だが決定打にはならなかった。だから、考える余裕があった。


 ――もし俺が、もっと強ければ。迷わずに済んだのか。それとも、もっと多くを焼いていたのか。分からない。正義だと、教えられていた。だが胸に残ったのは、達成感ではなく重さだった。

 

 


 神殿の地下は、いつもよりも灯りが多かった。魔術陣は幾重にも重なり、足元から天井近くまで淡い光が走っている。戦況が思わしくないのだと、控えめな声で神官たちが話しているのが聞こえた。


「今日こそ兆しを確認します」


 シリルさんの声音は穏やかだったが、その奥に焦りが滲んでいる。椅子に固定されながら、それを他人事のように聞いていた。拒否する理由も、それを許される立場でもないと理解していたからだ。


 術式が起動すると、これまでよりも明らかに強い魔力が流れ込んできた。身体の奥を探られるような感覚に、思わず指先が震える。やがてその流れは左側へと偏り、視界の端が歪みはじめた。光が滲み、色が混ざり、まるで世界の半分が溶け出すようだった。


「出力を上げろ」


 制止の声が一瞬あがる。しかしすぐに押し切られた。


「ここで止めるな。限界値まで持っていけ」


 その言葉を、はっきりと聞いてしまった。自分のためではない。祈りでも救済でもない。結果を求める声だった。


 次の瞬間、魔力が逆流する。左目の奥で何かが弾け、焼けるような熱が走った。視界が白に塗り潰され、遅れて激痛が追いつく。拘束具が軋むほど身体が跳ねたが、術式は止まらない。


「止めるな!」


 その叫びで、すべてが決定的になった。やがて光が消え、術式は静かに崩れ落ちる。俺の左側の世界は、もう戻らなかった。片目を閉じたまま、呼吸だけがやけに大きく響く。


「……覚醒の兆候は確認できません」


 淡々とした報告。続けて、静かな声。その言葉で、胸の奥に残っていた何かが、音もなく切れた。


 ゆっくりと瞬きをする。右目だけで見える世界は、奇妙なほど鮮明だった。痛みはあるのに、頭は冴えている。――ここは守ってくれる場所ではない。結果を出せなければ、削られていくだけの場所だ。


「やはりだめでしたか」


 誰も答えない。その沈黙こそが、答えだった。俺は理解する。この国にいる限り、自分たちはいずれ壊される。失ったのは左目だけではない。聖王国に対する最後の信頼も、同時に焼き切れていた。




 目が覚めたとき、最初に見えたのは白い天井ではなく、青葉の顔だった。ひどく険しい顔をしている。俺が視線を向けると、彼は一瞬だけ安堵したように息を吐いた。


「……悪い」


 なぜ謝るのか分からなかった。だが青葉は拳を握り締めている。菜乃花はベッドの脇に立ち、何か言おうとして言葉を失っていた。茉莉はいつも通りの無表情に見えるが、指先だけがわずかに震えている。


「聞いたわ」


 茉莉が静かに言う。


「実験の出力を、予定より上げたそうね」


 責める声ではない。事実を確認する声だ。


「止めなかったの?」


 菜乃花の問いは、俺ではなく青葉へ向けられていた。青葉は目を伏せる。


「俺たちは、呼ばれてなかった」


 地下で何が行われているのか、知らされていなかったのだ。沈黙が落ちる。俺は右目だけで三人を見る。ひどく不思議な感覚だった。世界が半分欠けているのに、仲間の姿だけははっきり見える。


「平気だ」


 口にしてから、それが嘘だと分かった。痛みはまだ残っている。それでも、泣きたくはなかった。ここで崩れれば、彼らまで壊してしまう気がした。青葉が、ゆっくりと頭を下げる。


「次はない。次は、俺が止める」


 その言葉が、妙に遠く聞こえた。次はない。その言葉だけが、静かに胸に沈んでいく。

 


 

 左目は光を戻すことはなかった。覚醒の兆しも、やはりなかった。最初は同情だった視線が、やがて失望へと変わっていく。訓練の組み分けから外される。作戦会議では席が遠くなる。神官の声は、丁寧さを失っていく。


「覚醒しなければ戦力外です」


 それでもなお、神殿は俺を手放さなかった。


「勇者は貴重な資源ですから」


 廊下で偶然聞いたその言葉の意味を、俺たち四人は理解してしまう。覚醒すれば兵器、覚醒しなければ研究材料。どちらにせよ、消耗される。ある夜、茉莉が静かに言った。


「ここにいたら、食い潰されるわ」


 誰も、反論できなかった。沈黙が続く。だがそれは、迷いではなかった。


「青葉はどうするの」


 菜乃花が問う。中心に立たされてきたのは、彼だ。覚醒を期待されているのも。青葉はしばらく考え、ゆっくりと首を振った。


「……俺だけ残るとか、そういうのはなしだ」


 菜乃花が小さく息を吐く。


「だよね」

「四人で来たんだろ」




 出立は雨の夜だった。警備の薄い夜の時間を選び、最低限の荷物だけを持つ。帝国へ向かう。聖王国の敵国であり、魔族と同盟を結ぶ国。――だからこそ、追手は来にくい。外壁を抜ける直前、菜乃花が立ち止まった。


「本当に、これでいいのかな」


 問いというより、自分たちへの確認だった。俺は右目だけで振り返る。白亜の神殿が、遠く闇に溶けている。あそこで失ったのは目だけではない。信頼も、居場所も、未来の形もだ。


「ここに残っても、俺たちは守られない」


 珍しく低い、青葉の声。ひどく静かな声だった。菜乃花が青葉の手を引き、茉莉が小さく笑う。


「あの場所で悪役になる覚悟くらい、しておきなさい」


 門を越えた瞬間、聖王国の灯りが背後に遠ざかる。俺たちは一度も振り返らなかった。雨が降っていて、よかったと思った。

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