表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/42

第十二話 それはきっと、正しいこと


「少し、よろしいですか」


 呼び止められて振り返ると、そこに立っていたのは魔術理論の先生だった。穏やかな笑みを浮かべるその姿は、いつもと変わらない。だが、なぜだろう。今日の声はほんの少しだけ低く、柔らかさの奥に重みがあった。


「はい、先生」


 私は素直に足を止める。廊下には夕方の光が差し込んでいる。窓越しに見える中庭では、職人たちが大きな天幕を設営していた。今年のダンスパーティーは規模が違う、と噂になっている。


「もうすぐ、ダンスパーティーですね」


 先生は私と並んで歩き出した。


「はい。今年は来賓が多いって聞きました」

「ええ。近隣諸国の使節団、皇室魔術師や軍部の代表、そして……聖王国からも視察が入ります」


 聖王国。その名に、わずかに胸が高鳴る。加護の研究が進み、信仰と秩序を重んじる国。加護持ちを“神の祝福を受けた者”として尊ぶ場所。


「学園のダンスパーティーは、社交の場であると同時に、選別の場でもあります」


 先生は淡々と続ける。


「家を継げない者が後ろ盾を得る。才能を見出される。あるいは――国に招かれることもある」


 それは、未来が決まるということだ。私は無意識に手を握る。


「あなたは注目されていますよ、ステラ」


 その言葉は、思っていたよりも静かに落ちてきた。


「私、ですか?」

「ええ。"調和"の加護は極めて希少です。人が多く集まる場では感情が揺れやすい。小さな衝突が、大きな混乱を招くこともある」


 先生は中庭を見つめる。


「ですが、あなたが中央に立てば空気は整う。争いは和らぎ、嫉妬は鎮まる。あなたは――安心の象徴になれる」


 象徴。その響きは、誇らしくもあり、少しだけ怖かった。安定、秩序、乱れない空気。それは、私が欲しくてたまらない評価だった。


「ダンスパーティーは、外部が深く関われる数少ない機会です。だからこそ、安定が求められる」


「来賓である聖王国は、秩序を何よりも重んじます」


 先生の声は始終穏やかだった。


「混乱は罪。分断は堕落。人の心が荒れれば、国も荒れます。……だからこそ、調和をもたらす存在は尊い」


 尊い。その言葉が、胸の奥に落ちる。


「あなたのような存在が中央にいれば、場は荒れません。誰も声を荒らげず、誰も極端にならない。……それは、とても扱いやすい」


 最後の一言は、ほとんど独り言のようだった。


「え?」

「いえ。――とても、理想的だということです。あなたがそこにいるだけで、人は穏やかになる。それは才能であり、祝福です」


 私は胸の奥が温かくなるのを感じた。誰かの役に立てるのなら、諍い(いさかい)を防げるのなら。


「……私、頑張ります」

「ええ。あなたならできる」


 先生は満足そうに微笑んだ。その笑みは優しい。だけど、その目は、どこか測るように静かだった。別れたあとも、胸の鼓動はしばらく速いままだった。――私は必要とされている。そう思うと、自分を価値あるものだと感じられた。


 先生の足音が遠ざかっていく。


 廊下に残されたのは、夕陽に染まる静寂と、自分の鼓動だけだった。


 ――秩序を何よりも重んじる国。聖王国はそういう場所だと、授業でも聞いたことがある。加護を神の意志と捉え、個人よりも全体の"調和"を優先する国。諍いは未熟、感情の暴走は罪。感情を制御できない者は導かれるべき存在。


 導かれる側と、導く側。その構図は、とても分かりやすい。私は、どちらになれるのだろう。ふと、幼い頃の記憶がよぎった。食卓で交わされた、声を抑えた言い争い。視線が鋭くなる瞬間。笑顔の裏に隠された緊張。誰かが不機嫌になるだけで、空気はすぐに濁る。


 あの濁りが、私はなによりも怖かった。怒鳴り声よりも、沈黙の方が怖い。笑っているのに、目が笑っていない瞬間が怖い。私は強くない。誰かをねじ伏せることもできない。だからせめて、場が荒れない位置にいたかった。嫌われない場所に。否定されない位置に。


