23.墨と青柿
――グツグツグツグツ……。
「いい感じですわぁ〜……ふっふっふっふっふっ……」
青空の下、二番茶の収穫を手伝い、休憩時間を使って大鍋にたっぷりと水を入れた私。
鍋に火をくべ、グツグツと沸騰を始めた水面を見て、ニヤリと笑う。
「さあさあ〜、藁を入れましたわよ〜」
――グツグツグツグツ……。
あらかじめ用意しいた、裂いた藁束。
これをお湯に浸し、煮込んでいく。
「出せ〜、出すのですわぁ〜」
藁に訴えかけつつ、鍋に木の棒を突っこんでグルグルと混ぜる。
「お母さん……マルクさんが完全に変……」
「キーナ、しっ。
そっから先は……」
私を遠巻きにして、ヒソヒソと話しているのはナーシャとキーナ。
どうしたのかしら?
キーナが何か言いかけて……。
「うぉいぃ!
俺の妻子の前で、やべえ変態オッサン面を曝してんじゃねえ!」
「へ?」
冷たい緑茶を取りに行ったはずのダンが、私の前に乱入してくる。
ただ作業しているだけなのに、変態オッサン面?
状況がわからずキョトンとしている私に、ダンが言い放つ。
「だーかーらー!
汗だくで頭にへばりついた髪!」
「へ?
か、髪!?
髪は不可抗力ですわ!」
「その湯気で煮立って滲んできた脂!」
「くっ……脂も不可抗力……」
「更には、さっきまでのニヤけた面!」
「そ、それは……藁に声かけをしていると自然に……」
「立派にやべえ変態オッサン面だろうが!」
「!?!?!?」
ダンの弾丸トークに、ピシャーン! と体に稲妻が落ちたかのような、何かが走りましたわ!
「……ひっ……酷いですわー!
本当の事でも、もっと言葉を選んで欲しいですわー!」
思わず鍋の藁を棒でグルグルとかき混ぜながら、泣き叫ぶ。
「酷いですわ!
酷いですわ!
酷いですわぁぁぁ!」
「あーあ、お父さん……」
「ダン、あんた……」
「な、何だよ……」
「「さすがに可哀想」」
「ふ、ふぐっ」
そんな私の乙女心を気遣うキーナとナーシャ。
私を擁護する妻子に、思わず口を噤むダン。
「ほらほら、マルクさん……うっ、臭っ」
「!?」
キーナが私に近寄るも、一歩下がりましたわ!?
「あらら……旦那ばかりか、娘まで……ご、ごめんよ……獣臭っ」
「!?」
なんと!?
獣!?
ナーシャも近寄ってからの、一歩下がりましてよ!?
「うっうっうっ……」
「いや、トドメ刺してんの、お前らじゃねえか……」
ダンのつっこみに、その通りだと内心頷きながら、混ぜていた棒を手放した私。
とうとう地面に突っ伏してしまう。
「ほらほら……とりあえず脂拭こうぜ?
な?
俺が悪かったよ」
「「私もごめん」」
近くに用意しておいた、緑茶を含ませたおしぼりを手に取ったダンが、私の顔をそっと拭いて慰めてくれる。
どうやらダンは、私の臭いに耐性があるらしい。
逆に申し訳なげにする母娘は、あと一歩のところで留まっているから、耐性はないのだろう。
「うっうっ……世知辛いですわぁ……」
「つうか何で、こんなとこで藁なんか煮てんだよ?
陽が差す野外で、湯を沸かしてりゃ、汗も脂も出てくんだろう」
「グスン。
昨日思いついた事があって。
でも、今日も二番茶を収穫するお約束をしてましたでしょう?
どうせなら休憩時間で、やってしまおうと……」
「んだよ。
んなの気にせず、今日は止めとくって言ってくれりゃ良かったんだぞ?
もうマルクがバルハ領主で、色々と領の為に動いてんのは知ってんだからよ」
そう、少し前までダンは私がここ、バルハ領の領主だと知らなかったのだ。
「いえ、私も二番茶の収穫をしてみたかったのですわ。
ついでに、ダンの育てる柿の木に、そろそろ青柿が成っていないか見ておきたかったのもありますし」
「はあ?
青柿?」
そう。
ダンは茶の木以外に、柿の木も育てていた。
きっと探せば、バルハ領内の山には柿の木も自生している。
ただ思いついたのが本当に昨日だったのと、自生する柿の木を探すより、ひとまずダンから青柿を分けてもらえるか交渉する方が、効率的だと判断したのだ。
「左様ですわ。
青柿と、それから墨を使って麦藁を染めたいんですの!」
「そもそも麦藁は水を弾くよね?
染まらないんじゃ……あ、だから?」
「そうですわ。
余っていた貝灰を浸した上澄み液で煮れば、麦藁の油分が出て、染まりやすいのではないかと思いましたの。
もちろん今日は、思いついた事をやってみるだけでしてよ」
私が藁を煮ていた理由に至ったらしいナーシャに、そうだと頷く。
「何で青柿?
墨はわかるけど、染めるなら山桃とかのが、いいんじゃねえか?」
確かに、ただ染めるだけなら山桃の方が綺麗かもしれない。
けれど私が目指すのは……。
「いえ、これぞ脱臭領地改革に必要な、重要アイテムとなりますのよ。
墨は邸にありましたから、麦藁を煮さえすれば、いつでも染められますわ。
でも青柿は発酵させる必要があるので、今収穫したとしても、二年は使い物になりませんの。
だから今の内にと……」
「発酵?
発酵か……あるには……あるぞ?」
「え?
どこに?」
「家の……貯蔵室?
でもどうなってんのかわかんねえぞ?」
歯切れの悪いダン。
いつもはチャキチャキと喋るのに、珍しい反応ですわね?




