第一話 予定タイム72:00:00?
カランカラン、とベルが鳴り、扉が閉まったことを告げる。今日の営業はこれで終わり。相変わらず客足の少ない店だけど、一日が終わる頃にはそれなりに疲れる。
扉に鍵をかけて、締めの作業を終える。夕食の準備に取り掛かろうとした時、足元が鈍く光った。ひどく高度な魔法陣だ。読み取れることはせいぜい召喚用の転移魔法だということ。土壇場にしてはよくやったと思う。――正直、悪趣味にも程がある。
はっとして、地下の書斎兼研究室へと急ぐ。本、ノート、研究道具、目につくものを手当たり次第魔法空間へと仕舞っていく。この間も、魔法陣は逃がすまいと、じわじわと光を増しながら僕を追いかけてくる。
やっとあらかた仕舞い終えた頃には陣も痺れを切らしたのか僕の意識を飲み込んだ。意識を失う瞬間、転移特有の浮遊感と視界が歪む感覚が襲ってきた。
ふっと意識が浮かび上がる。目を開けると水の中に沈んでいる感覚があった。何やら広間のような場所に飛んだらしい。視界の隅にはあの魔法陣の光が消えようとしている。
起き上がってみると不思議と服が濡れていない。そういえば苦しくもなかった。辺りを見回すと少し離れたところに二人、僕と同じように召喚されたようだ。二人とも、見慣れない格好をしている。僕たちを囲むように立っている神官たちの視線が、一瞬だけ僕の上で止まる。すぐに逸らされたが、あれは数を数える目じゃない。
「ようこそ、勇者様方。ここはサルコデローニャ聖王国でございます。あなた方には我が国を救っていただきたいのです」
神官の、いちばん偉そうなのがそう宣った。僕は被っていたローブのフードを深く被る。あまり、自分のことを晒さない方が良さそうだ。
「無理です!私たちは何も出来ないしここのことを何も知りません!」
「そうだよ!俺たちにだって俺たちの世界の生活があるんだ!」
二人が叫んだ。二人の言い分は十分に理解できる。できるのだがこの場ではあまり意味が無い。なぜなら既に召喚されてしまっている。今更どう足掻いても、だ。帰る術は、その僕たちをここへ誘拐した人間たちの手にあるのだから。
「残念ながら勇者様、私たちは力を使い切りました。国が脅かされている状況で二度も世界を渡るような大魔術を使う余力は無いのです。しかし安心してください!私たちがあなた方の安全と生活を保証しましょう。この世界で生きていく術をお教えします」
「でも……俺たちは戦わなきゃ行けないんだろ!?」
「大丈夫です、あなた方は勇者。この世界で生きていくには充分すぎるほど強い力が神から与えられているのです」
やっぱり、僕たちに選択権はない。彼らに従うしかないのだ。安全と生活を保証すると言っているがそれは僕たちが従うならという話だし、従わなければ帰ることはできない。
「それなら……俺はあんたらに従う」
「わ、私も!」
神官たちの視線が、逃げ道を塞ぐようにこちらへ集まった。僕は頷くことで同意を示すしかない。最初から二つに一つでしかないのだ。
「では、早速ですがお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
神官が尋ねた。あやしい。世界が違うなら道理が違うのは当然だろうが、単刀直入に名前を尋ねるなんて魔法で縛ろうとしているのではないかと疑ってしまう。例えば、すぐにでも戦場へ出ろ、とか。
「穂高湊です。穂高が苗字で、湊が名前」
「柏木あかねです。よろしくお願いします」
「ラフェル・リュノイア。……ラフェルの方が僕の名前」
彼らは正直に真名を言ったようだが、僕は隠すことにした。というか、僕の世界では本名を大っぴらにするものではないからいつも通りだけれど。神官は一度、僕たち三人を見比べた。
「では、勇者様方に与えられた加護を確認いたしましょう」
神官が詠唱すると、二人の周囲が淡く光る。次に、神官の視線が僕に向いた。同じ詠唱。だが――何も起きない。嫌な予感が当たってしまった。空気が、ほんの一瞬だけ止まった。
「……個人差です。あまりお気になさらないでください。さて、加護の確認も終わったところです。お疲れでしょう。部屋をご用意しております」
