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第五話 Any%仮説更新:加護バフ


 図書室の隅。人の気配が薄い席を選び、僕は紙を広げた。名前を三つ書く。アレクシス、リヒャルト、アルベルン。接触日。発言変化。距離変化。擁護発言の有無。線で結ぶ。――早い。感情の傾斜が急すぎる。


 好意は積み重なるものだ。信頼もまた同じ。だが、今回は違う。接触。小さな擁護。周囲の空気の変化。ローゼルディアの評価の低下。流れが、整いすぎている。偶然では説明がつかない。


 僕は目を閉じ、記憶を辿る。ステラが笑う瞬間、視線が上向く角度、声がわずかに震えるタイミング。――空気が揺れていた。魔力の微細な波。強制ではない、誘導。彼女は、自分の加護を理解している。無自覚ではない。そこが厄介だ。


 だが、まだ断定はできない。僕は傍観者だ。正義を振りかざす立場ではない。――ただし。情報不足は許容できない。僕は紙を折りたたんだ。


「調べるだけだ」


 干渉はしない。修正もしない。仕様を把握する。そのために、


「……メルを出すか」




 中庭。昼下がり。ステラは一人で座っていた。珍しい。いつもは誰かがいる。僕は自然な歩調で近づく。


「隣、いい?」

「あ、うん」


 即答。警戒は薄い。加護は発動していない。今は素の状態だ。


「最近、忙しそうだね」

「そうかな?」

「うん。色んな人と話してる」

「学園生活、楽しみたくて」


 観察を提示するだけ。評価はしない。ステラは笑う。声は自然だ。だが、その奥に緊張がある。試してみる。


「アレクシス様とも、よく話してるよね」


 一瞬だけ、空気が揺れた。――来た。魔力の波が、ごく薄く広がる。周囲の気配が、柔らぐ方向へ動く。意図的だ。


「相談に乗ってもらってるだけだよ?」


 否定ではない。正当化だ。


「ふうん」


 それ以上追及しない。僕は芝生に視線を落とす。


「人の感情って、面白いよね」

「……どういう意味?」

「少しのきっかけで、傾く」


 沈黙。加護が、わずかに強まる。僕に向けてではない。場、全体にだ。――範囲型。対象指定ではない。誘導型。

なるほど。僕は笑う。


「なんでもない。観察してるだけ」

「観察?」

「うん。人間観察」


 嘘ではない。ステラは僕を見る。測っている。敵か、無害か。数秒後。


「メルって、変わってるね」


 加護が弱まる。分類された。無害。――おそらく、“使える”。


「そう?」

「うん。嫌いじゃないよ」

「またね」

 

 ……意図的な選別。僕は立ち上がる。干渉はしない。



 

 確認できたこと

 ・加護は自覚的発動

・範囲型の感情傾斜

 ・対象は限定可能


 補遺:ステラが女子生徒と認識した人間には効きにくい……?


 十分だ。


 


 自室。結界を張る。机の引き出しから、黒革の手帳を取り出した。日付を書く。――観測記録。これは習慣だ。万一、僕が加護の影響を受けた場合、思考の変化を即座に検出するためのもの。感情の揺れ。評価の変化。発言の違和感。すべて書く。


『本日、ステラ・メイプルと接触。加護は自覚的。範囲誘導型。対象指定は状況依存。自己への影響、現在なし。』


 ペンを止める。自問。


 ――彼女を危険視しているか?……いいや。

 ――好意を持ったか?……ない。

 ――同情は?僅かに考える。野心は理解できる。だが同情ではない。


 日記に『情緒変動なし。評価一定。』と書き込んで閉じる。これは証拠だ。もし僕の判断が変わったら、この記録と照合できる。僕は、自分を信用しない。だから記録する。


 加護は万能ではない。だが、空気は人を侵す。僕は観測者だ。そして。観測者である限り、盤面には立たない。


 灯りを消す。明日もまた、観るだけだ。




 次の日の昼休み、中庭へ向かう途中で、青葉に呼び止められた。いつも通り明るい声。だが、いつもより歯切れが悪い。

 

「ラフェル、ちょっといいか?最近さ、ローゼルディア様って……怖くないか?」

「どういう意味?」


 足が、止まった。――怖い。その評価は初めて聞いた。


「いや、なんていうかさ、正しいこと言ってるのはわかるんだけど、なんか、責められてる感じがするっていうか……」


 曖昧な感想。事実ではなく、あくまで印象だ。青葉は続ける。


「ほら、ステラはさ、同じ内容でもやわらかいだろ?なんかこう……安心するんだよな」


 胸の奥がわずかに冷える。比較、無意識の優劣。


「具体的に、何か言われたの?」

「いや別に、言われてない。……なんか、そう思っただけ」


 やっぱり、根拠がない。感情が先行している。青葉は空気に敏感だ。良くも、悪くも。彼の評価が傾くなら、それは周囲の温度に引きずられている可能性が高い。内容ではなく、受け取られ方の差。そこに意識が向いた瞬間、仮説が静かに浮上する。


