28 マージェリーは役に立ちたい③
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それからというもの、私は二、三日に一度は執務室でロデリック殿下のお手伝いをするようになった。
意見書の内容確認や、殿下ご自身が議会に提出する資料をつくるお手伝いをしたり。
国政に関するもの以外でも、たとえば領内で起きている問題について、他の土地であった似た事例についてお話ししたり。
執務室で殿下と二人きりになるのはまだ緊張してしまうけれど、私なりにお役に立てるのはとても嬉しかった。
このお手伝いが毎日できたら良いのにな、なんて思っていた。
「────君の字はとても良い字だな」
……簡単なメモ書きを見ながら突然ロデリック殿下に言われ、驚きで肩がビクッとしてしまった。
この日は殿下が一日ウィズダム城でお仕事をされることになり、私は昼食後そのお手伝いに入っていた。
「あ、ありがとうございます。
そうでしょうか?」
「綺麗で丁寧で、とても読みやすい。
読む側にとって一番良い字だ」
「あ、ありがとうございます……」
まさか、こんなちょっとしたことで褒めてもらえるとは思ってもみなくて、嬉しいけど戸惑っている。
「ですが、殿下もかなり達筆でいらっしゃいますよね」
「そうだろうか。癖が強くて、私としては直したいんだが」
「カッコいい字ですよ。私はとても好きな字で……」
そう自分で言いかけておいて、殿下にじっと見つめられていることに気づいて、急に恥ずかしくなってしまった。
「えっ、あの、字の話であってですね、そのっ」
「あ、ああ、字の話だな? そうだな?」
なぜ二人して焦っているのだろう。
「そ、そういえば、殿下。先日チェックをした意見書は、提案者の皆様にもうお戻しを?」
「ああ。直しの指定が多かったので、多少は不満の声が上がったがな。
君のおかげで早々にまとめられた。助かった」
「いえ、それならば良いのですけど……あの、私、少しだけ気になっていることがありまして」
「気になっていること?」
「あの……」
その時、コンコンとノックの音がした。
「どうした」
「失礼いたします」ドアを開けて入ってきたのはこの城の執事だった。
「急な来客でございます、殿下。
王都からフォールズ公爵がいらしています。
どうしても殿下にお会いしたいと」
用件を伝えられ、殿下が形の良い眉を寄せる。
「先触れもなしにか。どういう了見だ」
「先日の意見書を差し戻されたことに一言いいたいことがある、と。かなりお怒りのご様子でしたが」
「…………っ」
殿下がいらだった様子で髪をかきあげた。
フォールズ公爵家はこの国でも最上級の家格の家だけれど、ここしばらくは公職から遠退いていたはずだ。
当代の公爵閣下も確か公職の経験はない。
(だとしても……)
先触れとは前もって人を送って訪問を伝えることだけど、それなしにいきなり訪問するのは、急ぎの用でなければ無礼なことだ。
公爵閣下とはいえ一貴族が、王弟殿下に対してすることではない。
私ですら知っているマナーを、現役で社交界の中で生きている公爵閣下が知らないはずがない。
ということは、敢えてそういう行動に出ている?
しばらく悩まれたあと、「応接室に通せ」と殿下はおっしゃった。
「殿下、私は部屋に戻っておりますね」
「そうだな、一度君の部屋に……」
そう言いかけて、ふと、殿下は何か考えるような仕草をなさった。
「……いや、やはり応接室の続き部屋で待っていてくれるか」
「? はい。よろしいのですか?」
続き部屋にいろ、というのなら、お二人の会話を聞いても良いようだ。
私は殿下とともに執務室を出、階段を降り、応接室の隣の部屋に入った。
応接室の続き部屋には、応接室の中が覗ける隠し小窓がある。
かつては書記などがここで待機して来客との話を記録していたのだろう。
私は、隠し小窓からそっと覗いた。
(…………フォールズ公爵閣下…………十年もたつのだから仕方ないけれど、歳をおとりになったわ……。
もう五十歳を越えていらっしゃるのよね)
十年ぶりに見るフォールズ公爵は、殿下と向かい合っても、見るからに額に青筋たてていらっしゃった。
「……単刀直入に申し上げる。あれは何なのですかな!?」
「不備があったので差し戻しましたが」
「あれが不備ですと!? 本題と関係のない細かな間違いばかりを突いて、揚げ足をとったものにしか見えませんでしたが!?」
「根拠となるものが正確に書かれていなければ、それをもとにした意見にもまったく説得力がなくなってしまう。だから直せと申し上げた。
当たり前の話でしょう」
「そんなことをおっしゃって、毎度毎度、こちらの意見を体よく却下するために悪意をもって因縁をつけているようにしか見えませんが。
これまで我慢してまいりましたが、今回ばかりは我慢なりません!」
「不正確なままでも議会にかかれば貴族議員たちを騙せると?」
「だ、騙す!? 私が、議員を!?」
「そんなつもりはないというなら、間違いのないものを持ってきてください。
説得力がなければ、どのみち国王陛下は却下されるでしょう」
「……ぐっ……で、殿下は、我々貴族のことを軽視しておられるのか!?」
「あの意見書は不備があったから戻した。
指摘した不備を直して正しいものを再度提出するように求めた。それだけですが」
「それは申し訳ない、ですがっ!」
(うーん……)
殿下が求めているのはただ意見書を修正してほしいというだけのこと。
なのに、フォールズ公爵はかなりそれを感情的にうけとめていて、それに対して(ちょっとうんざりした様子の)ロデリック殿下が淡々と指摘をしていらっしゃる。
意見書を読んだ時の違和感が何となく腑に落ちた気がした。
そして……ある理由から、もしかしたら、私なら場を納められるんじゃないか、とも思い至った。
(いえ……お手伝いしたとはいえ、本来私は部外者の身だし、そもそも公的には死んでいる人間だわ。
生きていることはまだ公表していないし、私がしゃしゃり出たら余計にややこしいことになるかもしれないし。おとなしくしておくべきよね……)
そう私はぐるぐる悩む。
一方で、隣の部屋の公爵の声はどんどん大きくなっていく。
(…………ああ、もう)
私は思いきって、応接室に続く扉を開けた。
「ですから、殿……」
開けたところで、フォールズ公爵とばっちり目があい、公爵はきょとんとしたお顔をなさった。
突然今までいなかった人物が乱入したのだからびっくりされるだろう、それは。
そして大人になった私を見て、本物だと思ってくださるかどうか……?
「公爵閣下。大変ご無沙汰をいたしております。ヴァンダービル家長女マージェリーにございます」
そうご挨拶をしてカーテシーをすると、あんぐりと口をあけて、フォールズ公爵はしばし硬直した。
「マージェリー……嬢……?
生きていた……のか?」
「……はい、その」
「本当なのか? 君が……」
目がこぼれ落ちるかと思うほど見開いたフォールズ公爵の目から、ぼろりと涙がこぼれ落ちた。
「まさか……嘘だろう……本当に、君が?」




