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20 お誘い③

※フラッシュバック的表現が含まれます。

 美術館の入り口から間もないところにある、大きな大きな絵画に、まず足は向いた。


 天井まで普通の建物二階分はありそうなこの美術館で、その天井に届きそうなほどの高さがある。横幅はそれ以上。

 まるでひとつの別世界に入り込んでしまったかのような感覚を与えるその巨大な絵は、この国の初代国王の戴冠式を描いたものだった。


 大きさだけじゃなく、圧倒されるその画力。その絵の前で私は、たくさんの感情が入り交じったため息をつく。



「……懐かしいです。この絵……」


「初代国王が当時の首席画家に描かせた絵だな。

 ずいぶん大人向けの絵だと思うが、これも子どもの頃好きだったのか?」


「ええ。子どもだったので、単純に大きさに惹かれたというのと、何となく、かっこよくて好きでした。これから新しい時代が始まる!っていう思いが伝わってくる感じがしませんか?」


「確かに、格調高さの中にもそういう思いが乗った絵だな。それと、人物はそれぞれの特徴がわかるように描きわけられ、衣装も細かく再現されている」


「では描かれているのは実際に戴冠式に出た方々なのですか。戴冠式の様子が忠実に再現されているのですね!」


「いや、実際と違うところもある」


「そうなのですか?」


「ああ。この人物は実際には出席していないし、この人物は実際より若く美人に描かれて……って、こんな話をして大丈夫だったか?」


「いえ全然! むしろ伺いたいです! 興味深いです」

 


 ────結論からいうと、ロデリック殿下と一緒に絵画を鑑賞するのは、想像の百倍楽しかった。


 殿下はどの画家についてもびっくりするほどお詳しい。

「有名な画家は王家と何かしら絡んでいる者が多いからな」

なんて軽くおっしゃっていたけれど、そんな殿下の解説は本当に面白くて、いつしか緊張なんてどこかに行くほど夢中になっていた。


 子どもの頃好きだった絵との再会も楽しかったけど、昔はまったく興味が湧かなかった絵も、殿下のご説明を聞いているうちに魅力がわかって好きになったりした。



(楽しい……幸せ……来て良かった!)



 王立美術館の絵画の収録点数は本当に多いので、本気ですべて見ようとすると数日はかかる。


 なので今日は、子どもの頃いつも見ていたお決まりのルートだけを昼までに見終えるつもりだった。


 だけど、殿下のご説明が面白すぎてつい聞き入ってしまうので、全然昼までに終えられる気がしない。


(午後は博物館の予定だけど……少し遅くなっても大丈夫かしら?)


 そんなことを考えながらも本当に楽しいので、自然と足取りも弾む。



(……あら?)



 少し先の方に、私の記憶にない絵画を見つけた。


 木々の繁る、穏やかな場所を描いたような風景画だ。

 この十年の間に新たに収蔵されたのだろうか?


 そういえば、これまで鑑賞してきたところも絵の配置が昔とはちょくちょく変わっていた。

 もしかすると他の場所からここに持ってこられた絵なのかも知れない。


 どこを描いた絵かしら。

 そう、何気なく足を進め、その絵画の全体像を目にいれた、その瞬間。


 ドッドッドッドッ……

 心臓が暴れ始め、なのに身体は裏腹に凍りついた。



「マージェリー嬢?」



 ガツンと頭を殴られる痛み、荷馬車に放り込まれる感覚、絶望が人の皮をかぶったようなあの男が、私の身体のうえに乗ってくるあの重み。

 ─────誰にも言ってはいけないよ、誰にも。


 瞬間的に頭のなかを埋め尽くす十年前の悪夢。声がでないまま、私は立っていられずへたり込む。



「マージェリー嬢……! マージェリー! どうしたんだ!!」 



 口は動いても声がでない。あの時みたいだ。

 殿下の腕が私を抱き締める。

 胸に顔を埋める。

 その体温を感じて、ようやく私は息が吸えた。


 落ち着いて、大丈夫なの、私はもう大人、あの時の八歳の子どもじゃない。自分にそう言い聞かすけれど、心臓が落ち着いてくれない。



「あ、あの……申し訳ございません、殿下……」


「良い。気にするな。具合が悪くなったのだな?」


「あの、絵が」


「絵? ……マージェリー?」



 私は、殿下の胸に強く強く、顔を埋めた。

 きっと素晴らしい画家の手によるものだろう、本当に良い絵だった。

 あの……私の大好きな場所の魅力が一目で伝わる、愛情を感じる素晴らしい絵だった。

 なのに、私はこの絵を視界に入れられない。



「…………王立公園を、描いたものでした」



     ***



「落ち着いたか?」

「本当に申し訳ございません、殿下」

「だからもう気にするな。楽になるまで休め」



 足に力が入らなくなってしまった私は、殿下に抱き上げられて、馬車のなかに戻ることになった。


 殿下が私の背中を優しくさすっている。

 そんなこと、私なんかのためになさらないでくださいと言えないほど、心がぐちゃぐちゃに乱れていた。


 博物館の併設のカフェから温かいミルクが届けられ、私はそれを一口いただいた。

 ハチミツを垂らしたものらしい。その甘味と優しさ、温かさ。ぼろっと涙がこぼれてしまった。



「ごめ……ごめ……なさ……」


「良い。苦しいなら泣いた方が楽になる」



 嗚咽を押さえ、必死で涙をこらえても、静かに涙が流れ続けてしまう。

 ただ、そうしているうちに少し落ち着いたのか、喉の感覚がもとに戻ってきた。

 声が、ちゃんと出そうだ。



「……あの公園は、大好きな場所だったんです」


「うん、うん」


「もしも王都に戻れたら、もう一度行きたいとさえ思っていたんです。良い思い出がたくさんあって……もう大丈夫だと思っていたんです。なのに」



 なのにあの絵がどこを描いたものかわかったとたん、怒涛のように十年前の事件の記憶が、いま起きていることのように私の頭のなかを支配した。濃縮された苦しみが身体中を駆け巡った。


 いくらとても上手な絵だって、絵は絵でしかない。

 なのにあんな風になってしまったということは、実際に公園に行けば、きっともっと……。


(……悔しい)


 自分自身が思いどおりにならないことが悔しい。

 私が心から大事に思っていたあの場所の思い出が、あんな卑劣な犯人に無茶苦茶にされてしまっていたことが、たまらなく悔しい。


 あんな男に一欠片も支配されたくないのに。


 ────殿下が、私の肩を抱き寄せる。

 ハッとしたけれど、そのまま私は殿下に正面から抱き締められた。



「私は、君に触れても大丈夫か?」


「……大丈夫、です」



 むしろ今、不安定な心は殿下の体温にすがってしまっていた。

 駄目なのに。私は、自分の足で立てる人間にならなきゃなのに。

 ……どうしてこんなにも弱いんだろう。悔しい。

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