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第七話 私はまだ終われない


 side: Roseldia


 編入生が来ると告げられたのは、二年次が始まってまもない頃だった。


 平民出身でありながら男爵家に引き取られた少女がいる――その噂は、数日前から学園内を静かに巡っていた。けれど私は、さほど気に留めていなかった。貴族社会において珍しい存在であっても、それだけで私の立場が揺らぐことはないと考えていたからだ。


 少なくとも、その瞬間までは。教室の扉が開いたとき、空気がわずかに変わった。それは劇的なものではない。ざわめきが爆発するわけでも、光が差し込むわけでもない。ただ、呼吸の間が一拍ずれたような、目に見えない波紋が広がる感覚だった。


「本日よりこのクラスに編入する生徒を紹介する。ステラ・メイプル男爵令嬢だ」


 担任教師が穏やかな声で告げる。その名前を聞いた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。


 ――ステラ。

 ――平民出身。

 ――男爵令嬢。

 ――編入。


 断片的な単語が、強引に意識の奥底をこじ開ける。視界が揺れた。教室の景色が遠ざかる。足元が不確かになり、現実の輪郭が曖昧になったように感じる。――思い出した。これは、ゲームだ。


 前世の私は日本という国で生き、娯楽として物語を消費していた。その中のひとつ、乙女ゲーム。タイトルは曖昧だが、内容は鮮明に覚えている。男爵家の娘だった平民の少女が名門学園へ編入し、貴族社会の偏見や陰謀を乗り越えながら、やがて皇子をはじめとする攻略対象たちと絆を深めていく物語。


 そしてそこには、必ず立ちはだかる存在がいた。皇子の婚約者。誇り高く、気位が高く、完璧であるがゆえに柔軟性を持たない令嬢。ヒロインに嫉妬し、嫌がらせを重ね、最終的には断罪される。


 婚約破棄、国外追放、あるいは処刑。バッドエンドの象徴。その名は――ローゼルディア・ランティーユ。私の名だ。冷たい汗が背を伝う。


 視界が戻ると、編入生は教壇の横に立っていた。淡い金髪が光を受けて柔らかく輝き、控えめに結ばれた手がかすかに震えている。緊張しているのだろう。それでも瞳の奥には、芯の強さが宿っている。


 覚えている。この少女は、ただ守られるだけの存在ではない。努力し、傷つき、それでも前に進むヒロインだ。そして、周囲の人間を惹きつける。意識せずとも。まるで祝福を受けたかのように。


 ――加護。ゲーム内ではそう言っていた。ヒロインの周囲だけ、選択肢が都合よく転がり、誤解は解け、味方が増え、偶然が味方する。物語上の補正と言えばそれまでだが、今この世界でそれを体感すると、単なる演出では済まされない。


 実際、すでに数人の男子生徒の視線が彼女に向けられている。好奇心、同情、庇護欲。それらが混じった色が、はっきりと読み取れた。このままでは、いずれ皇子も、私の婚約者である、あの人も。


 胸がざわめく。だが、それは嫉妬ではない。少なくとも、今は違う。そう断言できる。これは危機管理だ。感情に溺れて破滅したのは、ゲーム内の私。現実の私は、同じ過ちを繰り返さない。


 ステラは教壇の横で一礼した。控えめで、しかし芯のある声音で自己紹介をする。皇子もまた、穏やかな表情で言葉をかけた。


「努力だけでなく、困ったときは頼るといい」


 その台詞。覚えている。ゲーム序盤の、最初の好感度上昇イベントだ。背筋が冷える。展開が、正確すぎる。


 私は自分の感情を探る。嫉妬はない。怒りもない。ただ強い警戒心と、計算の速さだけがある。加護は効いていない。


 私は彼女を警戒対象であり、比較対象であり、脅威だと認識している。無条件で好意的に受け止めることはない。だがそれでも、焦りはある。世界が、彼女を中心に回り始めているからだ。――彼女も、私と同じなのだろうか。




