第十一話 Any% ルート分岐:シナリオ改竄
講堂棟の一角にある錬金術科の提出窓口は、昼休みが終わった直後にもかかわらず静まり返っていた。廊下を行き交う生徒たちのざわめきが遠くに聞こえる中、僕は腕に抱えた箱を静かにカウンターへと置く。
「課題の提出に来ました」
箱の中には、青葉たちと共に制作したレコードが収められている。青葉、菜乃花、茉莉、紫水。四人と共に調整し、刻印を重ね、何度も試行錯誤をして録音した一枚だ。単なる合同課題という名目ではあるが、僕にとってはそれ以上の意味を持つ代物だ。過去と現在を繋ぐ音。僕の知る旋律と、彼らの技術が融合した証。
受付に立っていたフローレンスは、僕を見るなり穏やかに微笑んだ。
「もう完成したんですの?期限まではまだ三日あるのだわ」
「はい。録音自体は昨日のうちに終えてしまっていたので」
蓋を開け、丁寧に包んでいた布を外すと、黒く光を反射する円盤が姿を現す。窓から差し込む光を受け、柔らかな弧を描く溝がきらりと光った。フローレンスはそれを慎重に持ち上げ、目を細める。
「……仕上がりがとても綺麗ですね。焦りはなかったのですか?」
その問いかけは穏やかだが、瞳の奥には探るような色があった。
「焦り、ですか」
僕は一瞬だけ考える素振りを見せる。
「締切がある以上、早めに終わらせた方が後の自由時間を確保できますから」
それは半分本音で、半分は別の意図だ。余裕は武器になる。動くべき時に動くための隙間を、僕は常に作っておきたい。フローレンスはふっと小さく笑った。
「あなたは本当に計画的ですね。……では、こちらで確認いたします」
円盤を光に透かす横顔は、いつもと変わらぬ穏やかな教師のそれだった。だが、その微笑みの奥にあるものを、僕はまだ測りきれていない。
「ミスターラフェル。放課後、お時間をいただけますか?」
穏やかな声。だが、そこには明確な意図があった。
「構いません」
「では、西校舎の回廊で。そこなら人が少ないのだわ」
人の少ない回廊。西日の赤が長い影を落とす。フローレンスは柱を背もたれに立っていた。噴水の水音が静かに響き、橙色に染まる空が石畳を柔らかく照らしている。
「お待たせしました」
「いえ、私も、今来たところですの」
ありきたりなやり取り。しかし、今日ばかりは社交辞令では済まない空気が漂っている。
「レコード、拝聴いたしましたの」
彼女は静かに切り出した。
「過去を想起させる旋律だったのだわ。まるで……古い祈りのような」
胸の奥がわずかにざわめく。あの旋律は、確かに“過去の声”だ。ぼく自身の記憶の断片を、形にしたものでもある。
「どこかで、あの曲を?」
「昔、耳にしたことがあるんですの」
曖昧な答えに、僕はそれ以上踏み込めなかった。代わりに、別の話題へと移る。
「ところで、あなたに伝えておきたいことがあるんですの」
その声色が一段低くなる。
「単刀直入に申し上げますの。聖王国らしき勢力が、この学園に接触してきているのだわ」
フローレンスの声は静かだったが、その奥に僅かな緊張が滲んでいた。予想はしていた。だが、彼女の口から直接告げられると、現実味が増す。回廊には他に人影はない。それでも彼女は一歩距離を詰め、声量を落とす。夕陽が石壁を赤く染め、影が長く伸びている。
「……目的は?」
「詳細はまだ不明。ですが、ある生徒に強い関心を示しているようですの」
ステラ。名を出さずとも理解できる。
「ミスステラに、接触があったのだわ」
名前が出た瞬間、空気がわずかに変わる。
「どのような?」
「聖王国に属する可能性の高い祈祷師ですの。正式な使者ではありませんわ。非公式の接触ですの」
聖王国。人々の信仰を基盤とし、今も勇者召喚を続ける国。
「内容は?」
