30 マージェリーは役に立ちたい⑤
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公爵の訪問から二週間後……。
フォールズ公爵はまたウィズダム城にやってきた。
今度は訪問の前に連絡もあったし、公爵はごあいさつとともに前回の訪問の無礼な態度について丁寧な謝罪をし、持参したお詫びの品を差し出していらっしゃった。
改めて意見書について話し合いになるのかしら?と思ったら、そのお話はもう、殿下と王宮でお会いになったときに終えていたそうで、意見書ももう再提出なさったようだ。
(……だとしたら、今日は何の用事でいらっしゃったのかしら)
応接室で、殿下と私と向き合ってお座りになっているフォールズ公爵。
何かとても話したいことがあるのだと思う。
だけど、さっきからため息をついたり指を回したり、話すのをためらっている様子だった。
(……どうなさったのかしら?)
私たちはしばらく当たり障りのない世間話をしていたけれど、私は空気を変えるきっかけにと思い、製本した書類の束を取り出した。
「あの、厚かましいかと思ったのですが、このようなものを作ってみたのです」
「これは?」
「はい。王宮に提出する書類をつくるための手引き書を作ろうと思いまして。手始めに、意見書用の素案をまとめてみました。
望ましい構成や、どういった内容を漏れなく書いていてほしいか、例を挙げて説明をしています。
元々私が殿下のお仕事をお手伝いする上でわからないことを自分なりに書き留めて整理していたのですけど、もしかしたら他の方も使えるのではないかと思い、手引き書として書き直しました。
よろしければ、見ていただいてご意見をうかがえるとありがたいのですが」
「ふむふむ」
パラパラと手引き書をめくっていた公爵閣下は、段々興味深そうに目を輝かせていく。
「うむ、うむ、これは良いな! 文章だけでなく丁寧に図解されていて、必要なものが一目でわかる。書き方の例がずいぶんたくさん載っているが、これは実際のものかね?」
「殿下にご相談して、載せても問題のないものは昔の実際のものを固有名詞を伏せて載せております」
「非常に参考になる。
ふむふむ……そうか……こういう情報がこういうところで必要なのか。
いやわかりやすくてありがたい。
これは、完成したら私も是非いただきたいな」
「ありがとうございます! それは良かったです」
殿下にもすでに見ていただいていたとはいえ、公爵からの悪くない反応に私はホッとした。
「……そうだな……。
なんというか、その……本当に恥ずかしいことだが、この歳になると、わかっていないだとか間違っているとか、人から指摘されるととても堪えるのだよ。だから、素直に人に教えを乞うことも難しくなってな……。
もちろん年老いていようが若かろうが過ちは正さなければならないと、わかってはいるのだが……」
私は黙ってうなずいた。
――――この歳になってこんなこともわかっていないのだと、人に知られることが恥ずかしくて恐い。
その感覚は18歳の私にも覚えがあるものだった。
確かに私はいま勉強をして少しずつ本来子どものうちに学ぶべきだった素養を身に付けているところで、勉強自体は楽しいものだけど、ふとしたときにどうしようもなく強烈な恥ずかしさに襲われてしまうのだ。
殿下は意見書を出した貴族たちのことを
『ひどいものを出していると自覚もできていない、普段から提出先に何とかしてもらっているからだ』
と批判なさった。
けれど私は、もしかして彼らは、私と同じように、人に知られるのが恐くて恥ずかしくて、なかなか人に教えを乞うことができないのじゃないかと思った。
それで手引き書を作ってみたのだ。
(わかりやすいと言っていただけて良かった。私でもわかるように作っているのだから当たり前だけど)
わからない人間の目線に立てるから、こういった手引き書を作る上では、私の学のなさは逆にアドバンテージになる。
「お褒めいただいてありがとうございます。
他の手引き書も作ってみますね!」
思わず弾んだ声をあげた私を見て、フォールズ公爵は何とも言いがたい表情を浮かべた。
切ないような、困ったような、だけど口もとは微笑んでいる。
重いため息を洩らして、公爵は口を開いた。
「君はもう、自分の足で新しい人生を歩んでいるのだな」
「え……いえ!?
今の私は、何から何まで殿下にお世話になりっぱなしですよ……!?」
「いや、そんなことはない。
マージェリー。君が生きていることを息子に知らせたよ。
アイザックは……喜んでいた。おかげでもう少し、生きていられそうだ」
「生きて……あの……もしかしてアイザックは重い病気なのですか?」
「病気か……確かに……いや、怪我というべきかもしれないな。
それも気まぐれに理不尽に負わされた、大怪我だ。心のな。
すまない。アイザックは勇気を出して、殿下にもマージェリーにも伝えて欲しいと言ったのに、親の私が怯えてためらってしまった」
「……? 公爵閣下……?」
フォールズ公爵は突然、手袋をお外しになり、袖口を大きくまくり上げた。
(……!)
痛々しい火傷の跡が、左右の腕を覆っている。
十年前には絶対になかった、酷い火傷の跡が……。
「アイザックが14歳の時、焼身自殺を図った。
どうにか必死で消して、一命をとりとめることができたが……これは……その時に負った火傷だ」
言葉が出てこない私に、公爵閣下はさらに続けた。
「君が誘拐される、ちょうど1年前ごろのことだった。
アイザックも同じ男に――――君を誘拐したあの外道に、さらわれたんだ」




