34.ポンポン、ヒイィィィ!
「ヘリーにも、もちろんマルクから贈られた帽子とサンダルを渡しておいたよ?」
「え、えと……お手間を取らせてしまって、ごめんなさい、ですわ?」
何となく……何となくですけれど……ファビア様のエレガントな全方位完璧王子様モードが一変してますわ?
ヘリーの話をした途端、ファビア様の微笑みに圧が増した気がする。
どうしてか淑女時代に嗜んだ大衆小説を思い出した。
確か、あの小説には腹黒王子やら、ヤンデレ王子やらと表現されてましたのよね。
どうして今、ファビア様を見て思い出したのかしら?
「ねえ、マルク?」
緑茶を飲み干したファビア様が、洗練された動きで茶器を置く。
優雅に立ち上がって……。
「あああ、あの!?」
私の隣に腰掛けた!?
近いですわ!
ファビア様のお顔が、ズイッと近づきましたわ!?
「マルクは、ヘリーが、随分と、気に入ったんだね?」
「!? !? !?」
何を言っているのか、頭に入ってきませんわ!
何で短く区切って話してますの!?
はっ、口臭!
思わず体を離す。
あまりに近づきすぎだ。
お風呂に入った時、体だけでなく歯も磨いた。
念には念をと、庭に植わったローズマリーの新芽を口に放りこんで、噛み砕いて飲みこんでから応接間に入った。
けれど、オッサンの口臭と胃臭、舐めんじゃねえですわ!
「そんなに気に入った?」
ファビア様!?
どうして更に体を近づけますの!?
近いですわ!
息がかからないよう、体を仰け反らせたまま、顔を背ける。
パニック、パニック、パニーック!
頭の中が真っ白になりますわ!
ファビア様、何か怒ってますの!?
何がいけなかったのかしら!?
必死に状況を整理して、ある事に思い当たった。
そうですわ!
ヘリーは平民!
その上、ファビア様の使用人だ!
「ききき、気に入ってませんわ!」
口元を両手で覆って、叫ぶ。
ファビア様と目を合わせた。
き、綺麗なお顔ですわね!
まつ毛も長くて、顔の造りがあまりに繊細!
小顔で殿方ですのに、女性にも見えますわ!
外見はオッサン、中身が乙女な私の中で、色々な意味で危ない扉を開きそうな、やべえ感覚に陥りそうですわ!
「あああ、あくまで、お世話になったからですわ!
ち、近いので、少し離れて下さいませ!」
そう言って片手は口元を覆ったまま、もう片方の手でファビア様の胸元を押す。
ファビア様の目が、大きく見開いた気がした。
もう臭えんですの!?
それはそうですわね!
変な脂汗が噴出しそうですもの!
涙がちょちょぎれ、火が出そうなくらい顔が熱くなる。
更なるパニックに陥りながら、再び両手で口元を覆った。
「あああ、あまりに近いと、臭え臭いがしますわよ!
私から!
とにかく離れて、距離を取って下さいまし!」
何故か固まるファビア様。
もう顔を合わせていられない。
「破廉恥ですわぁぁぁ!」
もう駄目!
恥ずかしいですわ!
今度は顔を両手で覆ってうつむく。
「あー、ごめんね、マルク」
ややあって、ファビア様の体が少し離れる気配がした。
「マルクが可愛くて、つい顔を見つめたくなったんだ」
可愛いって何ですの!?
まさかオッサン顔が、お好き!?
何の性癖を暴露してますの!?
なんて混乱していれば……マルクの薄毛頭皮をポンポンとソフトタッチ……えぇぇぇ!?
ポンポンタッチですのぉぉぉ!?
手つきはとっても優しく、恐らく反省なさっているのが窺える。
しかし……しかしだ!
「ヒイィィィ!」
野太い悲鳴をほとばしらせながら、片手でバッとファビア様の華奢な手首を掴む。
「うーん、そんなに嫌だった?」
ファビア様が苦笑するも、無視してもう片方の手で、おしぼりを握る。
「違いますわぁぁぁ!
臭え脂がつきましたのよぉぉぉ!」
華奢な手を上向けて、おしぼりで擦りつけるように拭う。
唖然としたファビア様は、私にされるがままだ。
やがて、くすくすと笑い始めるファビア様。
さっきとは打って変わって、優しげな、女性のような柔らかな笑み。
あら?
この、眉が八の字になったような、クスクスと笑う口元を、拳を握って笑う、淑女らしくない笑い方……。
窓からさしこんだ陽光が、ファビア様の白金髪に当たり、薄く青く煌めく。
「エンヤ……嬢……」
思わず、淑女時代に縁のあった子爵令嬢の名を呟いてしまう。
するとファビア様が、ふふ、と今度は嬉しそうに、懐かしそうに微笑んだ。
私の言葉に驚くでもなく、聞き返すでもなく……。
「あの……ファビア様?」
過去の令嬢の名前を失言する私から、ただただ微笑んで、ファビア様は再び対面に座る。
「それでね、業務提携の事なんだけど……」
「前触れなき貴族紳士スマイルですわ。
本題に入るの、唐突すぎますわ……」
「マルクにとっても、バルハ領にとっても、悪くない話だと思うよ」
「つ、続けますのね……」
気持ちの切り替え、お流石ですわ。
オッサン、ついてけませんわ。
「続けない方が良いかな?」
「い、いえ、続けて下さいまし!」
もちろん私は現バルハ領主であり、前世は女伯爵だったのだ。
矜持を奮い立たせ、背筋を正してファビア様と話し合う事にした。




