30.尻ソリーからの、絶望
「さ、寒いですわ……夏だからと、舐めてましたわ……」
ガタガタと震えながら、岩の窪みで冷たい風をやり過ごす。
「テ、テントが欲しいですわあぁぁぁ!」
――わあぁぁぁ! あぁぁぁ……ぁぁ……。
順調だったテント生活を恋しく思いながら叫ぶも、虚しく木霊して、シーンとした。
「うっうっ、どうして、こうなるんですのぉ……うっうっ」
涙を浮かべて、打ちひしがれる。
ロッティーとのテント生活は順調だった。
目当ての物も見つけて、ひとまず必要そうな量も確保した。
荷造りしたついでに、自分のリュックもロッティーの背中に載せて、私は手綱を引いて歩いて山を下りていた。
はひぃ〜、はひぃ〜、すう〜、すう〜、と息を上げつつ、頑張って歩いた。
予定より2日ほど山に長居してしまったからと、頑張った。
そうして人が一人通れる、片方が急斜面になっている道に差し掛かる。
ロッティーと並行して歩くには難しいくらいの狭さだった。
その時、悲劇が起きた。
『あいたっ』
前触れなく、ツキンと膝に痛みが走る。
短く痛みを叫んだ私は、思わずロッティーに繋がる手綱を手放した。
痛みの走った膝へ反射的に手をやり、かがみかけた。
――ビュウゥゥゥ!
次いで、斜面から上に吹き抜けるように突風が吹いた。
『へ?
……ンガッ!?』
かがみかけた私は上半身でもろに風を受け、まずは片方の壁になっていた草木に覆われた斜面に肩を強打。
からの、肩肉がポヨンとバウンド。
からの、痛む足に力が入らず、ズルンと滑って転びながら、もう片方の斜面へと尻持ち。
からの、尻ソリーをしながら、そのままお尻で草の上を滑り落ちて行く。
『きゃあぁぁぁ!?』
『ブフヒン!?』
自分の野太い悲鳴と、ロッティーの「ちょっ、待てよ!?」的な嘶きが虚しく木霊する。
『ヒイィィィ!
崖ぇ〜!』
どんどん下に向かうにつれ、その先にある崖が口を開けているのが見える。
『神様、お助け下さいまし〜!
ヒイィィィ!』
私をこの世界のマルクの体に突き落とした神様に向けて叫ぶ。
そうして真っ逆さまに落ちると覚悟した。
とにかく両手でがむしゃらに草を掴んで、千切れては掴んでを繰り返す。
そうして崖まで足先が落ちた時、間一髪、縄を掴んで……。
『と、止まりましたわ……』
縄だと思ったのは、太い蔦。
斜面に寝そべってバンザイした状態で、太ももの真ん中まで落ちていた。
『ギリギリ、セーフでしたわ』
ホッとした。
のも、束の間。
――ブチィッ。
蔦、切れましたわ。
体重、少しは減ったはずですのよ……。
『ヒイィィィ!』
誰にともなく、刹那の言い訳をかましつつ、再びほとばしる野太い悲鳴。
体は崖を落ちて……。
――ドシン。
『あ、あら?』
落ちれば確実に死にそうな崖の途中に、偶然できていた人が一人寝そべった程度の地肌が顕になった段。
恐らく勢い良く滑り落ちれば、飛び越えていただろう程度の地面に着地して、尻持ちを突いた。
助かった事にホッとし、ホッとしたからこそ、今度は恐怖に襲われる。
膝がガクガク、腰は抜け、立ち上がれない。
『せせせせせせ、セーフ!
セーフですわ!
おほほほほ!』
人間、恐慌状態に陥ると、笑うんですのね。
なんて考えながら、震える声で笑いつつ、抜けた腰でどうにか崖肌に背中をつけるように移動する。
下は急転直下の崖。
崖下には、地肌が覗く山道が見える。
落ちたら死ぬ。
上を見上げれば、自分の身長より幾らか高い場所に切れた蔦がブラブラしている。
そんな状態で、かれこれ数時間が経過した。
「そろそろ日が暮れますわね。
抜けた腰は戻ったものの、蔦にジャンプして飛びつくなんてできませんわ。
腹がつかえて、壁にポヨンと反射しようものなら……」
今一度、下を見やる。
「むむむ無理。
絶対、無理ですわ」
ゾッとして、再び壁に背をつける。
「頼みの綱は、ロッティーですわね」
せめてロッティーが邸の方へ戻れば、誰かが気づいて助けに来てくれるかもしれない。
「でも……また見捨てられたら……」
少し落ち着いたとはいえ、非常事態という恐怖に依然として見舞われている。
そのせいだと、頭のどこかでわかっている。
わかっていても、フローネ=アンカスとして処刑された時に見た、婚約者や使用人達の顔がちらつく。
誰も助けてくれなかった。
裏切られた。
きっとマルクだって……。
「うっ、うっ、そんな事、ありませんわ……」
必死に、フローネの記憶を打ち消す。
「ありません……ありませんのに……」
駄目だ、消えてくれない。
日が沈み始めてしまい、風がどんどん冷たくなり、絶望感を更に煽られる。
「うっ、うっ……うわあぁぁぁ!
うわあぁぁぁん!
うわあぁぁぁん!」
とうとう、タガが外れたように泣き叫ぶ。
「助けてえぇぇぇ!
誰かあぁぁぁ!
誰か助けてえぇぇぇ!」
きっとフローネの最期の時のような、情けない鳴き声だろう。
いや、今はオッサンだ。
もっとずっと見苦しいはず。
「助けてえぇぇぇ!
誰かあぁぁぁ!
誰か助けてえぇぇぇ!」
それでも声の限り、フローネの分も叫ばずにはいられなくて……。
「うっ、うっ……ふふっ……無駄、ですのに……どうせ、どうせ……」
暫く泣いて、声がさすがに枯れかけて……笑いが漏れた。
どうせ、誰も私のことなんて助けてくれない。
そう続けようとした時。
「……ぃ、……しゃく……」
ふと、聞き覚えのある声がして、顔を上げる。
「お~い!」
今度こそ、誰かの声が下からはっきりと聞こえた。




