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カンヅメ  作者: 鈍器ゴング
第一章
14/20

Episode13:鋼の音

---


扉が開いた瞬間、空気が変質した。

 音すら震えるような、静けさの断絶。

 ホームセンターは、もはや自分たちだけの“安全地帯”ではなかった。


 


 「おお、見ろよ……これ、マジの宝の山だぜ」


 「水もある。タンクいっぱい! こいつら、いいとこ見つけやがって」


 


 3人の男たちが物資に歓声を上げながら侵入してくる。

 乱雑に缶詰を蹴散らし、棚の工具を手に取り、倉庫全体を「自分のもの」として嗅ぎ回る。


 


 「……酒もあるぞ。こりゃ祝杯だな」


 「ははっ、あのビビリども脅した甲斐あったな」


 


 男たちの目は、倉庫だけでなく、その隅に押しやられた人間にも向けられていた。

 ——すみれ。その胸元に、ひときわ貪欲な目が止まる。


 


 「……なんだ、このカラダ。……マジで、たまんねえな」


 


 男の手がすみれの肩に伸びる。彼女が硬く身をすくめたその時、優希が叫んだ。


 


 「やめろ!!」


 


 振り切るように立ち上がり、体当たりのように男へ突っ込む。

 しかし、拳が先に飛んだ。


 


 「ッ……!」


 


 殴打の音。頭蓋が軋む。視界が一瞬で反転する。

 床に叩きつけられ、息が詰まった。


 


 耳鳴り。歪む景色。血の味。

 動こうとするが、身体がまるで鉛のように言うことを聞かない。


 


 布が裂かれる音がした。

 すみれが黙ったまま、肩を抱えて震えている。

 口を噤んで、恐怖を閉じ込めていた。

 過去に受けた暴力の記憶が、彼女の目を曇らせていく。


 


 「やめろ……お願い、やめてくれ……!」


 


 喉が擦れて、声にならない。

 それでも、誰も止めない。

 誰も——いや、本当は自分が止めなければならなかったのに。


 


 (誰か……)


 


 その瞬間——空気が、変質した。


 


 耳鳴りが止んだ。

 代わりに、妙な沈黙が倉庫全体を支配する。

 まるで音そのものが空間から締め出されたような、不自然な静けさ。


 


 理由はわからない。ただ、確かに「何かが来た」と、全身が理解していた。


 


 すみれが、身じろぎもせず固まる。

 男たちも、動きを止めていた。

 その目が、倉庫の入口へと吸い寄せられる。


 


 優希も、痛む身体を引きずるように顔を上げ——見た。


 


 逆光の中に、ひとつの影。

 誰よりも静かで、誰よりも異質な存在。


 


 立っていたのは、ひとりの人物。

 黒ずくめのシルエット。

 ライダースーツに身を包んだ体のラインは細身だが、どこか獣のような重心の低さと、戦闘のために削ぎ落とされた身体のような緊張感があった。


 


 その手には、弓。

 黒いコンパウンドボウ。

 静かに引き絞られたその先に、殺意が張り詰めている。


 


 言葉もない。

 名乗りもない。

 ただ、構えているだけなのに、息ができなかった。


 


 ——誰なんだ。


 


 敵か、味方か。

 そんな言葉すら、この場には似つかわしくなかった。

 それは人ではなく、何か別の、もっと根源的な「力」のようにすら思えた。


 


 優希の胸がぎゅう、と締めつけられる。

 人を守るために来たなら、何故こんなにも、怖いんだ。


 


 すみれの肩がわずかに震えた。

 けれど、それは男たちへの恐怖ではなかった。

 彼女の目は、謎の男に釘付けになっていた。


 


 理解できなかった。

 でも、確かに“何かが終わる”と、誰もが直感した。


 


 この場にいる全員が、同時に悟った。


 


 ——この男は、殺すために来たのだ、と。


 


 そして、次の瞬間。


 


 弦が、音もなく放たれた。


 


 空を切るような風の音すら聞こえない。

 だが次に、男のうちの一人が胸を押さえ、崩れ落ちた。


 


 矢は、声より早く、命を断った。


 


