28.ギフト効果
「茶の木が……はあ、はあ、枯れるかもしれねえ、はあ、はあ」
突然、私の住む邸を訪れたかと思えば、玄関先で絶望的な顔をしてポツリと漏らしたのは、ダン。
恐らく慌てて、山の麓から駆けてきたのだろう。
まだ午前中の比較的涼しい時間帯とはいえ、今の季節は真夏。
ダンは汗だくだ。
「……どういう事か、まずは中に入って聞かせてくださいまし」
「……ああ」
まずはダンを落ち着かせつつ、邸の応接間へとダンを通すべく、邸の中へと招き入れる。
そう言えば、応接間に人を通すのは初めてですわね。
今日は使っていない客室を掃除しようと、朝から動いていた。
まだ掃除に取り掛かる前で良かったと安堵し、通りがけにドアを開けっ放しにしていた客室へとサッと寄る。
自分用のおしぼりと、冷茶を載せた盆を取り、ドアを閉める。
「……臭え」
「!?」
ボソリと呟かれた声に、思わず後ろをついてきていたダンを見やる。
するとダンは浮かない顔をして、何やら考えこんでいた。
ダン……今、無意識に呟きましたわね!?
心ここにあらずな顔をしてますわ!?
絶対、無意識ですわ!
てことは今の発言、絶対に心から出た本心ですわね!?
ダンの一言を責めるよりも、今部屋を掃除しようとしていたんだと言い訳をするよりも、自分の感覚に対して愕然とする。
臭え部屋だと、気づいていませんでしたわ!
鼻が麻痺してますわ!
私、完全に臭え臭いを、臭えと認識してませんでしたわ!
もはや無臭にすら感じるほど、この邸の臭いは自分のベースホームな臭いになっていたとは!
ああ……絶望してしまいますわ。
嗅覚死んでますわ……。
乙女心も瀕死ですわ……。
泣きたくなる気持ちを抑えて、ダンの呟きなど聞こえていなかった体を装いつつ、応接間へと迎え入れる。
「お茶とおしぼりをどうぞ。
汗を拭いて落ち着いたら、話して下さいな」
邸に侍女がいない為、自分でお茶を出す。
ダンは暗い表情のまま、私の言う通りにした。
向かい合わせで座ろうと腰かける。
するとソファが思った以上に沈んでしまった。
くっ、空気がソファからバフンと漏れ出て、上昇しましたわ!
臭い、大丈夫ですわよね!?
応接間はこの邸に住むようになって、真っ先に掃除しましたもの!
ずっと定期的に、換気も拭き掃除もしてきましたわ!
内心ではアワアワと慌てふためきつつも、キリッとした外面を何とか維持する。
ダンの顔をガン見してしまいますわ!
ああ、変な汗が!?
おしぼりはもうありませんのに!
「くそっ、何でだ……例年通りに、茶の木の周りに肥料だって撒いたのに……」
良かったですわ!
良くないけれど、良かったですわ!
ダンの心は、茶の木にゾッコンですわ!
ダンの様子に、ホッとしつつ、領主としての体裁を保とうと口を開く。
「ダン、まずは三番茶を収穫しましょう。
先週まで、三番茶用の芽は無事でしたわ。
芽から枯れているわけではないのでしょう?」
「そりゃ、そうだが……」
「少し考えがありますの」
「考え?」
「ええ。
今年の冬頃に撒く肥料も含めて、土壌の改良をするのですわ」
「土壌の改良……でも、失敗すりゃ……」
「うちの畑で育てていた苗木は、順調……順調以上に育ってますの」
「順調以上って、何だよ……」
「とにかく!
新たに植樹する苗はありますし、ダンのお陰で渋柿液もありますわ。
あと少しすれば小麦も収穫時期を迎えますが、今年は比較的豊作。
縄の糸で編んだサンダルも、現段階で生産可能な数分だけ、既に受注を受けてますわ。
一番茶と二番茶の卸し先も、既に確保できておりますし、トータルすれば、去年の領収は上回っておりましてよ。
ダンが心配している事を分析するなら、それは来年の茶葉の生産量が減る事では?
今ではありませんわよね?」
人は未来への恐怖や不安を、今時点のものと勘違いしやすい。
だからダンの不安がどの時点で起こるものか、あえて指摘する。
「それは……そうだな。
できれば三番茶は来週収穫したかったが、明日から収穫しても問題は……まあ、ねえか。
どういうわけか今年は、新芽が伸びるのも速えしな」
「そうでしょうとも、そうでしょうとも」
最近、やはりと自覚している事がある。
庭に植えたハーブや、茶の木の苗木も含めて成長が速い。
神様のギフト効果が、まさかこのタイミングで発揮されるとは思わなかった。
神様の言う通り、確かにマルク=コニーにはうってつけの【植物なんかがほんのり早く成長するくらい】なギフトだ。
「それでは明日、三番茶を急いで収穫ですわね!
近くの領民達にも手伝ってもらうよう、お願いしてみますわ!」
「……ああ、よろしく頼む。
にしても、随分と領主っぽくなったもんだなあ」
「そうでしょうとも、そうでしょうとも!
私は領主として、目覚めたのですわ!」
ダンの感慨深げな物言いに、気を良くした私。
しっかりと相槌を……。
「臭えだけの泣き虫なオッサンだったのになあ」
相槌の出鼻を挫きにきたやつですわね。
しかもダンからは悪意の類が一切感じられない。
むしろできの悪い子供の成長を喜ぶ、親戚のオッサンみたいな顔になってますわ。
「ふぐっ……そうですわね」
心で大泣きしても、目尻に涙が浮かんても、絶対泣いてやりませんことよ!




