5.世知辛いですわ
「な、なんてこと……い、嫌……」
無事、家まで送り届けてもらった後。
私はこの体になって、初めて鏡で自分の姿を確認した。
そうして今、私はあまりの衝撃に体を震わせてこう叫ぶ。
「嫌ぁぁぁ!
どうしてですのー!」
死んで生まれ変わった私は、新たな体で悲痛な野太い声を上げる。
とてもではないが、淑女などとは口が裂けても言えないオッサン声だ。
「こんな……こんな薄毛斜め七三分けの、全てがたるんだオッサンに生まれ変わるなんてー!
私、これでも淑女ですのぉぉぉ!
うっ、おぇっ、くっせーですわぁぁぁ!」
叫んで吸引した空気が臭い!
自分からも、家のどこかからも、あちこちで漂う加齢臭に悶絶する。
「なんて事ですの!
なんって事ですの!
なんって事ですのぉぉぉ!」
鏡を叩き割りたい暴力的な衝動が、じゃんじゃん湧く。
けれど叫ぶ事でどうにか衝動を解消する。
鏡に罪はありませんもの。
親切にも送ってくれた青年、ヘリーはもういない。
せめてお茶でもと誘うも、ヘリーは邸を目前に「ま、頑張れ、ぅぷ」と、鼻と口を押さえて去って行った。
荷馬車って、荷物がないと速いのね、と呆気に取られながら手を振った。
ヘリーは間違いなく、邸と私から放たれる加齢臭から逃げた。
なんて事は、気づかないふりをしておく。
前世の邸の何分の一か縮小した邸。
使用人すらいない邸に入った途端、包みこんでくる加齢臭。
私を温かく迎える懐かしい臭いに、安堵する自分。
ここは間違いなく、我が邸!
自分の感情には気づかない振りもできず、膝から崩れ落ちた。
この体になって、もう何度目かすら数えられない。
乙女の尊厳が、この体に転生して以来、木っ端微塵になりっぱなしでしてよ……。
しかし、とにかく温まりながら、異臭に塗れた体を清めたい。
そう思って、いそいそと風呂を覗いた。
そこで目にした怪奇な現状!
身の毛もよだつ太い毛!
この頭に生える毛とは、明らかに違う太毛がそこかしこに存在感を主張する!
更に浴槽は、随分と前から水を張りっぱなし!
記憶によれば、薪で都度、温め直して入っていたのね!
記憶がなくとも、嫌でもわかりますわ!
そもそも浴槽の水面……。
垢、垢、垢、垢、太毛、垢、垢、太毛、垢、細毛、垢、垢……毛毛毛垢垢垢!!!!
『嫌ぁぁぁぁぁぁ!』
と叫んだ私は、疲れた体に鞭打って風呂掃除を開始!
この体に記憶があって助かりましたわ!
淑女だった頃は掃除など、全て下女に任せておりましたもの!
そうして浴槽もろとも、浴室をピカピカに磨き上げた。
井戸から水を汲み、薪を焚べて湯を沸かす。
ゴエモン風呂という言葉が、この体の記憶にありますが、ゴエモンとは何ですの?
とにかく排水だけは整った浴室で良かった。
他は、要改善!
そんなこんなで湯を沸かすまでに時間ができ、脱衣室も、曇りきった鏡も含めて磨き上げ、映った姿に……姿にぃ……。
「絶望しか……ありませんわ……ううっ」
掃除したばかりの磨かれた床に、涙の染み。
ズルル、と反射的に鼻を啜り……。
「臭えですわ……」
臭いに追いたてられるかのように、気を取り直して浴室へと踏みこむ。
もちろんシャツも……お、おパンツも脱いでおりましてよ。
心の中は戦々恐々。
だって私、一度も殿方と肌を合わせた事がありませんもの!
えいや!
と石鹸を手に取ると、まずは体の大部分を洗う。
――ゴクリ。
唾を飲みこんで、最後に残る乙女の難関剛毛密集地帯へ……。
「はひぃ~、はひぃ~、洗って、洗ってやりますわぁ……」
やがて何かがプツンと切れる。
「うふふ……この毛が頭に移動すれば良いのにぃ……」
淑女の大事な何かが、涙と共にハラハラと流れ出る感覚。
もはや恐怖はない……ないけれどもぉ……。
それでも無事、激務をこなした私は、体を流して湯船に浸かる。
「それにしても泡立ちが悪い石鹸ですわ」
ホッと息を吐くと、体を洗った時の石鹸を思い出した。
「髪は体を温めてから……でも、またあの泡立ちが悪い石鹸を使うのね……ん?
何かしら?
白い半透明のカス?」
全身が浸る湯の中に、何かが反射して……え?
「え、嘘ですわよね?
だって今、私、体を洗って……」
湯の中で体を起こした途端、フワンとお湯の中で散る、半透明の……。
「嘘……ですわ……嫌ですわ!
どんな強力な垢を身に纏って……ハッ、まさか石鹸の泡立ちが悪いのは……」
手を伸ばして石鹸を取り、指の腹で少し擦る。
「泡立ちますわ!
垢で泡立ちが悪かったんですわ!
まだまだ垢まみれでしたわぁぁぁ!」
ザバッと出て、石鹸とタオルで何度も体を洗う。
垢の浮いた浴槽の湯を使う事に抵抗はあれど、今さら冷たい水は嫌ですわ!
とにかく石鹸が体の上で泡立つまで、何度も何度も何度も洗って、ゴシゴシゴシゴシゴシゴシ擦る。
髪も洗う!
洗うものの、これまた泡立ちが悪いですわぁぁぁ!
「つ、疲れましたわ……でも、これで綺麗に……」
数時間浴室で格闘し、勝利して出る。
棚の奥にしまいこんでいた新品のタオルで体を拭いた。
少ない髪がギシギシと絡んで、更に抜けてしまいそう。
けれどネチャネチャよりはマシ。
「これで……これでこの臭いとも……」
クンクンと直に体の臭いを嗅ぐ。
「臭いですわ……」
まだマシ。
しかし次は服。
服だけは新品もなく、着古したものしかない。
仕方なく袖を通す。
「ああ、神様……世知辛いですわ……」
モワンと身から出る加齢臭に、力なく呟いた。