表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

31/65

【031/1000】 洋館のサンルームと、偽りの日光浴


【投稿記録:No.031】

┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

 Photo Filter: “Sunny_Afternoon”

 Caption:

 サンルームで日光浴。

 柔らかな陽光を浴びながら

 二人でまどろむ昼下がり。

 光に包まれていると、

 悩みごとも全部溶けていくみたい。

 今日も温かい光に、ありがとう。

 #日光浴 #サンルーム #スローライフ #光のシャワー

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


 洋館の南側に、病的な突起物のように突き出したサンルームは、何百枚もの薄いガラス板によって外部と隔てられた、巨大な透明な標本箱のような空間だ。かつては異国の珍しい極彩色の植物が、湿度を帯びた空気の中で誇らしげに繁茂していたであろうそこは、今やひび割れたタイルと、熱を失って石のように白化した土が詰まったテラコッタの鉢が整然と並ぶ、無機質な「透明な廃墟」と化していた。窓の外から差し込む冬の低い午後の光は、ガラスの表面に長年蓄積した埃と、鱗状にこびりついた雨水の汚れに不規則に乱反射し、純粋な透明さを失っている。それは白く、どこか膿を含んだような不透明さを伴って、霧のように室内に降り注いでいた。

 灰次と依織は、塗装が剥げ、錆びついたアイアンフレームの長椅子シェーズロングに、亡霊のように並んで腰を下ろしていた。頭上から降り注ぐ「光のシャワー」は、キャプションが語るような生命を育む柔らかな温かさなど一分も持ち合わせてはおらず、むしろ二人を逃げ場のない標本箱に閉じ込め、その内面に潜む欠陥や腐敗の兆候を、隅々まで容赦なく照らし出す鋭利なスポットライトのように無慈悲だった。灰次は、スマートフォンの高性能な露出計を凝視し、光の飽和(白飛び)を利用して依織の顔からあらゆる「人間的な影」を消し去るための、冷徹な光学計算を脳内で行っていた。

 「『悩みごとも全部溶けていく』……。ねえ、灰次。この不自然な光を浴びるたびに、本当に溶けて消えていくのは、実体のない悩みなんかじゃなくて、私の肉体そのものの方だわ。この骨まで透かすような強い光に晒されていると、自分の輪郭が少しずつ削り取られて、そのまま希薄な空気の中に蒸発してしまいそうな恐ろしい錯覚に陥るのよ。温かいなんて、よくもそんな残酷な嘘が書けるわね。この光は、私たちを優しく包んでいるんじゃない。ただの枯れ葉や押し花にするために、私たちの内側にある最後の一滴の湿り気まで、執拗に乾燥させようとしているだけよ」

 依織が、眩しさに耐えかねて目を細めながら、一切の熱を持たない、掠れた吐息のような声で呟いた。彼女の肌は、透過した光を浴びて半透明な陶器のように白く、その下を流れるはずの血の気を感じさせない。彼女にとってこのサンルームは、心を癒やす日だまりの聖域などではなく、外界からの視線を反射して内側の醜い腐敗を隠蔽し、同時に逃げ出そうとする魂を焼き切るための「透明な壁」に囲まれた処刑場に過ぎなかった。

 「もし君の実体が溶けていくのであれば、それは情報の純化として、むしろ歓迎すべき事態だ。影とは不確定要素の塊であり、画面を閲覧する観測者に対して余計な深読みや、不要な同情を許す有害なノイズになる。この過剰なまでの露出設定ハイキーによって、君の眉間に刻まれた苦悩の皺も、その瞳の奥に澱んでいる絶望の陰影も、全ては『圧倒的な幸福の輝き』という名の白い光の奔流の中に埋没し、抹消される。我々に物理的な熱量や体温は必要ない。必要なのは、画面全体が『神聖な光に愛されている』という揺るぎない視覚的な確信だ。悩みも、忌まわしい記憶も、そしてこれから犯す罪も、このデジタルな白飛び(ホワイトアウト)の中では、もはや存在を許されないんだ」

