46.皆、無言
「マルクさん、終わったぞ」
「ゴリー!
ありがとうですわ!」
金網越しに、ゴリーへお礼を伝える。
「コケコケーッコココ!」
するとコケッティーが大きく鳴いて、私に鶏キックをかましに来る。
ついでとばかりに、嘴チョップも忘れない。
「いだだだ!
今日も今日とて凶暴ですわよ、コケッティー!
気を抜いた瞬間を狙うだなんて、抜け目がありませんわ!
つ、突かないで下さいまし!
いた!
いだだだ!
痛いですわぁぁぁ!」
相変わらず殺る気がみなぎる雌鶏、コケッティー。
彼女から逃げるように、そそくさと鶏小屋から出る。
ゴリーとヘリーが柿渋の入った瓶を、倉庫へ片づけてくれている間にと、鶏小屋の藁を換えていただけなのに。
酷いですわよ、コケッティー。
素早く扉を閉めてからキッと睨めば、「コケーッ!」と鳴いて翼をバサバサやりながら、扉横の網に鶏キックをお見舞いするコケッティー。
「マルクさん限定で、気性が荒いな」
「え!?」
ボソッと呟くゴリーの言葉に、ギョッとする。
私限定と言いまして!?
「マルクさんが留守中、世話をしていた婆達には懐いていた」
「何ですと!?」
普通の鶏的態度でもなく、このコケッティーが!?
まさかの懐いていた!?
チラリと見やる。
「ヒッ!?」
射殺すぞと言わんばかりに、ギロリと睨みつける鳥目を向けられ、背筋が寒くなる。
まさかマルク……コケッティーに何かしまして!?
マルクの記憶を遡る。
やはり生前のマルクは、何もしていない……多分。
もしや卵泥棒と認識されているのかしら!?
だとしたら悪いのは、マルク。
何も言えませんわね。
「ふ、ふふふ……確認しに行きますわ」
「そうしてくれ」
そうして倉庫へ入れば、奥に陳列した大瓶の横にヘリーは立っていた。
小瓶を腕に抱えて、蓋を開けて中を覗いている。
あの小さな瓶は、ゴリーの家で寝かせた数年物だ。
大瓶の横に、幾つか並んでいるのもそう。
数年前、ダンとお猿の戦いを手伝おうと思ったゴリー。
ダンが作ったお猿撃退液と同じ物、つまり柿渋を密かに作っていたらしい。
結局、お猿はボス猿認定したらしき、ゴリーのウホウホ語で説得され、ダンが育てる柿に手を出すのを止めた。
という、眉唾的実話の副産物だ。
「これ、すげぇ臭いだな。
興味本位で瓶の中を見るんじゃなかった」
そう言って小瓶を抱えたヘリーは、顔を顰めて、近づいた私にそう言った。
「そうでしょう?
青柿を発酵させると、強烈な臭いをさせますのよ」
正確には、青柿を絞った汁だ。
けれど領外の人間たから、事細かな説明はあえてしないでおく。
もちろん調べれば、すぐに作り方はわかるだろう。
ファビア様は知っているから、隠す事でもない。
「腐敗臭、脂臭、足臭の、ありとあらゆる臭え何かを混ぜ合わせたような、更にそこから発酵させて酸っぱさを加えたような、強烈な異臭だ」
そう言いながら、ヘリーが小瓶の蓋を閉めようとした。
その時だった。
「コケコケーッコ!」
まるで「コケッティー登場!」と自ら名乗りを上げるかのような、大音量の鳴き声が背後、というより倉庫の入り口方向から響いた。
――バサバサバサ!
ついで、鳥の翼が羽ばたく音。
現れたのは……。
「「「コケッティー(鶏)!?」」」
ゴリーと私は名前を、ヘリーは見た目そのままを口にする。
まさか私、小屋の鍵を締め忘れまして!?
ヘリーと向かい合っていた私は、瞬間的にそう思いながら、反射的に振り向く。
「ヒィッ、顔面キック!?
痛えですわ!」
振り向きざまに、オデコに鶏キックを食らい、羽ばたく翼で視界を遮られる。
コケッティーの戦闘能力が、高すぎる。
視界一面が茶と白のまだら模様の世界となった私は、当然のように後ろにたたらを踏む。
「お、おい!?」
するとヘリーの体にぶつかった。
私の腹は凹んでも、まだまだ横幅はある。
私より背の高いヘリーは、両手で持った瓶を私にぶつけまいとして、上に掲げる。
しかしそれが仇となった。
「「マルク(さん)!?」」
――バシャバシャ!
殿方二人が私の名を呼ぶ中、発酵した柿渋液を頭から被ってしまう。
視界の下端で、五本指靴下とサンダルを履いたゴリーの足も、液体が濡らすのを捉える。
私の顔面を塞いだ羽毛の元、コケッティーをゴリーが引き離せば……。
「くっせえですわぁぁぁ!」
柿渋の激臭が私の鼻をダイレクトに襲い、なんなら口の中にも入り、堪らず叫ぶ。
「うげぇぇぇ!
不味いですわぁぁぁ!」
得も言えぬ、表現できぬ味!
「「くっせえ!!」」
ゴリーもヘリーも仲良く叫んで、同時に距離を取る。
もちろん私からでしてよ!!
思わずヘリーが離した瓶は、咄嗟に私がキャッチ。
からの、足下に溢れた液体に足を滑らせ、後ろにステンと転がる。
その拍子に、瓶に残っていた柿渋液を首筋から胸元に浴びながら尻もちをついた。
「「「…………」」」
三人が三人共に、無言となる。
「コケコケーッコココ!」
そんな中、ゴリーの胸元に抱えられたコケッティーだけが、騒がしい。
「「「臭え(ですわ)……」」」
ややあって、人間三人は同時に呟いた。
そしてもう暫し、三人で呆然とする。
その後、ゴリーはコケッティーを小屋に戻しに。
ヘリーは私から瓶を受け取り、幾つも置かれた大瓶の横に並列する、小瓶の列に片づけ。
私は立ち上がり、上着を脱いでポタポタと柿渋滴る顔を拭いて、風呂場へと向かう。
皆、無言。
コケッティーのけたたましい鳴き声だけが、マルク邸の何処からか響いていた。




