9 どうして結婚という話になるのですか!? ②
「…………え?」
しばらく時が止まった気がした。
思考はたっぷり五秒ちかくも停止し、そして次に疑問で頭の中が満ちあふれる。
「え、ええ!? なっ、なぜそのようなお話にっ!?」
────殿下は、私を助けてくださった方で、この十年間の私の心の支えです。
死にたいとき、いつも殿下の記憶に救われました。殿下がいらしたから生きてこられたのです。
それに私が今までお会いしたことのある男性の中で間違いなく一番の美男子であり一番素敵な方です。
すべてにおいて好意しかありません。
────ですが、結婚???
それはちょっと飛躍していませんか???
一方殿下は、当たり前のようにそのままお話しになる。
「醜聞というものは厄介だ。
執拗に、しかも不正確に、尾ひれがついて人々の間を回り続ける。
だが淑女の場合、結婚による名誉回復が可能だ。
それも高い身分の権力を持つ男との結婚。くちさがない者たちの口をふさぐには、これが何よりも効く。それゆえだ」
「り、理屈はわかります。が……」
「もし結婚そのものを恐いと思うなら、白い結婚でも問題ないが」
唾をのみ、やっと求婚の衝撃から回復した私は、ブンブン首を横に振った。
「で、殿下!
ご自分をもっと、大切になさってくださいっ!」
「ん、ん?」
「一生の伴侶ですよ!?
そんなことで決めてはダメです!
殿下の幸せだって大事です!
自分を安売りしてはいけません!
そもそも、謝罪される筋合いなんて一切ありません。
殿下は私の恩人……」
そこまで言って、ハッとした。
畏れ多くも王弟殿下にこんなにまくし立てるなんて、不敬にもほどがある。
十年の使用人生活で、貴族としての常識的な感覚がにぶってしまっていたみたい。
(うわ……恥ずかしすぎる)
私は、この憧れの人に、何度恥ずかしい姿をさらしてしまうのだろう。
「────大変失礼いたしました、殿下」
私は深く頭を下げる。
「いや、唐突に聴こえたなら申し訳ない。
だが私は、君に償わなければならないのだ」
ロデリック殿下が目を伏せる。
長い睫毛が綺麗なお顔に影を落とし、思わず私の心臓が早鐘を打つ。
「王家の男子は若いうちに騎士団で心身を鍛える。私も十三歳から騎士団に入っていた。
あの日は、馬術の訓練のため皆で馬場まで移動している途中、君の侍女殿に助けを求められた。
血まみれで必死に訴える彼女を見れば、一目で深刻な事態だとわかった。
だが当時の私はまだ見習いであり、何の権限もなかった。
一方、指揮していた分隊長は、これは自分たちの仕事ではないと別の者たちを呼ぼうとした。
子どもの命がかかっているというのに、ひどく悠長に思えて我慢できなかった。
だが見習い騎士には人を動かすことはできない」
「あの、まさか」
「王子として、緊急強制執行権を行使して騎士団と憲兵を動かした」
「…………!」
つまり、私は殿下の決断によって助かったと……。
殿下は、私を探したその他大勢ではなく、指揮してくださったのだと、そういうことでしょうか?
そんなの、ますます感謝以外なくなる。
沈痛な面持ちの理由も、私と結婚までしようとする理由もわからない。
「彼女が懸命に助けを求め、また騎士団と憲兵が動いているのを見て、一般の平民たちもたくさん集まってきた。
子どもが誘拐されるなど他人事ではない、探すのに協力すると」
「は、はい。
だから、目撃者もすぐに見つかり、怪しい場所をしらみつぶしに探すことができたと……あの時もそうおっしゃっていましたね?」
「良く覚えていたな。その通りだ。
私も、自分の決断で君の命を救えたと思い上がっていた。
だが、違ったんだ」
「違った……?」
「公にはされていないが、王宮には、貴族がなにか事件に巻き込まれた際、対処に当たる専門の組織がある。彼らが動けば秘密を徹底して守ることができ、貴族たちの名誉を傷つけずに済むというわけだ。分隊長はそちらに任せようとしていた。
それを、一刻も早く見つけねばと焦った私が大事にしてしまったのだ。
そのせいで……君が誘拐されたと大勢に知られた。貴族たちにも知られることになった。
何一つ罪など犯していない無垢な君から、私が貴族としての生命を奪ってしまった」
「ちっ、違います、それは……」
「しかし現に、今のままでは君の名誉が傷ついたままだ」
「それは……そうですが」
殿下のおっしゃりたいこともわかる。
私自身これまで『貴族とはそういうもの』と自分自身に言い聞かせて、家族に対する黒い気持ちを押さえ込んでいた。
だけど、殿下がご自身をお責めになるのは絶対に違う。
(何かないかしら。
殿下のお心が軽くなる言葉は……)
『あのこと』を言う?
いえ、きっと誘拐犯のことを口にしたら、私……。
「そのためには……決して完璧な策とはいえないが、結婚が最善だと考えた」
「完璧ではないが、最善……」
その言葉で、パッとひらめくものがあった。
背筋を伸ばし、まっすぐに殿下を見つめ、深呼吸を二回する。
「あの、殿下!
僭越ながら、わたくしから一つ申し上げても良いでしょうか?」
「ああ。何だろうか」
「誘拐事件の解決には初動が肝心だといわれています」
「……ん?」
「初動でうまくいき、早々に解決してさらわれた人を無事取り戻せた事件もございます。
また、様々な理由でそうできず犯人を逃がしたり、捕まえるのに時間がかかり、命が奪われてしまった事件もございます。
王都の治安を維持する人員も限られている中、殿下は、その初動から最大の人員を投入してくださいました。
たとえばその動員によって、もしも他の場所に不都合が出たならそれは申し訳なかったと思いますが……。
完璧なやり方ではなかったかもしれません。
ですが、殿下のご決断は、少なくとも私にとっては最善だったと思うのです」
誘拐事件の話は新聞の受け売りだけど……どうか、殿下に私の思いが伝わってほしい。
少しでもお心が楽になってほしい。
そういう願いを込めながら私が言い切ると、背後からパチパチパチ……と拍手が聴こえてきた。
「でしょう?
私も十年前からそう言っているのよ」
(……………!)
こちらの声には聴き覚えがある。
私があわてて立ち上がり振り向くと同時に、部屋の扉が開かれた。
長身の女性が部屋に入ってくる。
氷の薔薇が咲いたような、凛としたオーラ。
黒髪だけど、殿下とは対照的に色白で、キリリと隙のない美人。
天鵞絨のドレスは、シンプルでありながらも王家のみが使える紋章で飾られた、威厳あるものだ。
私は頭を深く下げながらカーテシーをする。
「大変ご無沙汰をいたしております────女王陛下」