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【050/1000】 洋館のメインダイニングと、饗宴の終わり


【投稿記録:No.050】

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

 Photo Filter: “Royal_Gothic”

 Caption:

 今夜は、特別な記念日。

 豪華なダイニングで、

 二人だけの饗宴を。

 運命が私たちを分かつまで、

 この贅沢な時間を

 一秒もこぼさず味わいたい。

 乾杯、愛するあなた。

 私たちの1000ページは、

 ここからが本番だから。

 #ディナー #記念日 #メインダイニング #洋館 #祝祭

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


 1000枚という気の遠くなるようなカウントダウンの、最初の5パーセントを刻む節目――第50枚目の舞台として灰次が選んだのは、この洋館の権威と虚飾の心臓部ともいえるメインダイニングだった。見上げるほど高い天井からは、数千個のクリスタルが連なる巨大なシャンデリアが、まるで無数の死んだ星々が凍りついたまま吊り下げられているかのように、冷徹な光を放っている。十数人は着席できるであろう長大なマホガニーのテーブルには、家紋が刻まれた最高級の銀食器と、薄氷のように繊細に磨き上げられたクリスタルのワイングラスが、狂気を感じさせるほどの等間隔で整然と並べられていた。しかし、その豪奢な器の上に供されているのは、祝祭の喜びとは無縁の「腐敗の標本」である。数日前にどこからか調達され、撮影のためだけに配置された肉料理は、すでに不快な脂が白く固まって表面を覆い、添えられたガルニチュールは黒ずんで萎び、見るも無惨な姿を晒している。銀のトレイの上で放たれるのは、食欲をそそる香りではなく、閉じられた空間に充満する、死んだ時間の嫌な甘い匂いだった。

 灰次は、テーブルの末端、主賓席に重いシルクのドレスを纏った依織を座らせ、自分はその向かいに座るのではなく、死刑執行人のような距離感で彼女の真横に立った。彼は彼女の、寒さと極度の緊張で感覚を失いかけた右手に、赤黒い液体が半分ほど注がれたワイングラスをなかば強引に握らせた。彼女の指先が微かな振動を漏らすたび、灰次は自らの冷たく細い指を彼女の手首に添え、鉄の枷のように固定する。天井からのシャンデリアの幾千もの乱反射が、依織の陶器のような顔に網目状の不気味な影を落とし、彼女を「美しき囚人」として、あるいは「生きたままの剥製」として完璧に演出していく。スマートフォンの画面という小さな窓の中では、埃と悪臭に満ちた沈黙の食卓が、世界のどこよりも贅沢で、誰からも羨望される「永遠の晩餐」へと、鮮やかに書き換えられていった。

 「『運命が私たちを分かつまで』……。ねえ、灰次。運命なんて、そんな意志の介在する言葉、この場所のどこにも落ちていないわ。ここにあるのは、あなたの編集という名の、出口も窓もない永劫の監禁だけ。この重すぎる銀食器の冷たさ、この固まった脂が放つ吐き気がするような腐敗臭、それこそが、私たちが今吸い込んでいる剥き出しの現実なのよ。一体、誰に向かって乾杯なんて言っているの? グラスの中にあるのは、喉を焼くような安酒か、あるいは私を物理的に黙らせるための薬かもしれないのに。これでまだ50枚目……。あと950回も、この死のままごとを、この茶番劇を繰り返さなきゃいけないの? 祝祭のふりはもうやめて、お願い。この頭上のシャンデリアが今すぐ落下して、すべてを、私のこの醜い期待も絶望も粉々に砕いてくれたら、どんなに救われるかしら」

 依織が、コルセットで締め上げられた胸の苦しみに耐えながら、脂の浮いた皿の上の「死体」を凝視して囁いた。彼女にとって、この饗宴は空腹を満たすものではなく、内なる「飢え」を暴力的に助長するだけの空虚な儀式だった。灰次が提供する「贅沢な時間」の正体は、彼女の五感を一つずつ丁寧に剥奪し、視覚という単一のチャンネル、すなわち彼のスマートフォンのレンズの中にのみ彼女を閉じ込めるための、感覚の断頭台だった。彼女は食べることさえ許されず、ただ「食べる幸せ」を演じるための記号として、そこに置かれていた。

