第一話 入学試験:初見殺し可能
side:Raphael
「学園に通おうと思う」
事件から五日、目覚めてからは二日経った。このまま何せずにここにいるわけにはいかない。そう思った。それを告げた時、リューヌは驚かなかった。ただ、わずかに目を細めた。
「君ならそう言うって思ってたよ」
いつもの調子だ。軽く言いながら、その視線は鋭い。学園――帝国貴族と平民、そして他国の留学生までを受け入れる、名目上は中立の教育機関。だが実際には、各国の思惑と派閥が絡み合う、情報の集積地でもある。
「それなら、一つ頼みたいことがある。学園を調査してほしい。内部の動きと、最近入り込んだ“異物”について。断ってもらって構わない。僕としては断ってもらった方がいいくらいだよ。でも……帝国貴族として、君に依頼しなければならない」
異物、という言い方に、胸の奥が静かに沈む。学園には聖王国から逃げてきた勇者たちも通うという。聖王国からの密偵が入り込んでいるのだろう。
「無理にとは言わないよ。君は、もう十分に巻き込まれているからね」
リューヌはそう付け加えた。断る、という選択肢が提示されたこと自体が、意外だった。少し、考える。学園に通う理由は、自分の中ではもう決まっている。帝国のためでも、誰かの命令でもない。ただ――この世界を、もう少し近くで見ておきたかった。何より、ウタシロならそうすると思ったから。
「引き受けます」
答えは、自然に出た。
「ただし、表と裏を使い分ける。目立つ役は、必要最低限で」
「それでいい。むしろ、その方が向いている」
そう言われて、否定はしなかった。
それからの日々は、静かな療養と準備の時間だった。表向きは怪我明けの静養。実際には、身体の調整と、別の訓練。
貴族的な所作。歩き方、立ち居振る舞い、視線の使い方。剣や魔法より、ずっと神経を使う。癖は簡単には抜けないし、油断すればすぐに出る。
「力を隠すなら、まず態度からだ」
リューヌの言葉は、妙に的確だった。
身体を横にしている時間は長い。だが、眠ってばかりいられるわけでもない。治癒魔法も相まって、傷は癒えつつあるが、完全ではない。無理に動けば痛みが走るし、かといって何もしなければ、思考ばかりが先に進んでいく。
窓の外から、学園の鐘の音が聞こえることがあった。規則正しい音。生活の区切りを知らせるためだけの、平和な音だ。――あの場所に、自分が通う。そう考えると、現実感が薄れる。剣を握り、戦場に立っていた人間が、学生として席に着く。教科書を開き、試験を受け、教師の評価を待つ。どれも、自分の人生には久しく無かった光景だ。
だが、だからこそ選んだ。剣を失った今、正面から戦う道は閉ざされている。ならば、別の位置に立つしかない。
療養が進むにつれ、少しずつ身体を動かす時間が増えた。最初は歩くだけ。廊下を往復し、呼吸と歩幅を合わせる。重心の位置を探る。右肩から背中にかけて、わずかな引っかかりが残っているのが分かる。
無意識に、剣を振る前提の動きをしそうになるたび、足を止めた。――もう、同じようには動けない。それを受け入れるまでに、時間がかかった。諦めとは違う。ただ、現実を正確に測り直すための時間。
代わりに磨いたのは、魔力の制御だった。大きな魔法は使わない。むしろ、使わないことを前提にする。流す、止める、抑える。その精度を上げる。感情と魔力を切り離し、必要な分だけを正確に扱う。
歌も、口ずさむ程度に留めた。声を張ることはしない。ただ、旋律を身体に通す。呼吸と心拍に合わせて、音を置く。ウタシロが隣にいないことを、否応なく意識させられる時間だった。
何度か、声が詰まりそうになった。そのたびに、深く息を吸って、何事もなかったように続けた。
準備は、身体だけではない。貴族としての所作を叩き込まれる時間は、想像以上に神経を使った。歩き方一つ、立ち方一つで、相手の警戒心は変わる。視線を合わせる時間、逸らす角度、頷く速さ。剣よりも、ずっと繊細だ。
「戦い方が違うだけだよ。今まで君は、力で場を制してきた。これからは、空気を制する」
リューヌは、そう言って笑った。言葉としては軽いが、内容は重い。空気を読むのではない。作る。相手がどう感じるかを先に想定し、その通りに振る舞う。