 優希は動けなかった。すみれも声を上げない。

 どちらも、ただその場に呑まれていた。


 


 冷たく、正確に。

 誰の味方でもないようなその存在が、

 ただ一つの目的、「制圧」のために動いている。


 


 そんな錯覚すら抱かせるほど、

 その背中には、正義も怒りも、情動さえ宿っていなかった。


 


 そこにあったのはただ、“死を運ぶ者”の矜持だけだった。



 続けて矢が放たれた。


 空気を切り裂くような、だがやけに静かな音が響いたかと思うと——

 最前列にいた男の眉間に、死が矢の形をして突き刺さっていた。


 


 「……な、え?」


 


 男の身体から一気に力が抜け、斧を握ったまま崩れ落ちる。

 周囲が凍りついた。すぐさま、次の矢が放たれる。


 


 今度は、動揺していた三人目の胸を正確に貫いた。

 男は呻きもせず、その場に崩れる。


 


 「クソッ!あの野郎、ぶち殺すッ!」


 


 残った二人が咄嗟に突っ込んでくる。

 バールとパイプを振り上げ、仲間をあっという間に殺した“それ”へと詰め寄った。


 


 そいつは一歩も退かずに立っていた。


 迷いのない身のこなしでボウを背に回し、構えを崩すと同時に滑り込むように接近。

 一人目のバールを、肩で押し上げるように弾き飛ばす。


 


 肘を、喉元に突き刺す。


 ガクンと男の体が弓なりにのけぞった次の瞬間——


 掌底。

 その顎を跳ね上げるように打ち抜き、失神しかけた顔面にさらに拳を叩き込む。


 


 バールが地面に転がる音と、男が倒れる音が重なった。

 残った一人が振りかぶったパイプを、そいつは寸前で躱しながら腕を伸ばす。


 


 地面に転がる斧を、逆手に掴んだ。


 


 反撃の構えすらできない男の肘を、斧の柄で砕く。

 パイプがすっぽ抜け、宙に舞う。

 そのまま体を捻って、斧の柄のまま男の首を押し倒すように締め付け——


 


 ゴッ、という鈍い音とともに最後の略奪者も崩れ落ちた。


 


 動かなくなった四つの身体の真ん中に、“それ”は静かに立っていた。

 微塵も焦れた様子を見せず、血を浴びることすら避けたような立ち位置で。



あたりに残るのは、焦げたような血の匂いと、焼けた空気の名残だけ。

 


 


 ——“それ”は、死体の山を前に、まるで何も感じていないようだった。

 勝利の余韻も、達成感もない。動きに一切の無駄がなく、殺しを終えた後も、呼吸一つ乱していない。


 

 


 その姿は、まるで死神のようだった。

 どこにも感情の滲まない顔。

 殺しを終えたのに、何も終わっていないような空気。

 


 その姿には、さっきまで見せていた殺戮の影も、かすかに残っていた。

 しかし今はそれ以上に、得体の知れない——“何者でもない者”の静けさがあった。


 


 味方なのか。敵なのか。

 それすら、分からないまま。


 ただ一つ確かなのは、目の前の男が、ただの人間ではないということだけだった。



 長身のその男は、倒れた襲撃者の一人に近づき、無言でしゃがみこむと、手慣れた動作でポーチから物資を回収した。




 そして、何の前触れもなく、手元の消毒薬とガーゼをひょいと放り投げた。

 優希は咄嗟にそれを受け取る。が、状況を飲み込めず、動けない。




 男は優希に視線すらよこさず、淡々と口を開いた。


「……で、お前はどこまで本気だった?」


 感情の起伏に乏しい声だった。

 問いかけに似ているが、答えを求めている風ではない。




 優希は言葉を返さない。すみれの肩に視線を落とし、そっとその手を握る。

 微かに冷えていた。すみれもまた、優希に寄り添うように身体を縮めた。


 