「あなたのような存在が中央にいれば、場は荒れません」


 先生の声が蘇る。――整う。その言葉は、ひどく甘美だった。私がいるだけで、荒れないのなら。私がいるだけで、誰も傷つかないのなら。それは、きっと良いことだ。


 私が立つことで皆が穏やかでいられるなら。もしそれで場が安定するなら。少しくらい、構わないのではないだろうか。必要とされるのなら。価値があるのなら。利用されることと、必要とされることは、どこが違うのだろう。


 必要とされるということは、正しい場所に置かれるということだ。正しい場所。中央。光の当たる位置。けれど、中央に立つ者は、常に見られる。常に測られる。常に期待される。期待に応え続けなければ、価値は失われる。


 それでもいい。失うくらいなら、応え続ければいい。私は、自分が空っぽであることを知っている。特別な才能も、圧倒的な魔力量もない。ただ、人の間に立てるだけ。人の感情を波立たせず、均すことができるだけ。


 でも、それでいいのなら。誰かの中心に立てるのなら。私は、いくらでも穏やかでいられる。感情を削ってでも。尖りを丸めてでも。――だって荒れた空気より、静かな方がずっといいもの。

 

 私はただ、胸の奥に広がる温かさを手放したくなかった。必要とされる感覚は、思っていたよりも心地よかったから。




 先生と別れ廊下を曲がると、ざわめきが耳に届いた。人だかりの中心にいるのは――ローゼルディア様。


 金色の髪が光を反射し、静かな威圧感を放っている。群れない。媚びない。笑わない。そんな人だ。その佇まいは、まるで他人を寄せつけない壁のようだった。


 ひそひそと声が飛ぶ。


「また一人でいる」

「感じ悪いよね」

「何様なの?」


 私は足を止める。どうして、あんな目で見るのだろう。まるで、すべてを見透かしているような。誰も必要としないと言っているような。胸の奥が、ちくりと痛む。私はああいう人が苦手だ。冷たい人。距離を置く人。優しくない人。


 そう思った瞬間、胸の奥がすっと凪いだ(ないだ)水面(みなも)に波紋が広がるように、透明な感覚が身体を満たす。鼓動がゆるやかになる。――嫌だな。ほんの小さな感情。怒りではない。憎しみでもない。ただ、ほんの少しの拒絶。その瞬間。空気が、静かに波打った。周囲のざわめきが、ひとつの方向へと揃う。


「ほんと、近寄りがたいよね」


 誰かが強く言う。


「自分が一番って思ってそう」

「ちょっと痛いよね」


 言葉が増えていく。さっきまで曖昧だった否定が、はっきりとした輪郭を持つ。視線が冷える。距離が一歩、二歩と広がる。確認しなくても分かる。共有された空気。否定の合意。それは強制ではない。ただ、自然な流れのように感じられる。私は小さく瞬きをした。……どうして、急に。


 さっきよりも、明らかに拒絶が濃い。けれど不思議と、胸のもやもやは軽くなっていた。――みんなも、そう思っていたんだ。私だけじゃなかった。そう思うと、少し安心する。嫌だと感じたものが遠ざかる。それだけで、場は穏やかになる。それが当然のことのように、私は受け入れていた。

 

 ローゼルディア様が、ゆっくりと顔を上げる。その視線が、まっすぐにこちらを捉えた。一瞬だけ、背筋が冷える。怒りでも悲しみでもない。ただ、理解した者の目。

“ああ、そういうことか”と。


 逃げない目だった。責めない目だった。ただ、計算する目だった。原因と結果を結びつける目。一瞬だけ、私の胸が強く鳴る。見抜かれた?そんなはずはない。私は何もしていない。ただ、思っただけ。思うことまで罪になるのなら、誰も生きていけないもの。


 私は無意識に目を逸らした。――そう思っただけ。それだけなのに。ざわめきは止まらない。誰かが肩をぶつける。小さな舌打ち。笑い声。


 空気は、確かに変わっていた。そして私は――その変化の中心に、自分がいることを、その意味を、まだ知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