裏の姿の準備も同時に進めた。幻覚魔法で形作る、地味な女子生徒。名前も、出自も、印象も、どこにでもいそうなものにする。覚えられないことが、最大の武器だ。
鏡に映るその姿を見て、ふと考える。この姿で見る学園と、表の自分で見る学園は、まったく違う顔をしているだろう。
どちらが本当、という話ではない。両方とも、必要だ。そうして準備を重ねるうちに、入学試験の日が近づいた。試験内容を聞いた時、驚きはなかった。教師との対面評価。形式上は模擬戦に近いもの。勝敗は問われない。――だが、何を見られるかは分かっている。
力の大きさではない。選択だ。どう立ち、どう抑え、どこまでを見せるか。そして、何を見せないか。
一ヶ月後、試験当日。訓練場に足を踏み入れた瞬間、空気が張り詰めたのを感じた。――ここから先は、もう準備ではない。そう、静かに思いながら、呼ばれる名前を待った。
side:Iosa
運動場の空気は、いつもより張り詰めている。私、イオサ・リンネーは、受験生の動きひとつひとつを見逃すまいと視線を巡らせた。今日の対象は新入生――その容姿はまだ若く、怪我明けの顔には決意が垣間見える。
「ラフェル・リーベラ! 事前に渡した護符は持ったか、それは致命傷を一度防げるという効果を持っている。当然私も持っている。よって、本気でかかってこい。遠慮はいらない。説明は以上だ! ……準備はいいか」
声をかけると、受験生は軽く頷いた。動きに迷いはない。だが、私は知っている。経験不足と油断は、魔術戦において致命的となることを。魔力計器はまだ微かに震えている。ここから先は、言葉ではなく行動で判断する。学園の門をくぐる者には、知識だけではなく、瞬間の判断力が求められるのだ。
軽く息を吸い、私は杖を握る手に力を込めた。合図の笛が鳴る。――模擬戦、開始だ。
笛の音が鳴った途端、砂埃とともに地面にいくつもの柱が姿を表す。視界を狭めようという魂胆だろう。なかなか実践慣れしているようだ。
視界外から氷の礫が飛んでくる。――歌? そうだ、この受験生、ラフェルは歌唱術を使えるのだった。太陽が陰る。顔をあげると上空にラフェルがいた。飛行魔術だ。かなり高度な魔術なのに、使いこなしているようだった。
「穿て」
上空から炎と氷が落ちる。魔術で打ち消す。そんな攻防が数秒続いた。――油断した! 横から矢が飛んできた。最初、弓を持っていなかったのに。どういうことだ? 魔力反応はなかった。死角からの攻撃、避けられない!
「勝負あり。勝者、ラフェル!」
審判の声が響き、戦闘は終わった。上空のラフェルの姿が蜃気楼のように消える。すると、砂埃の中から姿を表した。軽く息を整え、私を見上げる。疲労を感じさせない表情は、至極落ち着いている。
「凄かったな。学生相手と油断していた。君は確か幻覚魔術が得意だった。先程のはそれか?」
「そうです。飛んでいたのは幻、僕はずっと、地上にいました」
私の声に、わずかに驚きが混じる。ラフェルの声は始終穏やかで、だがしかし、目には鋭さが残っている。幻覚で相手の意識を逸らしつつ、死角を突く。戦闘そのものは短時間だったが、戦略の精密さは目を見張るものがあった。
私は杖を軽く振り、残る氷の残滓を払う。学園の規則と安全策のため、怪我をさせるわけにはいかない。だが、これだけの実力を目の前で見ると、評価の難しさを痛感する。力を誇示しない戦い方。それを理解して行動できる学生は少ない。ラフェルは私の前に静かに立ち、頭を下げた。
「ご指導ありがとうございました」
短い一言に、全てが凝縮されている。力ではなく、立ち回りで勝ったこと。準備の成果と洞察力。そして、自分を守る術。私は微かに口元を上げ、杖を収める。
「ふむ、よくやった。今回の模擬戦は入学試験。力だけではなく、知恵と判断を見せてもらった。まさか自分が負けるとは思っていなかったよ。……文句なしの合格だ」
side:Raphael
静かに呼吸を整える。頭を下げ、深く一礼した。そのまま歩き出す。廊下を進むたび、周囲の視線が一瞬だけ追うが、すぐに日常に戻る。
少し離れた角で、手のひらを上げる。魔力がそっと形を変える。灰色の髪、焦げ茶の瞳、服装。――誰の記憶にも残らない、地味な女子生徒の姿。
窓に映り込む自分を確認する。この姿で通う学園は、先ほどまでの自分とは別の顔を見せる場所だ。だが、両方の視点があるからこそ、できることがある。