 その様子を、男は見ていたのかもしれない。あるいは、見ていなくても分かっているように言葉を続けた。




「最初から見てた。

 あの女が捕まって、泣きそうな顔でお前の無事を祈ってたのも──

 お前が無謀にも、勝てるはずもない相手に立ち向かおうとした事も。」




 優希の指が、ピクリと震えた。

 握る手に、力がこもる。すみれはそれに応えるように握り返す。  




 男はその横で、死体に刺さったままのナイフを引き抜くと、血を払ってから背中のバッグにしまい込む。




「最近はな……感染者の恐怖にやられて、人間の皮を脱ぎ捨てるやつばっかだ。

 さっきの連中みたいにな。」

 



 彼の言葉は、乾いている。

 乾いているが、重い。まるで長年かけて削られた実感が、骨だけを残して剥き出しになっているようだった。




「でも、お前らは──まだ“人間”だった。だから、ちょっとだけ力を貸した。」




 そう言って、男はすみれの前に立つと、死体から剥ぎ取ったジャケットを無言で差し出す。




彼女は、押し倒されかけた際に服を引き裂かれ、肩口から胸元にかけてむき出しになっていた。

 細い腕で必死に体を隠すようにしながら、震える目で男を見上げる。だが、それ以上の威圧はなく、ただ差し出されたまま。

 受け取って、それを羽織る。破れかけた服の上から体を包むようにしながら、すみれは再び優希の手を取った。




 男はそれを一瞥もせず、わずかに声音を落として最後の言葉を告げる。




「……もし、どっちかがどっちかを切り捨ててたら。

 俺はそのまま全員、ここで処理して此処を頂いていた。」




 無感情だった。あまりに自然で、血の臭いと同じくらい当たり前の口調だった。

 それが逆に、鋭く、胸を裂くように響いた。




 優希も、すみれも、反論できない。

 言葉は出なかった。咎める気にも、縋る気にもなれなかった。




 男は回収した物資をまとめ、コンパウンドボウを肩にかけると、くるりと背を向ける。




 そして、何も言わずに歩き出した。




 その背中は、まるでこの世のすべてを見透かしているようで──

 だが誰にも手を差し伸べる気など、最初からなかったようにも見えた。




 それでも、命が今ここに残ったという事実だけが、冷たい風のように、静かに肌を撫でていた。


 


 優希は咄嗟に、足を一歩踏み出していた。




「……待って!」




 声が裏返った。息が浅くなる。だが、引き返す理由はなかった。

 男の背中が止まる。振り返らないまま、沈黙が落ちる。

  



「……ここで、一緒に暮らしてほしい」




 自分の言葉が、あまりに稚拙で、軽くて。

 それでも今言わなければ、二度と口に出せない気がした。

  



 男はゆっくりと振り返る。

 その目が、優希を真っ直ぐ射抜く。

 冷たい――そう思った。

 だが、それよりも「何も映していない」その瞳が、怖かった。




「なぜだ」

 



