35.執事長の忠告と赤髪の女性の最期〜ファビアside
「単身、バルハ領に乗りこんだって?」
この執務室へと侍従に案内されたヘリオス。
勝手知ったる様子でソファに腰掛けてから、開口一番に仏頂面で言い放つ。
「来て早々、いつの話をしてるんだか」
そう言いながらも、マルクと過ごした時間を思い出して、思わずクスリと笑う。
「メイドから聞いた」
「……そう。
あまりうちのメイドを誑しこむのは、感心しないよ」
「そんなんじゃねえよ」
ヘリオスは随分、ご機嫌斜めだ。
口調が荒くなっている。
執務机に置いてあったベルを鳴らす。
既に用意しているだろうお茶を、運んでくるよう指示を出す為だ。
「そもそもバルハ領から帰って、もう二ヶ月は経っているよ」
「それも聞いた。
俺が演習に参加してる間に……。
しかもコニー男爵の所で、一週間も寝泊まりしたんだって?」
歯噛みしていそうな様子のヘリオスに、やれやれとため息を吐く。
「失礼します」
ノックの音と共に、タイミング良く老齢の侍従長が扉を開けて入ってくる。
「ありがとう、ガルム。
ヘリオスに情報を漏らしたのがメイドで良かったよ。
侍女や侍従なら、解雇するところだった」
私達の前にティーセット置く侍従長――ガルムは、特に反応しない。
まあ、当然か。
ヘリオスはあくまで外部の人間だ。
主の行動を漏らすなど、いただけない。
それもバルハ領を訪れたのは、あくまで事業の一環なのだから、情報を漏らすのは余計まずい。
ガルムの頭の中では、どのメイドが漏らしたかを調べる段取りが、既にできているはず。
「……チッ。
……あー、もう!
悪かった!
メイドも入ったばっかりの子だ。
ファビア、ガルムも!
減給くらいで多目に見てくれ!」
ヘリオスに対して告げた言外の、今後は諜報活動めいた事はするなという釘刺しに、ヘリオスも気づいたようだ。
舌打ちは幼馴染という立場でありながら、私に線引きされた苛つき。
そしてお互いが貴族だという事を忘れ、違う家門の人材を損なわせるという、損害を与えそうになった過失への焦りもあっての事だろう。
「メイドはメイド長と侍女長とも話して、処遇を決めるよ。
ヘリオス。
私達は幼馴染だけれど、私は伯爵で、私達は縁戚ではないよ。
ヘリオスは侯爵令息であり、騎士でもある。
これからは私の邸の者に尋ねるくらいなら、私に直接聞いてね。
もちろん私も、自分の邸に勤める使用人達への教育は、徹底するよう通達しないと。
ね、ガルム」
「申し訳ありません、ファビア様。
至急、対応致します」
「ガルム、悪い!
ファビアも、次はそうする。
探るつもりじゃなかったんだ」
「わかっているよ。
ヘリオスは世間話の感覚で聞いたんだよね。
メイドも高位貴族の令息で、騎士団にも所属している主の幼馴染だと知っていたから、気安く話しただけだとは思う」
とは言えそれはそれ、これはこれだ。
「せっかく来たんだから、飲みなよ」
「ああ。
ぐっ……にっがっ……ガルム、怒ってんな」
「え?」
ガルムの出したお茶を勧めれば、ヘリオスが顔を顰めた。
ヘリオスのカップを奪い、軽く口に含む。
「ヘリオスが来たら、コニー男爵から受け取った緑茶を出すよう伝えてあったけれど……ふふふ。
ヘリオスのそれ、三番茶だね。
入浴剤の代わりに使ってくれと渡された物だよ」
「にゅ、入浴剤!?」
「飲んでも害はないんだ。
緑茶だからね。
ただ、甘味より苦味や渋味が強く出る」
「ガルム、激怒してるんじゃ……」
「怒ってはいないけれど、ガルムなりの忠告じゃないかな」
「はあ……ガルムには昔から頭が上がらない」
ヘリオスがため息混じりに天を仰いでから、咳払いを一つする。
気を取り直したように、どこか真摯な眼差しで私を見た。
「コニー男爵に、特別な感情があるのか?」
ヘリオスの口調も真剣だ。
何と答えるべきかと、バルハ領を訪れてからの一週間を逡巡する。
いや、正確にはバルハ領へと向かうに至った、自分の中でのきっかけからだ。
『やめて!
私は無実ですわ!
誰か助けて下さいまし!
誰でも良い!』
ああ、今思い出しても胸が張り裂けそうに痛む。
時折、夢に見ていた赤髪の女性。
彼女が叫ぶ、心の底からの助けを求める声。
薄汚れた格好で、後ろ手に縛られた彼女。
騎士に押さえつけられ、見せしめのように赤い髪を肩から切り落とされた。
群衆が注目する中、台の上に設置されていたのは大きなギロチン。
その台の前で繰り広げられた光景は、悲惨だ。
恐怖から、声を上げられなくなった彼女は、ギロチン台へと跪かされる。
そんな悲惨な台から、少し離れた天幕。
そこで私は叫んで、持てる力で抗っていた。
『止めて!
止めさせて!
彼女は無実よ!
わかっているくせに!』
駆け出して、救い出したい。
叶わないなら、せめて彼女の手を握って恐怖を和らげたい。
なのに私は背後から、誰だかわからない男に阻まれている。
強く抱き締められていて、力で勝てずに天幕に留められている。
『斬首刑を決行する!』
『『嫌ぁぁぁ!』』
刑の執行が告げられた。
私と彼女。
二人の悲鳴が被る。
――ガシャーン!
『嫌ぁぁぁ!』
刃が落ちて……天幕の中で、私だけが叫び続けた。
初めて見た、いつも夢に見る赤髪の彼女の最期。
飛び起きたファビアもまた、夢の中の私と同じように叫んで、寝起きのガルムが慌てて部屋に駆けつけるまで、錯乱し続けた。




