29.野宿とテント生活
「はひぃ〜、はひぃ〜……すう〜、はひぃ〜……く、苦しいですわ……」
「ブフン、ブフン」
愛馬、いえ、愛ロバのロッティーに愚痴を言えば、情けない奴だと言わんばかりに、ロッティーが鼻を鳴らす。
「くっ……このなじるようなつぶらな瞳……はひぃ〜、すう〜、これはこれで可愛らしいですけれども……はひぃ〜」
「ブフゥ〜ン」
訳:そうでしょう、ウッフン(ウィンク)。
的な流し目をロッティーがしてますわ。
ロッティーなりに、私を励ましてくれてますのね。
「ええ、可愛らしいですわ、はひぃ〜」
「ブフン」
「くっ、愛嬌を振り撒いてからの、蔑み鳴き、すう〜」
ロバに舐められてますわ。
でもこれはこれで可愛らしいかもしれませんわ。
何より、登山のお供にロバは手放せませんもの。
「すうぅぅぅ〜、ふうぅぅぅ〜」
呼吸を整える為、一度、大きく深呼吸する。
鼻から抜ける臭え空気に、ある意味疲れが吹っ飛んでスンとなる。
「長時間に渡る口呼吸後の、深呼吸……臭えのがダイレクトですわね」
「ブフヒン、ブフヒン」
「ロッティー、珍しく素速いパカパカ後退を、このタイミングで見せるなんて。
酷いですわよ」
「ブフヒン、ブフヒン」
「わかってますわ。
批難鳴きしなくても、臭えのはわかってますのよ」
その時、清々しい山の風が、ザッと吹く。
臭え臭いが、一瞬で霧散する。
「ブフヒィン」
「ロッティー……助かった、みたいな鳴き声を出さないで欲しいですわ」
ダンの茶の木に生えた三番茶を摘み終わった翌々日。
私はダンの住む場所から、更に上へと登った山の形状を詳しく聞いて、登山を始めた。
「形状を聞く限り、アレが堆積していても、不思議ではありませんのよね」
ダンの話では山頂に近づくほど、寒くなる。
更にそこまで大きくない水辺も、幾つか点在しているらしい。
「ふふふ、もしかするとバルハ領で更なる名産を作れるかもしれませんわ」
大きめのリュックから、用意していたおしぼりを取り出して、首筋と顔、ついでに薄めの頭皮も拭き上げる。
おしぼりには、取れたばかりの三番茶で淹れた緑茶を含ませてある。
「ナーシャにお願いして、かなり急いで作ってもらったけれど、三番茶はやはり飲むより、こうして使う方が需要もありそうですわね」
三番茶は一番茶や二番茶より、人が好んで飲みたくなるような、爽やかでフルーティーな甘味と風味は少なかった。
どちらかと言うと苦みが表立って感じられた。
もちろんそれはそれで、一つの味わいとしてアリだとは思うけれど。
「既に小麦は収穫し終わってますし、茶葉の収穫も終わりましたわ。
小麦の方の土壌改良は、既に進めてましたけれど、茶畑の方は盲点でしたわね」
淑女時代に邸で雇っていた庭師のジョー。
彼は紫陽花の色がどうして変化するのか、植物が好む土壌は個々に違うといった事も教えてくれた。
といっても当時の私には全く不要なお話。
話半分にしか聞いていなかった事が悔やまれる。
「色々な事に耳を傾ける癖をつけておけば……良かったですわね」
思わず苦笑する。
関係ないと思っても、聞くだけならと耳を傾けるようにしていれば良かった。
そうすればもっと広い視野を持てて、人を見る目も養えたかもしれない。
淑女時代の婚約者は、信用すべきでない人だったと今なら断言できる。
そんな人を信用したせいで、ジョーはある日突然、解雇されたのだ。
なのに主のはずの私は、ジョーの解雇を知らずに暫く過ごしていた。
知ってからは解雇した婚約者が悪いのだと、心のどこかで責任逃れをする気持ちがあった。
「ブルル」
「まあ、ロッティー。
慰めてくれますの?」
不意に、私から距離を取っていたロッティーが、私の体に頭を擦りつける。
「大丈夫ですわ。
マルク=コニーとして転生して、突然臭えオッサンとなり、伯爵より格下の男爵となったからこそ、気づけた事がありますのよ」
ロッティーはツンデレですわね。
可愛らしいですわ。
ロッティーの体を、優しくポンポンする。
女とはいえ、フローネ=アンカスは伯爵だったのだから、本来なら誰のせいにもしてはいけなかった。
そもそも人は、こんな臭えオッサンにすら優しくしてくれるような生き物。
根っからの悪人もいるかもしれないけれど、環境が悪人を作り出す事もあるのかもしれない。
もしも私に女伯爵としての覚悟が備わっていれば、婚約者に運営を任せきりにはしなかった。
婚約者だって最初から私を、嵌めようとはしていなかったのかもしれない。
「失った人生は取り戻せませんわ。
けれど今度の人生こそ色々と視野を広げて、せめて領民くらいは守れる領主になりますのよ!」
決意も新たに、おしぼりをリュックに仕舞う。
「さあさあ、ロッティー!
目指すは湿原地!
ここからは山道を進みながら、草木が茂って湿っぽい場所を、重点的に調査しますわよ!
既にメルディー領主にも、ヘリーにも、新たに作り上げた帽子とサンダルの第二弾は贈りましたし、時間もできましたわ!
この辺りを調査したら、次のスポットへとレッツゴーですわ!
暫くは野宿に付き合ってくださいましね、ロッティー!」
「ブフン!」
ロッティーも付き合ってくれる気満々ですわね!
淑女時代にはできなかった野宿!
テント生活!
楽しみですわ!




