22.メルディ領主からのアドバイス
「色づけ……スタイリッシュ……」
かぎ針編みを領の少女達を中心に、順調にレクチャーしていってから一月が経った頃。
緑茶の香りが漂う執務室で、私は手紙を読みながらブツブツと呟いていた。
手紙の送り主は、メルディ領主。
フレッシュな香りと共に、苦みも一番茶より増している緑茶は、少し前に取れたばかりの【二番茶】だ。
この手紙が届いたのには、ある理由がある。
【藁の糸】で私が編んだ帽子。
そしてもう一つ。
私が思いついた試みを形にした、ある物。
この二つの品物と一番茶をメルディ領主である、グロール伯爵に贈っていたからだ。
マルクになったばかりの時、お世話になったお礼のつもりだった。
減税についてアドバイスしてくれた事も含めて、グロール伯爵には何かを贈らねばとずっと考えていて、少し前にやっと送る事ができたのだ。
もちろん感謝を綴った手紙も添えている。
更に、あの日の臭さが際立っていただろう私を、バルハ領まで送り届けてくれた使用人にも贈ってみた。
ヘリーは平民だったから、文字が読めない可能性もある。
だから領主に宛てた手紙の中で、ヘリーにお礼の言葉を伝えてもらうようお願いしてあった。
今読んでいる手紙には、ヘリーも喜んでいたと書かれてある。
グロール伯爵はもちろん、ヘリーだって麦藁で編んだ物を贈られたのは、きっと初めてだろう。
私も贈った事はないし、贈答品として聞いた事もない。
マルクの記憶を探っても、そんな物はなかったから、きっと私が初めてじゃないだろうか。
何よりオッサンの私が編んだ物だ。
喜ばれないのはともかく、気持ち悪がられたら……。
「そんな一抹の不安があったけれど、杞憂だったみたいですわね」
読んでいて手紙を、ほっと一息吐きながら、そっと机に置いた。
淑女だった頃。
毛糸で編んだセーターを、婚約者に贈った事がある。
私自身、気づかずにいたのだけれど、私の赤い髪の毛を一本、毛糸に絡ませて編みこんでいたらしい。
髪の毛に気づいた婚約者から、滅茶苦茶に気味悪がられた。
以来、誰かに自ら編んだ物を贈った事は……。
「ああ、そう言えば……エンヤ嬢に……」
ない、と思いかけたものの、あった事を思い出した。
婚約者から突き返されたセーター。
使っていた毛糸はカシミヤの、ふわふわした高級毛糸。
セーターはかなり時間をかけて作った、力作でもあった。
勿論、男物のセーターは、二本の編み棒で編んでいた。
その方がかぎ針編みよりも、ふんわりと仕上がる。
婚約者への気持ちを込めて編んだセーターだ。
毛糸も良い物を使っていた。
捨てるのも忍びなく……。
だから解いて、かぎ針で自らが使うケープとして、編み直した。
これでもかと、立体的な花柄をたくさん編んで散らせた。
それを昼間に行われたある茶会で、ドレスの上から身につけて会場入りした。
今思うと、乙女の力作を突き返した婚約者への、ちょっとした当てつけもあった。
と言っても、婚約者の知るところではない。
女ばかりの集まるお茶会だから、私が死んでからも婚約者が知る事はなかっただろう。
誰か一人。
それが会場の使用人でも構わない。
僅かな時間、誰か一人の目にでも留まってくれれば、傷ついた乙女心が癒やされるだろう。
そんな軽い気持ちで身につけて……。
『綺麗』
馬車で来場し、会場の使用人に持ち物を預けるまでの僅かな時間。
短い時間で私のケープを褒めてくれたのは、使用人ではなかった。
同じく来場していた、エンヤ嬢。
彼女一人だけが、私のケープを目に留めてくれた。
小さな呟きと、ケープを見つめるキラキラした瞳に、何故か泣きそうになってしまったのは、今でも秘密だ。
『…………そう。
差し上げますわ』
思わず口を突いた言葉。
『えっ?』
『はっ……いえ、何でも……』
何を口走ったのかと、慌てて撤回しようとした。
なのに……。
『いいんですか!?
ありがとうございます、アンカス伯爵令嬢!』
エンヤ嬢は、すぐさま使用人からケープをもぎ取っていた。
「ふふふ、まだ爵位を継ぐ前の、麗しい思い出ですわね。
喜んでいただけたとは……ええ、今思い出しても嫌がっていたようには、見えませんでしたわ。
けれど……もしかするとエンヤ嬢のご迷惑になっていたかしら?
実際のところは、今さらわかりませんわね」
エンヤ嬢は、子爵令嬢。
身分で言えば、私が上。
けれども私は、新興貴族。
対してエンヤ子爵家は、身分的には私より低くとも、代々の貴族家。
あの頃の私には、新興貴族の立場が社交界において、あんなにも悪いとは自覚できていなかった。
「考えが至りませんでしたわね。
そんなにも浅はかだったから、婚約者に騙された挙げ句、処刑される事になりますのよ」
思わず苦笑してから、気持ちを切り替える。
「形は従来の麦藁で作る品物と違うから、スタイリッシュで良し。
どうせなら色をつけて、購買意欲を煽るんですのね。
減税について教えていてだけた事だけでも有り難かったのに、こうしてアドバイスまでしていただけるなんて。
グロール伯爵は、なんて優しい方かしら!」
グロール伯爵はスラリとした体型に、とっても麗しい、中性的な顔立ちをした方だった。
彼に似合うと思って、麦藁素材の帽子を編んで贈ってみたのだ。
ちなみにヘリーはハンチング帽。
他にあと一つ、二人には全く同じ品物を贈っている。
普段使いの消耗品として、気楽に身につけてもらえたら。
そんな風に手紙に一言、添えておいた。
貴族のグロール伯爵はもちろん、ヘリーにとっても麦藁素材の品物は馴染みがなく、ある種の奇抜さも感じさせるのは言うまでもない。
だから消耗品として、と書いたのだ。
私自身はバルハ領主として、年内に平民あたりになら流行らせる気概はある。
来年には量産して、バルハ領の特産として売れる環境を整えていくのが、今夏の目標の一つだ。
けれど人によっては奇抜と捉えて、忌避する可能性もある。
流行の発信源となるには、勇気がいるだろう。
恩人にそんな勇気を強いるつもりは、一切ない。
「まさか色をアドバイスされるなんて……」
贈った品物の色は当然、麦藁色。
素材が麦藁だから、当然ではあるけれど……。
「これは一考の余地ありですわね!
どうせなら、脱臭領地改革に相応しい特産品にしてやりますわ!」
――スゾゾゾォー。
音を立てて、二番茶を味わう。
「……やっぱり二番茶でも、お口の臭いを抑えられませんわね」
やる気が霧散して、思わずスンとしてしまった。




