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第十六話 覚醒イベント:条件達成


 ――間に合った。そう、思った。刃は弾かれ、影は退いた。舞踏会の音楽は止まらず、笑い声も消えない。まるで何もなかったかのように、夜は優雅に流れている。けれど、僕の背筋に残った冷たい違和感は、依然と消えていなかった。


「……終わっていない」


 小さく呟く。あれは牽制だ、様子見だ。本命は、まだ別にある。視線を巡らせる。セシルが静かにに頷き、リューヌも位置を調整する。フローレンスは扇子の陰で魔力の流れを探っていた。


 けれど、空気の奥に、澱のようなものが溜まっている。なにかが、まだいる。それも、先ほどよりずっと深く潜った気配。


 僕は青葉たちを見る。中央ではステラとアルベルンが優雅に回り、その少し外でローゼルディアとアレクシスも踊っている。視線は自然と中央へ引き寄せられる。加護の影響だ。


 その外側。ほんのわずかな死角。ほんの一瞬。連携を確認する、その一瞬だった。楽団の旋律は滑らかだ。人々は笑い、踊り、煌めく夜を疑いもしない。


 セシルに視線を送った。その一瞬。人の流れが揺れた。人の波が揺れる。ステラの加護の影響で、視線は中央の踊り手へと自然に吸い寄せられる。光の中心から、ほんのわずかに外れた場所。


 青葉たちの周囲に、空白ができた。孤立。心臓が、跳ねる。


「――しまっ」


 遅い。空気が裂ける気配。今度は一つではない。複数。認識を滑らせる魔法と加護が重なり、存在そのものが薄い。本命。足を踏み出した。だが距離がある。――今度は、間に合わない。




 side:Akira


 またか、と思った。刃の軌道が見える。青葉の死角。間に合わない距離。足は動く。身体能力はある。勇者の加護の“基礎”は最初からあった。


 だからこそ分かる。今の俺では、防げない。三年前、聖王国。あの白い神殿。召喚された日の、眩く光る魔法陣と広間。


「勇者様、あなた方には我が国を救っていただきたいのです」


 そう言われた。歓迎もされた。称賛もされた。最初だけは。


 三ヶ月。皆が覚醒していった。青葉は攻撃特化に近い適応型。茉莉は解析型。菜乃花は支援と干渉。俺は? 何も起きなかった。


「……まだ時間が必要なのでしょう」


 最初はそう言われた。四ヶ月目。視線が変わり始めた。


「勇者の素質が足りなかったのでは? 」


 六ヶ月目。露骨になった。


「予備として扱えば良いでしょう」

「実験に回すか? 」


 聞こえていた。全部。俺は勇者じゃなくなった。ただの“素材”になった。聖王国は最初から利用するつもりだった。


 覚醒すれば戦争の道具に。覚醒しなければ資源に。だから逃げた。後悔はしていない。あそこに残っていたら、俺たちは壊れていた。食い潰されていた。


 だけど。青葉が前に出る。菜乃花(なのか)が叫ぶ。茉莉(まつり)が庇おうとする。守られているのは、俺だ。


 二十五歳。一番年上なのに。勇者なのに。空っぽだった。――違う。空っぽだったんじゃない。怖かったんだ。覚醒しない自分を認めるのが。出来損ないだと、役立たずだと証明されるのが。だから(はな)から前に出なかった。失敗するのが怖かった。


 刃が、青葉へ届く。――もう、何も出来ない自分は嫌だ。守りたい、じゃない。守る。その瞬間、身体の奥で何かが噛み合った。音が遅れる。周りの悲鳴がが粘つくように伸びる。視界が異様に鮮明になる。敵の指先の震えまで見える。


 軽くなるのではない。ひどく重かった。足の裏が床石に沈むようだった。根を張る。逃げない。退かない。胸の奥から溢れた力が、足元へ落ちる。


 半径数メートル。空間が歪む。透明な壁ではない。圧だ。刃が触れる、止まる。押し込もうとする、入らない。魔術が撃ち込まれる、弾ける。


 俺は動かない。動けないんじゃない。動かない。ここが、境界。俺の加護は攻めない。――ただ守る。固定結界型。俺が立つ限り、ここは破れない。


「……(あきら)? 」

「大丈夫だ」


 青葉の声が遅れて届く。驚くほど、静かな声が出た。敵が焦る。連携を重ねる。魔術を増幅する。それでも、入らない。突破できないと悟った瞬間、気配が引いた。撤退。影が、溶ける。音が戻る。世界が本来の速さへ帰る。


