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カンヅメ  作者: 鈍器ゴング
第一章
18/18

Episode17:新しい武器

倉庫に差し込む朝の光が、棚と棚のあいだに柔らかな斜線を落とし、舞い上がった埃の粒を金色に染めていた。静けさは、まるでこの空間が別の時間軸に隔離されたかのようだった。



鋼音は、その静寂の中にいた。すでに動き出しており、資材売り場の最奥に並ぶ木材の山を一枚ずつ手に取り、光に透かしては丁寧に戻していた。目を細めて木目の走り方を読み取る。

節の入り方、繊維の方向、年輪の詰まり具合……彼の視線は、まるで骨を透かし見る医者のように精密だった。



最初に手を伸ばしたのは、工具棚の奥に保管されていた一挺のネイルガンだった。電動式のエアツール。これを改造すれば、静音で高威力な狙撃武器に化ける可能性がある。

彼はしばらくそれを分解し、構造を確かめていた。だが、コンプレッサーの加圧構造、電源ユニットの交換、トリガーの再設計……ひとつひとつが現状の設備では再現できない。溶接も、精密なバランス取りも、この場にはなかった。



鋼音はわずかに目を細め、そのままネイルガンを静かに棚に戻した。そして、無言で木材置き場へと向かった。



手にしたのは、ホワイトオークの無垢板。力を加えても撓みにくく、しかししなりの回復も鋭い——狩猟弓の素材として申し分ない。表面を軽く爪でなぞる。コン、という硬い音。その手つきに、わずかな迷いもなかった。



彼の頭の中で、戦闘用具の選定は常に「再現可能性」から始まる。どれだけ威力があろうと、再生産ができなければ意味がない。ネイルガンの改造は自分の技量だけでカバーできる範疇を超えている。



だが弓ならば、素材の選定から仕上げまで、全工程を自分の手で管理できる。それは、鋼音にとって数少ない「確実に勝てる」道だった。



選ばれた板はそのまま脇に立てかけられ、次は金属の棚へと向かう。鋼音は、建材用に保管されていた金属補強材の束を無言で探っていく。アルミニウム製のL字アングル。表面に酸化皮膜ができているが、まだ強度は生きている。彼は指先で端を持ち上げ、わずかに捻ってみせた。金属特有の軋む音が空気を裂く。それを耳で聞くというより、感触として「読む」。



鋼音にとって素材の選定は、すでに戦闘行動の一部だった。敵の動きを読むように、木の繊維の流れを読み、金属の癖を見抜く。その手際には美しさすらあった。正確に道具を選び、静かにそれらを移動させていく。その一連の動作に、無駄な音はひとつも生まれなかった。



作業台に素材を広げたその時、背後に人の気配が立った。



「……手伝いますか?」



優希の声は控えめだった。だが、しっかりとした芯もあった。



鋼音は返事もせずに鋸を手に取り、木材に目印をつけ始めた。定規も使わず、目視だけで寸法を測るその手つきに、優希は思わず見入る。ようやく返ってきた言葉は、そっけない一言だった。



「いらん」



冷たいわけではなかった。ただ、他者の介入を前提にしていない、それだけの応答。優希は少し肩を落としかけたが、その直後、不意に鋼音が呟いた。



「……教えてやるつもりはないが。見て真似する分には構わん」



その言葉は、彼にしては珍しく感情の綾が滲んでいた。「教える」ことへの照れと、「見るなら見ろ」という不器用な懐の開き。それは、拒絶ではなかった。優希はわずかに目を見開き、すぐに頷く。



工具棚から鋸とヤスリを持ち出し、空いた作業台に自分の材料を並べる。彼の目は、鋼音の手元に釘付けだった。



鋼音はホワイトオークの板に鉛筆で粗いラインを引く。曲線ではなく、分割して曲げ加工するためのガイドライン。鋸で慎重に切れ目を入れていく。その動作が、いつもより遅いことに優希はすぐ気づいた。



――わざとだ。



彼は、見せているのだ。作業の流れを。工具の角度、力の入れ方、木材が割れないための刃の深さ。すべてが「言葉のない教示」として目の前に並べられていた。



「……」



優希は無言で鋸を構え、見様見真似で切れ目を入れていく。思ったよりも木が硬く、刃が滑る。額に汗が滲んだ。少しでも力の方向がズレれば、木は裂けてしまう。それを、鋼音は見ていた。



次の瞬間、鋼音は自分の木材をもう一度回転させ、先ほどと同じ動作を繰り返した。今度は少し大きく刃を振り、わざと音を響かせるようにして。なぜ自分の作業を繰り返したのか――優希はすぐに理解する。



(……さっき、俺の手が止まったのを見て……)



それだけで、胸の奥が少し熱くなる。鋼音は教えない。でも、見捨てもしない。



次は加熱処理。切れ目を入れたリム部分を、簡易ヒーターの上であぶる。木材の繊維がじわりと緩む瞬間を逃さず、鋼音は厚手の革手袋で形を整える。リムが滑らかな曲線を描き、手の中で弓の原型になっていく。優希も手元の小型バーナーで、恐る恐る加熱を試みた。が、木材が黒ずみ始め、焦げ臭い煙が上がる。