「加護の増幅補助。代償として、学園内の協力を求める提案なのだわ」
僕は視線を細める。
「協力、とは」
「具体的な指示についてはまだ、としか言いようがありませんの。ただし、学園内での魔力観測を求められた形跡があるのだわ」
観測、それは撹乱の前段階だ。
「目的は?」
「推測ですが……ミスター青葉たちなのだわ」
静かな声で告げられた名。逃亡勇者。聖王国にとっては裏切り者。
「事故死に見せかける。加護の暴走、魔術災害。理由はいくらでも作れるのだわ」
ステラの加護を増幅させ、周囲の認識を不安定化させる。混乱の中で標的を消す。――合理的な計画だ。
「ミスターラフェル」
フローレンスが視線を向ける。
「あなたの存在は、彼らの計画に含まれていないのだわ」
「でしょうね」
途中から学園に入った存在。目立たず、しかし静かに動く者。想定外は、計算を狂わせる。
「証拠はありますの?私の方ではまだ……」
「痕跡なら」
僕は魔法空間に手を差し入れる。空間が揺らぎ、金属と結晶で構成された装置が現れた。合同授業で作ったレコードを小型化したもの。残留魔力を記録・再生するための装置だ。
「……空間保存型」
「合同授業の研究室で、微弱な祈祷残響を検知しました」
装置を起動する。低い振動音とともに、空気が震える。やがて、かすれた音が再生された。――祝福を。導きを。光を。言葉は断片的だ。だが波長は明確。
「聖属性強化の祈祷文なのだわ」
フローレンスが即座に判断する。
「ステラの加護と共鳴する設計ですの。下準備段階、というわけですわね」
僕は頷く。
「種を蒔き、場を整え、加護を刺激する」
それが撹乱の仕組み。
「このレコードにも、わずかに混ざっています」
先ほど提出した班のレコード。純粋な観測記録のはずだった盤面に、極小の異物。
「ふつうなら、気づかない程度に、ですの」
「ええ。巧妙です」
過去に放たれた祈りの残響。それが今もこの場に残っている。
「公にいたしますの?」
フローレンスが問いかける。今暴けば、聖王国の関与は未然に防がれるだろう。だが、
「まだ早い」
僕は首を振る。
「仕込みの段階で騒げば、向こうは姿を消します」
「泳がせる、と」
「ええ。ただし、放置はしない」
加護の増幅が目的なら。
「制御下で増幅させる」
「……暴走を起こさせないと?」
青葉の不器用な笑顔が脳裏をよぎる。あの四人は強い。だが、盤面の外から刺されればどうなるかは分からない。だからこそ。
「起こさせないのではなく、起こせなくする」
撹乱を成立させない。同時に、次の手を誘う。
「聖王国が焦れば、より明確な動きを見せるでしょう」
それを掴めばいい。青葉たちを守ることと、計画を暴くこと。両立は可能だ。フローレンスはしばらく沈黙し、やがて小さく頷いた。
「あなたに協力しますわ」
「助かります」
短いやり取り。だが、それで十分だった。
夜。窓越しに見える学園の灯りは穏やかだ。青葉たちはきっと、今日の課題の成功を喜んでいるだろう。何も知らないままでいい。脅威は、表に出す必要はない。
机の上に置かれた装置が、静かに停止する。過去の声は記録された。撹乱の意図も把握した。聖王国は、計画が順調だと思っているだろう。だが、その計算には、ひとつ抜けがある。想定外の存在。それが盤面を見ている。
「……合同授業、終了か」
誰にともなく呟く。学園の異変は、全貌を現した。次は、こちらの番だ。静かな夜の中、帝国は何事もないように眠っている。だが水面下では、確実に駆け引きが始まっていた。その中心にいるのは――まだ、誰も気づいていない。
学園の空気は依然、穏やかだ。だが、ほんのわずかに魔力の流れが揺らいでいる。仕込まれた祈りは、まだ芽吹いていないだけだ。それが花開く瞬間を、僕は静かに待つ。――摘み取るために。