 「50枚目という数字は、ひとつの重要な節目だ。このメインダイニングは、社会的な承認と、人間が積み上げてきた虚飾の頂点。ここで我々は、日常という低俗で雑多な領域を完全に脱出し、聖なる心中へと至るための『儀礼的な階段』をまた一歩上るんだ。依織、君が今感じているその強烈な吐き気や不快感こそが、君がまだ『生』という不純な執着に未練を残している何よりの証拠だ。この冷え切った食事、機能しなくなった食卓こそが、時間が止まった楽園の正しい姿なんだ。物質は、食べ物としての機能を失い、純粋な『意匠』としての死を手に入れたとき、初めて完成される。乾杯の相手は私ではない。君の輝かしい死を、発光する画面の向こう側で涎を垂らして待ち望む、数万人の空虚な眼差しだ。彼らの期待という名の祝杯を、その細い喉に流し込め。君がこの耐え難い沈黙に耐えれば耐えるほど、この饗宴の価値は、我々の心中という作品の純度は、飛躍的に跳ね上がる」

 灰次は、グラスの冷たい縁に付着した、依織の鮮血のような紅いリップの跡を、最も扇情的に、かつ彼女の「汚しきれない聖性」を強調するような角度で捉えた。彼にとってこのダイニングは、生命を養い、対話を深める場所ではない。生命を「消費される物語」という名の安価な商品へと加工し、血を抜いた供物として皿に盛り付けるための、巨大な祭壇に過ぎなかった。

 「ねえ、灰次。1000枚目が終わるとき、その最後の晩餐には何が出るの? その時、あなたもようやくカメラを置いて、私の向かいの席に座ってくれる? それとも、あなたは最後まで、私の死にゆく瞬間さえもシャッターチャンスとしてしか見ないのかしら。私が独りで飲み干す『終わり』という名の毒を、あなたは最も美しい構図で、最も美しいフィルターをかけて、誰かに届けるために撮影し続けるの?」

 「最後の一枚において、椅子は一つでいい。君という、私によって完成された至高の作品を、私が完璧な構図で宇宙のアーカイブへと放流する。その一瞬の奇跡のために、私はこの指を、このレンズを動かし続ける。さあ、もっと幸せそうにしろ。絶頂の淵に立ち、そこから飛び降りる直前の悦びに満ちた顔を見せるんだ。この豪華な洋館のすべてを、その小さな胃袋で飲み干したような、傲慢で悲劇的な王妃の微笑みを。その刹那の輝きこそが、これから積み上げる950枚の空白を埋める、唯一にして正当な理由になる」

 灰次の無機質で無慈悲な称賛に煽られ、依織はゆっくりと、引き攣るような笑みを口角に浮かべた。シャンデリアの冷酷な光が、彼女の瞳の奥で銀色に爆発する。その微笑は、自らの処刑台を「唯一の王座」であると盲信しようとする、狂気の淵に片足を突っ込んだ者の、異様な輝きを放っていた。

 パシャリ。

 フィルター“Royal_Gothic”が適用されたスマートフォンの画面の中では、悪臭漂う冷え切ったメインダイニングは「歴史ある洋館の静寂の中で、永遠の愛を誓い合う高貴な二人のプライベート・ディナー」へと鮮やかに、そして完璧に偽装された。依織の吐き気による顔の強張りは「抑えきれない高揚による熱い情動」へと変換され、彼女の華奢な体を縛り付ける銀食器の冷たい重みは「伝統と格式ある愛の証」へと、美しく、そして致命的な欺瞞をもって書き換えられた。そこには、彼女の胃を無慈悲に締め付ける空腹感も、灰次の瞳の奥底に常に宿っている、依織を「最高級のジビエ」として、あるいは「消費されるべき情報」としてしか見ていない、冷徹な捕食者の視点も、記録されることは決してなかった。

 「五〇枚目。……通過点に過ぎないが、この『饗宴の終わり』という劇的な演出が、ネット上の観測者たちの飢餓感をさらに煽るだろう。彼らは今、我々の結末というメインディッシュを、我々の破滅という名の甘美なデザートを、渇望して待っている。我々の心中は、もはや公共の財産だ」

 灰次が投稿ボタンを事務的に、無機質にタップし、役目を終えたワイングラスを依織の手から奪い、テーブルに無造作に置いた。

 「ここからが本番……。ああ、そうね。もうお腹はいっぱい。あとは、いつ、どうやって、ゴミのように片付けられるのかを待つだけ。ねえ、灰次、次は何を食べるつもり? 私のなけなしの心? それとも、まだ少しだけ残っている、私のこの惨めな尊厳?」

 依織は、誰も座っていない向かいの席、ただ空っぽの椅子だけが置かれた沈黙の空間を見つめたまま、消えかけた蝋燭が吐き出す細い煙を、自身の最後の呼吸であるかのように静かに吸い込んだ。

 あと、九百五十枚。


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