「ステラと話した?」

「昨日、少しな。班分けの相談しててさ」


 できるだけ自然な調子で尋ねる。ごく自然な接触だ。不自然さはない。だが、条件は揃っている。ステラとの接触。その後の印象変化。仮説が、静かに強度を増す。


「ローゼルディア様の提案内容、具体的に覚えてる?」

「……いや。なんとなくしか」


 問いかけると、青葉は数秒考えたのち、首を傾げた。内容は残らない。だが、印象は残る。


 胸の奥がわずかに重くなるのを自覚する。青葉は仲間だ。影響を受けてほしくないという思いが、ほんの少しだけ浮かぶ。――違う。これは観測だ。感情で判断してはいけない。


「まあ、俺の気のせいかもな!」


 青葉はいつもの調子で笑った。その笑顔は変わらないが、違和感だけが薄く残る。空気は、人を静かに傾ける。それが意図的であれ、無意識であれ。


 中庭の喧騒が近づく。今日は条件が揃いすぎている。僕は足を止めずに歩き出した。




 中庭は、いつもよりざわめいていた。来月の合同実技演習に向けた班編成の調整が、あちこちで行われている。その一角で、ローゼルディアが数名の上級生と向き合っていた。背筋を伸ばし、無駄のない所作で立つ姿は、相変わらず隙がない。


「現状の戦力配分では、前衛に負担が集中します。再編成を提案しますわ。近接三、後衛二。支援は固定ではなく交代制にすべきかと」


 落ち着いた声が、喧騒(けんそう)の中でもはっきりと届く。合理的な提案だ。少なくとも、論理として破綻はない。しかし、空気がわずかに軋んだ(きしんだ)


「……それって、うちの班が足引っ張ってるってことですか?」


 言葉が、別の意味を帯びる。ローゼルディアは一瞬だけ目を伏せ、それから静かに答えた。


「そのような意図はありません。効率の問題です」


 正しい返答だ。冷静で、誤解の余地は本来ない。それでも、場の温度は戻らない。むしろ、説明が加わったことで距離が広がったようにさえ見える。胸の奥に、鈍い重さが落ちる。彼女は間違っていない。だが、正しさがそのまま受け取られていない。言葉ではなく、発信者に補正がかかっている。……検証する。僕は一歩だけ前に出た。


「失礼します。……前回の模擬戦では、前衛の被弾率が六割を超えています。後衛は二割未満でした」


 視線が集まる。その圧を受け流しながら、僕は数字だけを提示する。一拍置いて、続ける。


「再配分は合理的な提案です。責任の所在を問うものではありません」


 沈黙が落ちる。先ほどまでの刺々しさが、わずかに薄れた。完全に消えたわけではないが、確かに角は削れている。


 変化はあった。つまり、同じ意味でも受け取り方は変動する。仮説は、また一段強まる。


「ありがとうございます、ラフェルさん」


 柔らかな声が割り込む。振り向くと、ステラが微笑んでいた。光を集めるような笑顔で、場の空気を自然に引き寄せている。


「皆さんも誤解されただけだと思います。ローゼルディア様は、いつも学園のことを考えていらっしゃいますから」


 空気が、今度は明確に温度を取り戻す。肯定の波が広がり、硬かった表情が次々と緩んでいく。――上書き。僕の提示では緩和止まりだったものが、彼女の一言で完全に整えられる。補正の強度が違う。


 胸の奥がわずかにざわめく。不安ではない。ただ、確信に近い何かが形を取りつつある。ステラと目が合った。その微笑みは崩れない。けれど、ほんの一瞬だけ、視線の奥に測るような光が走った気がした。気づかれたのか、あるいは、僕の考え過ぎか。


 ローゼルディアは僕に一礼するが、余計な言葉は口にしない。ただ事実を受け取ったというだけの目で、静かに視線を返してくる。議論は自然な流れで収束した。だが解決ではない。歪みは消えたのではなく、整えられただけだ。


 僕は元の位置に戻り、ゆっくりと息を整える。観測だけでは足りないかもしれない。それでも、まだ盤面には立たない。干渉は最小限でいい。加護という仮説は、ほぼ形になった。証拠はない。だが偶然とも思えない。


 ステラが遠くで笑う。その笑顔が、周囲の視線を自然に集めている。この学園は、わずかに傾いている。そして僕は、その傾きの中心を、静かに見据えていた。

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