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3 人生が狂ったあの日のこと③

「……な、なんだぁ!?」



 混乱した誘拐犯が上体を上げ、私の視界に小屋の扉が入ってきた。


 バキン!!


 再び音が響く。

 分厚い木の扉を突き破って見えたのは、鈍色(にびいろ)の尖った何か。


(あれって……すごく大きいけど、オノの刃?)


 扉の向こうがひどく騒がしいことに、そのときやっと私は気づいた。



「ま、まさか!? き、貴族だろ? 貴族が、そんなこと、するわけ……っ」



 バキバキン!!


 扉の向こうから光が漏れる。

 二撃目で、扉の(かんぬき)が壊れた。

 今度こそハッキリ見えた。扉に大穴を開けたのは、大きな大きな斧の頭だ。


 バキバキバキバキ……!!


 大勢の手が扉を押してくるような音が響く。


 

「待て!! やめろ、入ってくるな!! コイツがどうなっても良いのか!?」


 男性はわめきちらす。声は上ずり、明らかに怯えて、それでも私を楯にしている。


(こ……殺されるの!? 私……)


 思わず両手をお祈りの形にした。


 ゴドオン……。鈍く重い音が、最後の一押しだった。


 扉がゆっくりと倒れていく。

 差し込んでくる光に目を射られたけど、小屋に大人たちが何人も入り込んでくるのがわかった。

 すさまじい怒鳴り声。

 誰かの手が、男の手から私の身体を引き剥がした。

 だけど私は膝に力が入らず、そのまま床にへたりこんでしまう。



「大丈夫か!?」



 そう私にかけられた声は、大人の男の人たちのそれと比べると格段に高い、少年のような声だった。

 私は恐る恐る顔を上げる。



(……え?)



 見上げた先に、見たこともないほど秀麗な顔があった。



(…………誰?)



 確実にお兄様よりも年上、たぶんアンナより少し年下……15歳ぐらいだろうか。

 その手には、細身に見えるその体格に似合わない、身長を遥かに越える長柄の大きな大きな斧を持っていた。



(この人が……あの扉を壊したの?)



 彼は斧を置いて私の前にひざまずき、同じ目線の高さで見つめてくる。

 磨き上げた黒曜石みたいな黒い髪に、浅黒い肌。

 そして現実味がないほど整った目鼻立ち。

 深い深い(みどり)の瞳が、真剣に私を見つめている。



「頭は痛いか? 他に怪我は?」



 声変わり中らしい、ハスキーで繊細な響きの声。

 騎士団の服をまとっている。

 私の手を縛る縄を、小さなナイフで切ってくれた。



「ご令嬢様っ、大丈夫ですか!?」

「お怪我はございませんか!?」

「頭は痛くないですか!?」



 他の人たちにも矢継ぎ早に訊かれて混乱する私。


 少年の肩越しに、私をさらった男が縛り上げられて、どこかに連れていかれるのが見えた。



(…………私、たすかった、の?)



 この人たちは私を助けにきてくれたの?



「……あ、あの、わ、わたし……わた……」



 お礼を言わなくちゃ。

 そう思うのに唇が震えてしまう。

 筋肉が強ばって、口がうまく動かせない。言葉が、出てこない。



「あ、あ……アンナ、は……?」



 やっと出てきたのは、私のせいで殴られてしまったアンナの名前。

 大丈夫? 大怪我していないかしら?

 そのまま死んでしまったらどうしよう!



