7.変態
「ひいぃぃぃ!?
歯ブラシが汚すぎでしてよ!
ありえませんわぁぁぁ!」
歯磨きを失念していた事を思い出し、いつからか棚の奥に仕舞われていた歯ブラシを手に取った私。
ブラシを確認した途端、背中に怖気が走る。
毛が黒ずみ、毛先が長年の使用感を物語っていた!
けれどこの体の記憶では、この近くに歯ブラシを購入できる店はない。
「ま、まずは応急処置ですわ!」
どうしたものかと少し考えてから、昨日取っておいたボロボロの服を手に取る。
その一つを裂いて、指に巻きつける。
布を少し濡らしてから、塩をつけて歯を擦る。
もちろん時間をかけて、まんべんなく。
憎い臭いの元を消し去る為に!
暫くして、そろそろ良いかと口をゆすいだ。
しょっぺえですわ。
口元を両手で覆う。
はぁ、と息を吐いて……。
「何でですのぉぉぉ!
何でまだ口臭が!?
ハッ!
わかりましたわ!
歯と歯の間の食べカス!
細い木を裂いて……」
庭の木の皮をほぐして、シーシーと、歯の間を掃除する。
再び、口元を両手で覆う。
はぁ、と息を吐いて……。
「何でですのぉぉぉ!
ハッ!
わかりましたわ!
舌!
舌用ブラシも近日中に作ってやりますわ!
でも今は応急処置ですわ!」
オエオエとえづきつつ、布で舌を擦る。
三度、口元を両手で覆う。
はぁ、と息を吐いて……。
「何でですのぉぉぉ!
ハッ!
今度こそ、わかりましたわ!
胃ですのね!
お祖父様とお父様のゲップは、それはもう臭かったですわ!
淑女だった頃の知識を総動員して、胃を浄化してくれる、安価なおハーブと、今後に備えて苗を買い取って栽培してやりますわぁぁぁ!」
この領地は実りが少ないくせに、面積だけは無駄にありますもの!
面積が広い分、実は取られる税金も多くなる。
損をしっぱなしの領地など、有効的に使わずして何とする!
新たな決意を胸に、お風呂に入って眠りについた。
翌早朝。
「だ、大丈夫……はぁ、はぁ……体臭も服の臭いも……当初より……はぁ、はぁ……随分とマシ……はぁ、はぁ……」
かつて山を彷徨ったらしき、この体に宿る記憶を頼りに領内の山を登る。
とある領民に会う為だ。
記憶では、この体の主が当時、気に止めなかった物が存在している。
時期ではないにしても、元々ほ保管して使用する類の物。
領民なら自宅に保管しているに違いない。
「はぁ、はあ、いましたわ、はぁ、はぁ」
人影を視覚に捉える。
「ねえ、はぁ、はぁ……そこのあなた~、はぁ、はぁ」
声をかけたのは、小さな女の子。
この辺りに住んでいる子供に違いない。
子供に警戒心を抱かせないよう、満面の笑みを作る。
愛嬌を振りまく為、手を振りながら女の子を目指して山道を駆け上る。
「ひぃ!
変態!
お母さ~ん!
お父さ~ん!
変態がいる~!」
途端、女の子が泣いて逃げ去る。
「そんな!?
私のどこが変態ですの!?」
面と向かって変態扱いされるなどという、人生初の体験。
乙女心が衝撃を受け、思わず立ち止まる。
暫しフリーズして……。
「……そうでしたわ!
私、オッサンでしたわぁぁぁ!
もしや臭い対策だけでは不十分でしたの!?
この外見そのものを、どうにかしてから出直すべきですの!?
タプタプしたお腹!
顎もタプタプ、お尻もタプタプ!
嫌ぁぁぁ!
いつの間にか頭皮がタプタプからネチャタプになってますわ!
いっそ、こんな薄七三分けなど、短く刈り上げてやりますわぁぁぁ!」
これはもう、乙女心に由々しき事態!
「どこのどいつだ!
変態野郎!」
すると怒鳴り声を上げた男性が、棒を振り回してやって来た。
鬼気迫る勢いに度肝を抜かれ、思わずダバッと怒涛の涙が溢れる。
「も、申し訳ありませんわぁぁぁ!
違いますのぉぉぉ!
見た目で判断しないで下さいましぃぃぃ!」
今まで堪えていた乙女な感情も溢れ出す。
「んあ?
アンタは……」
けれど男性はそう言うと、手にしていた棒を下ろしてくれた。
※※※※
「うふふふ~。
誤解が解けて、目当ての物も手に入りましたわ~」
邸に戻った私はそう言いながら、上機嫌でティーポットのお茶をカップに注ぐ。
ほんのり緑色のお茶。
邸の外は、もう真っ暗。
けれど今の私はオッサン。
夜道も大して気にせす帰れた。
「ん~、良い香り~」
フレッシュな香りに独特の苦味。
疲れが和らぐ。
「緑茶……私の求める茶葉」
まだこの体の持ち主が生きていた頃。
記憶によると、もう少し頭はフサフサだった。
山頂まで登ったこの男は、木に成った実を取ろうとして、崖から落ちた。
日が暮れて泣いていた時、泣き声を聞きつけて助けてくれたのが、少し前に棒を振りかぶっていたあの男性!
『何だよ、また泣いてたのかよ。
うっ、あの時より臭えな~』
なんて言いながら、私を自宅に招いてくれた。
今も昔も、私が領主だとは夢にも思っていない。
身分は明かさずにいる。
あの時、この体の持ち主は緑茶を茶葉としか認識していなかった。
けれど伯爵だった私は、もっと踏みこんだ緑茶の効能を知っていた!
それこそが加齢臭対策の一つ!
けれど今は、このお茶を美味しく堪能しますわ!
「ああ~、落ち着きますわぁ~」
ほっこりしながら、ポットの中身を全て飲み干した。