「くそっ……」



思わず舌打ちしたそのとき、鋼音の動きが止まり、再び「正しい加熱の仕方」をもう一度なぞるように見せてくれた。



午後になった頃には、ふたりの作業台には、それぞれ異なる表情を持つ弓の原型が並んでいた。



鋼音の弓は無骨で、効率を突き詰めた造形。殺意を内包したような直線と曲線が混ざり合い、使い手の癖まで考慮されたような仕上がりだった。



一方、優希の弓は不器用な手つきの跡が随所に残るが、ラインは丁寧で、素材を活かそうとする気持ちがにじんでいた。まだまだ荒削りだったが、それでも「弓としての形」は確かに立ち上がっていた。



そしてふたりは、それぞれの弓を前に、ほんの短い沈黙を共有した。



その沈黙は、教える者と学ぶ者の間に生まれる、ある種の尊敬と集中の静寂だった。





---


夕暮れ。

資材置き場には、乾いた木の香りと、鉄粉のざらついた匂いが静かに広がっていた。湿り気を帯びた空気が、昼間の熱をほんのりと残しながら、工具と資材の隙間を通り抜けていく。



その空気を、ふわりと揺らすように、すみれの声が届いた。



「ごはんできたよー。今日のはちょっと頑張った!」


従業員の休憩室を利用した食堂に赴けば、食卓の上に小さなランプが温かな灯で出迎えてくれた。

皿の上には、レトルトカレーに細かく刻んだツナ缶が混ぜ込まれ、乾燥パセリが緑の彩りを添えていた。隣には乾パンを使用した香ばしく焼かれたガーリックトースト。すべて保存食だが、組み合わせとひと手間でどこか“家庭”のぬくもりが感じられる食事だった。



鋼音は、静かにスプーンを取り、口に運ぶ。

咀嚼の音さえ聞こえないほどの静寂の中で、彼はしばらく黙っていた。食べて、味わって、何かを確かめるように目を伏せ――やがて、ぽつりと呟く。



「……手の込んだ料理を食うのも、悪くない」



それだけだった。

だが、その声の低さが、かえって本音のように響いた。



「ほんとに美味しいよ、すみれさん」


「ふふっ。あ、カレーにもちょっとだけニンニク入れてみたんだ」


優希とすみれは顔を見合わせ、小さく笑った。

無骨でぶっきらぼうなその言葉の奥に、確かに感謝と満足が滲んでいたからだ。



夕食を終え、仄暗い倉庫の空気に戻った優希は、自分の弓を手に持った。

その木の表面をなぞるたびに、昼間の作業の記憶が掌に甦る。ぎこちなくても、自分の手で削り、張り、形にしたという感触。まだ完成とは言えないが、それでもこの手で「道具」を作ったという実感が、胸の奥にじんわりと残っていた。



もう一度、鋼音の元へ足を運ぶ。



「……仕上げ、一緒にやっていいですか?」


声をかけると、鋼音はわずかにこちらを見て、それから無言で頷いた。



言葉はいらなかった。許されたことを、優希は理解していた。



並んで腰を下ろし、それぞれの弓に最後の仕上げを施していく。

弦のテンションを細かく調整し、握りの部分には革を巻きつけ、滑車の引き戻しを繰り返し試す。どの工程も簡単ではないが、不思議と苦ではなかった。



(作ってるんじゃない。戦えるようになっていくんだ)



沈黙がふたりのあいだに落ちる。けれどそれは、重くない。

昼間とは違っていた。硬さや緊張が抜けて、代わりにほんのわずかな連帯感――「並んでいる」感覚があった。



師と弟子。

そういう関係でもない。もっと、曖昧で、不器用な「並び方」だった。けれど確かに、同じ方向を見ている気がした。



そのとき、ふわりと甘い香りが漂ってくる。



作業場の奥。手元に小さな湯気の立つマグカップ。すみれがそっと置いていったものだった。



「おつかれさま。甘すぎないやつ、ね」



それだけを言って、微笑んで去っていく。

背中にはどこか、安心しきったような柔らかさがあった。



鋼音はそのマグを片手に持ち、鼻先を少し近づけるようにして香りを確かめ、ひとくちだけ口に含んだ。湯気越しに、わずかに眉が緩む。



優希もまた、手元の弓を見下ろしていた。

触れるとわかる、削った木の温度。しっかりとした弾力を持つ弦。自分がここに来たばかりの頃では、到底触れることすらできなかった「武器」が、今、確かにこの手の中にある。



(……俺も、少しは変われたのかな)



その小さな実感が、優希の胸の奥に温かく残った。



夜。屋上に出れば、頭上には星々が瞬いていた。雲一つない、静かな夜空。冬の寒さはなりを潜め、春の到来を感じさせた。



夜の空気を胸いっぱい吸い込み、吐き出す。

優希の瞳には新たな決意が宿っていた。



優希は鋼音の元を訪れ、迷わず言った。



「……見回り、手伝わせてください」



言葉は短く、しかし決意の込もった声だった。

鋼音は少しだけ目を細め、優希をまっすぐに見た。



そして何も言わず、ただそのまま歩き出す。



その夜の巡回。その静けさの中、ふたりの背中は並んでいた。

優希は、自分の弓を背に、鋼音と同じ歩幅で歩いている。



言葉はなかった。けれどその「並び」は、何より明確な答えだった。



これはまだ始まったばかりの、

けれど確かに踏み出された、「仲間」としての第一歩だった。



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