 その日、教室の空気が再び揺れた。途中入学者――ラフェル・リーベラ。名前を聞いた瞬間、私は反射的に記憶を辿った。だが、該当する人物がいない。


 ゲームの中に、そんな存在はいなかった。銀髪。落ち着いた態度。過不足ない挨拶。目立ちすぎないが、決して凡庸ではない。“処理できない”。それが、彼を見たときの第一印象だった。


 攻略対象ではない。モブでもない。イベント要員でもない。途中入学なのに、ゲームにはいなかった。役割が、存在しない。


 背筋に冷たいものが走る。ゲームの世界は、完成された箱庭だった。全ての人物は役割を持ち、分岐を持ち、結末を持つ。だが彼は、そのどこにも分類できない。


 私は数秒だけ彼を見つめた。彼は視線を受け止めながらも、何も返さない。敵意も、好意も、野心も見せない。ただ静かに、「そこにいる」。それが不気味だった。――変数。胸の奥で、その言葉が浮かぶ。ゲームに存在しない要素は、シナリオを乱す。乱れは予測不能を生む。そして予測不能は、破滅回避において最大の障害だ。


 だが同時に。――可能性でもある。もし彼が本当に外部変数ならば。既定路線を崩せるのは、彼しかいない。




 中庭の噴水が、午後の日差しを受けて淡く光っている。私は窓辺に立ち、その光景を俯瞰していた。


 ステラ・メイプルが笑っている。


 その周囲にいるのは、ここ数日で明確に増えた顔ぶれだ。皇子、リヒャルト、アルベルン。そして、取り巻きの令嬢たち。誰もが自然な顔をしている。無理をしているようには見えない。ただ、少しだけ“甘い”。


 判断が甘い。距離の詰め方が早い。警戒の解き方が速すぎる。それが、私の抱く違和感だった。加護は魅了ではない。対象の意思を奪うものではない。だが、「好意的に解釈する余地」を増やす。


 少しの努力を大きく評価させ、少しの失敗を「仕方がない」と受け流させる。それだけで、流れは作られる。


「……予定より早いわ」


 誰にも聞こえない声で、そう呟く。本来、ゲームの序盤はもっと穏やかだったはずだ。攻略対象との距離は段階的に縮まる。イベントは順序立てて発生する。ローゼルディアが焦り、感情を露わにし始めるのは――もっと後。


 だが現実は違う。加護が“自然な形”で作用している。そしてそれを止める術は、正面からでは存在しない。否定すれば嫉妬に見える。距離を取らせようとすれば冷酷に見える。


 私は明確に“焦り”を自覚していた。リヒャルトの態度は変わった。アルベルンの視線も柔らいだ。アレクシス様の判断も、わずかに傾いている。ステラ自身は、まだ積極的に動いていない。頼る、謝る、礼を言う。それだけだ。だが周囲が動く。


 これが加護の本質。本人が“攻めなくても”、状況が整う。――まだ序盤なのに、展開が早い。まるで誰かが圧縮しているかのように。私は思考を巡らせる。


 もし。ステラが前世の記憶を持っていないのなら、この速度は異常だ。もし持っているのなら――話は別。


 ラフェルの入学。それはゲームに存在しない出来事。ステラがそれに気づけば、必ず動く。なぜなら、ヒロインにとって最大の敵は悪役令嬢ではない。“物語の外から来た存在”だ。加護が通用しないかもしれない相手。計算できない相手。――まだ、動かないで。


 心の奥でそう願う。ステラがラフェルを警戒し、積極的に攻略を加速させれば、物語は一気に進む。そうなれば、断罪イベントも前倒しになる可能性がある。止めなければならない。だが正面から止めれば、悪役令嬢の役割に近づく。ならば。――流れを緩める。直接妨害はしない。評価を下げない。ただ、判断の速度を落とす。


 ――リヒャルトには理論をぶつける。

 ――アルベルンには規律を思い出させる。

 ――アレクシス様には責務を強調する。


 “感情”ではなく、“制度”で縛る。それが私の選んだ戦い方だった。――大丈夫。今までやってきたことと同じよ。

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