「君の侍女のことだな?」少年は言う。


「憲兵のもとで医師に診させている。

 頭を殴られ、かなり出血していたが、手当ても済んでいまは落ち着いているようだ」


「あ……」


「こうして君を見つけられたのは、彼女のおかげなんだ。

 彼女が懸命に助けを呼んだから、俺たちだけじゃなく人がたくさん集まった。

 だから目撃者もすぐに見つかり、怪しい場所をしらみつぶしに探すことができたんだ。

 本当に……命があって良かった」



 語りかけてくる彼の声は優しい。

 だけど優しいからこそ、自分のなかでどんどんなにかが込み上げてくる。


「……恐かっただろう。良くがんばったな」


「……っ!」



 私は目の前の少年の胸にすがりつき、声を上げて泣いた。

 もうわけがわからないほど叫んで泣いた。

 貴族の娘として、人前でこんなにみっともなく泣くなんてあってはならないことだとわかっているのに止まらなかった。


 ────歯止めが効かない私を、少年は優しく抱きしめてくれた。


 そうして、大人に比べれば細いのにすごく力強い腕で、私を危なげなく抱き上げ、声をかけながら憲兵の詰め所まで連れていってくれた。


 そこでアンナに再会した。


 頭に包帯を巻かれた姿は痛々しかったけど、私を見るなり「マージェリー様、ご無事で……!」と叫んで駆け寄ってきて、私をギュッと抱き締めた。


「ごめんなさい、ごめんなさいマージェリー様、私がもっとちゃんと気をつけていればっ……!!」


 そんな風にアンナに言われたら、私もまた感情の(せき)が切れてしまい涙がボロボロ止まらなくなった。


「ごめんなさい、アンナ、ごめんなさい、私が……」


 ────お互い声も枯れるほど夢中になって泣いた。

 どれほど泣いていたのか……ふと気づくと、少年の姿は見えなくなっていたのだった。



(あ……どうしよう……私、あの人にお礼を言えなかったわ)


 

 それから私は、アンナに付き添われ、殴られたところを医師に診てもらった。

 老齢の医師は、私の頭を見ながら顔をしかめる。



「こぶができておりますな……。

 出血はしていませんが、頭を打たれていらっしゃいます。

 頭への衝撃は、直後は何ともなくとも、後に容態が急変することがございます。

 特にお子さまが頭を打った時は、その後48時間は要注意です」


「は、はい、わかりました。

 ありがとうございます」


「それにしても、頭を殴られるのは大人でさえ危険だというのに、まだ8歳の子どもの頭を、大人の男が棍棒で……なんと酷いことを」



 そこへ険しい顔の警吏たちがやってきた。



「ご令嬢様、ヴァンダービル伯爵家にもお知らせしました。

 大変な目に遭われた後に、申し訳ありません。

 まだお小さい貴族のお嬢様にお願いするのは、とても申し訳ないのですが……あの男の取り調べをし、ふさわしい罰を与えなければなりません。

 つきましては、被害者として、何があったか何をされたか、細かくお話ししていただいてもよろしいでしょうか?」


「は……はいっ」


 私をさらった男は、ほかにも悪いことをしていたらしい。


 一秒でも早くお父様とお母様のもとに帰りたい気持ちをグッと我慢して、私はアンナとともに、警吏たちからの質問に答えた。


 質問は思ったよりずっと多かった。

 時折恐怖を思い出して身体が凍りついてしまい、涙がまたこぼれてしまうこともあったが、それでもがんばった。


 悪者をちゃんと捕まえないと、私と同じようなことをされる子どもがまた出てきてしまうと思ったから。



「おつらい思いをさせてしまいすみません。ですが、ありがとうございます。これできっと奴を監獄に送れます」

「よくがんばりましたね」


 大人たちが、私をいたわりながら深々と頭を下げるのがとてもこそばゆい。



「い、いえ……こちらこそ、助けてくださって本当にありがとうございます。

 あ、あの……すみません私、お礼をまだ言えていない方がいるのです。

 ……たぶん、15歳?ぐらいの男の人で……」


「15歳?」


 警吏の代表者は首をかしげる。


「そんな若い者が? では騎士団の見習いですかな」

「そう……なのでしょうか」

「わかりました。誰だったか確認して、後日ヴァンダービル家にお知らせいたしましょう」

「ありがとうございます」



(よかった……これであの方にもお礼が言えるわ)



 すべて終わったらもう、夕方になっていた。

 散歩に出たのは朝だったのに……まるで、遠い昔のように思えた。

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