明け方の神域
夜明けが近かった。
黒色の遮光カーテンの隙間からは太陽がまだ登っていない朝の光が漏れている。枕元に置いていたはずの目覚まし時計が見当たらないな、貴方がそう思いながらベッドの上にぼうっと座っていると、外が騒がしいことに気づく。これは、風だ。窓がガタガタと揺れる音がカーテンの向こうから聞こえてくる。部屋の薄暗さとは対照的に不吉な音だった。このような音が聞こえるくらいなら、いっそ開けてしまったほうが良いなと貴方は思い、窓の前まで歩いてゆき、カーテンを開ける。
部屋が青い光で満たされ、心地よさを感じる。そのまま、朝の静寂を脅かす風の正体を確認しようと貴方は窓を開けた。
……全てを吹き飛ばしてしまいそうなほどの風と共に、何か大量に白いものが部屋の中に入ってくる。貴方がそれを桜の花びらだと気づくのに時間は必要なかった。風の音は先ほどよりも激しくなっている。激しくなるにつれ、桜の花びらが部屋に入ってくる数も増える。貴方に動揺はない。これこそ花吹雪だな、そう思いながら部屋に舞う桜をじっと、ただ眺めている。
夜明けが近かった。
黒色のカーテンの隙間からは太陽がまだ昇っていない朝の光が漏れている。貴方が枕元の目覚まし時計を見ると、時刻は午前4時36分を示していた。風ひとつない朝で、部屋はしんと静まり返っていた。激しさの後こそが本当の静けさなのだと、春の夢は貴方に教えてくれる。
貴方は夢と同じように窓の前まで歩いていき、カーテンを開き、窓を開ける。月がまだ出ていて、冷たくて青白い光が街を包んでいる。完全に緑になってしまった桜の木を見ながら、貴方はなぜあんな夢を見たのかを考える。貴方は考えても仕方がないことを考えるのが好きだけれど、家の前にある自動販売機の光が眩しかったので窓を閉めて一階へ降りることにした。
薄暗くて涼しい早朝の家の中が、貴方はたまらなく好きだった。
目覚まし時計が設定している時間よりも2時間ほど早いこの時間。誰にも邪魔されず、何にも急かされることのない夜明け前の神域。この時間が一生続けば良いのにと考えながら、階段を降りる。階段を降りてすぐの突き当たりの壁には姿鏡が置かれていて、貴方は自身の顔を見る。目覚めたばかりの腫れた目をしていた。なんて酷い顔と思って眺めていたが、後ろに映る棚の上に置かれた花瓶の花が枯れているのに気がついて、貴方は振り返った。緑青色の花瓶に刺された白い花(貴方はその花の名前を知らない)が、力無く項垂れていた。近々、母親が捨ててしまうのだろうなと少し寂しく思いながら、貴方はリビングルームへと向かう。
秒針の音が鮮明に聞こえる。窓だけが青白く、部屋の中はほとんど何も見えないが、貴方は電気をつけない。神域に人工的な灯りは必要ないから。貴方が目を凝らして時計を見ると時刻は4時37分。目を覚ましてからずいぶん長い時間が経ったと思っていたが、神域は時間の進みが緩慢であることを思い出した。喉が渇いていたので、貴方はキッチンに向かい、蛇口から水を出す。乾ききっていたシンクが再び水に濡れ、本来の姿を取り戻す。静かすぎたためか、水の音が耳に響くほど大きく聞こえた。少しだけ嫌な気分になる。
コップ一杯の水を飲み干すと、再び自室へ向かう貴方。その途中、もう一度鏡を眺める。貴方は目の前に映る自分に向かって「おはよう」と言ってみる。目の腫れは取れていなかった。
自室に戻ると、貴方は遮光カーテンを再び閉じて、部屋を極限まで暗くする。そうしてベッドに戻り、深いため息を吐く。次に目が覚める時は、心地の良い、薄暗い朝ではなく、目覚まし時計に起こされるパキパキとした不快な朝だ。もう少しだけ神域を楽しもうと、貴方は寝転びながら天井を眺める。今年も夏が来るのか、と考えながら意識が微睡んでいくのを感じる。さっきの夢の続きを見れたら良いなと、貴方は願ってみる。
夜明けがもう、すぐそこまできていた。
共感してくれる方、いないでしょうか……。