 淡々とした声。熱も、興味も感じない。 




「ここには食料もある。水も、電気も……限られてるけど、ある。

それに、あんた一人よりも……きっと安全だと思う」




 言葉を選びながら、しかし恐怖で呼吸が不安定になる。

 男は答えない。ただ、わずかに視線を泳がせて、辺りを見回した。


 それから、もう一歩、近づいてくる。




「俺がどんな人間かも知らずに?それを言っているのか」




 その一言に、優希の喉が詰まりかける。

 だが、なんとか言葉を吐き出した。




「……あんたが何をしてきたかなんて分からない。……でも……さっき助けてくれたのは、あんただ。

それだけで……十分だと思った」




 男の目が細まる。

 目を細めたその顔には、怒りも、笑みもなかった。だが、その奥に、驚きとも困惑ともつかない色がごくわずかに滲んだ。




「……その考えは、いつか命を落とすぞ」



「……それでもいい。

それでも俺は……俺たちは、あんたを絶対に裏切らない。その覚悟で言ってる」



 いつの間にか、すみれがそっと隣に立っていた。

 伏せた視線のまま、優希の腕を軽く握る。

 それは言葉の代わりの、「私も同じ気持ち」という合図だった。




 男は、その様子を静かに見ていた。

 そして、低く言った。



「……裏切りはな、信頼からしか生まれない。

最初から信じなきゃ、裏切られることもない」




 その言葉は冷たい。けれど、その奥にあるのは氷ではない。

 凍った傷跡だ。誰にも触れられず、癒えることなく、ずっと奥に沈んでいたもの。




 しばらく沈黙が続いた。




 男はようやく肩の荷を下ろし、背から重そうな物資を地面に置いた。

 そして一言だけ、呟いた。




「……これから俺のことは鋼音はがねと呼べ。寝床は?」




 時間が止まったようだった。

 優希は、はっと息を呑み、それから顔を上げる。


 それは、答えだった。


---




 ――止まれ。




 心の中でそう呟いたわけではない。だが、足が止まった。




 背後から、声がした。

 掠れるような少年の声。震えた、頼りない音。  

 それでも、俺の背に届いたのは、叫びではなく――覚悟だった。




「……ここで、一緒に暮らしてほしい」




 どうしてそんな言葉が出てくるのか、理解できなかった。

 この世界で、誰かを招き入れることの意味を――この少年は、わかっていない。




 だが振り返ると、そこに立っていたのは、ただの無知ではなかった。

 怯えてはいた。だが逃げていなかった。脆く、それでも前を向こうとしていた。無謀にも。




 俺は問う。「なぜだ」 




 言葉に感情を込めることはなかった。

 必要も、意味もない。答えなど、どうせどこにもない。 




 少年は、かすれた声で語る。

 この場所にあるもの。足りないもの。それでも残された、生きる可能性。

 自分たちといるほうが安全だと、そう言った。




 その甘さが、あまりに無防備で。  

 どこまで愚かなんだ、と内心で呟く。




 視線を逸らして周囲を見る。

 罠はあるか。伏兵は。罠ではなくても――期待、希望、善意。そんなものの裏にある、もっと汚い動機。




 だが何もない。ただ埃と、少年の震えた呼吸の音。




 俺は一歩、足を進めた。

 あいつの間合いに踏み込むように。そして問う。




「俺がどんな人間かも知らずに……それを言っているのか」




 殺しもした。見捨てもした。奪ったし、奪われた。信じて裏切られ、裏切って生き延びた。

 そんな俺の顔を見て「一緒に生きよう」だと?

 あまりに滑稽で、同時に――恐ろしいほど、真っ直ぐだった。




「……あんたが何をしてきたかなんて、分からない。 でも――さっき、助けてくれたのは、あんただ。 それだけで……十分だと思った」




 息を呑む。

 こんなやりとり、何年ぶりだろう。いや、そもそもあったかどうかすら、思い出せない。

 裏表もなく、己の判断で「信用する」と言う人間など――とっくに絶滅したと、思っていた。




「……その考えは、いつか命を落とすぞ」




 つい、警告が漏れた。

 それでも少年は引かなかった。




「それでもいい」 




 馬鹿か。そう心の中で吐き捨てる。

 でも、その馬鹿さに、何かがひっかかった。




 引き金を引く理由も、引かない理由も、過去には山ほどあった。

 けど今、ここで俺が足を止めた理由は――何だった?




「それでも俺は……俺たちは、あんたを絶対に裏切らない。その覚悟で言ってる」




 「俺たち」と言った。




 そのとき、女が隣に立った。

 刃物で脅されてもなお少年の事を強く思っていたように見えた彼女が、今は目を伏せ、少年の腕を握っている。

 言葉よりも静かに、誠実に、寄り添うように。




 俺は黙って見つめた。




 ――裏切りはな、信頼からしか生まれない。

 最初から誰も信じなければ……裏切られることもない。




 自分の声が冷たいことは自覚していた。

 けれど、少年の目は変わらなかった。恐れても、退かなかった。




 ふと、肩の荷を下ろす。

 それはまるで、自分の過去を一つ、地面に置いたような感覚だった。




 音が鈍く響いた。武器ではない。物資の入ったバッグが地に触れた音。




「……これから俺のことは鋼音と呼べ。寝床は?」


 その言葉を発した自分自身に、少しだけ驚いていた。

 だがもう、言葉は戻らない。




 少年の顔が驚きに変わる。

 その表情が、少しだけ暖かく見えた。




 ……信じるつもりは、まだない。

 けれど、足を止める理由は――あったのかもしれない。



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