59.カレセン
「お母様、コニー先生!」
「どうなさったの?」
気になっていたキリア嬢の状況を確認しようと、シェル夫人に案内されて歩けば、キリア嬢と一緒にいたはずのシェル嬢が、部屋の外にいた。
心配そうな顔で閉じたドアを見つめていたが、私と夫人の姿を確認すると、安堵したように駆け寄った。
「キリア嬢が暫く一人になりと……」
「着替えは渡したの?」
「ええ。
でも今は一人になりたいと言われて……」
母娘の会話から、キリア嬢への疑惑が確信に変わる。
「お二人は、少し席を外していただけるかしら?
ああ、男と二人きりはよくないから、女性の使用人を外に待機させて下さいまして。
ドアは開けたままにしますわ。
それから今日はもう、キリア嬢をお返しした方が良いと思いますの。
本日、お身内の方はいらっしゃらないそうだから、寮まで馬車を手配していただけるかしら。
お代はグロール伯爵邸の私宛に請求下さるかし……」
「私達が乗ってきた馬車を出すから問題ないよ」
「わかりました。
伝えに行きましょう」
母娘が行ってしまう。
「よろしいの?」
「気にしないで。
ほら、使用人が来た。
キリア嬢と話があるんだよね。
私は会場でマルクを待っているよ」
使用人と入れ違いに、ファビア様が去っていく。
気遣い紳士ですわね。
「キリア嬢。
コニーよ。
渡したい物がありますの。
入れて下さる?」
「……ぐすっ……私……でも、臭くて……」
「大丈夫ですわ。
秘密兵器を、ちょうど持参しておりましたの」
「……秘密兵器?」
暫くして躊躇うようにゆっくりと、ドアが開いた。
どうやら内鍵をかけて立て籠もっていたらしい。
部屋に入ると、会場で臭った臭い。
すぐさま部屋の隅に移動したキリア嬢。
小さな別荘の、窓が一つしかない部屋だ。
服を着替えさせるつもりで通した、使用人部屋だろう。
窓辺に行き、窓を開けようとすれば、硬い。
「ふんっ」
この体が殿方で良かったですわ。
コニーったら、腕力だけは強かったんですのよね。
ふふふ、感じるわ。
キリア嬢から、尊敬の眼差しを感じるわ。
「少し近寄っても大丈夫かしら?」
コクコクと頷くキリア嬢。
窓が開いた事で気が弛んだのね。
涙が止まらなくなっているわ。
「気になっているのは、ココで合っていて?」
外に使用人を待機させているから、発言には注意する。
自分の脇を指差せば、再びコクコク頷くキリア嬢。
顔が真っ赤だ。
中身はともかく、マルクは殿方ですもの。
恥ずかしい思いをさせてしまって、心苦しいわ。
脇から漂うこの臭いは、腋臭だ。
マルクの脇臭え臭いとも、少し似ている。
恐らくキリア嬢が服を着られなかったのは、黄色いシミができやすいからかもしれない。
胸ポケットから筒を取り出す。
「コレ、筒ごと差し上げますわ」
言いながら、筒からおしぼりを取り出し、広げて……。
「うっ……」
使用済みですわ!
さっき拭ったばかりの、フレッシュな自分の脇臭え刺客に、殺られるところでしたわ!
「ま、間違えましたわ。
こっちが本物ですわ」
それっぽく誤魔化して、息を止めて素早く筒に入れ直す。
新たに取り出した筒を念の為、即座に開封して確認してから、おしぼりと筒を一緒に渡す。
「これ……良い香り……」
「バルハ領で取れた緑茶の香りですのよ。
筒に入れれば、漏れませんわ」
柿渋には臭いを防ぐ効果もある。
筒もピッタリ蓋が閉まるよう設計しているから、液漏れも臭い漏れもしない。
「それから……ふんっ」
ハンカチを取り出して、気合い一発。
半分に裂く。
「折って、服に挟むと着替えても気にしなくて良いはずでしてよ」
簡単に言えば、折ったハンカチを脇と服の間に挟み込めと告げている。
裕福な貴族なら、用意された着替えの代わりに、新しい服を買って贈れば済む。
けれどキリア嬢の懐事情は、教え子達の中でも一番厳しいと記憶している。
黄色いシミは、なかなか落ちませんし、ワキガの臭いは強敵で、しつこいと耳にした事がある。
「よろしければ後日、そちら方面に特化したバルハ領の特産品を差し上げますわ。
受け取って下さると、とても嬉しいのだけれど」
「ぜ、是非……あのっ……ありがとうございます」
「うふふ、泣かないで下さいまし。
拭って差し上げるハンカチを持ち合わせていない殿方に、恥をかかせないのもマナーでしてよ」
更にぼろぼろと涙を溢すキリア嬢に、茶目っ気たっぷりに片目を瞑る。
「……ふふっ」
するとキリア嬢は自分のハンカチを取り出して、笑った。
「緑茶はリラックス効果もあるみたいですの。
少し落ち着いてから、着替えるとよろしいわ。
外に使用人の方を待機していただいてますのよ。
必要ならお声掛けなさって。
グロール伯爵の馬車を手配済みですから、今日はそれで帰るとよろしいわ。
それではごきげんよう」
「あ、あのっ」
「ええ」
「私っ、今日からカレセンになりました!」
「???」
カレセンとは、何ぞや?
頭の中で「?」が羅列するものの、あまり興奮させるのもどうかと思い、微笑むに留める。
「編み物の腕も磨いて、コニー先生の役に立てるよう頑張ります!」
「まあ!」
つまりキリア嬢は、バルハ領の特産品である麦の糸を使って、商品を広めてくれると言いたいのね!
「ふふふ、ありがとうですわ!
けれどまずは自分の事に全力を注いで、教えたマナーも自分の物にして下さいましね!
そうすれば講師を務めた私も嬉しいんですの!」
「ああ……手強い!
でも頑張ります!」
「ええ!
それでは今度こそごきげんようですわ!」
何となく話が噛み合っていない気がするものの、気の所為だろうと部屋を出て、ドアを閉め……。
「ヒッ!?
ファビ、んんっ、グロール伯爵!?」
「やあ、マルク。
やっぱり気になって戻ってきたけれど……」
何と、会場に戻ったファビア様が……暗いお顔ですわね?
ハッ、キリア嬢を心配して!?
「び、びっくりしましたわ!
雇用主として、キリア嬢を心配なさるのは当然ですわね!
もう元気を取り戻したようですわ!
そこの方。
キリア嬢が出て来たら、後はよろしくですわ!」
「…………ふふふ、畏まりました」
どうしてか生温かい視線の、妙齢の使用人に見送られながら、ファビア様と会場に戻る事になった。
そう言えば、キリア嬢の言っていた「カレセン」て何かしら?
若い子の言葉がわかりませんわ。




