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カンヅメ  作者: 鈍器ゴング
第一章
7/14

Episode6:屋上からの影

空の色は、どこか春の気配を孕んでいた。

とはいえ空気はまだ刺すように冷たく、夜は吐いた息すら白く染まる。

ホームセンターの屋上から見下ろす町並みは、すっかり静まり返っていた。


優希は、風よけ代わりに立てたパレットの隙間から身を乗り出すようにして、曇天を仰いだ。

この場所に来てだいたい3週間。パンデミックの混乱から逃げ込むように、無人のこの建物に籠もり、ただ生き延びるためだけに日々を過ごしてきた。


備蓄は、まだある。缶詰、乾物、レトルト食品……。

でも減る一方の食料は、数そのもの以上に「不安」を呼び込む。

何より、“消費するだけ”の暮らしは、死ぬまでのカウントダウンを眺めているようだった。


「――やっぱり、陽が当たる場所で育てた方がいいよな……」


室内でライトを使って育てていた葉物の小菜園。

それだけじゃ足りない。見た目も味も心細く、何より、植物がまるで“生きてる”感じがしなかった。


ここに来てから、何度か屋上には出ていた。ソーラーパネルの位置調整や点検のためだ。

感染者の姿は上から見る限りないが、それでも外に出るのは心がすり減る行為だった。


優希は大きく息を吐く。冷たい風が喉に刺さる。

でも、それでも……。


「ここで育てられたら、きっと……何かが変わる気がするんだよな」


彼は、足元に置いたスコップを握った。


最初の一日は、調査と準備だった。


幸いにもホームセンターの園芸コーナーには土もプランターも一通り揃っていた。

腐っていない腐葉土や有機肥料。ビニールシート、金網、防鳥ネット。


「全部、あるじゃん……なんで、もっと早く思いつかなかったんだろ」


階段を使ってプランターや土袋、簡易バケツを一つひとつ運ぶ。途中で何度も休憩を挟み、水のペットボトルで喉を潤す。足は重くなり、腕には土袋の擦れ跡が赤く残った。


屋上の一角に、風よけのための板を立て、そこを中心にプランターを並べていく。風に飛ばされぬよう、重石代わりにコンクリートブロックを配置する。



作業しながら、自分の指先に土の感触が戻ってくる。

「何かを生み出す」感覚。植物の種を手に取ると、それだけでほんの少し胸が温かくなった。


でも、それは同時に――。


(誰かと、分かち合いたいな……)


そんな気持ちも呼び起こしていた。

この手のひらの中にある、小さな希望。

それを誰かと語り合えたら。笑ってくれたら。驚いてくれたら。


そんなふうに思ってしまう自分が、少し怖かった。



---


二日目から三日目にかけて、作業は徐々に形になっていった。


ラディッシュ、トマト、バジル……比較的発芽の早い種を優先して植え付けていく。プランターの底に穴をあけ、水はけを確保する。雨除けのために透明ビニールで覆う小さな簡易温室も作った。


問題は水の運搬だった。


「こんなに重かったか、水って……」


階段を何往復もして、水を運び上げる。節水のために雨水タンクの設置も検討し、余っていた大型のポリバケツを固定する。防災コーナーに残っていた濾過シートを使い、簡易な雨水ろ過装置もつくった。


優希は、作業の合間に周囲を見回すことを怠らなかった。


感染者の気配。 生存者の気配。


どちらも、今のところない。


しかし、それがいつまで続くかはわからない。


——だからこそ、備えるしかなかった。



---


四日目。


屋上で作業していた優希は、ふと何かの気配を感じて、手を止めた。


風ではない。


太陽が雲間から顔を覗かせ、地上の風景にコントラストを落とす。


優希は屋上の縁に近づき、慎重に身を伏せながら視線を地上に向けた。


そこには、何かがあった。


人影のようなものが、ホームセンター裏の資材置き場の陰に蹲っていた。


「……ッ」


思わず息を呑む。距離があるため詳細は見えない。だが、確かにそれは動いた。


——感染者か?


優希は急いで屋内に戻ると、足音を立てないように階段を駆け下りた。いつものように店内は静かで、鳴子も鳴っていない。


裏口の鍵を手に取り、バールを手にする。


「……処理するしか、ないか」


冷や汗がにじむ。けれど、この状況で見逃すわけにはいかない。感染者が潜んでいれば、夜のうちに襲われる可能性もある。


裏口のシャッターを静かに開け、隙間から外に出る。慎重に、ゆっくりと物陰に近づく。


視界がはっきりしてくるにつれ、その『影』の正体が見え始めた。


人だ。


……女の子。


髪は肩に届かない程度で乱れ、腕には擦り傷。服は泥と血にまみれている。シルエットの出にくい大きめのシャツの上からでも肩から胸元にかけてのラインが膨らみを帯びており、女性的な輪郭が浮かんでいた。年齢は自分より少し上か、同じくらいに見える。栄養状態は悪いが、明らかに成長を終えた体つきだった。


一瞬、警戒と戸惑いが交錯する。

けれど、その胸が小さく上下しているのを見た瞬間、優希の中で何かが決定的に切り替わった。


「……生きてる?」


声をかけると、微かに身じろぎが返ってきた。


「っ……」


体が震えている。目は閉じたまま、唇だけがわずかに動いた。


「……たすけ……」


かすれた声。意識は朦朧としているが、明確な意思を感じた。


その言葉で、優希は迷いを断ち切った。


——誰かの命を救う。


その重みを、彼は知っていた。


「わかった、動かないで……今、連れて行く」


両腕を肩に回し、慎重に背負う。軽い。骨ばっていて、体温は異様に高い。感染者の熱とは質が違う。呼吸が苦しげで浅く、不規則だったが、目の焦点が合っていなかったことからして、高熱と脱水症状のせいだと直感した。


——人間だ。まだ助かる。


ふいに、彼女の手が優希の服を弱く掴んだ。


(どうして、こんな場所に……)


疑問が頭をよぎる。


だが、それにも仮説はすぐに浮かんだ。


資材置き場の周囲には、金属製の棚が密集していた。死角が多く、外から目立たない。おそらく彼女は、意識がまだあるうちにそこを“隠れ場所”と判断して入り込んだのだ。物陰の奥へと這い、身体を隠して、誰かの目に留まるのを――もしくは、自分が感染していないかが判明するまで、ただ震えながら待っていた。


それでも、限界だった。


最後の一歩で、彼女はここまで辿り着き、崩れ落ちたのだ。


この建物に灯る小さな明かりを、彼女はどこかで見ていたのかもしれない。


わずかな希望にすがって――。


優希は、誰もいないホームセンターの裏口へと、少女を連れて戻った。



---

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