 膝が震える。だが倒れない。俺は、立っている。




 side:Raphael


 紫水が前にいる。距離が、ある。それだけが理解できた。彼が何を持ち、どこまで出来るのか、僕は知らない。勇者の加護についても、僕は早くに逃げ出したから、帝国で出回っているような情報しか知らない。


 だが――あの位置では、刃は届く。間に合わない。踏み込む。床を蹴る。それでも足りない。空気が裂ける音が、やけに鮮明に聞こえた。――紫水。名前を呼ぶより先に、異変が起きた。


 空気が、沈む。圧だ。目に見えない何かが、一帯を押し潰すように広がる。敵の刃が、止まった。触れているはずなのに、進まない。魔術が展開される。だが、紫水の周囲で歪み、弾ける。――何をした? 紫水は動いていない。魔術を使った訳でもない。何も、していない。


 ただ、そこ立っているだけだ。それなのに、攻撃が通らない。床石が、彼の足元から細かく軋んでいる。ひび割れが放射状に広がる。あれは防御魔術ではない。もっと原始的な、もっと強引な――神の力。


 僕は息を呑む。これが、勇者の加護。


 

 

 結界に弾かれた刃の主へ、横合いから銀の軌跡が走る血の匂いが、一瞬だけ濃くなった。リューヌだ。静かな横顔のまま、正確無比に急所だけを断つ。結界を突破できないと悟り、後退しようとした影を、逃さない。


「退路は塞いだ。外へは出さないよ」


 低く告げる声は、怒りよりも冷静さが勝っている。さらに別の影が跳ねる。その足元に、鋭い金属音。セシルが薙刀を振るう。軍部仕込みの無駄のない動きで、敵の進路を限定し、動線を切り分ける。そして、ほんのわずかに遅れて。


「……なるほど」


 フローレンスの瞳が細められる。紫水の足元のひび割れ。空間の歪み。圧の質。


「防御術式ではないんですの……」


 彼女の指先が、わずかに光る。敵ではなく、紫水の魔力の流れを視ている。


「ご無理をなさらないで頂きたいのだわ……」




 side:Akira


 身体が重い。さっきまでの“遅い世界”は、もうない。


 現実の速度が戻っているのに、俺だけが地面に縫い止められているみたいだ。敵が撤退していく。気配が薄れる。周りの声がが普通に聞こえる。――終わった。


 その途端。膝が、崩れかけた。視界が暗くなる。胃の奥がひっくり返る。肺がうまく動かない。初めてだ、こんなに消耗するのは。体が慣れていない、追いつかない。魔力の流れが乱れている。


 結界を張っている間、無意識に全力で締め上げ続けていたらしい。足が、動かない。


「……晶、大丈夫か? 」


 青葉の声が、今度ははっきり聞こえる。


「……大丈夫だ」


 短く言った。それ以上、息が続かない。結界が、解ける。場を支配していた圧力が霧散する。その瞬間、全身から力が抜けた。ぐらり、と視界が傾ぐ。倒れる、と思った。その前に、腕を掴まれる。


「無理しすぎ」


 低い声。ラフェルだ。立っているつもりだった。だが、膝は完全に笑っている。手が冷たい。心臓が速い。――守れた。その実感だけが、妙に鮮明だ。


 しかし同時に理解する。この加護は、軽くない。固定結界型。俺が立つ限り、守れる。だが、立てなくなれば、終わりだ。今回は、ほんの数十秒。それでも、これだ。長時間は、無理だ。


 ラフェルが、じっとこちらを見ている。探るような視線。


「今のは……」


 問いかけ。俺は息を整える。


「……ようやく、来てくれたらしい」


 それだけ言う。聖王国の白い神殿が、脳裏をよぎる。“出来損ない”と呼ばれた日々。違う。出来損ないじゃなかった。ただ、守るものが、足りなかっただけだ。今はある。だから、目覚めた。


 足に力を込める。震えは、まだ止まらない。今度は逃げない。

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