39.ピートモスと業務提携
「どうかしら、キーナ。
ダンは茶の木について、何か言ってまして?」
――バシャバシャバシャ。
山で事故に遭い、ファビア様に救われてから一ヶ月が経った。
あの時、登山のお供に連れていた、愛馬ならぬ愛ロバのロッティー。
その背中には遭難直前まで、とある物を発見しては積んでいたのだ。
私が山道を転がり落ちたせいで下山途中にはぐれたロッティーは、そんな物を無事、邸へと運んでくれていた。
「うん、お父さんがもう心配いらねえって言ってた。
茶の木も元気になったよ!」
「そう、良かったですわ」
――バシャバシャバシャ。
「まさか山の中にできてた泥の炭?
えっと、何て言うんだっけ?」
「広くは泥炭と呼ばれてもいる、ピートモスですわ」
――バシャバシャバシャ。
「そうそう、ピートモス!
水草や苔が枯れたのが積もって泥の炭になるなんて、面白いね!
それが茶の木に適した土に変えてくれるんだから、お父さんもびっくりしてた!
お陰で茶の木だけじゃなく、お父さんも元気になったよ!
ありがとう、マルクさん!」
茶の木が枯れそうになり、大慌てで私の邸に来たキーナの父親、ダン。
茶の木に異変が起こる前、ダンから紫陽花の花色が例年と変わったと聞いて、ある事を思い出していて本当に良かったですわ。
淑女時代に邸で雇っていた老齢の庭師、ジョーに今更ながら感謝しなければ。
ジョーは紫陽花の色を変える場合、土の性質を変えるのだと教えてくれた。
青系統色にしたいならピートモス、赤系統色にしたいなら貝灰を土に混ぜると良いのだと。
茶の木が枯れそうになるよりも前、ダンが偶然話していた、茶の木の側に植えた紫陽花の花色の話。
例年咲かせる花色は青紫色なのに、今年はピンク色だと言っていた。
そしてその場にいたゴリーは、小麦畑の近くに咲く紫陽花の花色は、例年通りピンク色だったと言った。
私は庭師のジョーから、茶の木については聞いた事がない。
淑女時代、緑茶に馴染みも無かったから当然だろう。
しかし小麦の栽培に適した土は、紫陽花をピンク色にする事、そして植物にはそれぞれ適した土の性質がある事は教わっていた。
もちろんピートモスが、どんな場所で取れるのかも。
更に去年の年末、私はゴリー達に、ダンが育てる茶の木の回りに藁を敷いて欲しいとお願いしている。
もしかするとその時、小麦の土が茶の木の土に混入してしまった可能性は否めない。
これらの話を複合的に考え、私はピートモスがありそうな、バルハ領内の山に入って事故に遭ってしまったのだ。
「とんでもないですわ」
――バシャバシャバシャ。
「ところでソレ、何してるの?
藁じゃなく、糸を染めてる?」
キーナが指差すのは、私の手元。
先程からバシャバシャバシャとやっているコレ。
「そうなんですのよ!
柿渋、緑茶、墨で糸を染めていたのを、洗ってますの!」
キーナの言う通り、藁ではなく、木綿糸を染めてみたのだ。
「今度は何をするの?」
「ふふふ、メルディ領主のグロール伯爵と業務提携した話は聞いているかしら?」
「うん!
でも難しい事はわかんない!」
「キーナはまだ子供ですものね」
無邪気に言い放つキーナは、子供らしくて可愛らしい。
まだ十二歳と幼いのだから、知らずとも問題ない。
「バルハ領では来年、グロール伯爵の商会にサンダルと帽子を商品として卸しますの」
「おろす?」
「売りますのよ。
それから藁糸も。
そして今からこの糸を使って試作する物も、できれば商品として卸し、んんっ、売れれば良いなと考えてますわ」
「どうして藁糸を?
それに何を作るの?」
小首を傾げるキーナを見ていると、淑女というにも幼い、スモールレディだった頃を思い出してしまいますわ。
あの頃の私は、好奇心の塊。
それこそ庭師のジョーにも「あれは何?」、「これはどうして?」と質問攻めにしていた。
「バルハ領の領民は、数が少ないんですの。
なのに商品を大量に作って売るには、人手が足りなくなってしまう。
だから商会には技術と、商品の元となる素材を売る事にしましたわ」
「技術って、売れるんだ?」
「ええ。
私が教える編み方は、幾つもパターンがありますの。
なので簡単なパターンから教えて、時間とお金を稼ぎますわ」
ファビア様も私も、優先するのは各々の利益。
商談をまとめるのに一週間もかかってしまった。
「でも全部教えたら、最後は何もなくなっちゃうんじゃない?」
「まあ、キーナ。
賢いですわ。
そんな風に考えられるって、素晴らしいんですのよ」
そう、調子に乗って、自分の手駒を全て曝すわけにはいかない。
そして売り出せる物を出し惜しみするのも、出し切るのもいけない。
何事もほどほどに出しつつ、次の手を考えていかなければ、商売はいつか暗礁に乗り上げてしまう。
マルク=コニーに転生してからというもの、ファビア様には助けられっぱなしだ。
だからと言って、ファビア様は他領の領主。
全面的に信用してはいけないし、こちらの利益を相手の言い値で決めてもいけない。
もしそんな事をすれば、婚約者を盲目的に信じたフローネ=アンカスのように、愚かな末路が待っているに違いないのだから。
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【紫陽花の花色豆知識】
・青系統色→酸性土壌(茶の木が適性)
・赤系統色→アルカリ性土壌(小麦が適性)




