19 お誘い②
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「お化粧なんて……私がしても変じゃないかしら」
「鏡をご覧になってください。とてもお綺麗ですよ?」
「リサさん、髪は最近王都で流行りの結い方でいきましょう」
「そうですそうです、衣装部屋には髪飾りもたくさんありますしね」
翌日。
朝食のあと、鏡の前に座らされた私は、リサと二人の侍女たちにヘアメイクをされていた。
服は、ロデリック殿下がご用意してくださった外出着ドレスの中から、さんざん悩んで選んだ。
恥ずかしながら流行りがわからないので、侍女たちに意見を聞き続けてなんとか選べたものだ。
クラシカルな格子柄が綺麗な、とっても素敵な外出着ドレス。だけど。
「……私が着るとなんだか、ドレスに着られてしまっている感じがしない……?」
「しません。大変よくお似合いです。ばっちりです。さすが殿下です」
「だ、大丈夫……?」
お化粧もしたことがないので、これで正しいのか、綺麗に見えているのかよくわからない。
手際の良い三人によってメイクは仕上がり、丁寧に髪も結われ。確かに鏡の中の私は別人のような姿になった。
……さきほど朝食をご一緒したばかりの殿下は、どうお思いになるかしら。
(……落ち着きなさい、私。デートじゃないのよ。お優しい殿下が、あくまでも私の気分転換とかのために誘ってくださっているのよ。でもそれはそれとして、少しでも綺麗に見えたら嬉しいだけだから)
心の中で自分に一生懸命言い訳している。
しっかりしなさい。求婚を断ったのは私の方なのよ。うかれるのはやめなさい。平常心、平常心……。
(私はもう大人よ。大人なのだから、できるはず)
何度も深呼吸して、立ち上がる。
玄関ホールに降り、殿下をお待ちする。私のほんの少し後に、殿下が階段を降りていらっしゃった。
私の姿を、その完璧な形の眼に収められた双眸に捉える。
(……?)
殿下のお姿をつい食い入るように見いってしまう私は、ある小さな変化に気づいた。
素晴らしく美しい殿下の両目が、一瞬、見開かれたような。
緊張で息が止まりそう。
そのまま殿下は私のそばまでいらっしゃる。なぜか、何かに耐えるように手で顔の下半分を覆っていた。
「……っ、よく似合っている、とても」
「……あ、あのっ」
「どこに出してもおかしくない完璧な淑女だ」
「あ。ありがとうございます!?」
(及第点……ということで良いかしら?)
あまりに緊張しすぎたせいなのか、出掛ける前だというのにドッと肩に疲れが乗ってくる。
だけど試練はまだ終わっていなかった。
なんと殿下が、私に手を差し出していらしたのだ。
「さぁ、お手を」
「はい」
震えそうになるのを賢明におさえ、穏やかな笑みを心がけながら、殿下の大きな手に、自分の手を重ねる。
二人の手の大きさが違いすぎて、とても大人同士の手とは思えない。まるで大人と子どものようだ。
手袋越しでも、その殿下の熱や手指のわずかな動きが如実に伝わってくる。
(平常心、平常心……!)
心の中で呟いている間に、外へと誘われる。
玄関入り口の階段を降り、その前につけられていた殿下の馬車に乗り込んだ。
何度も沸き上がってくる緊張と闘いながら、ロデリック殿下と向かい合って座った。
座面はとても座り心地が良くて、手触りもとても滑らか。
殿下と二人きりになる緊張をごまかすために、つい、馬車のなかを観察する。
(……王家専用の馬車、よね……これは……)
ここに来るまでに乗った馬車もとても上等だったけれど、明らかにそれを上回っている。
やがて馬車は走り出した。動き出したことに気づくのが遅れるほど、快適な乗り心地だった。
「王都に着いたら、まず王立美術館だったな」
「はい。子どもの頃、あの美術館が大好きで……アンナにも連れていってもらったのです」
子どもの私には高尚な美術のことはなにもわからなかった。
だけど、美術館という非日常な空間と、自分が知らない色彩感覚で描き出される絵に刺激を受けるのがとても大好きだった。
「好きな画家はいるのか?」
「ああ……いえ、好きな絵も多かったのですが、子どものころはあまり画家の名前をちゃんと見ていなかったのです。後から新聞で画家の名前を覚えたことも多くて……。
ただ、アンドリュー派のマリゴールドが描いた神話の連作は特に大好きで……」
(────父に何度も、絵の解説をせがんだのだったわ)
父の顔が浮かんでしまった。
キリキリとした胸の痛みを無視しながら「……何度も繰り返しその前を往復してしまって、怒られたこともございました」と、笑ってみせたのだった。
***
王立美術館は、私の記憶した通りの場所に今も残っていた。
……という言い方はおかしいかもしれないけど、十年間来られなかった私にとってはそんな感覚だ。
少しだけ増築をされてはいたけれど、古い宮殿を再利用したその美術館の外観は十年前と変わらず保たれていて、馬車の窓から建物を眺めただけで、懐かしさで胸が一杯になった。
殿下に再び手をとられ、私は馬車を降りる。
十年ぶりの王都の空気を吸い込んだ。
空が明るい。
ヴァンダービル伯爵領の領主館でいつも見上げていた空は、晴れた日でも狭くて灰色がかって見えた。今、私の頭上にある空は、青くてどこまでも広がっている。子どもの頃見上げた空そのままだった。
「ありがとうございます。とても懐かしいです」
「ならば良かった。行こう」
「はい」
早い時間だからか、人が少ない。
その見学者たちも平民らしい人が多く、貴族は見たところいない。
私のことをマージェリー・ヴァンダービルだと気づく人がいませんように。
美術館の中に足を踏み入れる。
────子どもの頃ワクワクした世界が、そこには広がっていた。