 灰次は、依織の死んだような瞳の中に、人工的な小さな光のキャッチライトが宿るように、スマートフォンの角度をミリ単位で、精密機械のような手つきで調整した。彼にとっての太陽光は、感謝すべき自然の恵みなどではなく、被写体の情報を都合よく漂白し、書き換えるための、安価で暴力的なまでの「視覚的洗浄剤」に過ぎなかった。

 「ねえ、灰次。このままもっとレンズの感度を上げて、光を強くしたら……私たちのこの嘘と泥にまみれた人生も、全部真っ白に消えてなくなるかしら。最後に残るのは、あなたが投稿した一〇〇〇枚の、魂の抜けた美しい画像データだけで。私たちは最初からこの地上にいなかったことに、ただの光学的バグだったことになる。それが、あなたの目指している『完璧な完成』なの?」

 「我々がいなかったことになるのではない。不完全な『我々』が、『完成された幸福』という絶対的な抽象概念に置き換わるんだ。肉体という、いずれ醜く腐敗し、重力に負けて崩れる欠陥だらけの物理媒体を捨て、永遠に劣化することのない不変のビット列へと昇華される。それこそが、有限の命を持つ人間にとっての究極の救済だ。さあ、まどろむように、安らかな夢を見ている子供のように目を閉じろ。幸福な夢の断片を、網膜の裏側に焼き付けている演技をするんだ」

 灰次の静かな、しかし拒絶を許さない指示により、依織はゆっくりと、重い瞼を閉じた。彼女の睫毛が、透過した光を乱反射して細い金色の糸のように、美しく輝く。その姿は、あまりにも静謐で、あまりにも死という概念に近い完成された美しさを湛えていた。それは生きている者の休息ではなく、永劫の眠りにつく直前の、最後の一瞬を切り取った絵画のようだった。

 パシャリ。

 乾いた電子的なシャッター音が、何百枚ものガラスに反響し、密閉されたサンルームの空気をかすかに震わせて消えた。

 フィルター“Sunny_Afternoon”が適用された瞬間、埃っぽく、冬の冷気が入り込んで冷え切ったサンルームは「天国から降り注ぐ至高の光に祝福された、この世の果ての至福の休息地」へと、劇的に、そして残酷に偽装された。依織の拒食的に細くなった指先は「光に透ける繊細で儚い美」へと変換され、彼女がその内側に抱える窒息しそうな閉塞感は「穏やかなスローライフがもたらす、深い精神的静寂」へと美しく、徹底的に書き換えられた。そこには、ガラスの割れ目から忍び込む冬の凍えるような隙間風も、灰次の瞳の奥底に宿る、あらゆる色彩と感情をグレースケールの数値としてしか捉えない、絶対零度の冷徹な視線も、記録されることはなかった。

 「三一枚目。……光のコントロールによる情報の剥離は完璧だ。回を追うごとに、君の存在感もいい具合に希薄になり、背景の光へと溶け込み始めている。実に理想的な推移だ」

 灰次が投稿ボタンを無機質にタップし、再びスマートフォンを上着のポケットに、冷たい感触を伴って収めた。

 「希薄……。ああ、そうね。もう自分の指先さえ、自分を動かす意志さえ、自分のものではないみたい。私はただ、あなたのレンズに映るためだけの、光を反射し、透過させるだけの透明な物体になっていくのね。一〇〇〇枚目に辿り着く頃には、私はきっと、一筋の光さえ通さない、底なしに深くて重い、真っ黒な影になっているんでしょうね」

 依織は、薄い日光の下で、自分の手のひらをそっと透かして見た。指の隙間から溢れ出し、彼女の輪郭を削り取っていく光は、もはや彼女を温めることはなく、ただ彼女の存在の境界線を曖昧にし、この世界から少しずつ消去していくだけだった。

 サンルームの外では、冬の低い太陽がゆっくりと、しかし確実に地平線へと傾き、庭の枯れ木の影が、歪な指のようにサンルームの床を浸食し始めている。

 「ありがとう」という名の、あまりにも虚ろで、あまりにも残酷な感謝の言葉によって、彼らの魂はまた一歩、確実な消滅へと引き寄せられていく。

 心の中の沈殿物は、強すぎる光に焼かれて白く、脆く、粉々に砕け散りながら、二人の肺の奥底に静かに、そして逃れようのない致死的な重さで、降り積もり続けていた。

 あと、九百六十九枚。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