その後のやり取りは正直、あまり覚えていない。気づけば、僕は用意された部屋に立っていた。部屋へ案内される間、背中に突き刺さる視線が途切れることはなかった。扉が閉まった瞬間、ようやく一息つけたのだ。
部屋に通されて、最初に確認したのはベッドでもバスルームでもない。窓だ。物の位置、魔力の流れ、この部屋まで監視されている訳ではないようだ。しかし、部屋に刻まれた結界を見て眉を顰めた。強力だが、僕を想定して張っていない。
正確には魔法を使える者を想定していないのだ。この部屋は、勇者を閉じ込めるには十分だ。しかしそれは“正しい勇者”なら、の話だ。あらかた、勇者たちが魔法を使えるようになったら、別の場所へと移されるのだろう。ここまで案内されるまでに感じた幾つもの違和感――視線、言葉の選び方、勇者という呼び名。それは僕にここから逃げ出すべきだと告げていた。
それから三日間、僕は従順な勇者を演じた。笑って頷き、与えられた食事を受け取り、観察する側へと回る。 合間に積極的に図書室へと通い、この世界のことを知ると共に従順であるというポーズを取る。
図書室では古びた書物や魔道具の資料が並んでいた。ページをめくる度、僕の世界と似ているが微妙に違う文化や習慣、未来や過去に飛ばされたと言う言葉では説明できない異なる歴史が目に入った。――逃げ道を探るには、それだけで十分だった。
三日分の観察で答えは出た。やはりこの部屋は、ふつう逃げられないように作られている。だからこそ――逃げる価値がある。僕のことを警戒していない今がチャンスだ。
――逃げられる。だが、それだけでは足りない。
この部屋を抜け出した瞬間、僕は“逃亡した勇者”になる。気づかれれば追手は必ず放たれる。結界の構造、配置された人員、巡回の間隔。すべてを考慮しても、時間を稼げるのはせいぜい数時間。
なら、前提を変えるしかない。追われない方法は一つしかない。追う理由を、消すことだ。勇者が逃げたのなら追われる。だが――勇者が死んだのなら?
脳裏に浮かんだのは、かつて書物の片隅で読んだ術式。禁術のひとつだ。
禁術といっても二つある。一つは倫理に反し、理が許さないもの。もう一つは、世のお偉いがたの利に反するもの、だ。今回のものは後者、ここは僕のいた世界ではない――理屈の上では、問題はない。しかし、こんな大魔法、代償がない道理など存在しないのだ。
術式は、正しく起動した。魔力の流れが霧散し、空間に残っていた反応がゆっくりと消えていく。成功だ。そのはずなのに、胸の奥にわずかに空白が残る。――それでも結果は変わらない。無事術は発動したのだ。
窓に映った自分を見て、無意識に目を細めた。紫の瞳は、いつもと変わらない。銀色の髪も、色だけなら同じだ。ただ――短い。肩にも届かない長さで、不自然なほど揃っている。転がっている死体の胸元に、切り落とされた銀髪が静かに乗っている。覚悟はしていた。だからだろうか。髪を失った、という実感はなかった。
術式の余韻が完全に消えるのを待つ。これで十分だ。時間はない。僕は窓へ向かった。
窓の外、欄干から手を伸ばし魔力の流れをなぞる。結界の縁は近い。そこを越えれば、追跡用の術式は薄くなる。神殿の結界は厚いが、完全では無い。人の出入りを想定した縁がある。街灯の数、巡回の気配、足音。問題はない。
欄干に片足を掛け、息を殺す。落下の瞬間、足裏にだけ魔力を集中させた。落下の衝撃が削がれ、地面に触れた感覚だけが残る。音は、出なかった。
神殿の裏手は暗い。手入れの行き届いていない庭と、使われていない水路がある。人の気配はない。ここを選んだのは正解だった。視線を感じないことを確認してから、ローブを深く被ったまま移動する。
街へは向かわない。人の中に入れば、いずれ誰かに気づかれる可能性が増える。神殿の外縁に沿って進む。市街地から離れるほど、魔力の流れは粗くなるだろう。追跡術式には不向きだ。
一度だけ、足を止める。魔力をわずかに乱し、意図的に痕跡を残した。気づかないかもしれない。けれど、もし気づいたのなら街の方を探すはずだ。きっと、人に紛れたのだろう、と。




