36.月光に反射するのは……〜ファビアside
『ずっと……小さい頃から夢を見ていたんだ。
夢には赤い髪の女性が出てきて、私はきっと彼女に恋をした』
散々泣き叫んだ私は、ガルムに初めて夢の内容を伝えた。
夢の女性とマルク=コニー男爵が、どうしてか重なるとも。
『ああ、それでファビア様は……凛々しくあろうとなさったのですね』
ガルムが言外に何を言いたいのか、本当は何を言おうとして、凛々しくとしたのかは、わかっている。
ガルムに話した事で、その日は落ち着いた。
しかしこの日を境に連日、夢を見ては飛び起きるようになった。
赤髪の彼女が処刑される場面だけでなく、彼女の処刑後に空虚に過ごした日々も、夢に出てきた。
そして夢から覚める度、マルクが呟いた【エンヤ嬢】という言葉が気になって……日を追うごとに、とにかく気になって仕方なくなった。
『バルハ領へ視察に行き、業務提携を提案なさってはいかがです。
既に調べていらっしゃるのに、自ら確認しない商団主ではないでしょう、グロール伯爵は』
隈が濃くなった頃、ガルムにそう提案された。
マルクと会えば、夢の彼女と会えなくなるかもしらない。
両親を早くに亡くして踏ん張れたのも、あの夢が支えになればこそ。
そんな想いに囚われて躊躇していたのを、ガルムはお見通しだった。
ガルムの言葉で、いても立ってもいられなくなった私は、休憩も殆ど入れずに、三日三晩駆けてバルハ領に着く。
グロール家の所有する馬の中でも、持久力と筋力のある雄馬を選んで正解だった。
馬力もかなりある。
それに連絡係として、夜目が利く梟を連れていたのも、後から考えると良かった。
それにマルクの邸の場所を、ガルムが調べてくれていたから助かった。
とは言え手紙のやり取りを数回していなければ、バルハ領に入っても迷っていたかもしれない。
マルクの邸は良く言えば、大自然の中のぽつんと一軒家。
悪く言えば、人里離れた場所にある寂しい邸。
バルハ領は他領と比べ、閉鎖されている。
下手に領主の邸を聞こうものなら、不審者扱いだ。
貴族だと知られると、何かしらの犯罪に巻き込まれたりもする。
警邏もいない村々で構成される領地を訪れる際の、自衛でもあった。
邸に到着すると、マルクの姿はない。
使用人にも見えない領民が、領主であるはずのマルクの邸にたむろしていたのには、驚いた。
厳つくぶっきらぼうな口調の男達もいて、ほんの一瞬だけ、本当に一瞬だけだよ。
貧困から領民の暴動が起きて、マルクが吊し上げられているんじゃないかと……。
もちろん杞憂だったし、社交界でも受けの良い顔が、バルハ領では特に爺婆世代に受けた。
それにマルクと同じく、バルハ領民達も心が綺麗だったんだ。
マルクは山登りをしていたらしく、その間の鶏小屋の世話を頼んでいた。
領民の事を、よっぽど信用しているんだろう。
邸の出入りを自由に許していた。
バン爺と呼ばれていた領民に、身分を明かして知ったのは、マルクが山から帰らない事。
マルクの登った山は夏でも涼しく、突風が吹く。
細道を通る時に吹けば、危ない。
特にマルクは、いわゆる肥満体型。
運動神経も良くない。
ダンと呼ばれていた領民は、ロッティーと呼んでいるロバを必ず連れて行き、必ず予定通りに帰るよう伝えていたらしい。
ダンはマルクが素直だから、何日も予定を超過するはずがないと言った。
そんな時、荷を背負ったロッティーが戻る。
荷物には、コニーの登山グッズもあった。
なのにマルクの姿はない。
その上、バン爺の見立てではあるが、ロッティーの様子が、どことなくおかしいとの事だった。
私の目にもわかる落ち着かなさで、しきりに嘶き、何かを伝えるように動き続けていた。
余談だが、私の乗っていた馬がロッティーに体を擦り寄せると、ロッティーはしなだれかかって落ち着いた。
片方はロバだけれど、馬同士で何か通じる事があるのかもしれない。
日が少し傾きつつあり、あと一日待ってマルクが帰らなければ、領民達が有志を募って捜索に出ると決定した。
けれど荷物の中に、コニーが描き込んだらしき地図を見つけてしまう。
コニーの足で移動し、ロッティーの下山スピードも逆算すれば、大まかな場所を特定できるかもしれない。
それに馬はグロール家でも有数の、能力と力のある雄馬。
旅の共に選んだ梟なら、暗くなっても使える。
もちろん訓練もしていた。
夢の中で助けを求めていた赤髪の彼女。
彼女の叫び声が頭に響く気がした。
気づけば、地図と相棒を連れ、馬に跨って山へと駆けていた。
そうして日が落ち、さすがに不慣れな山で短慮に走ったと反省した頃だ。
まずは梟がピクピクと体を震わせて反応した。
首をくるくると回し、反応を見せる。
耳を澄ませば……。
野太い男の声が微かに聞こえた。
泣いていると、声の調子で察してしまう。
切実かつ切迫したような声が、夢の中の彼女の叫びと重なった。
『助けてえぇぇぇ!
誰かあぁぁぁ!
誰か助けてえぇぇぇ!』
間違いなく、マルクの声。
どこからだと四方に目を凝らすも、わからない。
ふと馬と梟が上を見上げる。
私もつられて、上を向いた。
ああ、満月で良かった。
マルクを見つけて最初に思った事は、マルクに一生かけて黙っておくつもりだ。
月光に小さく、微かに反射していたのだ。
マルクの頭皮が。




